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ジャズ喫茶のことなら何でも・・コミュの中野のビアズレー

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80年代、よく中野のビアズレーというジャズ喫茶に足しげく通ってましたが
その当時を御存じの方いらっしゃいますか?

今やアニメおたくの町になってますが。

ビアズレーでジャズを3時間聞いていてそれも週に3,4回、確かスピーカーがDLBY system、スピーカーの上には必ず赤いバラがおいてありましたし、お店の名前の由来であるビアズレーの版画が飾ってありました。確かバッカスの絵だと思います。

一度、チックコリアのケルンコンサートをリクエストして失敗したことも(苦笑)

吉祥寺にも本格的なジャズ喫茶がありましたね。

地下はだまって聞くスペース、1階はおしゃべりOK、2階はお食事OKみたいな
ところ。そのあと、店主が区画整理で店を閉めてしまいました。

moreも健在だろうか。あのトイレの落書きは有名です。Billy Holidayが亡くなったときに作った名曲Left Aloneを聞いて感動して作詞したものらしいです。
隣はロック喫茶の赤毛とそばかすですね。

新宿も結構行きました。懐かしいお話聞かせて下さい。


コメント(12)

いや〜〜懐かしいですね〜目がハート

ビアズレー よく行ってました

大学の同級生がバイトしてたし・・・

吉祥寺のアウトバックでも高校の先輩が皿を回してたしほっとした顔

赤毛の地蔵はどこに行ったのでしょうか???

サムタイムさん
コメントありがとう。
アウトバックもよくいきました。フュージョン系のジャズが多くかかってましたね。

赤毛の地蔵?!確かありましたね。

ほんとにジャズ喫茶は懐かしいです。ビアズレーがなくなってほんとに悲しいです。

ところでサムタイムというお店も確か阿佐ヶ谷にありましたね。

懐かしいです。
Kinkanさん

こんにちは

オーブレーも懐かしいですね。
そう、あのモンスタースピーカーがすごかった。
吉祥寺の「ファンキー」はよくいきました。
懐かしいです。今聞いている曲が確か黒板か何かでチョークで書いて
あったような記憶があります。
ビアズレーの店主さん、ライブハウスもやってたんですね。

ともさん


サムタイム・・・のミクシーネームは

吉祥寺のジャズライブハウスから命名してマス

私が高校1年の時にオープンしてから

今だによく通っている愛着ある店なのです


ファンキーと同じく野口さんが経営する麦グループのお店ですね


サムタイムさん

そうなんですか。。。。。あれ、ファンキーの店長さんがおやりに
なっているのね。あー、なんかファンキーの後にそんな名前の店に
なったような。。。。。ライブやるとかおっしゃっていたような。。。。

記憶があやふやですが、そうなんですか。まだ、お元気でライブハウスをやられているんですね。よかったです。

ビアズレー、よく行きました。
パラゴンという怪獣の名前みたいなスピーカーと、鏡張りみたいな店内、僕はきれいなジャズ喫茶という思い出。

僕も、音自体はkinkan さんが書かれているとおり、ちょっとという感じを受けてました。ただあの大音量はとにかく好きでした。ケルン(キースですが・・すいません皮肉じゃありませんよ)とかフユージョンは結構かかってたような。僕はコルトレーンのドルフィと競演した「マイフェイバリットシングス」が入ってる海賊版をよくかけてもらってました。皿回しのバイト君も、コレが好きでね。

 近くでは、「クラシック」が忘れられません。あそこが閉めた時は本当に悲しかった。

たいらちゃんさん

そう、キースジャレットでした。。。すみません。フュージョン系ってだいぶ聞いてないから。
わたしもコルトレーンが大好きで、とりわけマイフェバリットシングスが大好きです。あとはよくラブシュープリームをリクエストしてましたね。
それは荻窪の「めざし」というジャズ喫茶です。

ああ、吉祥寺のクラシック閉めちゃったんですか。残念です。
あそこの雰囲気はよかったなぁー。
ビアズレーですか懐かしいですね。

私が20代の頃(30数年前)は、毎晩のようにアウトバックに通っていました。その頃によくリクエストされたのが、レッド・ガーランド(ザ・クオータ)でした。「酒とバラの日々」が絶品、それ以降「酒バラフリーク」が続いています。その当時、故人になられたオーナーの野口さんは、バリバリの青年実業家でした。お店で何度かお会いしました。
マイクfujiiさん

あ、オーナーさん亡くなられたんですか。そうでしたか。
ビアズレーやオーブレーのあった中野はよかった。
いい思い出です。
ビアズレーを思い出してNET検索しましたら、ここがヒット。
な、なつかしいです。。

歪む直前までパワーを入れて鳴らしていたパラゴンがJBLのホーンの音で迫力がありました。少し共鳴はしていたようですが。。あの空間にあの大きさのホーンスピーカは大きすぎますね。。

週二回、3〜4時間は居りました。

至上の愛は1日に3〜4回はかかってましたよね。
マッコイ・タイナーもよくかかっていて、このスピーカーで再生された濃すぎるwマッコイ節はとっても迫力があり好きでした。
長い髪の女性がよく来ていて、髪を振り乱してノリノリで聞いていた情景が忘れられませんww
 2011年2月8日 とも さんのコメントに10年越しで書き込みます。

 マイルスデイビスと同時代に名を残したチェット・ベイカーというトランペット奏者の「マイ・フーリッシュ・ハート」という映画を見ました。「タイム・リメンバード」のビル・エバンス同様、いずれも悩み多き天才の苦悩が伝わる秀作です。「灼熱のギタリスト」パコ・デ・ルシアは最後までエネルギッシュに魂を揺さぶる音を追求していました。立て続けに映画を見たら、懐かしいJAZZ喫茶を思い出し、検索していたらこちらに行き着きました。

 中野のビアズレーに通っていたのは、もう40年も前のことになります。貧乏な浪人生だったので「足繁く」とはいきませんでしたが、jazzはよく知らないけれどお店の雰囲気が心地よく、時々足を運んでいました。新宿ではコマ劇場近くの木馬や、DUG、吉祥寺の西洋乞食なども好んで行きました。友人が住んでいた千駄ヶ谷のピーターキャットへの頻度が最も高うございました。アンティークな雰囲気と軽快なJAZZ、そして何よりもカーリーヘアーの素敵なお姉さんに珈琲を注文するのが目的でした。就職してから再び訪れて懐かしい旨を店主に話すと、「いつ頃いらしたのですか」という問いに「10年ほど前でしょうか」と答えると、「それじゃ村上春樹さんが店主の頃ですね。」という答えに衝撃を受けました。あの巨匠村上春樹に珈琲代を払っていたとは。
 数年前に東京で暮らす娘と会うことになり、DUGにて再会しました。まだ健在なのはもうDUGのみでしょうか。

 とも さんがお書きになった数日後の2011年2月11日に日光雲龍渓谷に氷瀑を見に行き、自然の造形の偉大さに驚き、その1ヶ月後にあの震災が起きています。想定外の出来事が日常化しています。大友克洋のAKIRAでは東京オリンピック2020のみならずコロナの蔓延をも予言していると、SNSでは話題になっいます。日常と非日常が感覚的に区別しにくくなっている現代人にとって、どのように心を落ち着けていいかわかなくなっている。そのような時こそ、JAZZ喫茶の非日常的空間がとても大切に思われる今日この頃です。

ピーターキャット
http://www.tokyo-kurenaidan.com/haruki-sendagaya.htm
西洋乞食
https://kichijoji.keizai.biz/headline/1231/
DUG
https://jazz-kissa.jp/jazz-kissa-match-collection16

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