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猪群山ストーンサークルを語る会コミュの第五回飯牟礼山縁起

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一躰は立様十一面観世音菩薩尊様なり。これは同国同郡西畠村の西畠寺の本尊として奉納安置してあり、いま一躰は座様正観世音菩薩の尊様は同国同郡旧野郷の白泉寺に安置されている。
竜女と村民中との約束を守った為七流れの白幡飯峯礼山の峯から雨が降り出し海底に入り浪もしずかになったと思った時、北から大風が吹いて来て浪が荒れると思っていたら、不思議な事に穏やかになり村民は白籏のしるしの御陰と口々に伝わりそれ故この浦を「なき浦」とか「なきの沖」とか「なき幡」とも言い伝えられている。
大蛇は竜女に変身して村民に対して「善哉、善哉、善を信じて男子等は、神力、仏力、に叶う者が、実を結び、村民は先祖の由来を知り、汝ら、知るも、知らぬも恩縁を知れ。」と語り、それを第八代孝元天皇四代後胤の武内宿祢、宿祢より四十七代末裔武内左京大夫惟忠これなり。
大唐の秦始皇帝の第二皇子「秦河勝」、河勝より三十一代後胤河野左近将輔直重、同氏瀬口形部丞直宗等これなり。
大織冠十四代の後胤、宗遠。宗遠より十八代の末裔土谷右近将監宗治。同氏小門左衛門佐治重。人皇三十一代の末裔小野式部亟良隆これなり。
第五十六代清和天皇六代後胤の頼清、頼清から二十八代の末裔井上左近将監頼秀等これなり。我汝ら等の子々孫々に至まで鎮守する事を物語として残している事なり。
第八十九代亀山院、弘治三年壬亥年(弘長三年癸亥・1263)正五位下行平朝臣相模守時頼公が国民の営業を見る為に筑紫に御下向する時に豊の後州国東郡の三浦庄山幡村の飯峯礼山に登って、一首聞こえた。

豊州の飯峯礼だけの潮社
彦火火出見命の尊なるらめ

詠はれし時、神殿に動き渡り戸びら開けて御声が聞こえた。

石は礼 潮は心 飯峯礼の
あさじと成りて 氏子守れり

誠に昔より言い伝えられているように戸びらが閉まり御託宣は今もまだ聞こえてきました。その時、時頼公は村民に向って言うには「我、登山の記しとして相州箱根権現の末社をこの地に造立せんとして神殿を建立するなり。」これ今の中峯礼山左神王神これなり。又、一宇を造立しこれは今の小峯礼山・右神王神なり。
豊の後州国東郡三浦庄山幡の三ツ山であり、今の飯峯礼山大明神・神宮寺・龍子院と伝わるものなり。

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