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DOO WOP LOVERSコミュのアラン・フリードの功績

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1921年12月15日〜1965年1月20日。
1950年代に人気を博したアメリカのラジオDJ。
ラジオ番組で黒人音楽のリズムアンドブルースをロックンロールと呼び、若者達の間にロックンロールを流行らせた。
本名はアルバート・ジェームズ・フリード(Albert James Freed)。
ドゥーワップをはじめ、一連のロックンロールムーブメントの中で蔭の功労者として活躍したアラン・フリードとは?
このトピでは彼の生涯を皆様と一緒に紐解いていきます。

コメント(5)

ロックンロールを愛しロックンロールと共に死んだロックンロールディスクジョッキー=アランフリード。

彼のロックンロール界に残した功績は計り知れない。

1950年代はじめ頃から少しずつ陽の目を見るようになってきた黒人音楽。当時の黒人に対する白人からの迫害は現代のそれとは想像を絶するものであると断言できる。
公共施設のあらゆる場所で人種差別があり暴力がありの全くを持って生きた心地のしない日々が黒人社会の全体を覆っていた。

日々の糧を得るための綿摘みやビル清掃などのつらい仕事に従事した黒人たちの心のよりどころは音楽であった。
ギターやピアノを弾き、皆で仕事のつらさを忘れるために歌った。
話がすすまないため戻しますが、アランフリードはいち早くロックンロールの良さを認識しラジオで放送を開始するのであった。
その先に待っていた顛末とは‥


To Be Continued
1950年代前半の黒人音楽はジャズを筆頭として、ブルースやゴスペルなどが主なストリームを形勢していた。

そんななか、つらい仕事に従事する農家や下働きの輩は夕方仕事が終わると、やにわに安バーボンを飲み出し、ギターを弾いては歌い、疲れやストレスを日々発散させていたのである。

ギターのない者はモップをベース代わりにし、バケツや空き瓶はパーカッションになった。
その輩の中にはプロ級の腕前を持った者も少なくなく、夜な夜な《※1ジュークジョイント》に繰り出しては、ナイトショーに出演するためのオーディションを受けたり、出演するなどしていたが少ないギャランティはすぐに飲み代に消えるか苦しい生活費にあてていたわけだ。

一方、ディスクジョッキーの【アランフリード】は貧しい黒人ミュージシャンたちに仕事を与えるべく日夜東奔西走し、エージェントに掛け合い、ラジオに出演させたり、レコードを創らせたりしていた。

このような地道な活動がやがて日の目を見ることとなる。


To Be Cotinued


※1黒人専用の安酒場を意味する。
対義語に白人のホンキートンクがある。
HAPPY BIRTHDAY TO ALAN FREED

NAOTOさん、当時の日本でもこんなレコードが出てたんですね!

これを見つけた時にはメチャクチャ驚きました!
>>[004]

いいですね〜!
今日はこのレコード聴いて過ごしましょうよ♪

この当時のティーンエイジャーの熱狂振りがうかがえますよね!
Thank You ALAN FREED!

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