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真夜中のお茶会コミュの小説「四季の都物語(仮)」

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今書き始めている最新作です。
舞台はアジア〜ヨーロッパ。
なるべく歴史ものっぽくしていきたいのですが、どことなくファンタジーですあせあせ
まあ全部架空だし…たらーっ(汗)
コンセプトは「源氏物語+リボンの騎士(あとBASARA?)+ハムレット」みたいな感じです手(グー)
頑張りますので楽しんでいただければ幸甚に存じます。


<登場人物>(随時更新)

華亮(ファラン)…騎馬民族帝国イムハン朝の第二王子として生まれる。
        また、動物と心を通わせる能力がある。異人の母を持つ。
        聡明で心優しいが時に優柔不断(初期設定)。
        生まれついての秘密があるために、少し内向的な面がある。
        いじめたくなるような美少年タイプ。
        タロットカード:月

翔豪(ジアンハオ)…ファランの従兄で武道の達人。
         一番の親友であり、文武凡ての面においてライバル。
         性格は至って明朗闊達、勇敢で頼もしい。
         タロットカード:太陽

淑陽(シュウヤン)…ミルヴァル帝国から政略結婚により嫁いできた、ファランの義母。
         本名はマリーゴールド。ファランの実母(故人)と生き写しであり、
         ファランの秘密を知りながらも姉のように接してくれる。
         思慮深い海のような女性。
         タロットカード:女教皇

美鈴(メイリン)… 翔豪の妹。ややお転婆で素直で明るい娘。
         ややブラコン?で、ファランのことも心から慕っている。
         タロットカード:星

蒼武(カンウー)…イムハン第一王子。ファランの異母兄。オレサマ系。
        どことなく高圧的で近寄りがたい冷徹な雰囲気を持っている。
        タロットカード:愚者

玄峰(クエンフェン)…年若くしてイムハン王宮に仕えるようになった男。
          寡黙で有能だが、何を考えているのかわからない。
          タロットカード:死神

威龍(ウェイロン)…イムハン朝十二代皇帝。ファランの父。
         歴代の中では最も勇気を讃えられた。
         タロットカード:皇帝

鳳潔(フェンジェ)…威龍の皇后であり、蒼武の母親、ファランを目の敵にする。
         ヒステリックな性格。
         タロットカード:塔

白瑛・黒曜(バイイン・ヘイヤオ)…ファランの飼っている猫。


NEWイメージソング見つけました(勝手に)
「東の暁 西の黄昏」

ファランって、更紗=タタラみたいな太陽じゃなくて、月みたいなイメージがあるし。

「千年の独奏歌」

歌い手さんは中東出身だそうで…エキゾチックな感じがいいです。

「風よ、万里を翔けよ」

田中芳樹の同タイトル作のイメージソングらしいのですが、ムーランにも設定を借りたようなものなので、インスパイア源としてあせあせイラストのMEIKOもイメージぴったりなんです。

コメント(24)

プロローグ


 若い人、あんた、旅の人かね。この地に来るのは初めてのようじゃな。この地はカサ・プリマヴェーラと言って、ある英雄が建てた楽園じゃ。英雄と言ってもな、逞しい大男じゃあないぞ。わしは見たよ、薔薇色の頬に、長い睫毛、まだあどけなさの残る、かわいらしい子じゃった。しかしその心には、誰よりも強く確かな炎があった。あの子はわしらの長い間待ち侘びた希望の光だった。そうでもなければ、あの闇の七日間を生き抜くことはできなかったじゃろうて。
 昔、この大地には数十の辺境小国と四つの大国があり、それぞれ協定を結び傍目には穏やかな日々が続いていた。この頃は、殆どの国を治めていたのが女性で、「賢女の時代」と呼ばれたものだ。
 しかし、その安寧を破ったのは広大な領地を持つミルヴァル帝国じゃ。事の発端は女帝ドロシノーアが皇帝の座に就いたことを快く思わなかった隣国ポリモトスのアウグストス王がミルヴァルの領地に侵入したことじゃった。ドロシノーアはポリモトスの反対に位置する南のニサール公国の妃マルグリートと直ちに手を結び、さらに騎馬民族帝国イムハン朝の長、威龍帝とも協力してアウグストス王の包囲に掛かった。そこから始まったのが五ヵ年戦争じゃ。
 戦が泥沼化する中、イムハンの王宮で赤ん坊が生まれた。玉のように光り輝くような美しい子でな、宮中の者は誰もが皆その子を一目見れば虜になるような愛らしさ。それもその筈、その子は異国より囚われ後宮に入った美しい娘が、皇帝の寵愛を受けて生まれた子どもだったからじゃ。母親は異人であることと、皇帝の寵愛を一身に受けていたことから後宮の女たちからは疎まれ、皇帝の姉であり正妻である皇后からも口では言えないようなことをされて、産後は病に臥せっていたが、子どもの可愛らしさには誰も手を出せなかった。この赤子は、腹違いの兄である直系の皇太子をさしおいて、後継者になるかと思われるほど宮中の人気者じゃった。漆黒の髪と翡翠色の瞳をした美しい子は、「光の御子」として聡明に健やかに育っていった。
 旅の人、興味があるようじゃな。あの子の物語は、そう、もう少し大きくなったところから始めてもよいかな。闇の七日間を越えてこの大陸から争いを消した、光の子の物語を。



 あの子の名前は華亮、ファランという名前じゃった。それでは、物語はファラン十歳、母の死後から始めるとしよう…。
1 光の御子

 朝の光が、ツィンユンを包み始めた。イムハンの都ツィンユンは、領土を南北に分かつ大河、幽江(ゆうこう)の畔にある。高い外壁に守られた都内のなだらかな坂の頂上に、王宮である彩露(さいろ)城はあった。中央には謁見の宮殿、右翼には皇帝の執務殿があり、左翼にある後宮が、ファランたちの寝所だった。
 ファランは朝が好きだ。小鳥の声と共に目覚め、彼らの歌や会話に耳をすませながら寝台から降り庭に向かう。物心ついた頃から、ファランには少しだけ不思議な力があった。生き物たちの声が、人間と同じように会話しているのが聞こえてくるのだ。その力は、おそらく二年前に亡くなった異国の出である母から受け継いだのだろう。母は、薬草の煎じ方も、風の読み方も教えてくれた。亡くなるまでの半年ほどの間は殆ど起き上がることもできず、抱きしめられた記憶もあまりないが。
 早朝の澄んだ空気に、寝着も少し冷たい。後宮の庭も、もう少しで春になるのだ。囀り戯れる鳥たちは、今日行われる婚儀の話で持ちきりだった。
「今日お輿入れする姫はどちらの国から来るの?」
「ミルヴァルからさ」
「まだ十四歳って言うじゃないか」
「ああ、協定の為とはいえ、まあ体の好い人質だね」
 ヒトジチ、という言葉は耳慣れなかった。ファランの語彙はこのように生き物の言葉から学んでいる。そして、決して遣い方を後宮の女官たちには訊かない。どこで覚えたのかと詮索されるからだ。
 ともあれ、今日はお父様の結婚式なのだ。イムハンの皇帝である父・威龍は、ファランの母を亡くしてから失意の日々を送り、ファランの成長だけがこの世の慰めのようになっていたから、家臣たちも心配したのであろう。そう考えていると女官の一人が朝湯の迎えに来て、鳥たちの最後の会話を聞き逃してしまった。
「それにしても、よく見つけてきたもんだね。生き写しって言うじゃないか」
「そりゃあ、そうでなければ陛下も後宮に迎えようとは思わなかっただろうさ」
 浴槽から立ち昇る蒸気を大きな瞳で見上げるファランに女官は話しかけた。
「さあ、今日は特別な儀式がございますから、いつもよりお支度に時間がかかります。どうかのんびりなさいませんよう」
「その式、ぼくも出るの?」
 寝着を半ば脱ぎながらファランは尋ねた。
「勿論でございます。ファラン様はイムハン朝第十二代皇帝の第二皇子でいらっしゃいますから、陛下のお近くにお席を造り申しあげておりますわ」
「お父様は…結婚なさるの?なぜ?鳳皇后もいらっしゃるし、お母様以外にも、たくさんお妃はいるよ」
 十歳の子どもの率直な疑問に、女官は少し躊躇った。
「ファラン様…。陛下はお立場上、沢山のお妃を持つことになっています。それに、今度の婚儀、いえ結婚は、隣国ミルヴァルとの大切な絆を深めるためのものなのですよ」
「…それじゃあ、その人は、ミルヴァルとイムハンが決めた結婚のために、望まないでもここに来るんだね?」
「それは、…官僚たちが方々より手を尽くして、やっと陛下のお眼鏡に適った、いえ陛下が望まれた方でございますから…」
 言葉を濁す女官に、ファランはこれ以上追究すべきでないことを悟った。
「そっか。じゃあ僕は第二皇子で良かったな。皇太子になったら将来沢山お妃をもらわないといけないんじゃ、大変だもの」
「そ、そうですわね」
 子どもらしい感想に、女官も安心したように息をついた。
「梅香、もうあとは自分で出来るよ」
「いけませんわファラン様、朝のお支度は私どもにお任せ下さい」
「ぼくだってあとちょっとで大人なんだぞ、いいからぼくが呼ぶまで外で待っててよ!」
 ファランの剣幕に気圧された女官は、慌てて深い礼をすると立ち去った。
「ファラン様、普段は優しいお子なのに、朝のお支度はしょっちゅう機嫌が悪くなるわ。生まれた時占い師が『人を統べる座に着く』と言ったというのに、こんなに情緒が不安定なのは、やはり静旭様…お母様が亡くなってからかしら…」
とぶつぶつ言いながら。
 邪魔者がいなくなって、ファランは浴槽から盥に湯を少し移し、部屋から隠し持ってきた袋を開けて中身を溶かした。暗褐色に近い紫色に湯が染まる。癇癪を起こした振りをすれば、女官は自分を一人にしてくれるのだと、そういうことも何時しか知った。ファランは自分の頭髪にその液体を少しずつ馴染ませていった。母から教えてもらった、薬草で作る染髪剤だ。毎日する必要はないが、それでも一週間と空ければ根元の色が変わってしまう。今日は人前に出る日だから尚更用心せねばならない。
 ファランの毛髪は実は亜麻色である。黒色の髪が通常のイムハンの民族において、亜麻色の髪に緑の瞳では、いかにも異人の子と疑われるだろうと恐れた母の、わが子を護る為の策であった。床に臥すまでは、自らやってくれていたように思う。
 髪を濯いで、浴槽に身を沈めながら、ファランは、もう一つの自分の体の変異と、もう一つの母の言葉を思い出していた…。
「王位継承権、か…」
 
 下着をつけ部屋に戻ると、先程とは違う女官がおり、ファランの礼装を用意していた。金糸や銀糸で刺繍された、眩いばかりの衣。ファランは目を細めた。どうしたってこのような華麗な物には気が退けてしまう。婚礼は昼からで、まだ時間はある。礼装を着る時間をできるだけ先延ばしするために、朝食を済ませるとファランは従弟を探しに王宮の廊下に出た。彼もきっと、この時間ならぶらぶらしているに違いない。
 思った通り、従兄・翔豪は着替えもせず、後宮と中央宮殿を結ぶ廊下から、蓮池に小石を投げていた。針金のような漆黒の髪と、鳶色の切れ長の瞳が印象的な少年だ。翔豪は皇帝の弟の子で、ファランの一つ上の皇子だ。しかし、立場上は下位ということになる。
「鯉に当たったらどうするんだ、翔豪」
「鯉じゃないよ、あの葉の上を狙ってるんだ」
 立場の上下があるとは言え翔豪の口調はいつも気さくであり、ファランもそれを気に咎めることはなかった。二人はむしろ双子の兄弟のようであり、一番の親友であり、文武凡ての面においてライバルでもあった。
 確かに、翔豪の指差す先には小石の乗った小さな蓮葉があった。入りにくい場所が的になっているらしい。
「つまらないな、今日は時間が少ないから、狩にも行けないし剣の練習もできない」
「そうだな」
 ファランもまた同じように蓮の葉めがけて礫を投げてみた。やはり、なかなか思うようには届かない。
「第一この結婚式は、お前には関係あるけど、オレにはない」
「そう言うな、ぼくだって退屈してるんだ」
「どうせなら逃げちゃうか?」
「どうやって?」
「この間見つけたんだ、後宮のある部屋に、秘密の抜け穴があるんだぞ」
「すごいな」
「式の時間までまだあるから、行ってみないか」
 ファランは従兄の誘いに頷こうとした。
「いや…やっぱりダメだよ」
「どうしてさ?」
「ぼくが行かないと、お父様やみんなが心配するもの」
「そうか、大変だな、“光の御子”も」
「代わりに、今夜行ってみない?」
「いいよ、じゃあ約束だな」
 ちょうど、翔豪付きの女官が探しにやってきた。しぶしぶ二人とも自室に行き、各々着替えを終えると中央の宮殿に向かった。
2 囚われの花嫁

 中央宮、謁見の間には、既に威龍帝と、異母兄である皇太子の蒼武が席に着いていた。
「お父様!」
 ファランは駆け出したが、まず女官にきつく窘められた。
「良いではないか。さあ、ファラン、こっちへ」
 威龍はにこやかに笑って立ち上がった。皇帝の正装である朱色の礼服を着ている。美丈夫とはいえ中年にさしかかった父が、今日はどこか瑞々しく見えた。その胸に小鳥のようにファランが飛び込む。皇帝の最愛の息子としてファランは、時にその膝に座ることさえも許された。しかし、この日は皇帝の婚礼の日であり、裏を返せば皇族全員が顔を合わせる日でもある。この和やかな時間は、すぐさま鋭い女性の声に引き裂かれた。
「ファラン、何をしておる!」
 声の主は言うまでもなく、今入ってきたばかりの皇后・鳳潔である。
「そちの席は向こう、翔豪の手前じゃ!分を弁えよ!」
 ファランは慌てて飛んできた臣下に、自分の席に連れて行かれた。皇太子は皇后の隣に席があるが、それ以外の皇子・姫達は一段下がった所に席がある。この段が、王位継承第一位とそれ以下の者を大きく隔てていた。
「鳳潔、そのように声を荒げずとも。この子はまだ幼い、しかも母のない身である。父の私が目をかけて、どうして悪い」
「でも陛下、皇太子は蒼武です。皇太子をさしおいて陛下の傍に行くなどと、無作法にも程がありますわ!身分の差というものを…」
「恐れながら皇后陛下」
 静かに、しかし凛とした声で鳳潔の苦言を遮る者がいた。大臣の一人、異例の出世を遂げた年若い玄峰である。
「皇太子殿下は先ほど、ファラン様が到着されるより以前からこちらにいらっしゃり、陛下とお話をされていました。ですので、殿下は何も不都合はなかったとおっしゃっています。順番は乱されてはおりません。お心をお鎮めになり、席にお着きくださいませ」
 鳳潔はなおも何か言おうとしたが、
「まあまあ、私に免じて落ち着いてくれ」
と威龍の最後の一言で不満を表しながらも皇后の玉座に着いた。
「新しいお妃が増えるから、カリカリしてんだぜ、あのおばさん」
 翔豪がファランにだけ聞こえるように言った。
「蒼武殿下もあんなかーちゃんで大変だよな」
 それでも、いるだけで羨ましい。翔豪には母親以外にも五つ下の妹・美鈴がいる。だが、こんな気持ちは翔豪にも言えなかった。
 太陽が南中した時、婚礼の開式を告げる銅鑼の音がツィンユンの街に響き渡った。ちょうど異国の姫が、遠路遥々ミルヴァルから到着した時刻でもある。都の中央通りを通って来た輿が宮殿前に停まったらしく、先程から大きくなっていた国民の歓声が一段と高まるのが宮殿の中にも伝わってきた。
 楽師達が華やかな旋律を奏でる。謁見の間入口から、皇帝の玉座の前まで絨毯のように敷き詰められた花の上を、異国の装いをした少女が供の者に連れられて歩いてくる。躊躇いがちなその足取りはしかし、小鹿のようだとファランは思った。少女が近づいてくるにつれ、城内からは溜息が漏れた。
 そして、ファランの目前を少女が通り過ぎる時、ファランは息を詰め、固唾を呑んだ。美しい。ファランはこれほどまでに美しい少女を見たことはなかった。黄金に輝く髪、象牙か陶器のような透き通る肌。そして、どこかで見たような紫水晶の瞳。しかし表情はなく、氷のようだ。
 十四歳で、どうしてこんな国まで結婚しに来たのだろう。十歳のファランにはもちろんそんなことは理解できるはずもなく、今朝の小鳥の会話から耳に残った「ヒトジチ」という言葉がまたも浮かんだ。
 少女は供の者に言われるままに玉座の前に跪いた。
「そ、そなたがミルヴァルの姫か」
 先程までの威厳はどこへやら、浮き足立ったような威龍が問う。少女の傍らの供が何事か囁き、少女は頷いた。
「相違ございません」
 供の者が答えた。どうやら通訳をしているらしい。
「名は何と申す」
 少女の口からは、聞きなれない異国の言葉が聞こえた。
「マリイゴオ、とやら申しております」
「ふむ、何やら難しい名だな。それならば、いっそイムハンでの名を授けよう。玄峰、何か良い名はないか」
 指名された玄峰は、返事ののちやや考えてから、
「こちらの姫君は、身罷られたファラン様の母君、静旭様に生き写しとのお噂でしたが、まさにその通りでございます。よって、同じ太陽の意である『陽』と、止ん事無いお立場であることより『淑』の字を合わせて、『淑陽』という御名では如何でございましょう」
と、紙に書きつけた。宮殿内からは感嘆の声が上がった。
 ファランは、生き写し、という言葉が気になった。母の面影をこの美少女に重ねることはとても気恥ずかしいことのように思えた。
「確かに、静旭と似ておる。ファラン、こちらへ」
 父に呼ばれて、ファランはやや戸惑って玉座の方へ進んだ。少女が顔を上げ、目があったのでファランはまたまたどきっとした。
「ここに居る皇子ファランは、幼少の頃母を亡くしてな。それがそなたによく似ておるのだ。そこで、ファランの母親になってはくれぬかな。勿論、皇后は総ての皇子達の母であるわけだが」
 鳳潔の咳払いに威龍はこうも付け加えた。
「母では歳が近すぎるから、姉代わりでもよいぞ」
 通訳に耳打ちされて少女ははっとなり、その表情のまま何事か呟いた。
「仰せのままに」
 通訳はそう言ったが、ファランには本当にそう言ったとは思えなかった。
「ファラン、お前もこれからは、淑陽と仲良くするが良い」
「はい、お父様」
 ファランは少女、いや淑陽の前に歩み寄ると、はにかみながら微笑んだ。
「仲良くしてくださいね、よろしくお願いします」
 その時、淑陽の氷のような瞳に、初めて何かが宿ったようにファランには見えたのだった。
3 真夜中の冒険

 淑陽が、イムハンの妃の印である王冠を戴いて、婚礼の儀は恙無く終わった。大人たちの宴は夜まで続いたが、ファランたち子どもには退屈なだけだ。そこそこに子どもたちは部屋に帰されたが、宮中が祝典の美酒に酔っている間に、ファランは翔豪と部屋を抜け出すことにした。警備も手薄で、誰も見咎める者はいなかった。
 真夜中の月明かりの下、翔豪が導いてくれたのは、後宮の一番奥にある今は無人の部屋だった。寝台をずらすと、床には小さな扉があった。そこを開くと、地下に続いているだろう石造りの階段が現れたのだった。
「すごいな…どこまで続いているんだ?」
「さあ、まだ先まで降りたわけじゃないからなあ」
 翔豪は持って来た灯りをつけた。
「この灯りがすぐ消えてしまえば、空気は薄いってことになる。でも、灯りは揺れただけだった。空気の流れがあるんだ。だから、きっとどこか外に通じている。例えば、ツィンユンの外とか」
「まさか!」
 思わず声を上げてしまったファランの口を、翔豪は押さえた。
「大声出すなよ。女官に気づかれたらおしまいだぞ」
「うん、ごめん」
「じゃあ、オレが先を行く。ついて来いよ」
 階段を降りていくと確かに風の音がする。少し寒いほどだ。まだ十歳のファランは少し怯えていた。翔豪は名の通り武道に長けた勇ましい少年だが、自分はそれほどでもない。しかも、狩の時でさえ供の者なしには後宮から出たことが一度もないのだ。
「どこまで行くの、翔豪」
「行けるとこまでだよ」
「それはそうだけど…」
「なんだファラン、お前、怖気づいたんだな」
「ち、ちがうよ!」
「こら、静かにしろって。城のどこに声が伝わるかわからないぞ」
 たった一つしか歳が違わないのに、剛毅な従弟にファランは感心した。しかし、それも束の間、やがて、行く先から奇妙な音が聞こえ始めた。
「何だ?」
 翔豪も耳を澄ましているようだ。近づくにつれ、それはどうやら声のようだった。すすり泣く、高い声…。
「ゆ、幽霊だ!」
「ばか、静かにしろ!」
「だ、だって、こんな真っ暗な所に、人が居るわけないじゃないか!」
 ファランは思わず従弟にしがみつく。と、翔豪も僅かだが震えているのが伝わってきた。
「見ろよ、向こうに光が見えるぞ。出口なら、人が居たっておかしくないだろ」
 ファランはもう一刻も部屋に戻りたいのだが、しがみついた翔豪がそれでも前に進むので、引っ張られるような格好で目前の幽かな光に近づいて行った。しかし、こんな真夜中に光なぞ見えるものだろうか。
 確かに、人影がある。やはり、すすり泣いているようだった。しかし、そのすすり泣きに交じって、今度は動物の鳴き声までしてきた。光はどうやら、人影の傍にある灯りのようだった。
「猫じゃないか?」
 翔豪が言って、ファランも漸く光の方を直視する事が出来た。子猫の鳴き声がしている。おそらく二匹はいるようだ。いつのまにか翔豪の僅かな震えは消えていた。
「幽霊と猫は一緒にいないだろ?…あっ」
 小さい驚きの声を上げた翔豪の陰からおそるおそる覗いてみると、そこには二匹の子猫に囲まれしゃがみこむ人影が見えた。女性…しかもかなり若い。
「そこで何してるんだ?」
 翔豪の質問に、はっとして振り向いたのは、なんと、今日まさにイムハンに輿入れしてきたばかりのミルヴァルの姫、「淑陽」だった。その表情は怯え、紫の瞳はしとどに濡れている。
「淑陽様…どうしてこんな所に」
「ファラン皇子…お願い、助けて」
 異国の言葉だが、確かに彼女はそう言ったとファランにはわかった。動物の声ではないが、この言葉を、自分は知っている。子猫たちは、白猫と黒猫だったが、まだ幼く、片言でしか話せていないようで、盛んに餌を求めていた。
「その人は、君たちの飼い主?」
ファランは子猫たちに訊いた。
「ううん、ぼくたち、そとからきたよ」
「ごはんちょうだい」
 あまり通訳にはならないだろうか。傍では、翔豪と姫が訝しそうに見ている。
「このお姫様は、どうしてここにいるの?」
「にげてきたの、おしろから」
「かえりたいって」
「お姫様と話せる?」
「わかんない」
「やってみる」
 黒い方の子猫が、「淑陽」に向かって鳴いた。すると、
「あなた、動物の言葉がわかるの?私の言葉も?」
と、異国の姫は異国の言葉でファランに話しかけた。
「ぼくの母は…多分あなたと同じ国から来ました。動物の言葉は、あなたもおわかりなんでしょう?」
 黒猫が意味を伝えてくれる。姫は納得したように頷いた。
「それなら、話が早いわ。ここから出して、逃がしてちょうだい」
「逃がすって…」
「抜け穴までは見つけたの、でもここからは…」
「何だって?さっきから話が見えてないんだが」
 翔豪が慎重に口を挟んできた。こういう時に騒がない性格の翔豪は本当に頼もしい。
「ぼくは淑陽様の国の言葉を…話せはしないけど知ってるんだ。それで、ぼくの言葉をこの猫たちに伝えてもらっている。彼女は、ここから逃げたいと言っている」
「どうして?」
 ファランは翔豪の問いをそのまま淑陽に向けた。
「政略結婚と言っても、私には本当は婚約者がいました、それに、ミルヴァルの女帝ドロシノーア様は、きっと策略を持っていつかこの国も手に入れようとする筈。故郷の姉のことも心配なのです」
 この時、ファランには「ヒトジチ」という言葉の意味が理解できた。
「そうか、でもそれは無理な話みたいだぜ」
 理由を聞いた翔豪は淑陽のいる場所に灯りを近づけた。そこからつま先上がりの上り坂が始まり、階段と同じく巨大な石が堅牢に積み上げられている。そして、頭上にある僅かな隙間が子猫たちの抜け道となったのだろう。洩れているのは僅かな月光だ。
「この石じゃ、坂を上りきって俺たち三人で力を合わせても動かすことはできない。そうだな、あと五、六年もあれば動かせるかもしれないけどな」
「五年か…」
「そんな、それまで待つ事は出来ません!」
 涙混じりに淑陽は声を荒げた。
「そんなに気を落とさないで下さい。ぼくの父、威龍帝はとても強く、優しいお方です。あなたのご身分は保証されていますし、ミルヴァルと戦はしません。どうか信じて下さい。そして、いつかあなたを、ミルヴァルにお帰しできるよう、父に頼んでみます」
 ファランは落ち着いて言った。子猫たちは淑陽の指を舐めている。
「子猫もあなたに懐いたようですね。この国で言葉が通じなくて不安なら、その子たちと暮らせばいい。ぼくも、あなたの力になります」
「お、オレも頼りになるぜ!」
 調子の良い翔豪の言葉に緊張が解けたのか、淑陽の表情が和らいだ。
「ありがとう、小さな皇子様たち。私の本当の名前は…マリーゴールドよ。ミルヴァルの紋章の花の名なの。覚えておいて」
 姫の口元に、僅かだが微笑ともとれる生気が見えた。やがて、東の空が白み始めてきたのが、石壁の隙間からもわかった。
 


 子猫達は「白瑛」と「黒曜」と名づけられ、それぞれファランと淑陽に引き取られた。ファランの協力で、淑陽も次第にイムハンでの生活に慣れていった。
 時間は瞬く間に過ぎ、六年後、ファランたちは勇敢な少年たちに成長した。
4 岐路

 六年後も、ツィンユンは同じような美しい朝を迎えた。ファランが後宮の誰よりも早く起きるのも、相変わらずだ。窓を開けると清々しい空気が部屋を満たす。今日ばかりは小鳥たちのかまびすしい噂話にも耳を貸していられない。人生の節目となる、大切な日なのだ。子猫からすっかり成長した白瑛が、物音に目覚めたばかりか欠伸をしている。十六になったファランは再びきらやかな礼装と幾許の不安をまとっていた。背はあまり高くなく、線の細い体つきをしている。成長期に特有の声変わりもしていない。勉学ばかりして狩にあまり行かないからと翔豪によく笑われてばかりだ。この頃は沐浴は既に一人で済ませ、普段の朝の支度に女官を呼ぶことはやめていた。
「ファラン」
と声をかけたのは白瑛だ。
「誰か来るよ」
 耳を澄ませると確かに足音が近づいてきている。忍ばせているつもりらしい。足音はファランの部屋の前で止まった。
「ラン兄様!起きてるでしょう?開けてちょうだい」
 聞き覚えのある囁き声に、正直少し面食らいながら戸を開ける。長い黒髪をなびかせ入って来たのは、寝着姿の少女だった。翔豪の妹、そしてファランには従妹の美鈴である。
「もう着替えたの?相変わらず早起きね」
「美鈴!どうしてここに…?君は今日の主役だろう?」
「だって、まだ女官たちが来るまでにもう少し時間があるでしょ。ラン兄様がどんな衣装なのか見てみたかったの。それに…ラン兄様だって主役なのよ?今日は、私たちの結婚式なんだもの」
 そう、ファランの今日の衣装は婚礼用のそれだった。成人を迎えるこの日、同時に美鈴を娶る日でもある。王族の血統を絶やさぬため、近親結婚が当たり前なのだった。
「だからだよ、こんな時間に未婚の女性が部屋から出てはダメなんだよ、君は既に成人式を挙げてるんだから」
 嗜める声が聞こえていないのか、美鈴はファランの姿を上から下まで眺め、息を漏らした。
「ラン兄様、美しいわ…」
「え?」
「今日のお着物に、兄様の翡翠色の瞳がよく映えてるの。なんだか私、負けちゃいそう」
「何を言ってるの」
 ファランは苦笑した。確かに皇族の婚礼時にしか許されない緋色の衣装は、瞳の色と鮮やかな対照を成していた。
「三年前の蒼武様の婚礼でしか見られないはずの緋色をラン兄様は着られるのよ。伯父さま…陛下がどれだけこの日を待っていらっしゃったか、あなたを大切にしてらっしゃるかがわかるわ。光の御子だもの」
「そんなこと言って、美鈴はかわいいし、これからもっと美人になれるよ」
「ううん、だって、淑陽様や太子妃様に比べたら、私は神々しさや品格に欠けるんだって翔兄様に言われたわ」
 もがく白瑛を少しふてくされて抱き上げているまだ十二歳の美鈴は、ファランの目から見ても将来は美女になるだろう容姿だった。翔豪と同じ意志の強そうな口元と、光を湛えた鳶色の大きな瞳をしている。淑陽が可憐な小さい花ならば、伸びやかな手足を持つ美鈴はさしずめ背の高い大輪の花を咲かせるだろう。とはいえ、この妹のような少女と結婚することになろうとは、幼い頃には思いも寄らなかった。
「あっ、でもね」
 美鈴が慌てて言った。「私、別に太子妃になりたかったわけじゃないのよ」
「何、そんなことを考えていたの?」
「違うったら」
 イムハンでは帝位継承権は女性にあり、男は皇帝の娘(多くは自分の姉か妹)と結婚することによって皇帝になる。美鈴が皇帝の弟の娘であるということは、本来皇帝の息子(蒼武とファラン)と同程度に継承位が高いことを示す。うち嫡子ではない第二皇子ファランとの結婚は、将来帝位にはつけずとも安定した地位を約束される。うまく婚礼の相手が見つからない場合は位を棄てて尼僧になる姫たちもいたほどである。
「僕だって、まさか君と結婚することになるとは思ってなかったよ」
「何ですって?」
 白瑛が美鈴の腕をすり抜けた。戸の前に行って鳴いている。
「いや、だから、君が気にするようなことは何もないんだよ」
 突然、部屋の外で咳払いが聞こえた。
「翔豪?」
「兄様?」
 ファランが戸を開けると、果たして咳払いの主は今度は欠伸をしながら入ってきた。
「お前たち、もう夫婦喧嘩か?先が思い遣られるなあ」
「どうしたの翔豪、もしかして起こした?」
「ああ、ピイピイにぎやかな小鳥たちがいるんでな」
 翔豪は肩をすくめている美鈴を見て、
「花嫁の支度に女官たちが向かってるぞ、こんな恰好でうろうろしてるのが見つかると大変なことになる」
 とまだ何か言いたそうにしている姫を部屋の外に追い出した。
「すまんな、あんな跳ねっ返りを貰ってもらうとは」
 思いっきりの膨れっ面をしながら美鈴が後宮の廊下を渡って行くのを見届けてから、翔豪は小さく溜息をついた。
「そんなことないよ、美鈴ほど素直で明るい子はイムハンにいない」
「そう言ってもらえると俺も面目が立つよ。親父がなくなってから後ろ盾もなくなったしな」
「僕は、美鈴じゃなくて君の方が先に結婚するのかと思ってたよ」
 翔豪は少し表情を曇らせて黙っていたが、口を開いた。
「いや、だからこそ美鈴が先に嫁ぐんだ。俺がもし結婚していたらお前をさしおいて継承者になってしまうからな。物には順序ってもんがある。
 俺は、お前が…お前と美鈴が幸せになってくれればそれでいいんだ」
 翔豪にしては珍しく気弱な言葉だった。
 翔豪と美鈴の父、即ちファランの叔父が病死したのは一年前、ちょうど蒼武が皇太子として腹違いの姉姫を娶る直前だった。その頃から鳳皇后の配下が着実に勢力を増しており、翔豪の家はまるで入れ替わるように父親の死によって没落していった。鳳皇后の生んだ嫡子は蒼武一人なので、翔豪たちの父親は生きていればいつ帝位についてもおかしくない立場だった。再興の頼みである妹を娶ることで翔豪に力をつけさせすぎぬよう、美鈴を先に結婚させたのも恐らくは鳳皇后の計らいだったのだろう。
「まあ、美鈴には寺院は似合わないしね」
 ファランの他愛ない冗談に笑って、翔豪はいつも通りに戻った。
「そう、あいつなら追い出されかねん。それに、今俺にもちょうど釣り合う相手がいないのさ。
 ここ最近では美鈴以外の姫は年上過ぎてみんな寺に行ってしまったし、遠戚の隣国は男ばかりで先日やっと一人姫が生まれたばかりだ。いくら何でも赤ん坊と結婚する気にもならないしな。
 まあ継承争いから外れたところで、将軍でも任せてもらえれば御の字だ」
 白瑛が再び鳴くと、やがて女官たちの足音が聞こえた。
「お、女と違って男の準備は簡単ってことなんだな。じゃ、俺も部屋に戻るか」
 翔豪は窓を開けるとひらりと向こう側へ飛び移った。
「では、美鈴をこれからもよろしく頼む」
「うん、もちろんだよ」
 翔豪が外から腕を差し出した。ファランも窓から身を乗り出した。
 二人は固く握手を交わした。それから二人が再び言葉を交わすのは、しばらく後の事となる。
5 花婿の秘密

 それから間もなく儀式は始まった。まずはファランの成人式で、そこで初めて一族の籍に加えられることになる。父威龍帝が冠を授け、玄峰の捧げてきた巻物に署名をするのだ。
「ファラン、これへ」
 父に呼ばれて、皇族や家臣の居並ぶ中、玉座まで進む。
 そこには、皇太子蒼武と皇后鳳潔、そして翔豪に今や皇帝の第二妃としの地位を確かにした懐妊中のマリーゴールドこと淑陽がいた。鮮やかな珊瑚色の衣装の鳳潔はファランの緋色の衣裳に露骨に不満の色を隠せないでいる。反対に、鬱金色の衣裳の翔豪と淡い曙色の衣裳をまとった淑陽は、少し寂しそうな、それでも満面の笑みで迎えてくれる。
 この六年間、ファランと淑陽は親子というよりは姉弟のように慕いあってきた。ファランにも、これからはもう私的に淑陽の元へ遊びに行けないのだという気持ちがこみ上げてきた。それを抑えながら傅いたファランに、皇帝は
「そなたには、琥珀三位を授ける」
と宝石のついた金糸の帯を与えた。途端に驚きの声が漏れる。それはつまり、臣下の位だったのだ。ファラン自身も少し疑問に思いながら、ただ誰かの安堵の嘆息を聞いて、この意味を悟った。
 続いて銅鑼のの音が鳴り響いた。婚儀である。花嫁の美鈴は、淡い梔子色の衣裳で可憐に現れた。ここで先程の巻物に美鈴も署名をして、晴れて二人は夫婦となった。
 六年ぶりの、しかも光の御子の婚礼とあって、ツィンユンの城下は歓声が止まない。祝福の花びらが降り注ぐ中、城内の窓から二人は何か夢心地のまま国民に挨拶した。
 たくさんの、人、人、人…。ファランは生まれて初めて、こんなにもたくさんの人間がイムハンにいることを知った。
「みんな、みんな私たちのことお祝いしてくれているのね…。」
 感極まったように美鈴が呟いた。少し鼻を啜り上げている。
「泣いちゃったらせっかくの美人が台無しだ」
「いやだ、ラン兄様ったら」
「今日からもう“にいさま”じゃないよ」
「はい、…殿下」
「…なんか照れちゃうね」
「うん。でも琥珀の位って、どうしてにいさ…殿下は臣下の位なのでしょう?何かの間違いじゃ?」
「わからないよ。でも、お父様…陛下のことだから何かお考えがあってのことだと思う。それに…、臣下の方が気も楽だ。僕は、僕のままでできることを果たしていくよ」
「私もお手伝いするわ」
「ありがとう」
 ここまではうまくいくかに見えた新婚の二人であったが、問題は初夜だった。
「ちょっと待って、どうしてここに女官がいるの!」
 驚くべきことに、夫婦の寝室となる新たな部屋に、女官たちがついて入ってくるのだった。
「殿下、私達の勤めは初夜の手ほどきと首尾よく事が進むか見届けることでございます」
「そんなもの必要ないよ!以前にちゃんと説明を受けた!」
 しかし実際のところファランは耳栓をしていたのだった。
「美鈴様はまだ説明を受けていらっしゃいませんから」
「僕が自分でするよ、いいから下がってください!」
 ファランは慌てて女官たちを締め出した。またもや昔と同じ“癇癪”を演じるはめになろうとは。何のことかさっぱりわからない美鈴はきょとんとしている。
「どうしたの?ショヤって何か特別のことをするんでしょ?」
「いや、特別ってほどのことはないよ」
 ますます慌てた。
「美鈴も疲れただろう、僕も疲れちゃったんだ。今日は早く寝ようね」
「それって、あの寝台で、一緒に寝るってこと?」
「?…ああ、そうだね」
「私…お母様に聞いたんだけど、ショヤって、子どもができるようなことをするんでしょう?」
「!」
「そうしたら、服を脱いで一緒に寝るのよね?」
「!!!」
 まさか、美鈴が初夜の意味を理解していたとは。
「どうするのかまでは聞いてないわ。でも、ちょっと怖いわ。
 けど、…私、ずっとにいさ…殿下のことが本当に好きでした。
 だから、殿下、その…優しくしてくださいね」
 その告白は、ファランにとっては衝撃以外の何物でもなかった。
 美鈴が、自分のことを一人の男性として恋していたということだ。ここまでくると、もう逃げ切れないだろうか。いや、とにかくこの場を一度離れなければ、とファランは考えた。
「う、うん、そうだね。まず湯を浴びてくるよ。美鈴は寝着に着替えてていいからね」
「私は浴びなくていいの?」
「あとで呼びに行くから、待ってて」
 美鈴を一人残し、部屋から出たファランはひとまずその場にしゃがみ込んでしまった。
 まだ何も知らない子どもだと思っていた。自分のこの秘密は、隠しきれたらそのままでもいいとさえ思っていた。だからこそ結婚にもそこまで不安を持たなかった。
 いずれは説明しようと思っていても、今ここ理由を明かしてしまうには美鈴はまだ幼すぎるのではないか。ファランはやはりまずあのひとに打ち明けよう、と思った。
 あのひとの部屋は、もちろん後宮の奥である。中庭からファランは小石を窓に投げた。
「誰?」
と声がして窓際に出てきたのは黒曜だった。すっかり大人(?)の雌猫となって、きびきびした白瑛とは対照的な艶のある声になっている。
「まあ、ファランさま。こんな時間にどうしました?」
「…淑陽様はお部屋にいらっしゃる?お一人?」
「ええ、今晩は皇帝陛下も宴会が長引いて、こちらにはいらっしゃらなかったようです。お入りになりますか?」
「いや、それは淑陽様のお体に障るし、もう成人した僕に許されなくなった。ただお話がしたいんだ」
「では、お待ちになって」
 黒曜の姿が消えると、すぐに淑陽が現れた。
「どうしたのです、ファラン、いえ…殿下」
「淑陽様、お休みのところを…」
「すぐに部屋に戻りなさい、こんな時間にここに来てはいけません」
 いつもと違って厳しい口調だ。
「わかっています、でも、美鈴は僕のことを男性として愛してくれて、僕は、美鈴を…愛せないんです、女性として」
 淑陽ははっとした。ファランの言葉の真意を知っているかのように。
「でも、美鈴は初夜がどういうことなのか知っていました。それで…」
「うまくはぐらかして、逃げてきたのですね。あなたの秘密を、まだ美鈴に話せていないのですね」
「…!」
「知っていますよ、ええ、気づいていました」
 本当に、このひとにはなんでもわかってしまうのだ。
「…誰よりもずっと、あなたにだけは聞いてほしかった。でなければ、これからも、ここにいられないと思うのです。もっと早くに打ち明けるべきでした」
「いいえ、私こそ、あなたの“母”として、自分から聞くべきでした。
 今ならその理由もわかります。あなたのお母様のご苦労も…。
 あなたも、なぜ姫ではなく“皇子”として育てられたのか、おわかりですね?」
「はい…この国では、皇女が継承権を持ち、結婚せずとも帝位につけるからです」
「そう。
 あなたがもし皇女として育てば、皇后様、皇太子妃様に次ぐ三番目の後継者とされる。嫡子でなくても、女子は嫡子の男子と同等に扱われますからね。
 しかし、お母様は大変に陛下に愛された。となると、あなたが継承者に指名される可能性も高くなる。この事は必ず災いになるとお母様は気づかれたのですね」
 ファランは涙が止まらなかった。やはりこのひとは、すべてを知りながら変わらず自分に接してくれていたのだ…。
「けれどまだ、翔豪と美鈴の兄妹のこともあり、美鈴を娶ったあなたにはまた継承権の問題がついて回ってきました。陛下も、臣下の位を授けたのはやはり皇后様や皇太子様へのご配慮なのでしょう。
 すべては、生きていくためです。ただ、ここへ来たのはあまり褒められる事ではありませんよ」
「わかっているんです。でも、僕には美鈴をどうしてあげることもできない…。
 それに…僕には、本当は心から想う人が…」
「それは、あなたがいつか本当の姿を取り戻せた時、叶うこともあるでしょう。
 とにかく今日はもう帰りなさい。そして戻って美鈴にわけを話すしかありません。あの子は信頼できる子だし、何よりもあなたのことを慕っています。
 今は美鈴があなたの家族なのですよ。その絆を大切になさい」
「はい…」
 そうだ、この秘密があろうとなかろうと、美鈴のことはずっと実の妹のように大切に思ってきた。彼女を傷つけまいとするあまり、話せなかったのだ。
「僕、部屋へ戻ります」
「ファラン、急いで!誰か近づいてくる!」
 黒曜の声に急き立てられて、淑陽にまともな挨拶もできずファランはその場を去った。
 部屋に戻ると、美鈴は着替えもせず寝台の上で小さな寝息を立てていた。ファランを待っているうちに眠ってしまったようだ。十二歳の彼女には無理もない、今日は朝から目眩しい時間を過ごしてきたのだ。
「ごめんね、美鈴…」
 ファランは起こさないように寝着を着せて、寝台の中に彼女を寝かせた。
「明日、君が目を覚ましたら、ちゃんと話すよ…」

 しかし、その翌朝にファランが真実を話すことはできなかったのである。
6 謀略

 祖先が遊牧民であった国イムハンにおいては、本来、皇帝とは本質的に男性に限られたものであり、女性支配者の存在は例外的なものであった。イムハンの結婚形態は東方の国々では珍しくもない一夫多妻である。しかし、皇后は皇帝の留守に国を護る「偉大なる妻」と称され特別な地位にあり、皇帝と同等の権力を有していた。なぜなら、皇位継承権は皇帝の娘や姉妹である皇女にあり、彼女らを正妃に迎えることが皇帝の証明とされたからである。
 多国との政略結婚を除くほとん どの場合において、皇族の婚姻は近親結婚であった。また、近親婚はイムハン皇族のみの特権でもあった。これは、先代の皇帝の息子であっても庶子である場合、皇帝が自らの地位や神聖性を正当化するために自分の姉妹(もしく は異母姉妹)と結婚したためである。普通、帝位を継ぐのは皇后の生んだ皇子であった。威龍帝は本来庶子の皇子だったが、先の皇后の生んだ兄たちが幼少で亡くなっていたため即位した。彼は自らの位を正当 化するために異母姉妹鳳潔と結婚したのであった。

 威龍帝が、ファランの秘密を知っていたかどうか、それゆえの臣下への降格だったのか、それを知ることはもうできなくなってしまった。



 早朝の、ファランが最も愛する空気は、突然の叫び声に引き裂かれた。女官たちの絶え間ない小走りの足音と囁き声に、尋常ならぬ気配を感じる。反対に、小鳥たちは不気味な程にじっと鳴りを潜めていた。
「陛下のお部屋に…」
「…まさか毒が…」
「淑陽様…」
「…人影が…」
 それらが一斉にぴたりと止み、確乎たる歩みで近づいてくる者がいる。
「ランにいさま…あれ、いつ帰ってきたの…」
 寝台からむくりと起き上がった美鈴はまだ目が覚めていないようで、自分の服が替わっていることにも気づいていない。ファランがそれに答えようとした時、部屋の前でその足音は止まった。
「ファラン殿下、恐れながら早朝失礼致します」
 扉を開けると、女官長が立っていた。幼少の頃から冷たい印象であまり好きではなかったが、今朝は一段と尖った表情をしている。
「な、なんでしょう…」
 女官長は廊下にいた女官たちを一睨みで下がらせると、扉を閉めた。
「誠に悲しいお知らせですが…今朝、陛下が崩御なさいました」
「…え?」
「威龍皇帝陛下、御崩御であらせられます」
 ホウギョ…それは、小鳥達も教えてくれなかった言葉だった。
「父上は、陛下は、亡くなられたのですか…?」
「左様にございます」
 途端に、膝の力ががくんと抜ける。何が起こったのか、よくわからなかった。
「今から陛下のお部屋に皇族の方はお集まりになるよう、皇后陛下からのお達しでございます」
 頭の片隅に、遠く声が聞こえている。
「では、お召し替えを」
 女官たちの手が方に触れて、ファランはハッとした。
「僕に触るな!」
 一瞬の考えのうちに、ファランは部屋を飛び出した。父の部屋に向かって。
 乱れきった髪と上がった息に見張りの兵は狼狽しながらも通してくれた。部屋には、皇后鳳潔と皇太子蒼武、そして数人の重臣らがいた。
 父は寝台の上に横たわっていた。苦しんだ跡はないようだった。しかし近寄ろうとすると、
「お控えください」
 と兵士たちに抑えられた。
「なぜです、僕は息子ですよ!」
「控えよ、ファラン!」
 鳳潔が一喝した。
「今はまだ、他の妃も皇子も姫も来ておらぬ。別れの挨拶にも順序がある。しかもそなたは臣下、琥珀三位の身。宰相たちの後になさい」
 そうだった。今のファランは皇帝の子とは言え臣下の身なのだ。しかも寝着からそのまま来ている。蒼武も切れ長の瞳から冷たい視線を射るように投げかけている。しかし、あの場で女官たちに肌を晒すことは勿論許せなかった。とりあえず一度下がることにして自室に向かった、勿論美鈴の部屋ではなく。
 しかし、着替えている最中に、部屋の外から女官長の声がした。
「ファラン様、皇后陛下からお話を伺いたいとのことでございます。謁見の間においでになられますよう」
 どういう事だろう。父との別れの挨拶もまだなのに。
 しかし、皇帝亡き今は皇后が絶対権力者であり、逆らうことはできない。ファランが謁見の間に足を運ぶと、そこには鳳潔と先ほどの重臣たち、そして淑陽がいた。
「ファラン、そなたは昨夜何処ににいた」
 鳳潔が口を開いた。その言葉に、ファランは不意を突かれた。
「昨夜、とは…」
「婚儀の後、初夜ではなかったか?」
「はい…」
「見届け役の女官らが、部屋から追い出されたと申しておる。それに…ずっと部屋におったのかえ?」
「…はい」
 嘘をついている、という意識にきりきりと痛む箇所がある。
「しかしのう、その後夜遅くに淑妃の部屋から、そなたの声が聞こえていたそうな」
「!」
 それは違う、と言いかけた。ファランは淑陽の部屋には入っていない。しかし、それを言う訳にもいかない。
「誤解です!」
 淑陽が代わりに声を上げた。
「私が、部屋で飼っている猫に話しかけていたのです。それを女官たちが聞き違えたのです」
「ほう、淑妃。そなたは猫と話ができるのか?」
 鳳潔は意地悪そうに笑った。全く、夫である皇帝が亡くなったばかりだというのに…。
「しかし、ファランは一度部屋から出たであろう?しばらく戻って来なかったと、美鈴も申しておったぞ。何処におったのじゃ。申せぬのか」
 言える訳がない。しかも、美鈴の証言を取られてしまっていては、反論のしようもない。
「言えぬか。父である陛下が亡くなられた夜に、部屋を出て、淑妃の部屋にいたのではないか。これでは、陛下に対する謀反の疑いありと言われても仕方がないのう」
「?どういうことですか!」
 ファランに続いて淑陽も食い下がった。
「陛下!それだけではファランが疑わしいということは言えないのでは!」
「淑妃、そなたいやにファランを肩を持つのう。それならば無実は言えるのかえ?今、そなたにも不貞の疑いがかかっておるのよ。その腹の子の父親は誰かのう」
「そんな!」
「そなたの方は懐妊の身、取調べはいずれ…」
 淑陽も、これ以上は庇いきれないようだ。すまなそうな、悲痛な面持ちでこちらを見ながら女官たちに連れられて退出した。
「さて、陛下は宴会の後、かなり遅くなって私の部屋にも来ずに自室でお休みになられた。その頃、城内に出ていた者は他にいない。よって一番疑わしいのはファラン、そなたじゃ」
 突然後ろから現れた兵士に、ファランは両腕を捕まれた。
「ファラン琥珀三位、只今より謀反および威龍帝暗殺の疑いにて拘束したします」
 宰相の声にファランは愕然とした。今まで父に意見をしたことがなかった男だった。賢帝だった父には無害だったが、これからは同じように皇后鳳潔に従うのだろう。
「しばらくは自室にて外出をお控え下さい、いずれ審議を行います」
「そんな、僕は何もしていない!」
「お黙りファラン!それはお前が決めることではないわ。連れてゆけ」
 冷たい皇后の声に突き放され、力を失ったファランは兵士に引きずられるように謁見の間から出された。
 部屋には、いつの間にか玄峰が付き従っていた。まだ新参で、文官として王宮に支え始めたばかりだ。涼やかな顔と声をしているが、何を考えているのかよくわからない、この男も皇后一派なのだろうか。
「本当に…何もしていないんだ、なのにどうして…お父様は、本当に殺されたの?」
「陛下がお部屋にお戻りになって、口にされた水入れに、毒が入っていたのです」
 玄峰は静かに答えた。
「僕は…これからどうなるの?」
「今はまだ…審議を待たなければ。もしくは、ファラン様がご自分で、部屋を空けた理由を、淑陽様と何をお話になっていたかをお告げになられることができれば」
「…?」
「では明日、お迎えに上がりますので」
 扉が閉められ、錠が取り付けられる音が外から聞こえた。見ると窓にも全て格子が下ろされている。今やファランは囚人となったのだ。白瑛が寄って来た。
「どうしたんだよ、ファラン」
「…っ!」
 今まで抑えてきたものが一気に溢れ出して、ファランは嗚咽した。わからないことだらけだった。昨日まであんなに元気だった父がなぜ?誰に?そして、どうして自分が捕まるのか?玄峰は何か知っているのか?
 白瑛も慰めかねてファランの涙を舐めることしかできない。
「僕は…これからどうなるんだ…」
 喘ぐように呟くファランの胸に、淑陽や美鈴、翔豪の姿が浮かんだ。でも今はその一人として傍にいない。ファランは白瑛を強く、抱きしめた。 
7 黒い牒(ふだ)

「ファラン琥珀三位、真実を話す気になったか」
 審議の場である謁見の間に再び連れて行かれると、そこには昨日と同じ面々が居た。鳳潔は飽くまでファランを疑う姿勢を崩さない。蒼武も、昨日と同じ視線のままファランを見ている。
「それよりもまず、毒殺ならば私でなくてもできるはず。陛下のお部屋に最後に入ったのは誰か、お調べになられるべきでしょう」
 床に直接座らされるという、皇族にとっては屈辱的な扱いを受けながらも、ファランは毅然として問い返した。そんなことは問題ではなかったのだ。
「それはそれ、これはこれじゃ。他の者にあのお優しい陛下を弑する理由なぞあろうはずがない」
 鳳潔が、夫を亡くした未亡人という一面を垣間見せた。しかしそれはほんの一瞬だった。
「まず謀反の疑いが強いのはそなた。では晩部屋を空けた理由を申せるのか?」
「それは…」
 ファランが口籠もった時、蒼武が口を開いた。
「お前が真実を告白しない限り、暗殺した者が見つかるまでは囚人として幽閉することになるが、それでもいいのか?美鈴が悲しむぞ」
 美鈴…。彼女をことを思うとファランは胸が痛んだ。その時、謁見の間に駆け込んできた者がいた。
「ファラン殿下の部屋から、毒薬が見つかりましてございます!」
「なんだって!」
 そんな馬鹿な…。ファランは冷水を浴びせられた心持ちだった。
 明らかに、これは誰かに仕組まれている。ファランを邪魔に思う誰かに。
「僕の部屋に誰かが持ち込んだんだ、そんな物は知らない!」
 鳳潔が高らかに嗤った。
「これでもまだ白を切るつもりか。のう、ファラン。素直に話せばお前とて成さぬ仲だが妾の息子、陛下にも愛された”光の御子”をむざむざ死なせとうはない。どうなのじゃ」
 どうしよう。このまま本当のことを告白してしまおうか。しかし、だからと言って父暗殺の疑いが晴れるとは思えない。それどころか、女だと知られたらそれこそ皇位を狙ったと思われてしまう。鳳潔の言葉に乗せられてはいけない。
「ええい、認めぬか!それでは死罪じゃ」
 とうとう業を煮やした鳳潔が喚く。重臣たちは慌てて形式だけでも刑罰の審議を始めた。
 九人の重臣たちが、箱に見えないように白い牒と黒い牒のどちらかを入れていく。白が多ければ無罪、黒が多ければ有罪…。
 牒を持たないが、箱を開けたのは玄峰だ。
「白牒一枚、黒牒八枚でございます」
 勝ち誇ったように鳳潔が叫んだ。
「ファラン琥珀三位、只今より臣位を失い、罪人として処罰する」
 体から血の気が失せていった。薄れゆく意識の中で聞いたのは、白牒が入っていたことに対する重臣たちの驚きと裏切り者は誰かという怖れの囁き、
「陛下の崩御を国民に知らせ、刑を執り行うのは、少々日を置いて蒼武様の即位など諸所の準備が整ってからがよろしいかと存じます」
という玄峰の声…。
 気づくと、今までの部屋ではない冷たい石造りの床に横になっていた。辺りは暗く、わずかに小さな窓から月の光が漏れ込んでいた。依然朦朧とする意識の中、どこかきなくさい臭いを感じると城内がにわかに騒がしくなった。いくつかの足音が騒がしく近づいてくる。
「ラン兄様!」
 美鈴の声だ。まさか、まだこれも夢なのだろうか?
 すると、急に室内が明るくなった。ファランが起き上がった瞬間、扉が開いて飛び込んで来たのはまさしく美鈴だった。
「美鈴…どうしてここに…」
「話は後で、上が火事なの!それに、兄様が!」
 美鈴の伴の者に連れられて地下の牢獄から出てくると、少し離れたところから火の手が上がっていた。玄峰が家臣たちに端然と指示をしている。
「淑陽様や王宮のみんなは無事?翔豪が、一体どうしたの?」
「お兄様が…」
 ここまで来ると美鈴は途端に泣き崩れた。気づいた玄峰がこちらに近寄ってきた。
「一体何があったんだ?」
「翔豪様が、陛下を弑したのは自分だとおっしゃって、中央宮に火を放ったのです。皇后陛下や蒼武殿下、妃殿下方は避難されてご無事でいらっしゃいますが、翔豪様は姿をくらまされ、王宮中を捜索しているところなのです。火は小さなものでしたからすぐに鎮火するでしょう」
 ファランは釈然としなかった。翔豪が、そんなことをする筈はない。婚儀の前の雑談の口ぶりからも、美鈴とファランの幸せを思いこそすれ、自分の立場に不満を抱いているわけでもないとはっきり感じられた。
「お兄様、私の所に来たわ。ファランを信じてやってくれ、これを渡してくれ、って…。それから、中央宮には行くなと言って出て行って、それから火が…」
 美鈴が渡したのは、イムハンの鋳造貨幣だった。よく見ると、表も裏も同じ模様になっている悪銭だった。表も裏もない…。ファランは確信した。翔豪の意図もよくわかったのだ。
「玄峰、美鈴を頼む」
「ラン兄様、どこに行くの?」
 歩き出したファランに美鈴が声をかけた。
「翔豪を探しに行く」

 真っ先に思い出したのは、あの場所だった。五年前、まだ幼かった頃翔豪と探検した、そして淑陽と出会った後宮の秘密の抜け穴。いつの間にか白瑛がついてきていた。
 その部屋は今でも無人だった。昔病死した姫が住んでいたということだからなのだろう。
 寝台の下の扉からは、やはり僅かに風が吹き出していた。石造りの階段を降りていく。階段の下の行き止まりには、果たして翔豪がいた。
「やっぱりお前にならわかると思った」
 翔豪はいつものように明るく笑っていた。
「どうしてこんなことを?お父様を殺したのは君でもない、それはよくわかっている。でもなぜ宮殿に火をかけた?捕まったら死罪だぞ」
「勿論そうだ。だが、お前が殺したのでもない。オレはお前が死ぬのも、美鈴が悲しむのも見たくない」
「じゃあどうするんだ」
「オレは国を出る。そうすれば、反逆者はオレということになり、お前は罪を被らなくて済む」
「そんな…!」
「それ以外にいい方法があるのか?誰も死ななくていい方法が」
 白瑛も「そうだな」と言った。翔豪にはただ鳴いたようにしか聞こえなかったのだが。
 ファランは黙るしかなかった。つま先上がりの上り坂を見上げると、塞いでいる巨石の隙間から月の光が洩れている。五年前のように。
「ファラン、覚えてるか?あの石は、五、六年もあれば動かせるかもしれないってこと。ちょうど五年だ。今のオレたちなら、きっと動かせる」
「じゃあ、馬を呼ぶように淑陽様のところに行ってくる。翔豪にはなんとか上手く言っておいてくれ」
 白瑛がそう言って階段に消えたのでファランの決心も固まった。
「わかったよ」
 そして、二人は巨石を取り除く作業を始めた。五年も立っているとは言え、ファランの筋力は実際、翔豪のそれとは比べるべくもなく非力なものだっただろう。それでも、必死に二人で石を運んだ。音を立てないように、細心の注意を払いながら。
 それが終わったのは月が大陸に沈みかける頃だった。空も濃紺からややコバルトがかり始めている。
 外で馬の鼻息がした。首尾良く淑陽が手配してくれたのだろう。
「あの馬で行けばいい」
「ファラン、お前、いつの間に…」
「いいから、早く行ってくれ」
 翔豪は、感極まった顔をして、ファランを抱きしめた。
「元気でな。美鈴のことを頼む」
「ああ…無事に生き延びてくれよ」
「お前も一緒に…」
 咄嗟にファランが身を離したので、翔豪の呟きが聞こえなくなった。
「え?」
「いや、いいんだ。お前は、この国で幸せになってくれ」
「ああ…。いつか、絶対に会える日を信じてるよ」
 穴から飛び降りた翔豪が、馬に乗ってファランに手を振った。振り返したファランは、翔豪の姿が見えなくなるまで、涙を堪えていた。
 翔豪が何を言いたかったのか、ファランにはわかっていたのだ。けれど、国を抜けるのに非力な自分は、やはり足手まといになってしまうだろう。それに、このまま逃げては自分が謀反人だと名乗ることになる。淑陽を、美鈴を、置いて逃げるようなことは自分にはできない。
「またいつか、僕が責任を果たせるようになったら…」
 明けていく東の空にファランは固く誓った。
8 残酷な使命

 被疑者である翔豪の逃亡の報せは瞬く間に彩露城内に広まった。その昼には、ファランは謁見の間に設えられた席に座っていた。今度は罪人としてではなく、証人として審議に召集されたのだ。淑陽も、美鈴も来ている。だがやはり鳳潔皇后は苦々しい面持ちのままだった。
 審議の口火を切ったのは小男の宰相だった。
「では、ファラン殿下にお尋ねします。翔豪様…は夜の闇に紛れて逃走したということですね?」
「ええ…。直接現場を見たわけではありませんが、馬の足跡が発見されました」
「しかし明け方頃、馬の足音を聞いた者がおります」
「それは私の馬でしょう。厩舎で一頭いなくなっていることに気づいたのが未明でしたから。足跡を辿って行けるところまで追ってみたのですが…既に遅かったようです」
「それは、お前の手落ちだな、ファラン?」
 皇太子・蒼武が冷徹な一言を差し挟む。
「そうじゃ、今一歩というところで謀反人を取り逃したのじゃ!」
 鳳潔も我が意を得たりと賛同する。この親子は、どうしてもファランに矛先を向けたいのだろう。
「畏れながら陛下、一方この度の騒ぎには火災もありましたし、消火に人手も取られていました」
 よく通る美声は、あの玄峰だった。
「ファラン殿下には、消火の際とても尽力していただきました。御礼を申し上げまする」
 少し意表を突かれる言葉だった。淑陽は馬の手配だけでなく証拠も用意してくれていたのか…。
 それとは対照的に、宰相が玉座の方を伺いながら小さな目をしばたたいた。
「よ、よろしいでしょう。ファラン殿、今回の一連の事件について、ご自身は何の関連もなく潔白であるとおっしゃいますか」
「はい。火事のあった時には、私は牢に入っておりましたし、 翔豪と連絡を取り合う術もありませんでした」
「あの毒薬の瓶はどうなるのかえ?」
 鳳潔は飽くまで対決の構えである。
「あの瓶については、私は本当に身に覚えがないのです」
「しかし、 もし翔豪が一人で事を起こしたとなれば、お前に罪をなすりつける必要はあったのかのう。もしくは、自分が名乗り出るということも…」
「お待ちください陛下!」
 立ち上がったのは、なんと美鈴だった。
「私は、兄が宮殿に火をかける前に会っております。皇帝陛下ではなく本来は蒼武殿下を狙い、ファラン殿下と争って帝位を奪うつもりが当てが外れ、この上は火災に乗じて宮殿を乗っ取る計画であると話をされました。本当です!兄が逃亡してしまった今、私が代わりに罰を受けます!」
 まさか、翔豪はここまで計画していたのだろうか?ファランは思わず立ち上がっていた。
「美鈴を罰されるのであれば、夫である私も同様です。また、翔豪を逃してしまった罪についても、いかなる罰を受ける覚悟です」
「ふん、わかった」
 返答は蒼武からだった。
「罪を償う覚悟があるならば、翔豪追討の命をお前に出そう。いいか?自分の潔白を証明したいのなら、謀反人の首を取って帰って来い。父である皇帝を弑し、皇太子でありお前の兄である俺の命を狙った男の首をな」
 鳳潔の抑揚の強い声が僅かな沈黙を破った。
「不服でもあるのかのう、ファラン?そなたはこの誇り高きイムハンの皇子として、責任を果たさねばなるまい」
「・・・不服など・・・ありません」
 ファランの傍に、玄峰が封のされた手紙を持って来た。
「これは?」
「近隣の国に行くための通行証でございます」
 返答した玄峰に被せるように蒼武が続ける。
「翔豪は国外に逃亡した可能性が高いだろう。お前の身分を保証する物でもあるから、肌身離さず持っておくんだな。それから、一小隊8騎をお前に与える。出発は明朝だ」
「たった、8騎ですか・・・?」
 ふん、と蒼武は鼻で笑った。
「かつてイムハンの先祖は17騎でミルヴァルの兵2000を蹴散らしたぞ。謀反人一人に大軍隊を出してどうする。一騎打ちにしてもいいぐらいだ」
 事も無げに言うが、蒼武が武術らしい武術をしているのをファランは見たことがなかった。
「では、私もランにい・・・ファラン殿下と共に行きます!」
 ファランが隣に座らせていた美鈴が再び立ち上がった。だが、
「それはならぬ」
 と鳳潔皇后の一声でまたすごすごと席につく。
「イムハンの娘は国を出てはならぬ。家族を外で守るのが男なら、内で守るのが女子の勤め」
 いや、それだけではなく、そのまま自分たちが逃亡することを恐れているのだろう、とファランは考えた。
 美鈴は臣下に嫁したとはいえ正統な継承者の一人でもある。謀反人とともに逃がしたとなればイムハンの権威にも傷がつくだろう。

 その夜は軍議だった。ファランは与えられた8騎の内訳を知った。指揮官の将軍が一人と騎馬兵が6人、そして見たこともない、薄汚い包帯だらけの男がいた。
「あれは誰なんですか?」
 ファランは兵の一人に訊いてみた。
「薬師ですよ。玄峰様が連れて来たそうです」
 将軍はファランも幼い頃からよく知っていた人物だったため、信頼して任せることができた。彼は翔豪の辿ったであろう経路を推測し、恐らくは幽江の先にある隣国のスオリムに入っただろうという結論に至った。
「身軽な1騎、しかも将軍にもなれる程の武道に長けた方ですから、陸路では到底追いつきますまい」
「それなら、幽江を越えた先の緑海を船で行くのはどうでしょう。緑海はスオリムのものですから」
「先回りということですね、私も殿下と同じことを考えておりました」
「では、スオリムに使者を出すように蒼武様と鳳潔様に頼みます」
将軍たちが下がり、軍議を終え独りになったファランの元に美鈴が近づいてきた。
「ラン兄様…」
「美鈴、いろいろとすまない…」
 火事・審議と目紛るしい出来事が重なり、今やっと落ち着いて二人きりで言葉を交わせる時がきたのだが、いざとなると却ってファランには美鈴を正視することができないでいた。
「…翔豪を逃したのは僕だ」
「ええ、そんなのわかってるわ」
 美鈴はファランに駆け寄るといきなり抱きついた。
「え」
「ありがとう。兄様を助けてくれて」
 驚いて身を躱そうとしたが、その必要はないのだと美鈴の笑顔が教えてくれた。
「全部淑陽様が話してくださったの。私も、一応その…妻なんだから秘密は知っておいていいはずよ」
「ごめん、本当は、あの朝話すつもりだったんだ。でも、機を逃してしまって…」
「びっくりしたけど…ちょっと悲しいけど、貴方という人間が変わったわけじゃないのよね。命に関わることだもの。本当はお姉様になるけど、これからも…ファラン兄様と呼んでもいい?」
 美鈴は、少し涙ぐんでいた。
「うん、うん!」
 今度はファランから抱きしめた。
 ーいつまでも大切な、愛らしい僕の従妹。

 そしてファランは、翔豪が脱出した時のことを語った。
「やったのは翔豪でもない、もちろん僕でもない。だから、助けるために僕は翔豪が逃げたのとは違う方向に行こうと思っている」
「そんなことができるの?」
「あの将軍は、信頼できる人物なんだ。いずれ真実を話すよ」
「でも、ラン兄様は…いつか帰ってらっしゃるんでしょう?」
「僕に帰って来てほしい?その時は、翔豪の首を取って帰らなければいけないんだよ」
「……!」
「体のいい国外追放だと思っている」
「私が、男子だったら良かったのにね…。何処にでも一緒について行けたのに」
 ファランは美鈴を見て、少し淋しく笑った。
 男子だったら良かったのは、僕の方だ。
 そうすれば、みなここまで悲しむことはなかった。
「ただ、今のツィンユン…イムハンは危険だ。父上を弑した首謀者がはっきりしていない上に、淑陽様はご懐妊なさっている。美鈴、君には淑陽様のことを頼みたい」
「え?」
「今はまだ兄上の即位も父上の葬儀も済んでいないけど…、イムハンのしきたりを知ってるだろ?」
 イムハンのしきたりとは、王の死後、次王となるべき後継者が自分の生母以外の妃(側室たち)を受け継ぐという遊牧騎馬民族時代から続く因習だった。
「…それじゃ、淑陽様はこれから蒼武様の妃に?」
「そう。そして…御子が兄上の子になる可能性が高い。その子がもし女の子だったら…」
「ラン兄様と同じように、命を狙われるの?」
「まだはっきりとはわからないけど、でも兄上と太子妃様との間にまだ子どもがいないから、ややこしくなるとは思うんだ」
「そんな…」
「他人事みたいに言ってるけど、妃を受け継ぐのは親子だけでなく兄弟の場合でもだよ、美鈴」
「兄弟って…」美鈴の眉がぴくりと動く。
「僕が帰って来なかった場合、君もいつかは兄上の後宮に入ることになる」
「そんな!イムハンの姫は正妃にしかならないのよ?」
「寡婦はまた別なんだ」
 特に、イムハンの継承権が高い美鈴には再婚は認められず、後宮に入るか尼僧になるしか道はない。
「いやよ!ラン兄様以外の人と結婚するくらいなら死んでやる!」
「え、あの、美鈴、落ち着いて。そうしたら誰が淑陽様と御子を守るの?」
「え?そ、そうか…じゃあその時は尼寺に淑陽様と一緒に行くわ」
 美鈴の威勢にファランはたじたじとなったが、それでも救われる思いだった。
「じゃあ…頼まれてくれる?」
「任せて!」

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