ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

上杉景勝コミュのはじめましてと、マイナー武将紹介

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「岡 左内」

日本の戦国時代に興味のある人で、「直江山城守兼続」という名を知る方は多いだろう。
上杉謙信の養子景勝に仕え、陪臣でありながら秀吉に愛され30万石を領したという名将である。
その兼続についてのエピソードで以下のような話がある。

秀吉在世のころ、伊達政宗が大坂城の詰めの間で諸大名に当時珍しかった天正大判を見せびらかしていた。
その場にいた兼続は回覧されていた大判が自分のところに廻ってきた時、直接手に取らず扇子の上に載せて弄んでいたという。
陪臣であるため遠慮しているのだと思った政宗が兼続に「遠慮せず手にとって御覧あれ」と言ったところ

「私の手は、不識庵謙信公以来、上杉の家の軍配を預かる身である。そのような誰が触ったともわからないようなものを触ることができようか?」

そう言って扇子の上からポイっと政宗の方に投げ返した。
…これにはさすがの政宗も二の句がつげなかったという。
これをどう評するかは人によって分かれると思うが、兼続の潔癖な人柄が伝わってくる話では、ある。
といって彼がただの戦争バカではなく、領国経営にも非凡な手腕を有していた傍証はいくらもあるがさすがあの前田慶次の親友だけあって、彼にも相当傾いたところがあったのだと思う(後の行動をみても)

私は慶次も兼続も、またその主の景勝も大好きなのだが、ここで紹介しようとしているのは彼らではない。
その潔癖な直江兼続に仕えた、これまた一風変わったある武士である。

岡左内定俊(おか さない さだとし)

相当なマニアでも、この名を知っている人はそう多くはなかろうと思う。
彼は若州太良庄城主、岡和泉守盛俊の子であり、最初はこれも名将と名高い蒲生氏郷に一五〇石で仕えた。
無双の豪勇の持ち主であった彼は合戦のたびに武功をたて、ついには一万石にまで出世する。
・・・ただの武勇に秀でた者であれば、この時代いくらもいるだろう。だが、彼の変わっていた点は、

とてつもなくお金が好きであったことである

どのくらい好きであったかと言うと、休みの日にはそれまで貯めこんだ大判小判を部屋いっぱいに敷き並べ、その中に素っ裸で寝そべって独りニヤニヤと笑っていたという話が残っているくらい(・・・・・・・)
・・・兼続も極端だが、この人もなんつーか、えらくアレである(汗)しかし本当の話なので仕方がない。

しかし彼を、よく「まんが日本昔話」に出てきたような(?)我利我利亡者と見るのはあたっていない。
あるとき、領民がケンカしていると聞き、左内は仲裁をするために現場にすっ飛んで行った。
だが、誰かが泥棒にはいる恐れもあっただろうに、金はそのまま放り出してあったという。
また、家臣のなかで身分の低いものが左内に対して「お金が貯まりました」といって見せたことがあった。
「日頃心がけて貯蓄をしてこそ、いざというとき十分な奉公ができるのだ」と賞し、その場で士にしたという。
以前福井県立図書館で調べた資料では、かなり真面目なキリシタンでもあったともいう。カソリックの信仰とユダヤ人もかくやと思われる金銭至上主義をどうやって内面で両立させていたのか興味深いところであるが、ともかく彼はただの守銭奴ではなく、その背後には一本スジのとおった哲学があったとみてやるべきだろう。

氏郷没後、彼は蒲生家が会津九二万石から宇都宮一八万石に転封されると主家を去り、やがて上杉家を頼って直江兼続の家来となった。上杉家は謙信以来武門の誉れが高く、前述の兼続のエピソードにもみられるように潔癖で保守的な家風だった。そんな中でやたらと金にこだわる新参者の左内の評判がよかろうはずもない。
しかし当人は平気で、相変わらず理財と貯蓄に余念がなかったという。

やがて慶長五年(西暦1600年)関ヶ原の合戦が起こる。その発端は開戦の口実を欲しがる家康の、上杉家への挑発に対して直江兼続が返した一通の書状であった。世に言う「直江状」である。このなかで兼続は、家康の難癖がすべて根も葉もない言いがかりに過ぎないことを明快に述べた上で、「万端御下向次第仕つる可く候」…つまりは「一戦も辞さず。いつでもかかってくるがよろしかろう」と述べている。「家康、為に顔色なし」と史書は述べている。
この兼続の態度に対しては、慎重さを欠くものとして批判することもできるだろう。実際、これより先に前田家では同じような家康の言いがかりに対して、当主の母たる芳春院を差し出すことで家を保全しているのである(多分、この先大河ドラマ「利家とまつ」でもその辺の事情は語られるだろう)。
だがこの関ヶ原の戦いの前後の振舞いの爽快さこそ、いまだに上杉主従に隠れた人気のある所以かとも思う。

・・・閑話休題。
ともかくいざ大戦、ということになって上杉家中は大騒ぎになった。なにしろ戦争には膨大な戦費がかかる。
家臣も、出陣用意のためには金が要る。日頃の貯蓄によって悠々と出陣準備を整える左内を見て、同僚の中には平素の陰口も忘れて借金を申し込む者もいた。断られるかと思いきや、それに対し左内はいやな顔ひとつせずに
「ああ、それはお困りでござろう。必要なだけ、遠慮なくお持ちくだされ」
と言って、五○両、一〇〇両と相手の言いなりに貸し与えたという。だが、彼のやったのはそれだけでなかった。

「金とは、こういう時に使うものぞ!」

とばかりにそれまで営々と貯蓄してきた永楽銭一万貫を、上杉家に対し献上したのである。無論この時代に於いてこんな話は他に例がない。悪口を言っていたほかの家臣たちはこの後二度と左内の悪口を言わなくなったという。

関ヶ原で家康が石田三成らと戦っている頃、上杉家は最上、伊達家らと戦っていた。左内は同僚の斎道二とともに福島梁川の戦いで伊達政宗の軍と対峙していた。始めは優勢であったものの、関ヶ原における西軍の敗北が伝わり景勝は軍を返すことを命じる。このとき殿軍は道二が引き受け、息子の諸左衛門ともども討ち死にを覚悟した。
そのとき、左内は「道二ばかりを冥土にはいかせん!」ととって返し、両軍入り混じっての乱戦となったという。
そこで左内は目の前に現れた伊達家の武将と槍をあわせ、惜しくも取り逃がしたものの、その陣羽織を奪った。

関ヶ原合戦の後、上杉家はそれまでの合計一二〇万石から直江兼続が持っていた米沢三〇万石に押し込められた。
そのとき左内は、上杉家を去っている。新参者であるということと、上杉家の苦しい台所を慮ってのことという。
浪人した左内のところへ、すぐ伊達政宗が「三万石で召抱えたい」と言ってきた。実は、関ヶ原で左内が陣羽織を奪った武将こそ、伊達政宗本人だったのである。左内は政宗と謁見し、奪った陣羽織を見せて「家宝にいたします」と言ったという。しかし仕官の誘いに対しては断り、「多少の蓄えがござるゆえ、今後は悠々自適に暮らします」と述べた。

それを聞いた上杉の家臣たちは、蒼くなったという。左内が仕官しないのは、自分たちに貸した金を取立てるつもりでいるからではないのかと思ったからである。そもそも金があれば借金しないし、俸禄が四分の一になった以上は、とても返済などできない。皆びくびくするあまり仕事も手につかなくなる有様で、それを見かねた直江兼続が左内を訪ねた。左内は兼続がきたことで大体の事情を察したらしく、その場で別口の仕官をすることを云い、兼続の去り際借金の証文を悉く焼いたという。それを見て、兼続は「本当に惜しい男を手放してしまった」と思ったそうである。

結局左内は、もとの一万石で旧主の蒲生家に仕えた。関ヶ原の功によって会津六三万石の領主となったからである。
出戻りの左内はやがて猪苗代の城代となり、またまた莫大な金銭を貯蓄した。そして死期が近づいたとき、主君の蒲生忠郷に黄金三万両と正宗の太刀を献上し、そして友人知人に五〇両、一〇〇両と分け与え、箱いっぱいにあった貸金の証文を全て焼却した。

青山有雪 清松性 碧落無雲 秋露心

・・・左内が作った詩であるという。私は漢詩の素養はないが、金銭を偏愛しつつも常に澄明であった彼の心事が、匂ってくるような気がする。

コメント(5)

他の武将コミュで顔を合わせている方も多そうですが、ははじめまして。T.Tと申します。この文章は以前書いたもののサルベージですが、管理人様の要請もありましたのでこちらにも転載させていただくことにしました。以後、よろしくお願いします(ペコリ)
 (TT)様

 興味深いエピソード、ご教示どうも有難うございました。
  (^^)v
そのエピソードが載っている「心が強くなる武将の名言」という本を所持していますが、岡野左内となっていました。そして、伊達との合戦の際、左内が政宗と一騎打ちをし、猩々皮の陣羽織に二カ所も斬り込み、和睦の後に政宗が左内を捜しその陣羽織を贈呈したと記述されております。そして、普段から戦の準備は万全にしてある為、能楽師等を呼ぶ事は無く、出陣の準備の時に能楽師を呼ぶとも書いてありました。いずれにしても私の持っている本の方がより、美談に近く、現実味があるのは(TT)様の方ですね。
はじめましてぇ。

景雄と申します。
本名ではありません。

ここのコミュに集まられている方は、非常に歴史に詳しい方ばかりのようで、とってもうれしい&尊敬致します。

景勝公の本など、一般の書店ではあまり発見出来ませんが、
これからも集めて読んでいきたいと思っています。

よろしくお願い致します。
 景雄様

 はじめまして。ご参加ありがとうございます。
 景勝関係の書籍はたしかに少ないですね。
 良書など見つけられましたら、ぜひご一報くださいませ。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

上杉景勝 更新情報

上杉景勝のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング