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ユダヤ 十二支族コミュの古代イスラエルの歴史

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イスラエルの聖書時代の歴史[1]によると、族長アブラハム(紀元前17世紀)によりイスラエルの記録がはじまる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住するが、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。奴隷の時代が400年程続いた後に紀元前13世紀にモーセ(モーゼ)が民族をエジプトから連れ出し、シナイ半島を40年間放浪し定住を始めた。200年程かけて一帯を征服して行く。

ダビデ王(紀元前1004年‐紀元前965年)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。しかし、ソロモン王(紀元前965年‐紀元前930年)の死後、南北に分裂し、サマリヤを首都に10部族による北王国イスラエルと、エルサレムを首都にする2部族による南王国ユダに分かれた。

北王国のイスラエルは、現在のユダヤ人のような一神教的宗教を奉じていなかった可能性が高い。エルサレムのヤハウェ信仰にも一定の尊重を払っていたが、首都サマリヤに金の子牛の像をおいて祭祀の中心としていた。

北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされて、10部族は虜囚としてアッシリアに連行された。この10部族の行方が文書に残されていないため、2部族によって失われた10部族と呼ばれた。実際には10部族のうち虜囚にされなかった人々も多く、アッシリアによって逆に旧北王国の地に移住させられた異民族や、周辺の異民族と通婚し混血した。

なお、南王国のユダは、紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされ捕虜となった後にバビロニア国内で宗教的な繋がりが強くなりユダヤ教が確立することになる。「ユダヤ」の名は直接にはローマ帝国のユダヤ属州の名からきている。宗教的な性格を強くし、のちに商業を営みつつ世界に広がっていくことになるが、このバビロニア捕囚時代に他民族の中においてもユダヤ民族としての独自性を保つ基礎が作られた。

ユダヤに対して、旧北王国の版図は、ヘレニズム期には「サマリア」また「ガリラヤ」と呼ばれた。サマリアにはゲリジム山を中心にユダヤ教と一部を共有する独自の祭祀が発達し、「サマリア人」と呼ばれた。今日の研究者は、サマリア人は婚姻などによって周辺民族と同化したかつての10支族の子孫であると推測している。一方、復興したエルサレム神殿を中心とする宗教的アイデンティティを固めていたユダヤ人は、祭祀を異にするサマリヤ人を同族と認めず、異教徒として扱った。捕囚期以後のユダヤ人は、文化的アイデンティティを確保するために、異民族との通婚を嫌い、2支族においても異民族と結婚したものを、ユダヤ人のコミュニティから排除することが行われた。このためユダヤ人の側からは10支族とサマリア人の関連を認めず、失われたとする見方が生じた。

研究者のなかには、2世紀初頭のバル・コクバの乱でローマ帝国によってパレスチナからユダヤ色が一掃された後も、サマリヤ人の大部分とユダヤ人の一部はこの地に残り、のちにイスラム教に改宗し、現在のパレスチナ人の遠祖となったと指摘するものがある。一方、いわゆるシオニズムを支持する学者の一部は、こうした指摘を否定している。

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