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懐かしい昭和の風景やエッセイ集コミュの第1話 昭和の風景 『あたしがやってきた』

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私は、鹿児島の中心地に位置する商店街に生まれて育ちました。

幼少時代は、うちにやってきた電化製品に感動したり

物心ついたころから店の手伝いをしたり近所のお店屋さんの子供たちと銭湯に通ったり・・・

そんなエピソードを

主人公”あたし”が鹿児島の昭和の風景と共に

書き綴っていこうと思っています。

特に、私と同世代の方、鹿児島の昭和を思いっきり楽しんでください。





第1話『あたしがやって来た!』


昭和の天皇陛下様が、雑音だらけのラジオから、戦争の終わりを告げたとたん、日本に西洋のハイカラな文化がやってきた。

それから、世の中が戦後の復興にめざめ大正生まれの父ちゃん、母ちゃんたちが、働き手となり、日本はどんどん便利になってきた。

日本にご帰還なさった兵隊さんたちは、鉄砲と戦いから解放されて、平和な家庭を築こうと妻をめとり始めた。

世の中に新婚があふれ、やがて玉のような赤ちゃんたちが、ぞくぞくと生まれたころ、あたしの兄ちゃんも生まれた。

戦後の第一次ベビーブームがやってきた。

それから、数年後、父ちゃんはいろんな事情を抱えて、そのころ赤ちゃんだった兄ちゃんも抱えて、戦争未亡人になっていた母ちゃんと結婚した。

六人兄妹(兄一人、五人姉妹)の四番目、女の子の中で、三番目に生まれた母ちゃんは、色白で、そりゃぁもう美しかったらしい。
でも、真ん中の子だったから、気は強かった。
上のお姉さんをよくいじめていた、とおばちゃんから聞いたことがある。


母ちゃんは戦前から、美容部員として会社に雇われたと自慢していた。

あたしは、昭和十年代に、美容部員という仕事が存在していたことに驚いた。

セピア色に染まった十八歳の時の母ちゃんの写真は確かに美しかった。
あたしの父ちゃんと叔父さんは、あたしに向かって
「母ちゃんのように、べっぴんさん(美人)にならんかったねぇ。」と言った。

そう言われるたびに、
性格はこっちのほうが、マシよ。あんなに気が強くないよーだ!
と心の中でアッカンベーをしていた。

父ちゃんと母ちゃんは、吹上浜が見える村から「農家はやりたくない。」と家を飛び出し、鹿児島の中心地で働いた。

田舎の若者は都会にあこがれて東京にでるけど、父ちゃんと母ちゃんは鹿児島の田舎から鹿児島の中心にでてきた。

ちょっとした“プチ・上京”をやったのだ。

やがて、母ちゃんは鹿児島市内の中心地に店を出した。
父ちゃんは会社に勤めていた。

所狭しと並んだ商店はいわゆる長屋だったが、何でもそろっていて便利な町だ。

母ちゃんは、この商店街にちっちゃなちっちゃなお店を出した。


そして、時は過ぎ・・・。

今の天皇陛下様がお若いころ、軽井沢のテニスコートで、これまたうら若き美智子様とテニスを楽しんでいらっしゃるころ、

あたしは、父ちゃんと母ちゃんの子供として、世に出てきた。

おもちゃ屋の母ちゃんは、毎日ウインドゥに飾ってあるフランス人形を眺めながら
「フランス人形のように目がパッチリしたかわいい女の子が生まれますように!」
と願ったそうだ。

あたしがフランス人形に似ているかどうかは定かでないが、写真のあたしは、いつもお襟の広いひらひらのレースがついたブラウスを着せられていた。

“似非フランス人形”の写真のあたしは、いつもお澄まし顔で写っていた。

世の中から戦争の爪痕が消え、街に煌々と灯りがともり始めたころだと思うが、
あたしの脳みそは、まだ記憶の確定まで育っていなかったから、はっきりしたことはわからない。

そんな世の中がやってきた頃

父ちゃんと母ちゃんが店を構えた商店街は、徐々に栄えてきていた。

あたしの誕生と同じころ、ここの町にぞくぞくと赤ちゃんが生まれた。
同じ年ごろの子供たちがいっぱい!
遊び相手に不自由しない幼少時代を過ごした。

あたしの脳みそが、だんだん形成されてきて、記憶の認知ができるようになったのは、確か幼稚園の松組さんあたりからだ。

毎朝、父ちゃんの自転車の前に乗って、幼稚園まで送ってもらっていた。

でも、あたしは幼稚園が嫌いだったから、いつも父ちゃんに
「行きたくなーい。」と泣きついた。

何が嫌いかって!お絵かきが大嫌いだった。
お絵かきの時間は白い画用紙をじっと見て過ごした。
だから、あたしの画用紙はいつも真っ白だった。



東京オリンピックの準備に日本中が騒がしくなりはじめた。

“テレビ”なるものが、ぞくぞくと各家庭にやってきた。

このころ、あたしのおうちには、まだテレビはやってきていない。

でも、ななめ前のえり姉ちゃんのおうちには、すでにテレビがやってきていた。


あたしは、プロレスが放送される日の夜、父ちゃんに手を引かれて、えり姉ちゃんのおうちにテレビを見に行った。

プロレスはちっともおもしろくなかったけれど、四角い箱の中に映っている人の姿や四角い箱からスマートな4本脚がシュッとのびているところや体操選手のお兄さんたちが、かっこいい足をV字に広げているような格好のアンテナなんかを眺めることが嬉しかった。

こうして世の中に、線をつなげば何でも便利に映ったり動いたり冷やしたりしてくれる、

働き者の“電化製品”がぞくぞくと町に出回るようになった。


つづく
 



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