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James Deanコミュの理由なき反抗 Rebel Without A Cause

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理由なき反抗 Rebel Without A Cause
公開:1955年
製作:ワーナー・ブラザーズ・スタジオ/デヴィッド・ウィズバート
監督:ニコラス・レイ
原案:ニコラス・レイ
脚本:スチュワート・スターン/アーヴィング・シュルマン
撮影:アーネスト・ホラー
音楽:レナード・ローゼンマン
出演:ジェームズ・ディーン/ナタリー・ウッド/サル・ミネオ


ロサンゼルスに引っ越してきた17歳の青年ジム。酔っ払っていたところを集団暴行事件の容疑者として警察に保護され、警察署でジュディとプレイトーと知り合う。社会や大人にやり場の無い苛立ちを抱える3人は意気投合。初登校の日、ジムは不良グループのリーダー、バズに目をつけられてしまい、崖に向かって車を走らせるチキン・レースを挑まれる・・・。 24歳の若さでこの世を去ったジェームズ・ディーンが、50年代のティーン・エージャーが持つ大人の社会への不満や苛立ちを自らのイメージをダブらせながら繊細に表現して彼の人気を決定づけた作品。

1946年、ワーナー・ブラザーズ社は、悩み多き青年たちのケーススタディを集めたロバート・リンドナーのセミ・フィクション小説『理由なき反抗』の映画化権を5000ドルで獲得。若手スターのマーロン・ブランドに出演を打診するが、彼は興味を示さなかった。ワーナーは若者向けのB級作品として映画化の企画を進め、ロサンゼルスに住む非行少年が主人公のシナリオを書いた若手のニコラス・レイに注目して、彼を監督に抜擢。映画のタイトルだけをリンドナーの小説から拝借して、シナリオはレイのものが使われた。 『エデンの東』(55)を観たレイは、主人公キャルを熱演した新人俳優ジェームズ・ディーンに感銘を受けてジム役にディーンを希望。スタジオは『エデン〜』で予想を上回る高い評価を得たディーンをB級映画の主役に使う事など考えていなかったが、ディーンの次回作として予定されていた大河ドラマ『ジャイアンツ』(56)の監督ジョージ・スティーブンスが、主演のエリザベス・テイラーの出産が終わるまで撮影開始の延期を決定したため、代わりの作品が必要になったワーナーは、ディーンをこの映画に出演さることにした。ジムの相棒プレイトー役には当時15歳のサル・ミネオが起用され、ヒロインのジュディには当時ワーナーの契約女優だったナタリー・ウッドが抜擢された。 レイは大人の社会をを3人の若者の視点から描こうと考え、レオン・ユリスに脚本の執筆を依頼。ユリスはロサンゼルスの警察、補導所、非行少年たちにインタビューして物語を作り上げていくが、彼が書き上げた脚本はレイの意図に反してあらゆる世代と階層を扱った大河ドラマ的なものとなってしまった。続いて、アーヴィング・シュールマンを起用してレイの意図に近い脚本を執筆させるが、ラスト・シーンで追い詰められたプレイトーが警官に射殺されるべきだと考えるレイと対立。ディーンや音楽を担当したレナード・ローゼンマンもレイの考えに賛成したためシュールマンは映画をおりてしまい、ディーンの知り合いだったスチュワート・スターンが最終的な脚本の仕上げを行った。脚本の草稿段階ではジムとプレイトーとの同姓愛が露骨に示され、ジムがプレイトーにキスしようとする場面まであったが、検閲官から同性関係を想起させる表現を控えるよう命じられたため、キスシーンはカットされ、当時同性愛者を意味した俗語「パンク」という言葉も脚本から削除された。 最初の4日間、撮影監督のアーネスト・ホラーはモノクロで撮影していたが、『エデンの東』が予想以上の興行成績をあげたためスタジオは『理由なき反抗』をA級作品に格上げし、撮影もカラー・フィルムに変更された。ディーンはそれまでの撮影では黒皮のジャケットを着ていたが、カラー撮影ではカラフルな衣装の方が良いと考え、赤いナイロンのジャケットに変更。これはディーンの衣装の中で最も有名なものとなった。 ディーンは撮影現場では自分勝手に振る舞う事が多く、警察署のシーンの撮影ではスタッフが待機しているにも関わらず、精神を集中させるために控え室でワインを飲みながらワーグナーの「ワルキューレの騎行」を聞いていた。 1時間後、撮影に臨んだディーンはぶっつけ本番で素晴らしい演技を披露。1テイクで撮り終えてスタッフを感動させた。しかし、撮影が進むとディーンは自分勝手な態度を改め、スタッフを長時間待たせることをやめて、真面目に撮影に臨むようになった。レイとディーンの協力関係は撮影が進むにつれて深まってゆき、二人は徹夜で脚本の変更について話し合い、ディーンのアイディアが取り入れられることも少なくなく、ディーンはレイと同じぐらいこの映画の完成に貢献。レイから自由な即興演技を許されたディーンは『エデンの東』以上の素晴らしい演技を披露。リアリズムを追求するディーンは、危険なシーンでも決してスタンド・イン(代役)を使おうとせず、ライバルのバズを演じたコリー・アレンとの飛び出しナイフでの決闘シーンでは、二人は本物のナイフを使って演じ、演技指導者も感心するほどの素晴らしい迫真の演技を披露した。ジム、ジュディ、プレイトーの三人が古びた屋敷に隠れるシーンは、『サンセット大通り』(50)の撮影にも使われた億万長者のポール・ゲティの邸宅を週200ドルで借りて撮影された。映画はディーンの死の1ヵ月後にニューヨークで初公開されるが、彼の主演作にも関わらずワーナーの宣伝部はこの作品をB級映画とみなしていた上に、主演スターが死亡した映画は成功しないというジンクスもあったのでスタジオは公開に躊躇していた。しかし、いざ公開してみると、アメリカだけでなく世界中で大きな成功を収め、『乱暴者(あばれもの)』(53)や『暴力教室』(55)などと共に50年代を代表する青春映画の一本となった。

コメント(3)

さっき観ましたわーい(嬉しい顔)何とも言えない不満を抱えた若者の気持ちがよく分かりますぴかぴか(新しい)僕もそんな感じですあせあせ(飛び散る汗)

色あせることのない青春映画の金字塔ですねウッシッシ
私は理由なき反抗を何度も何度もみさせて頂いていますがいつみでもってジミーさんにスゴい!と感動を与えて頂いています。
ついにはジミーさんがこの映画で着ていた赤いジャケット(本物はゴルフジャケットらしい)にLEEのジーンズを購入愛用させて頂いてます。

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