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古銭屋つむじ同好会コミュの第六話

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『文録石州丁銀の巻』

「つむさん、お龍さんがお昼御飯の支度が出来たと言っておりますが...」
「あぁ、俺はいらねえ。君らで食ってくれ。」
三度の飯より好きな物は無い筈のつむじではあるが、夕べから店の隅に隠り、先程ようやく彫り終えた年賀状の版画を葉書に刷っていたのである。
「あぁ...凄くいい感じですね。さすが加納家の血をひくだけありますね...凄いですよ」
「つまらねぇゴタクはいいから、飯食ってこい」
「へぇ、失礼しました」
「ところで今日の昼飯は何なんだい?」
「粕汁...らしいのですが、あっしは何の事だか...」
「ほう、粕汁かぁ。益田君、知らないのかい?関東ではあまり一般的では無いからねぇ。こっちでは寒い時期よく作るんだよ。平たく言えば『味噌汁に酒粕を溶いたもの』なんだが、特にお龍の粕汁は絶品だぜ」
「なんか大吟醸の酒粕をそこの煙草屋の婆さんから貰ったらしく、偉く御機嫌でしたよ」
「へぇー鶴婆さん、大吟醸とは随分景気がいいねぇ。よし、俺にも一杯よそってくれよ」
「承知しました」
つむじも夕べからの作業の手を止めお龍の粕汁に舌鼓を打つのである。
「ふぅ、食った食った...。あぁ、眠たくなっちまったぜ。おい益田君、こいつを葉書に刷ってくれないかい?」
「へっ?あっしがですかい?こんな大役を?」
「だってもう疲れたもん」
「かしこまりました、つむさんはゆっくり寝てて下さい。後は煙草屋の前にあるポストに投函すればいいのですね?」
「あぁ...宛名はお龍に書いてもらってくれたまえ。後は任せたよ、益田君」

つむじは腰の紐を緩めつつ奥階段から二階へ上がり、夕刻まで姿を見せる事はなかった。

「お龍さん、粕汁...美味しかったですよ。また作ってくださいね」
「いい酒粕が入ればいつでも作りますえ...」
「それはそうとお龍さん、あっしはこれからどんどん刷っていきますので宛名の記入お願いしますね」

益田は得意げにお龍に刷った葉書を一枚手渡した。
そこには見事に片切で彫られた龍が空を駆け抜けている。
片切とは片切彫の略であり、彫金の技法の一つである。一見普通の浮き彫りに見える線ではあるが、線の片側を垂直に、もう一つの側を斜に彫る。江戸最期の職人と言われる加納夏雄の十八番であり、『夏雄の片切』と言えば彫金の世界ではあまりにも有名な話である。しかし年賀状のゴム版画にいちいち片切を施しても全く意味がないのである。

「やっと出来はったんやな...これは元気そうな『阿龍』どすな」
「ですね。近代貨幣の象徴ですから、阿龍は。いやぁ、本当に見事です」
「益田さん、ほなぼちぼち始めましょうか」
「へぇ。ではどんどんいきますよ」
お龍は襷を締め、筆と硯を取り出した。

途中何度か休憩したものの日の沈む前に年賀状の準備は全て整った。
「いやぁ、やっと出来ましたね。それにしても大晦日にポストに入れたんじゃ、元旦に届きませんよ」
「かましまへんよ。本来年賀状は元日に書くもんやさかいね。言うても家は商いがあるさかい、明日は悠長に書いてる時間ありゃしまへんから、毎年大晦日に終わらせるんどす」
「なるほど、無事に新年を迎えることが出来た事を祝うもんですからね」
「ほな益田さん、うちは夕食の支度あるさかい葉書の方よろしゅうね」
「へいっ!煙草屋のポストですね。あっ、ちなみに今夜の夕食は何でしょうか?」
「へっ?粕汁と...お蕎麦やね」
「年越し蕎麦ですかぁ、なんかいいですね」
「それはそうとさっきの酒粕のお礼にこれをお鶴さんに...」
益田は葉書の束と獨酒を抱え意気揚々と店を後にした。
益田と行き違いに二階から眠たそうな目を擦りながらつむじが降りて来た。
「よぉ、年賀状は終わったのかい?」
「へぇ、益田さんが今、ポストに出しに行ってくれてます」
「御苦労さん」
「あんたも御苦労様でした。さっ、益田さんが帰って来る前にカズノコの塩梅見て貰えます?」
「ほっ!こりゃいいね。では遠慮なく」
明日のおせち料理の花形であるカズノコは少し早いがつむじの口に吸い込まれて行く。
獨酒を片手に棒鱈や黒豆も味見しようとしたが、さすがにお龍に制されるのである。
そこへ益田が血相を変えて店に飛び込んで来た。
「つむさんっ!これ...これっ!見て下さいよ!」
「なんだい益田君。大きな声を出して」
「いや、煙草屋の婆さんに獨酒と婆さん宛の葉書一枚を渡したんですが、酒粕の礼には合わないってんでこっ...これをつむさんにって...」
益田は神妙にその預かりものをコタツの上に置いた。
「おぅ...こいつは鶴婆さんがいつもメモ帳を押さえるために使っている重石じゃないか」
「えぇっ!つむさん知っていたんですか?」
「あぁ、あまりにも物騒だから奥にしまっておけって言ったんだが、片付けたらメモ用紙が風に飛ばされちまうじゃないかってね。今でも重石に使ってたよな。なら今はメモ用紙はどうなってんだい?」
「それが孫にノートパソコンを買って貰ったらしく、メモ用紙はもう使わないって...」
「あの婆さんがパソコンだと?そいつはおもしろい。なら遠慮なく頂いておこう」
お龍は不思議そうにその重石を手に取り観察している。
「あんた、これは一体なんですのん?『銀』やら『文禄』やら刻印されてるように見えるけど」
「あぁ。丁銀だ。それも文禄石州丁銀だ。まぁ、一千万円位で明日の初商いで売りにだせるな」
「へぇ、一千万円どすか。それやったら誰も買いまへんな。文鎮変わりに使いましょ」

丁銀とは江戸時代に活躍した秤量貨幣の事であり、品位量目を一定にした大判や小判などの定位貨幣とは別ものではあるが、りっぱな貨幣である事には変わり無い。

「そう言えばあの婆さん、年賀状の版画を見て随分感心してましたよ。見事な片切だって...。なんですか片切って?」
「彫り方の技法の事ですやろ、あんたまたそんな所に時間かけてたんどすか?」
「いいじゃねえか。気付いたらそうなってただけだよ、しかしよく見てやがるな」
「益田さん、あとお鶴さん何か言うてへんかった?」
「まったくつむさんは棒鱈みたいやって笑っておりましたが、あっしには何の事だか...」
お龍は珍しく吹き出して笑っている。
棒鱈とは真鱈を三枚に降ろし真干しにしたこの辺りのおせち料理には欠かせない物ではあるが、『役立たず』と言う意味も持っている。
それもその筈、来年は戌年であり辰年では無いからである。
緩やかな時の流れとともに2005年も静かに終わろうとしている...

コメント(2)

そうでしたか。2005年の話なのですね。つむじは店頭であまり商いをしていなさそうなので、きっとネットオークションが売り上げの大半ですね。

パソコンを操り、古丁銀をくれしまう婆さんは怪物です。(^^)
そんなんですよ。

最初はネットオークションでの微妙な心理戦や悪徳業者について書きたかったのですが、自分自身の取引も高額なものがなく勉強不足で書けませんでした(笑)

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