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ナターンのカウンセリングコミュのお知らせ

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どのように伝えようか、考えていましたが
何も曲げず包み隠さずお話しようと思います。
恐らく衝撃的な内容かと、思われますので心してお読みください…。

僕は霊が見えたり、その人の生活が見えたり、未来が見えたり
いわゆる霊能力があります。
その霊能力がどういうものかを、調べて、一つの結論に達しました。
それをお話しします。

1)霊は存在する、とすれば存在し
存在しない、とすれば存在しない。

これを簡単に記述すると、幻覚だ、ということです。
ここで"幻覚"と表現した場合に、頭のおかしいとか、精神障害といった
ニュアンスで受け取る方がいらっしゃいますが、そうではありません。

人間には脳があります。
人間は全てに対して"認識する"という過程があり、その過程にはおよそ300ミリセカンドの時差が生じます。
感覚器官によって受け取った物理的なものも、小説や映画を見て受け取った情報的なものも
脳によって一度、認識という過程を通過するので、全く同じ出来事として体感されます。
想像や空想の世界の中に、物理空間(触覚や嗅覚や味覚、聴覚、視覚などで感受できる空間のこと)があります。

この脳の情報空間の中に物理空間がある。ということを踏まえて霊というものを捉えると
「存在するとすれば存在し、存在しないとすれば存在しない」という結論に至ります。
ただし独立した物理空間においては存在しない、ということと同じになります。

これは例えばアニメやマンガの登場人物に触発されて警察官になった、とかボクサーになった、という人たちにしてみれば
その登場人物は確かに存在して影響を受けているということです。
ですが、彼らはその登場人物が本当に存在していて見えていて、すぐそこの道に居た!絶対に居るんだ!
というような解釈はせずに完全に割り切って、マンガの世界(情報空間)と物理空間をわけて認識しています。

僕が言いたいのは、霊、という存在に対してあまりにも過剰に反応しているのは危険だということです。
霊が居ないと言う人も尊重しなければならないし、霊が居る、という人も尊重しなければいけません。
ですが霊が居る、という人たちはそれが物理空間においては存在しない(既述の意味で)幻覚だ、ということを認めなければならないとも、考えます。
その考えに基づいて、僕はここで認め、公表します。


魂について

人間には古来から、肉体には精神があり、それは肉体が滅びても残り続けるという考えがあります。
その考えが元になって魂、霊というものに発展していきました。
これは情報空間におけるリアリティを伴った体感によって経験されます。
幽体離脱、憑依、生霊、念はこの、肉体の中に精神が宿る、という発想から生まれた認識です。
存知の通りいずれも精神(=魂)が抜け出し(あるいはそのエネルギーが)他人、もしくは自分に影響を及ぼす、というものですが
まず幽体離脱は目を閉じているのに家の外を見たり、どこか別のところへ飛んでいける、といった体験をなさる方々がおられます。何らかの仕組みが働いて脳に記録された情報を元に映像を脳内に映し出し、それを疑似体験する現象です。疑似と言っていますが体感する当人にとってはとてもリアリティがあり、本当に魂が体から抜けている!と思うわけです。
次に憑依、生霊、念は亡くなった、もしくは生きている人が、特定の人物の魂がある肉体に入り込み、色々な症状を与える、というものです。これは変性意識によって、長年刷り込まれた宗教的な壮大なストーリーを元に脳が生成する現象です。それにリアリティを感じている(特に敬虔な人)と起こりやすい現象です。また、生きている人が生きている人へ憑く、という場合も、変性意識という状態は周囲に居る人を巻き込み変性意識帯を共有してしまう性質があるので、それによって無意識のうちに”のろわれる”ような体感が起こり、壮大な宗教的ストーリの"のろわれると起こること"を元に自己暗示し、実際にのろわれたようなことが起きていくわけです。



2)なぜ会ったことも無い人の現状や未来が視えるのか。

ではなぜ僕が手を見ただけで、その人の過去や現状や未来が、分かってしまうのか、について。
これは僕はそういう意図で習得したわけはありませんが、ある種の技術です。
僕は天然でその技術がありました。おそらく(良く解釈すれば)巷の霊能力者と名乗る人たちにおいても同じでしょう。

1、Hyper Cold-Reading (高コールドリーディング)
 コールドリーディングという言葉に対しては詐欺師のようなイメージがついて回ると思いますが、ここでの意味は少し異なります。
コールドリーディングというのは、対面式に相手の動作や呼吸、服装、容姿、などからその人がどういう思考傾向にあるかを相手に気付かれずに行う、この"気付かれずに、こっそりと"というところからColdという言葉がついたのだと思いますが、そういった技術です。
高コールドリーディングの場合はそれよりもさらに高度なことをやっています。
 詳しく述べると、表情、瞬き、目の動き、呼吸、唇の形と動き、髪の質やデザイン、服装、手の動かし方、骨格、におい、肌の質、肉付き、血色、など今思いつくのをざっとあげましたが、だいたいこのような所を無意識のうちに観察しています。
僕の場合はそれが写真などでもできます。その場合には写真の撮り方や背景なども視ているのだと考えられます。
そしてそれだけの情報でなぜ、分かるか、というと、それは無意識下に情報をおとし、並列処理をさせると同時に変性意識というのを意識せずに生成し、それによって導きだされた結果を言葉で記述しています。
 並列処理というのは、例えば、ピアノで左手と右手が違う動きをしながら目で譜面を読んで、頭でどんな風に音楽の空間を創り上げようか考える。というときに同時にいくつものこと行うことです。これは無意識下でなければできません。
変性意識という状態は、意識がある状態で無意識にアクセス可能な状態になるということです。
たとえばコンピュータに例えると、意識がある状態というのは、インターネットをブラウズするなどプログラムを起動することしかできない状態だとします。変性意識になると、そのインターネットをブラウズする際に、フォントを変更したり、スクロールバーの色を変えたり、などプログラムの内部をいじれる状態になる、ということです。
つまり意識しながら無意識にアクセスして、意識上ではできないことを、無意識にアクセスすることによって、可能にする、ということです。

2、オーラ視
これは高コールドリーディングの簡略的で、共感覚を用いた技術です。
一瞬にして深いことは分からないまでも、対象の人物をカウンセリングする際の入り口として用いられることが多いです。
 共感覚は例えば、この音色はパンの味がする、といった一つの感覚に別の感覚を結びつける脳の仕組みのことを言います。
文字の一つ一つの色が違って見えたりする現象も、これです。
そして高コールドリーディングがいまいちできない方は、この"色"から分析をし、人物を特定していきますが、僕はその方法をとりません。



3)未来や過去について

未来
これは100%可変性なので、いくら僕がそうなる、と言ってももしくはそうならないと言っても
それはどうにでもなる可能性があります。
未来が見える人が居て、その人に言われた通りのことが起こった場合、それはその人の言葉を自己暗示して
そうなるように無意識のうちに解釈してしまった可能性があります。
良い未来の場合なら不都合はないと思いますが、それが良くない未来だったとしたら、それは完全に信じない方が良いでしょう。

過去
これについては、現状に至った経緯を推察すれば簡単に導きだせます。
僕の場合はそれをも無意識でやってしまっていました。



3)来世や過去世

これは存在しません。
過去世でのカルマが現在のあなたに影響することもなければ
現在のあなたの行いが来世に影響をすることもないです。

人間は記憶したものしか出力できません。
母体内で感覚器官が形成された時点から、脳が活動を停止するまでの全ての感受した情報は記録されています。
なので意識になくても記録として脳に記述されていればそれは(例えば変性意識によって)掘り起こすことも可能なのです。
退行催眠などで過去世を体験・視るようなことがあるのは、過去の情報、テレビや学校などで見聞きする服装や風景をただ他の記憶と繋ぎ合わせて認識しているだけです。これも無意識によってなので当事者に責任はありません。
来世の場合も同様で、見聞きしても、忘れてしまっているような情報を繋ぎ合わせて新たな記憶として認識しているにすぎません。



3)神

これは様々な議論が交わされていますが、結論として存在しません。
数学の世界によって乱数性(ランダム性)ということが証明されました。
これが何を意味するかというと、必然はあり得ない。ということです。
ある現象が生じる確率が高いか低いか、の問題で100%そうなる、という必然は完全に否定されたのです。
つまりこれは神が全知全能だとする場合に、その全知全能はあり得ないということと同じなのです。
よく宗教的に、神は人間一人一人のその生涯を全て最初から最後まで、こうなると定められた、と語られます。
これはランダム性が証明された時点で、そこにはランダムに働く要素が含まれるということになるで
"こうなると定められた"通りには必ずしもいかないということです。
数学に興味があれば、調べてすぐに分かりますので。
ただし、ここで僕は神の存在を否定しましたが
信じるも信じないもそれはそれぞれの自由です。
というのも真剣に信じることで、神が存在しようがしまいが、人間は救われます。
これは色々なメカニズムがあるので詳しくは述べませんが、興味があれば聞いて下さい。




ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
僕はこれからこのコミュニティの根本的なテーマは変えず、
ひとりひとりが自分の幸せを自覚し、それを全うする考えを維持し
"霊性"、スピリチュアルの枠を崩そうかと考えております。

というのも上記のように色々なことを理解していきますと、
人間がなぜ、そういった霊のような発想をするか、というテーマに行き着きます。
僕自身、神や霊の存在に関することを知った時にはいろいろなことから解放されました。
それは何かというと、人間には自由意志があるということです。
21世紀になり哲学や数学、科学などの学問が爆発的に進歩していく中で、神や霊に依存せずとも
立派に幸せに生きていける環境は整っているんです。
何か見えない不思議な力に動かされるのではなく、自分の意志で生きる、という選択です。
自分が何をしたいのか、何が幸せなのかを、全うする、ただそれだけです。

今の世の中は、少し動き出そうと歯車が回りだしているだけでまだまだ窮屈な監獄に過ぎません。
自由だ、と言ってもその意思は尊重されず国家の利益が最優先です。
僕はこうした小さなコミュニティから人々の意識を、監獄の外へ向けられたらいいな、と考えています。
それは監獄の中でも偽りの幸せがあってそれでいいと満足してしまう人たちがいるからです。

こうやっていると何か新手の宗教の勧誘だと勘違いされそうですが、僕はそういう意図ではやりません。
ただ自由意思を獲得しているのに、どうして自由にならないのか!と思うだけです。

近頃はカウンセリングもあまりやっておりませんが、このメッセージを伝え
徐々にまた再開していこうかと考えています。
このコミュニティに参加して下さるみなさまのご意見も聞かせて下さい。
質問・疑問等にも答えます。
よろしくお願いします。

コメント(37)

読ませていただきました。

私には難しかったですあせあせ(飛び散る汗)
理解したような、してないような…な感じです。

ただ、安心しました。
私はスピリチュアルを肯定している反面、いろいろ疑問に思ったり、肯定しきれてない…なんとも曖昧な感じにあったので、ナターンさんの意見を聞けて、なんとも言えない安心した気持ちになりました。

難しい事は解らないので、場違いな意見だったら、すみませんがまん顔あせあせ(飛び散る汗)
こんばんわ 

いつもお世話になっています。

この文章を読んで、私が感じたままに感想を述べさせていただきます

この文章を書いたナターンさんはいつもカウンセリングをなさっているナターンさんとはまた違う方のように

感じました。おっしゃっている意味は、いつものナターンさんと同じ意味を示しているのですが、伝え方が

難しくて、なんとたとえればいいのかわかりませんが、悩みながらも何かにせかされているような感じで

別人格のような感じがしました。

私が今まで経験したことや情報として知っているものに関して書かせていただきます。

1)霊について

同感です。いてもいなくても、さして問題ではないと思っています。そして、霊について生きている人間の

考えがあまり良くないイメージで、変な妄想で振り回されてしまうことがよくないことだと思っています。

居てもいなくても、彼らは肉体を持っていません。感じようとすれば感じることができます。(誰にだって)

だからどう?ってことはないと思っています。

魂について

人間の体は器、そして中身が魂(スピリット)だと思っています。なので、肉体を持たない魂(霊)も私個

人の意見とすれば存在します。幽体離脱はよくわかりませんが、憑依、生霊はまず、憑依は魂だけの

肉体のないもの、目には見えない情・思いがそのまま現生にとどまっている状態のものが憑依しやすい状態に在る人。もしくは必要な人に対してその情が入りこむことだと思っています
憑依体質(私もそうですが)簡単に言うと心が今にない時に入りこみやすい状態になります。(今にない=今のこの瞬間に意識がない。未来や過去にとらわれていたりとか)

生霊は、これも情=強い思いです。本人(生霊を作りだした人)は自覚はないことの方が多いと思います。その情だけがその相手の所に行っている状態。

2)コールドリーディング・オーラ視

コールドリーディングはよくわかりません。占い師とかやってるやつなのかな?よくわかりませんが、おっしゃっている意味はよくわかります

オーラ視は私は難しいことがよくわかりません自分の言葉で皆さんに伝わるかわかりませんが、オーラはその人の延長線上のものだと思っています。外見より内面のその人の持つ独自の空気感に色をつけた分かりやすいもの?科学的に証明は私には無理ですが、なんとなく一番科学的に簡単に証明できそうなものだと思います(サーモグラフィーみたいな感じで。。ってものが全然違うけど)

3)未来
未来はその通りに変動可能です。未来予知した情報を与えられた場合。その通りになると思いそのままなることも、反発してならないことも、本人の意思次第で変えることはできるものです

オーラは若干みえたり、近親者、友人の過去・未来を見ることはできますが、よくよく考えたら私は、ナターンさんのように人の過去や未来や現状を読み取ることはできません

なので、こんなに偉そうに言えるものではありません

3)来生・過去生
これは、過去生は「あなたは徳川の武士です」みたいな過去生は存在しないと思っています。輪廻転生も信じてはいません。輪廻転生の理論から言うと浮遊している霊たち。先祖の守護霊は?ってことになるので、ただ、過去生=前世は在ります。それは、肉体を持つ前の魂の状態です。(死んだ方ではない)乙女ないい方で言うと天使のような存在。肉体を持つ前の人間の魂は神と共にあると思っています

来生、死後どうなるかという考えですが、私はクリスチャン(モルモン)なので、人は死んだら天国か地獄に行きます。よく見る地獄絵巻きのような地獄ではなく、意識だけが死んだときの状態。現生に未練があり辛い思いで亡くなればその状態にとどまるということになります。そして、天国もまた同じように死の状態で人生に曇りない状態で生き抜いたと思った状態で亡くなればその意識でとどまります。
肉体的な地獄天国ではなく精神的な状態のことをさします。
そして、天国の状態に在る人たちが、また復活します(イエス復活)完全な肉体朽ちることも老いることもない状態です。それが来生にあたります。
続き

神)
私は神は存在していると思っています。全知全能の創造主です。

>よく宗教的に、神は人間一人一人のその生涯を全て最初から最後まで、こうなると定められた、と語られます。

これは、私は違うと思います。たとえば障害を持って生まれた方や、事故、重い難病や病気これは、宿命をもともとになっているのだと思いますが、それも生まれる前から神が作ったものではなく、自ら望んだものだと思っています。(反感を買いそうな言い方ですみません)もっというと、その宿命を担って生まれてきた魂と言えばよいのでしょうか?一人ひとり、生まれる前に自らプランとセンスを持ち生まれてきます。それは神が定めたことでなく肉体を持つ前の自分が自ら選んで持っていくものだと思っています。それは、性別や地域や親までもだと思っています。
そして、肉体を持った状態では以前の記憶は全て忘れてしまいます。(例外もありまります)
神が全てを定めるのではなく、神は自由意志を尊重しています。
人間が生きる中で選択肢は沢山あります。その中で全てが順調に行くことはほとんどありません。失敗して、成長するということこの現生は、学ぶ場だと考えています。
神は、全ての人たちにおいて平等で全ての人を愛しています
人間が見えない何かに操られているというのは自分の意思・思考がそうさせているだけであって、全ては自分次第です。全て自分の自由意思に委ねられています。
神は無償の愛を人に送っています。それに気付くも見過ごすのも本人次第です。それさえも神は自由意志です。神は存在するので、みなさん私を信じ愛しなさいとはいいません。
無償の愛と私たちを常に見守り、絶え間なく愛のメッセージを発信しています。それをキャッチするかいなかは、本人次第です。

これが、私の考えです。宗教的なことが多少入ってしまい、自分としてはあまり入れたくなかったのですがそれで、不快に思ってしまう方がいたらすみません。
総まとめの追記として、人間がどんなに沢山のことを研究しようと全てを知りつくすことは不可能だと思っています。どんなに頑張ったところで、手のひらの孫悟空のようなものだと思っています。

過去生、低次元の霊のもの、低次元のエゴ、おかしな新興宗教に惑わされずに、居てほしいと思います。ナターンさんのおっしゃることは自分の中では理解しているつもりです。

それと私は、以前、ある方から「スピリチュアルのセンスが強い人。あなた(私)もそうだけど、一歩間違えれば簡単に教祖になれてしまうので、気をつけるように」と自分は教祖だなんて夢にも思ってないしなりたいとも思っていませんでしたが、今ようやく意味が理解できるようになりました。
道を外れないようにと思っています。

ナターンさんのように賢くないので、難しいことはよくわかりません。すべて私のインスピレーションの中での話ですので、何の確証もありません。長くなりましたがこんな感じです
ナターンさんが、そんなアブナイ思想だったとは、大変ショックです…失恋

私たちの御先祖さまは、あらゆるものに神を見出だし、感謝し、畏れ、敬い、大切に、心豊かに生きてきました。

それを全て否定できるほど、哲学、数学、科学といったものが、万能だとは思えません。

なぜ、ここへ来て、神様や魂の存在を否定するに至ったのか不思議です…涙

監獄とは、国家の事でしょうか。
国益を求めるのは、悪いのですか?お互いよくなるよう、協力しての国益なら、あっても良いのではないでしょうか。
少なくとも我が国は、自国の利益の為に、どこかの国のように、他国を侵略したり、陥れるような行いは、近年まったくしていないと思っています。

この国が、偽りの平和の中にあり、監獄のような状態だという事は、その通りだと思いますが、それでも私たちは、監獄に守られている部分があると思います。
きれいごとを並べて、その枠を取り払ってしまって、果たして生きていけるのでしょうか…。
> #1 ちりりんさん

ただ探究心があるだけですよ。

そうですね。証明不可能ですね。
人間の認識におけるプロセスが曖昧なので、
"証明"となれば科学的アプローチをとる意外方法がないですし。
なので存在する、とすれば存在し、存在しないとすれば、存在しないんです。

>>1)
ちなみに見られるようになる方法は知ってますよ。(実践したことはありませんが…。)
1、肉体的精神的に極度の状態まで追いつめる。
→これは危険ですが、語弊が生じますが、軽く自我を崩壊させるような体験をするということです。そうすることによって人体がそれを回避しようとしてみられるようになるという説です。よく長い間修行をすると見えるようになる、というそれです。
2、見える人と一緒に過ごす
→これは変性意識帯を利用する方法です。変性意識は周囲にいる人の意識に働きかけるような仕組みがあるので、居れば居るほど影響を受けて見えるようになります・
3、自分は見えるんだ、と思い込む
→これは霊がどういうものなのか、を徹底的にイメージする、ということです。そうすることによってこれもまた変性意識を生成し無意識レベルで(内部表現)が書き換わり見えるようになります。

>>2)

霊が介在する、たとえば霊と会話して相談者の内容を聞き出す、というような場合にも
脳内で起こる処理はだいたい同じだと言えます。ただ出力する際に"視覚野"や"聴覚野"が鋭敏に働いて、そういうように聞こえたり見えたりすることが置きます。
基本的には脳内での働きです。
確かにミラクルで神秘すよね!

>>オーラについて
仰る通りで補色の応用も考えられますね。(色彩論はゲーテですよ…!!)
オーラ自体で判断するのは、あまり良くないと思いますが(人格など)ある程度の傾向は見抜けるので練習は続けてもいいと思いますよ。
あとは感情の起伏が激しい人などを見ると本当に綺麗に大きくなる時もあって、非常に興味深いです。


>>3)来世や過去世

自分にとって都合のいい考え、なら全く問題ないです。
たとえば、今苦しんで来世幸せになろう、など現在を蔑ろにして
来世や過去世に対して過剰に依存するのはとても危険だと思うんです。
現在を中心に、今苦しいのは過去世のせいなんだ!というのは逆に健全で精神的に楽になれますよね。
もっと言えばそういうのを無くしても精神的に楽になれれば、それが理想的なのですが。


>>3)神

僕も存在すると思いますよ。
ただ人間の認識が一切及ばない、ところに。
つまり言葉によって"神"とマークアップする、とか
神とはこうこう、こういうものだと論理を展開する、とか
そういった人間の解釈が一切入らないところでなら神は存在しうると思います。
神が存在するとすれば、今の人類はもっと尊敬すべきだと思います。
神でもない人間が、どうして神が神だと理解できますか?
そういうような点から、人間が神とする神は存在しないという結論に達したんです。
つまり神に関する論争はしてはならない、ということですよね。
その時点で人間による認識によって、人間自らの論理性の欠如でそれを否定することになるわけですから。


絶対的公平、と仰ってますが"カルマ"という思想は差別的だとは思いませんか?
たとえば、生まれる前に起きたことは生まれてからはどうやっても変えることはできません。
生まれた瞬間にあなたは過去のカルマが悪かったから、今から少し苦しんで下さい。と言っているようなものですよね?
そこは僕にはどうしても受け入れられませんでした。




>>幸せに生きていける環境は整ってる

仰る通りです。
なので僕は霊や神をまずは否定するところから入りました。
神が居なければ神を利用できないし、霊がいなければ霊のしわざにもなりません。
"不思議な出来事"、"神秘的な出来事"に関する謎を霊や神と言う時代は終わりました。
もっと健全に生きられるはずだと強く感じています。それを実践しようとしないだけで。



ご意見本当にありがとうございますね。
> #2 あこさん

ご意見ありがとうございます。
難しかったようでごめんなさい。

僕も曖昧なスピリチュアルの思想は、強く惹かれる反面、何か怖いものも内包していると感じていました。
たくさんの書物を読んだり、調べたりしていくうちに色々な観点から人間の仕組みを学ぶきっかけになったのでスピリチュアルであることには感謝しています。
もっと全てのスピリチュアリティ関係の人たちが健全であることを願ってます。
> #3 #4 モモンゴさん



こんばんは。

>>1)

霊については、危険因子を含んでいなければどんな考え方でも僕は問題ないと思っています。
たとえば憑依されたりすると、気分が悪くなったり、人格が変わったり、など、当事者にとって良くない状態にあるのであればそういった思想はしないほうがいい、と思ってます。
日常生活を送る上で霊を気にしなければならないような環境下になっては、生きるのが大変になるだけですからね。
そしてそれをまた"試練"だとして霊と深く関わる人は必ずその試練を克服しなければならないといったような考えも僕は宜しくないのではないかな、と感じてます。
 

>>2)コールドリーディング・オーラ視

オーラについては、そのような感覚は僕もそう思っています。
意識・無意識を含めた部分から発せられる物理的情報に対して、脳が視覚的(色彩)に変換して認識する。
仰る通りです。

>>3)神に関して

そういった考え方で構わないと思いますが
危険因子を取り除けば、より理想的だと思います僕は。

>>人間がどんなに沢山のことを研究しようと全てを知りつくすことは不可能だと思っています。どんなに頑張ったところで、手のひらの孫悟空のようなものだと思っています。

まさにその通りで、神に関することも同じです。神とはどういうものか、創造主なのか、そういった人間的考察が及ぶ範囲内には存在できません。人間自身の論理によってそれを全て否定することになります。
神が居るとすれば、それは"神"という言葉で表現することもできなければ、"創造主"というように形容することはできません。
完全に人間の認識の範囲外に存在し、人間は一切関わることができない、としなければ、繰り返しになりますが
人間の論理によって神を否定してしまうことになります。

宗教における神に関する記述そのものが僕は低次元だと考えています。


そうです。スピリチュアリティについては肯定的な面も否定的な面も考慮しないと、教祖になりえます。
僕は頭ごなしに否定はしていませんし、妄信的に肯定しているわけでもありません。
あくまで中立的立場を維持しながら、深く考えて意見を述べているので、安心して下さい。
これを何かの教団するとか、そこまでの暇もなければ意図もないです。



ご意見本当にありがとうございます。
> #5 しげさん


>>1)霊は存在すると思っています。ただ、かといって存在しないという人に対しては別に何とも思わないですし、たとえ存在していなくてもそれはそれで構いません。

既述ですが、世界は起こるべくして起こる=必然、ではないことが分かっています。
なので偶発性、偶然に、たまたま起こるということもあるので、それも考慮した方がいいと思います。

>>2)コールドリーディングもオーラ視もできないのでわかりません。自分ができてしまったら分析癖や決め付けをしてしまいそうです。

たとえば僕の言う高コールドリーディングなどに関することをコンピュータにプログラミングして、計算させるとします。そうすると何億年も時間がかかるようなとても複雑な作業になってしまいます。
つまり、単純にただ"分析"と言えるようなレベルではないんですよ。人間の神秘は、そこで、そういったことを一瞬で処理できてしまうところにあるんです。

>>3)来世や過去世について根拠はないし証明はできないですが僕は存在すると思います。無知で恥ずかしいのですが、質問させてください。人間は亡くなった後はどこに行き何をするのですか?そしてどこから何のために人間は生まれるのでしょう?人類が誕生したこと自体未だに不思議ですし。生まれ変わりがないのであれば魂の数は減っていくだけの気がしてしまいます。

僕は死に対する恐怖心がそれほど根強くないので、すんなりと受け入れることができましたが、僕は人は亡くなった時に全てが終わる、と考えています。
人は何のために生まれてくるのかと、問われればそれは、生きるために生まれてきます。それ以外の回答はありません。
ただ生きるために生まれてくるんです。
この点において、様々な人の認識が誤っていると思います。なぜなら人を殺したり、自ら命を絶つ人類が未だに存在するからです。
神や天使や、そんなものとは比べ物にならないくらい人間の命は尊いものです。どんな状態に居ても。
来世や過去世や神や霊のことを考えるのも、ある意味では安らぎをもたらしてくれる良いものだと思いますが、それよりも今現在を一生懸命に生きることにフォーカスしなければいけないと強く思います。

>>3)神も存在するかよくわかりません。存在というかどこかに光みたいにありそうです。でもヒーリングもしていただきましたし物質的ではなくても天使は存在するんですよね?

"光"を神々しく感じるのは、それが人間が得られる唯一のエネルギーだからです。
植物が光をエネルギーに変換して、それが食物連鎖の始まりになります。光が無ければ生命はありません。

ヒーリングに関しては、また専門的になってしまいますが、内部表現(認知心理学における人間の認知する全ての世界)を書き換える非記述的(要は言葉ではないものです)な情報を伝達することがヒーリングです。
それを天使と表現してもしなくても変わりはありません。
西洋では天使と表現して、東洋では気やプラーナと表現する、といっただけの違いに過ぎません。



ありがとうございます。
これはだいたい1年前くらいから調べていました。
ですが自分で研究して、臨床実験をするようなことはしていません。ただ文献などを参考にしているだけなのでたいしたことはないですよ。
スピリチュアリティは曖昧で、哲学的に徹底的にその論理性を検証していくと「これは危ないぞ」と思わせるような思想が含まれている場合があります。
それではせっかく敬虔に信じている人たちが騙されていることになるので、それは良くないと思いこの意見を発しました。
質問にはいつでもどんなものにでも答えます。答えられるだけの知識と自信があるので一番始めに質問・疑問等にも答えます、と書きました。


ご意見ありがとうございました。
> #6 もーもーさん

ご意見ありがとうございます。

先祖がしたことを全て正しいとすることは、妄信となり得ると思いますよ。
全てを否定している訳ではないです。

ただ、神が存在するとする時に、どうしてそれが神だと言えるのかが曖昧です。
神でもない人間がなぜそれが神だと分かるのですか?

>>それを全て否定できるほど、哲学、数学、科学といったものが、万能だとは思えません。

その通りです。なので人間の認知できる世界の中には神は存在できません。
もーもーさんも認めている通り、人間は万能ではないので万能である神が人間の認知できる存在なはずがありません。
僕は"神"を否定しているわけではなく、"人間が想定する神と言われるもの"を否定しています。
他の方のコメントでも書いていますが、神が存在するとすればそれは人間が一切関われない存在です。


>>監獄とは、国家の事でしょうか。 少なくとも我が国は、自国の利益の為に、どこかの国のように、他国を侵略したり、陥れるような行いは、近年まったくしていないと思っています。

国家もそうです。
歴史に関してどの程度のことをご存知なのかは分かりませんが
国家が人民の為に動いたことは過去一度もありません。
国家に守られている、それは当たり前のことでです。国民が国に対してお金を納めるわけですから。
国民が"我が国に対して不快に思うようなこと"はなかなか表には出てきません。自ら探そうとしないと見つけられません。

なぜこの意見がきれいごとになるのかが分かりません。
1年かけて様々な分野から見当して、考察した考えを「きれいごとを並べて」と
表現できるもーもーさんの方が僕は不思議です。
昨日今日ひょいと思いついて言っているわけではないですし、覚悟をもって述べているので
>>ナターンさんが、そんなアブナイ思想だったとは、大変ショックです…
というのは、失礼だと思いますよ。

肯定する意見を尊重するように
否定する意見も尊重しないといけないと思い発言してます。
 こんにちは、おひさしぶりです(・∀・)りんご

 ナターンさんが思いきったことをしているっ電球
 と思って読ませていただきました。
 
 そうですね、私はナターンさんのお話を肯定も否定もしません。
 できないというか、きっとする必要はないなと(・´ω`・)笑
 ありのまま、ですね☆

 霊など、全てはあると思えばあるし、ないと思えばない。
 その本人にしか答えはないのかなと感じます。
 そういった意味でまさに限りなく自由で、存在すらしないもの、というか晴れ

 (あ、でも、あってもなくても、ポジティブなものや
 心地良いものは大いに感じていいとは思いますd(゚ω゚●)ぴかぴか(新しい)笑)

 ただ人は、無いと不安になって、あると求める。わからなくなって迷う。

 人は理由や答えを探すイキモノなので
 『よりどころ』として、スピリチュアルを求めたりもするのかなと思います。
 ある意味、『理想的なもの』として、それを必要とするのかなと(゚×゚*)
 あくまで「スピリチュアルって何(・´ω`・)?」という私レベルの話ですが。笑
 ときに寄り掛かってしまいがちなのも事実だと思います。

 気持ちをポジティブな方向に転換して希望を持ち
 自分のために(周囲やその他にとっても害がなく)+の行動をとること。
 これは確かに、スピリチュアルな助けがなくても、自分で出来ることだと思います^^
 生きるか死ぬかも分からなかった時代からすると、自己実現ができやすい社会でもあります。
 
 そして、信じることは、本当に大切だなとも。
 そのために必要な話を、ここで沢山目にしたように思うんです。
 ナターンさんはご自分のセンスと、相手の気持ちを汲んで
 このコミュニティで相談に応じたり、情報を紹介されている、とも思いますから(´ω`*)
 結局自分をかえることが出来るのは、自分自身なんだとも思います。

 だから今回、スピリチュアルの枠を壊そうとされたことも
 そこまで不思議ではありませんでした。
 むしろ私にとってはおもしろかったです(・´ω`・)ぴかぴか(新しい)

 ただ、今までされたお話をくつがえす内容も多かったので
 「じゃあ、あれって何だったのかしら(´・ω・`)」ともなってしまうかな、と思いました。
 全てはあると思えばあるし、ないと思えばない。この概念を当てはめてしまえば
 全ては解決なんですけれど( ´∀`)るんるん
 ちょっぴり説明をして頂けたら、ナターンさんの思いがもっとストレートにわかるのかもなぁ、と^^

 きっとこれからみなさんへのレスで
 詳しくお話をされることもあるかなとも思うので
 私はそちらも参考にさせてもらおうと思います猫クローバー
 すみません、グダグダ感想文になっちゃいました^^たらーっ(汗)

 話してくださって、ありがとうございました^^
ごめんなさいたらーっ(汗)
読み返すと、かなり失礼な書き込みでしたね涙
すごくびっくりしたもので…

ナターンさんがそう思うのは、構わないと思います。
押し付けもありませんし。

私は、人が見えないものへの敬意を失った時、それはもう傲慢という物質であり、人間ではくなる。
と思っているので、肯定はいたしませんが…。

きれいごと〜のくだりは、完全に私のはやとちりです…。
あぁげっそりまたグローバリゼーション系なのかな…と思ったんですが、ナターンさんは、そんな事どこにも書かれていませんねがまん顔本当にすみませんたらーっ(汗)

国が『国民』のために動いた事がないのは、私もそう思います。過去にも現在も…

大変失礼な書き込み、申し訳ありませんでした。
> #12 MahiRuさん


ご意見ありがとうございます。
お久しぶりですね!お元気にしてましたか?

>(あ、でも、あってもなくても、ポジティブなものや
>心地良いものは大いに感じていいとは思いますd(゚ω゚●)笑)

それで大正解だと思います。


僕が今回伝えたかったのは、
みんな自由なんだ、ということです。
たとえば、自分はこれが苦手だ、とか
神様の思し召しだ、とか
霊のせいだ、とか
それは幻想で、ちゃんと現実を見ていない証拠だと思うんです。

やりたいこと、それが最大のエネルギーになります。
あの人が喜ぶからやろう、ではなくて、誰もいなくなってもこれが
私のやりたいことなのだ!と思えるようなことをやって頂きたいと思って、伝えています。

霊に関する書物や論理の中には、そういったことを直接的ではなくも、結果的には妨害してしまうような考え方が含まれています。
宗教においても、そうです。

それに霊や宗教に依存してしまうと、自ら思考することをやめてしまいますからね。
これが一番危険だと感じています。

MahiRuさんの解釈の仕方は、とても良いな、と感じました。

>ただ、今までされたお話をくつがえす内容も多かったので
>「じゃあ、あれって何だったのかしら(´・ω・`)」ともなってしまうかな、と思いました。

どんどん質問して下さい。その全てに対してお答えしますよ。

お気遣いありがとうございます。
> #13 もーもーさん

いえいえ、誤る必要はありませんよ。
ただあの反論の仕方だと、感情的すぎて会話にならないな、と感じたので指摘させてもらいました。
僕は全く憤慨も何もしてないので…!

>私は、人が見えないものへの敬意を失った時、それはもう傲慢という物質であり、人間ではくなる。
>と思っているので、肯定はいたしませんが…。

もーもーさんが、仰ることはごもっともですが、それはただ客観性と想像力に欠けるだけのことです。
神様が居なくても人間は自然や動物や同じ人間に対して優しくできます。
霊が居なくても、同じです。
霊や神が存在することで、絶対的な幸せがあるのであればそれで構わないと思っています。
でも、夜、寝る時に少しでも苦しかったり、日常の中で辛く感じることがあれば、それはいけないと思います。
人生には辛いこともある、と言いますが僕はそれは違う、と思ってます。
人類が自由意志を獲得した瞬間に、幸せでなければいけないと思っています。

目に見えない世界を肯定しようが否定しようが、そこに問題があるわけではなくて
それを体感する人間が幸せかどうか、それが一番大事です。

なので僕が研究した事柄について受け入れられなければ、否定しても何も問題はありません。
もーもーさんが本当に幸せでいられるのであれば、それが僕の幸せにもなります。
いえたらーっ(汗)先の書き込みは、やはり失礼でしたので涙
ごめんなさい。

自由って、難しいですよね。
自由だから、何してもいいって考えが、エスカレートして行きそうで、怖いです。

人は、自分の救いや、幸せのために、神様や霊を信じるのでは、ないと思いますよ。
誰かや、何かに優しくする為でもない。
幸せに必要とか、不要とか、そういう問題だけではありませんよね。

人が誰かを、愛しく思うのと同くらいに自然な事で、それは、時代とともに変わって行くようなものではないと考えます。

いくら『ない』と言っても、人が人である限り、なくす事は出来ないしょう。

『ないない』と、なぜか広めようとする人って、いったいどうしたいのかな???
って不思議なんです。
なくして、その後どうしたいのでしょう…。
自分の中で、密かにそう思うだけではいけないのでしょうか…。

神に成り代わろうとしているのでしょうかか…人間に、神の代わりは出来ないと思います。
神は居ないと言って、神の真似をしている、愚かな人間はいると思いますが…。

一度、ないと言い張る人だけで、無人島かどっかへ移住して、そこで『自由』に暮らしてみて欲しい…。

そこに、道義を重んじる事や、心の豊かさ、幸せ、自由は存在するのでしょうか。

ナターンさんの言う自由って、やりたい放題…って事ではないと思うんですが、どういった事なのでしょう。

自由にならないとは、どういう事ですか?
> #16 ちりりんさん

>>私は逆に極悪非道で楽しく人生を通した人と、理不尽に殺された人を 死というもので平等に一括りできませんでした。死後にでも生前中にした原因の結果は受けるべきだ、でなければ、平等ではありませんか?
>>カルマはポア思想に繋がるので危険です。現世を軽く考えてしまう側面もあります。だから、ナターンさんがおっしゃることはよくわかります。ただ、カルマも死後の世界もない世の中が公平とは絶対に思えません。

公平、不公平、という区別はとても曖昧で何をもってそうなのか、と問いを議論すれば決着はつきません。

まず全ての宗教において人を殺めてはいけない、と教えられますが、
その"人"というのはその宗教の信者をさしています。信者でなければ人ではない。
このコミュのみなさんはそういう思想はないと思います。
いかなる場合でも、正当防衛であろうと、犯罪を犯そうと、人を殺す理由にはなりません。
ここは教育に関わらず、ただ単に教育が行き届いていない証拠だと思います。(もしくは宗教上の理論に問題がある)


>>私にはそのように思うことが低次元のような気がします。こういうのがポア思想に繋がるんだと思います。
>>オウムの麻原彰晃が「美人は前世の得が高い」と言っていたのを思い出します。
>>良いこと=前世のご褒美ではないし、苦しみは人間性を磨くための試金石となるので不幸ではありません。
>>苦しむことがカルマではなく、原因の結果を(死後かもしれないけれど)体験するのがカルマです。人間はすべからく幸せであるべき存在ですが、悪いことをしても理不尽な仕打ちをしても、自己中心に生きても幸せであるのは、私の良心が納得できません。
>>でもこれはお互いの思想の問題ですね!

悪いこと(ここでは殺人としますが…)をしてしまう人は、その人にだけ責任があるわけではありません。
人を殺すことがいけないと教えられなかった、その人の親や、先生や、一度会話をしただけの人にさえも責任があります。
カルマがあるとすれば、その悪いことをした人だけでなくその人がそうしてしまうことを防げなかった人たちにもカルマが発生します。
様々な要因が重なることが考えられるので、あなたが悪いことをしたからあなただけに(ちりりんさんが言う)苦しみを経験してもらいます。とするのも理不尽ではないですか?

それに付け加えれば人間性を磨くのに必ずしも苦しみが必要とはなりません。一切苦しまなくても人間性を磨けることも可能だと思います。
> #17 もーもーさん


>>自由って、難しいですよね。
>>自由だから、何してもいいって考えが、エスカレートして行きそうで、怖いです。

>>一度、ないと言い張る人だけで、無人島かどっかへ移住して、そこで『自由』に暮らしてみて欲しい…。

もし、神が居ないと言い張る人だけで、無人島へ行き、幸せな暮らしができないとすれば
それは神が居ないと信じることが原因なのではなく、その人たちが客観的に考える力が弱いだけです。

>>『ないない』と、なぜか広めようとする人って、いったいどうしたいのかな???
>>って不思議なんです。
>>なくして、その後どうしたいのでしょう…。
>>神に成り代わろうとしているのでしょうかか…人間に、神の代わりは出来ないと思います。
>>神は居ないと言って、神の真似をしている、愚かな人間はいると思いますが…。
>>ナターンさんの言う自由って、やりたい放題…って事ではないと思うんですが、どういった事なのでしょう。
>>自由にならないとは、どういう事ですか?

僕は神が居ないと肯定しているので、まさか自分が神になろうだなんて自分で自分を否定するようなものです。
なので新しい宗教を創ろうという意図もなければ信者を集めたいという意図もないです。

僕の言う自由は、自由意志のことで
それぞれの人が自分で責任を負い決断して、生きていく、ということです。

宗教や見えないものがあると、人はそれで律せられます。これは自由意志ではありません。
一見やりたい放題という印象を受けますが、まさにその通りでやりたい放題なんです。
何をやるにしても「いいよ〜やりなさい」とするのが自由意志で、自分自身を自分自身で律し、責任をもって行動する。

完全に自由になることで、全ての選択をしなければならなくなります。
そこでより良く人類が進化していくためには教育が必要になります。
たとえば自由意志は尊重される。とすると、それは同時に殺人を否定することになります。

今の世の中が完全に幸せなら、僕は何も言いませんが、そうではない人が多いと感じます。
日本の自殺率も先進国の中ではトップですし、豊かな国である日本が、イラク戦争で1年に戦死する割合よりも自殺する割合が高い、というのは凄く危機を感じています。
それが"神がいるから"というわけではないのですが。
ナターンさん☆


>お久しぶりですね!お元気にしてましたか?

 はい、元気です^^
 のんびり毎日を楽しんでいます。
 最近、やってみたいコトを見つけたので、少しずつ挑戦しているところでするんるん
 ドキドキわくわくしています(*´∪`*)

>やりたいこと、それが最大のエネルギーになります。
>あの人が喜ぶからやろう、ではなくて、誰もいなくなってもこれが
>私のやりたいことなのだ!と思えるようなことをやって頂きたいと思って、伝えています。

 自分で選択して、それに責任を持ち進むことが
 何よりも、自分のために必要だと私も感じます。

 以前「こうしなければいけないんだ」と思っていたときに
 ある人に「そう。じゃあ、【あなた】はどうなの?」と聞かれたことがあります(・´ω`・)
 「周りはそうかもしれない。でも、【あなた】は、そこにいますか」とも。

 けっこう衝撃的だったのを覚えています。
 私は気づかないうちに、自分の感情や意思を忘れていました。
 【正しいこと】にばかり気をとられていたんです。
 (もちろん、正しいことを否定するわけではありません^^)

 それからは賛否両論、矛盾も含めた、色んな情報を自分なりに集めて
 少しずつ食べて、飲み込んで、まずはその味を知りました。
 そしてしっかり考えて、自分がイチバン美味しいと思える形に料理することを覚えました^^
 それが私の考えであり、意思であると胸をはれるくらいのものです。

 たくさんスパイスが入ったカレーや、具沢山のスープのような感じなので、
 自分のためにも結果的に良かったんです(*´∪`*)それはとても素直な味でした。


 自分に否があると、必ず周りから否定されると思うんですよね。
 もちろん、そういう場合は素直に聞きたいと思います^^
 どんなに不器用でも、私には丁度良いのかな、とも思って(´ω`*)
 
 楽しいと感じることが、すごく嬉しいんです。


>>ただ、今までされたお話をくつがえす内容も多かったので
>>「じゃあ、あれって何だったのかしら(´・ω・`)」ともなってしまうかな、と思いました。

>どんどん質問して下さい。その全てに対してお答えしますよ。

 じゃあ、お言葉に甘えて(*´∪`*)

 今までのカウンセリングでは、神様とか天使の名前が具体的に出てきていたのですが、
 私はそこに嘘はなかったと、思うんです。
 
 どうでしょうか。

 重要なのはカウンセリングの内容だと思うので、たいして問題ではないかと思いますが^^
 よかったら、教えてください(*´□`*)ぴかぴか(新しい)


 あと、丁寧にお返事書いていただいて、うれしいです^^
 いつもありがとうございます☆
お返事ありがとうございます。

神に成り代わるというのは、『私が神です』という意味ではなくて、
なんと書いていいか難しいんですが、

神様はいません。しかし、よりよく生きる為の方法があるよ⇒教えてあげます。という人です。

ナターンさんのお話だと、その教育が、神に成り代わるもの…だと思います。
教育は、人間が作り出したものですよね。

その…大丈夫…なんでしょうかふらふら
結局、教育で人を律する事になりませんか。

神や見えないものは、一人ひとりの中にいて、自由な受け取り方ができますが、教育って、1+1=2のように普通は答えが決まっていますよね。

好きな事だけ、自分の心地好い事だけをして生きようとするのは、獣と同じだと思ってしまいます。

誰もいなくなっても、私はこれをやる!
という事を言われていますが、誰もいなくなったら、したい事なんてなくなってしまいませんか…。

大切なもの、守りたいもの、そのために生きる事しか、人間には出来ないと思います。

人間は神や見えないものに、律されているのではなく、ただ感じて感謝し、敬ってきただけだと思います。

人として失ってはいけない、尊い感情だと思うのです。

それに、日本は無宗教な人が多いですし、既に自由にやってる人が殆どだと思います。

見えないものや、神に律されてる人が、そんなにいるでしょうか…

クリスチャンの方や、仏教徒の方などもいらっしゃると思いますので、そちらはどうかはわかりませんがあせあせ(飛び散る汗)

例えば、日本の宗教は神道ですが、陛下が私たちの為に、毎日神に祈りを捧げ、私たちの平和と安寧を願って下さっている事。
食事の半分を残し、神に捧げて下さっている事。
お正月、大半の国民がのんびり、ゴロゴロ、過ごしている間も、儀式を行い、祈りを捧げ続けて下さいます。
私たち国民の、平和と幸せを願い、祈り続けて下さいます。

私は、ただただそれに感謝し、有り難い、尊いと思います。

ご公務ではありませんし、まさに、自由に行っているんです。

しかし、知っている国民は、いったいどれだけいるのでしょう…
スピリチュアルを実践している人でさえ、日本がスピリチュアル的に、どのような位置づけをされている、どのような国なのか…理解している人は、(多分)あまりいませんよね?
陛下のような君主は、どこの国にもいないというのに。
世界の偉人ランキングでも、1位のお方です。

しかし、誰も何も強要していません。
何を信じるかは、この国において既に自由です。
宗教で、自身を律する人がいても、別にいいのではないでしょうか。
嫌なら出て行くのも自由。

自殺が多いというのは、また別の原因があると思います…。
その人たちを、救済するシステムを、作らなくてはいけませんよね。
だけど、自殺が多いから、みんなが不幸!という訳ではないと思うし、教育でなんとかなるものでは、ないと思います。
偽りと言っても、その人が幸せと感じでいる事は、偽りではありません。

イラク戦争で亡くなる人数より多いと言いますが、イラクで幸せを感じている人と日本で幸せを感じている人の割合は、後者が圧倒的ではないでしょうか。

1+1=2に、必ずしもならないのが、解明できない人間の心です。
教育だけで、自由な世界を築けると思う人と、決して見る事ができないものでも、それを感じ、信じる事が出来る人とでは、同じ人に見えたとしても、心の豊かさ…というか、何かが全く違うと思います。

どんな徹底した教育をしても、人は自分自身だけで自分を律し、一人で責任を追って生きられるほど、強い生き物ではありません。

ただ、カウンセリングの方針としては、悪くないと思うので、ナターンさんが行うのであれば、きっとたくさんの人を癒し、救えるのではないかと思いました。
こんばんわ

なんとなく皆さんのコメをザザーっと見させていただきました。

みなさんいろいろ考えていて本当に読んでいて興味深かったです

横レスみたいな形になっちしまいますが、

私の考えも、もう少し書きたいと思いました。

ナターンさんの言う自由意思これは、生きている本人の意思。選択の自由だと私は解釈しています。

基本的に自由です。どこで何をしようが自由です。でもそれでは全てが成り立ちませんよね?なので人間の作ったルールがあります。これは法律です。もちろん人間が作ったものなので完全ではありません。でも、これをもとにルールがあり、人間は秩序を守ろうとします。じゃあ、自由じゃないじゃん!って思いますが、自由意志は、神から人間に授けられたものだと私は思います。もし神が自由意志を尊重していなければ、私たちには自由がありません。神からの自由意思。それとこの現生を生きるためのルール。そして、ルールに反した人たちは普通に罰せられます(生きている状態であれば)たとえば殺人をしてしまった人はそれ相応の法で決められてた罰がありますよね。そしてこれはあくまで、人間界での罰です。人間は完全ではないので、全ての罪を見つけることはできません。殺人をして見つからなかった人この人に罰は?これは死後の世界で罰が与えられます。とはいっても拷問のようなものではありません。犯してしまった罪の意識が心の平安(魂の平安)がないという状態で苦しみます。
なので、カルマ?って言葉がよくわかりませんが、自由意思は人に与えられますが、その報復は全て自分に返ってきます。人はあやまちを犯す生き物です。だから、成長することができます。それが自由意思がなせる技だと思います。そして、いくら、あやまちを犯したところで人は改めることで良くも悪くも成長をすることができます。そしてっ自分がしたことの責任は自分でしかとれません。

どこかのコメントで、どの宗教も人を殺してはいけません。でも信者でなければ人でない。
これは、私はある意味否定させていただきます。まず、全てと書いてありますが、キリスト教と名乗る宗教だけで8000もの宗教が存在します。仏教も新興宗教も多分数え上げればきりがないほど、確かに危ない宗教もとても多いです。(っていうか危ない宗教の方が圧倒的に多いです)
全てを知らないうえで全てを否定することはどうかな?と思いました。

ちなみに私はクリスチャンです。ここで宣教をしようという思いは一切ありませんので安心してください。
(私自身宗教でとても嫌な思いをしているので、興味がない人に教えを解こうとは考えていません。全てに時があり、必要なものは必要な時に与えられるが私のモットーなので)

私の考えだけを簡単に説明します。正しい人と悪い人がいたとして、この二人がそれぞれ人を集めて教えたとします。そして、悪い人の教えを沢山の人が聞き従ってしまうことは、沢山の悪い人を作ります。
そうなると世の中は良くない方になってしまいます。そして悪人ばかりを作ることは神はよく思っていません。ですが神は沢山の人を愛しています。なので、悪人がよい人を殺してしまうよりか、悪人がいない方がよいとなります。ここで勘違いしてほしくないのは、これじゃあどっちが悪人かわかんないじゃんとおもいますよね?ココで言う悪人は、他の人から見たら信者以外にあてはまる人になってしまいますが、固有名詞を出してしまうと本当にいけないのですが、良い例が見つからなかったので一般論からいうとオウム教祖だとします。この信者をたくさん作ると危険になります。そうであるなら教祖一人が失われること<沢山のよくない人ができてしまうこと。となります。
この説明は頭でわかっていても伝えることが本当に難しいです。
でも、神は私たちを愛しています。
もう少し時間がある時に補足させていただきます。
> ちりりんさん

こんばんは。
すみません、横レスになりますねあせあせ(飛び散る汗)

確かに、宗教は歴史の中で、政治的に都合よく利用されてきました。

戦争の道具としても…
しかし、それは教育だろうが何だろうが、同じじゃないですか?
問題なのは、全体主義だった事です。
宗教が、必ずしも悪かった訳ではないと…思っています。

宗教=なんかあやしい。戦争の道具。

みたいなイメージが(多分)殆どの人にあるのは、そういった過去のせいじゃないかな…。

今は、何を願ったって自由。
有事の際『早く平和に戻りますように。死者が一人も出ませんように。』
って願ってもいいわけですよね。
当時そんな事言ったら、たちまち『非国民』とか言われて、どうなったかわかりませんが…。

もし、宗教がなくなって、教育で社会を統制した場合、再び全体主義に走る可能性の方が、私はなんだか心配ですあせあせ(飛び散る汗)
> #20 MahiRuさん

お返事が遅れました。

>はい、元気です^^
>のんびり毎日を楽しんでいます。
>最近、やってみたいコトを見つけたので、少しずつ挑戦しているところです
>ドキドキわくわくしています(*´∪`*)

それは素晴らしいです。応援してますよ!


>じゃあ、お言葉に甘えて(*´∪`*)
>今までのカウンセリングでは、神様とか天使の名前が具体的に出てきていたのですが、
>私はそこに嘘はなかったと、思うんです。
>どうでしょうか。
>重要なのはカウンセリングの内容だと思うので、たいして問題ではないかと思いますが^^
>よかったら、教えてください(*´□`*)


それではもう少し踏み入った話をしますね。
現代まで受け継がれ語り継がれてきた宗教的、スピリチュアル的な文化は
認知心理学的、また機能脳科学的なカラクリを用いるために進化してきたと僕は考えます。
色々な儀式や、お経、独特の考え方、登場する神や仏や天使など、それら全ては特定の"機能"を引き出すために編み出されてきました。
それを全く違う部分から解明してきたのが科学なんです。
科学で解明しきれていないものはたくさんありますが、スピリチュアルに関することのほとんどは科学で証明ができます。

今までのカウンセリングにおいて天使や神様の名前を申し上げたのは、スピリチュアルに興味のある方々は特に被暗示性の高い方がほとんどで、心理的にとても高い効果が期待できるという理由です。


>あと、丁寧にお返事書いていただいて、うれしいです^^
>いつもありがとうございます☆

ありがとうございます。
いつでも質問して下さいね。
> #21 ちりりんさん

お返事が遅れました。


>人を殺すにいたった動機が全てだと考えます。

>そして、正当防衛は自分の生存権を守るためには殺す理由にもなりえます。自分を守るためには他人を見殺しにすることもありえます。

正当防衛で自分の生存権を守るために殺人を肯定できるとすれば、同時に正当防衛という理由によって自分が殺されても構いませんということになります。

そして
>人は一旦産まれてきたら生きることが目的であり、死ぬと全てが終わりであるならば、私たちは何をもってしても生きなければなりません。

この生きなければならない、という理論が崩壊します。

>戦争している国で「敵は殺せ」と教えられたら「殺人」は悪ではありません。
>人はその国の教育や風習、宗教など色々な洗脳にしばられます。
>だから、人間はその世界の範囲内で 想定しうる最高の「良心」と「動機」が全てだと思います。

このことから、教育がどれだけ大事か理解してもらえますか?


>所詮カルマとか神とかは人間の考えの範疇に納まるものではないと私は結論付けています。カルマは人間の法律で裁くような不公平なものではなく、絶対的な公平だとは思いますので、原因と結果であるカルマの内容を不完全な人間が知ることは不可能ではないかと思っています。人間が考えるカルマが差別と不公平を生む温床になるのだと思います。

不完全な人間が知る事は不可能だとおっしゃいましたが、
それではどうしてそれが絶対的な公平だと思えるのかが分かりません。

まさにこれが、人間の信仰心なのですが、
人間は一度自分が不完全な存在だと知ると、どこかに絶対的で完全なものを探そうとします。
それが神のはじまりであり宗教の起点になっています。


>私は「苦しみ」を味わうことで人間を深く考えることへと繋がって行きました。ですから苦しみは不幸とは言えないと思ってはいるんですが、でも、幸せな人が幸せなまま人間性を磨くのが理想だと思います。

幸せであるためには、時に苦しみも必要だという考えが
苦しみが幸せに繋がる、と逆転した思想になると、僕は危険だと感じています。


>ナターンさんは、人が幸せになれるようなアドバイスが出来る方なので、素晴らしいと思います。

ありがとうございます。
> #22 merry*さん

お返事が遅れました。


>最初読んだ時、『神はいない』と書かれていたので驚きました。
>他の方々とのやりとりでおっしゃりたい事がわかり、納得いたしました(^^;)

それにはもっと自分に、もっと人間自身に目を向けて欲しいという意図があります。

>神でないものはない、全てが神である。
>花から岩から雪の結晶に至るまで。だから証明は出来ないのでしょう。

ご紹介して頂いた書籍は拝見したことはありませんが、
神の定義が問題ですよね。神が"絶対的"だとした場合にはそれは存在できないよ、と言っているだけなんです。


>時間もない、と書かれていましたね。自分は過去にも未来にも同時に存在すると。
>だからデジャブを見るのだと。
>衝撃的でしたが、なんだか妙に納得してしまいました。
>ナターンさんと同じくもちろん未来は可変性だと書かれていますね。カルマも関係ないとも書かれています。

デジャブに関しては否定させてもらいます。
それは人間の記憶が曖昧な上に、夢の中でそれを再処理、再合成しているのでいくらでも「あ、これどこかで見た事があるなぁ!」と体感できるものです。

今ここで東京が存在して、ずっと向こうにパリが同時に存在しているように
過去も未来も現在とパラレルに存在していると思います。


>私もスピリチュアルなものから宗教的な考えが取り除かれ、純粋な生きるための智恵としてもっとたくさんの人に広がる事を願っています。

僕もそれを目指しています。
スピリチュアルとはスピリット=魂のことであり、魂は脳であり肉体なのです。
宗教的なものも、霊能的なものも必要ないと思っています。
> #23 もーもーさん

お返事が遅れました。


>その…大丈夫…なんでしょうか
>結局、教育で人を律する事になりませんか。
>神や見えないものは、一人ひとりの中にいて、自由な受け取り方ができますが、教育って、1+1=2のように普通は答えが決まっていますよね。
>好きな事だけ、自分の心地好い事だけをして生きようとするのは、獣と同じだと思ってしまいます。

教育が1+1=2だという風に認識されていることが人間の試練であると思います。
それは大きな間違いだということです。
教育は自分で考えられるように教えることです。

好きな事だけ自分の心地いい事だけ、と仰っていますが
そもそも人間は自分の興味のあるものしか認識しません。これは無意識におけるものなので、本人は自覚はないです。

獣を批判していますが、獣は自分が空腹になった時にだけ狩りをします。
空腹でなければただ寝ているだけです。
人間はどうですか?空腹ではなくても大量の食物を食べ、そして無用なものは廃棄していますよね。
獣と人間を比べることは、この議論においてはナンセンスだと思いますよ。


>誰もいなくなっても、私はこれをやる!
>という事を言われていますが、誰もいなくなったら、したい事なんてなくなってしまいませんか…。
>大切なもの、守りたいもの、そのために生きる事しか、人間には出来ないと思います。

これは表現の例えです。
本当にいなくなったら、それは大変な事態ですよ。


>例えば、日本の宗教は神道ですが、陛下が私たちの為に、毎日神に祈りを捧げ、私たちの平和と安寧を願って下さっている事。
>食事の半分を残し、神に捧げて下さっている事。
>お正月、大半の国民がのんびり、ゴロゴロ、過ごしている間も、儀式を行い、祈りを捧げ続けて下さいます。
>私たち国民の、平和と幸せを願い、祈り続けて下さいます。

食事の半分を残し、神に捧げて下さっているのならば、アフリカ大陸や南米にいる孤児や飢餓に苦しむ人たちに送って欲しいと僕は望みます。
祈りを捧げてくれてその子どもたちが健康に成長していけるのなら、そうしますが現実はそうではないです。

私たち国民とおっしゃいましたが、私たち地球の人類、と考えなくてはいけないと思います。


>私は、ただただそれに感謝し、有り難い、尊いと思います。

僕もそう思いますが、苦しむ人を目の前にして祈ってられないと感じるんですけどね。



>しかし、知っている国民は、いったいどれだけいるのでしょう…
>スピリチュアルを実践している人でさえ、日本がスピリチュアル的に、どのような位置づけをされている、どのような国なのか…理解している人は、(多分)あまりいませんよね?
>陛下のような君主は、どこの国にもいないというのに。
>世界の偉人ランキングでも、1位のお方です。

偉人ランキングで一位かどうかは問題ではないと思いますが、


>自殺が多いというのは、また別の原因があると思います…。
>その人たちを、救済するシステムを、作らなくてはいけませんよね。
>だけど、自殺が多いから、みんなが不幸!という訳ではないと思うし、教育でなんとかなるものでは、ないと思います。
>偽りと言っても、その人が幸せと感じでいる事は、偽りではありません。
>1+1=2に、必ずしもならないのが、解明できない人間の心です。
>教育だけで、自由な世界を築けると思う人と、決して見る事ができないものでも、それを感じ、信じる事が出来る人とでは、同じ人に見えたとしても、心の豊かさ…というか、何かが全く違うと思います。
>どんな徹底した教育をしても、人は自分自身だけで自分を律し、一人で責任を追って生きられるほど、強い生き物ではありません。


僕は教育について、このように感じている方が日本にたくさん居るのだと思うと悲しくなりますし
なんとかしなければならないと感じます。
人間の心は解明されてきています。1+1=2というのは教育ではありません。それは洗脳です。
見えないものに感謝することはもちろん大事だと思いますが、それが生活の中心になってはいけないと思います。
自殺は教育で解決できます。これは断言できます。
教育というのは繰り返しになりますが、自分で思考できるように育てることを言います。
日本はそのように教育はしません。だから僕はここで母になる、親になるみなさんにそういう意識を持って欲しいのです。


>ただ、カウンセリングの方針としては、悪くないと思うので、ナターンさんが行うのであれば、きっとたくさんの人を癒し、救えるのではないかと思いました。

ありがとうございます。
> #23 モモンゴさん

お返事が遅れました。

僕が不思議でならないのは
神ではない人間が、完全ではない人間が、どうして神を認識できるのか、という点です。
それが神である可能性もあれば神でない可能性も同じだけ、あると思うんです。
誰が悪人か、誰が善人かを決めるのも人間ですよね。もしくは不思議な力があって神と交信できる「人間」ですよね。
誰かがそれが神だとすれば、疑うこともせず「あぁ!それが神なのか!」と信じます。
疑うことがいけないことのような風潮すらあるように感じます。

オウム教は、純粋な宗教から誕生した概念を他の宗教の概念と混ぜこぜにして、危険な部分だけを寄せ集めた結果、テロ事件に発展しました。
全ての宗教ではないですが、必ず論理的に突き詰めていくと、オウムになりかねない小さな危険な理論が隠れていることがあります。
これは敬虔で自分の宗教は素晴らしいと思っている人に限って、気付かないので、さらに危険なのです。

「人間がつくった」と仰る方がいますが、僕は人間が創造したものなど一つもないと思ってます。
全ては自然の中で発見したものだと思います。

僕はこのトピで神は居ない、霊は無い、死後の世界も無い、前世も来世も無い、と言いました。
それは世界的な学者さん(肯定する人も否定する人も)たちが集まって議論を重ねた、結論がそこにはあります。
要はここでなされているような議論を徹底的に突き詰めたものですよね。

洗脳の第一ステップは情報の遮断から入ります。
僕は洗脳をするつもりは微塵もないので、その情報を公開しました。
より公平な思考で、自立して考えて欲しいのです。
常に「果たして私の論理や考えに危険な部分はないのかな?」と思って欲しいのです。
ナターンさん

とても共感しています。よく理解できます。人間は不完全です。完全な人間はいません。

神と交信する人それが周りが本当に神と交信しているかどうかなんて。何一つ万人がyesと証明することはできません。

オウムや他のいろいろな宗教団体に関してもとてもよく分かります。一歩間違えればテロ団体になりかねないことも考えの違いで、論争・戦争を引き起こすこともよくわかります。

これは、個人個人の自由だと思います。個人の思想に神が存在しようがしまいが、それは本当に強制することもないし、自由な選択だと思います。

私は、神も霊もいると思います。実際に彼らと話をします。前世も来生もあると思います。ただ一般的に言われるような、前世はフランス貴族でとか、来生は人間でとかでないものです。


>「人間がつくった」と仰る方がいますが、僕は人間が創造したものなど一つもないと思ってます。
>全ては自然の中で発見したものだと思います。

人間が作ったものはありません。与えられた材料の中で、物を作ったようなものです。
人間が粘土わたされて試行錯誤で、貯金箱作った。置物作ったってようなものです。
この世にあるもの全ての原点は人間は一つもつくっていません。これは、私的な考えですが、全ては神様が作ったものだと思っています。

私はクリスチャンですが、同じ宗教の方からも私が神や天使と話しているというのはタブーです。やはり異常者と見られてしまいます。
私が話すのは神様や天使だけでなく霊や悪霊とも話します。
ただ、なぜ私が神様と話していると分かるのかと言うと、常に一貫として誤りがありません。そして、常に人間を愛しています。聖書やモルモン書の分厚い本の内容は「あなたがた人間を私は愛しています」という言葉を伝えるためのものです。

では、神様はなぜ全ての人に分かるようにしなかったのでしょうか?それは、人間だからです
人間は完ぺきではありません。そして、神様は常に人間を愛してメッセージを送っています。受け取るも受け取らないも本人の自由です。神様や天使のメッセージは完全で完璧なものです。
ただそれを理解する人間は不完全です。高性能のPCのデータをワープでやろうとしているようなものです。神や天使からの完全なメッセージは、人から聞くものではなく自分自身で感じることが一番だと思います。とても、温かく愛にあふれています。そして、メッセージを送っているものは、神や天使だけではありません。悪霊そして自分自身のエゴこれらは、とても自己中心的です。エゴが悪いわけではありません。ただ個人の利益やおごり高慢が悪を引き寄せます。
沢山の教祖がこれにおぼれておかしな方向に走ってしまいがちです。

それとスピリチュアルブームですが、これはナターンさんがおっしゃっていた通りだと思います。
メディアが面白おかしくとり上げて、それに惑わされてしまう多くの人たちがいます。これは本当によくないことだと思います。

私は私なりの解釈をしていますが、これは全て何にも他の人に証明するものがありません。私の経験からです。
↑。高性能のPCのデータをワープでやろうとしているようなものです。神や天使からの完全なメッセージは、人から聞くものではなく自分自身で感じることが一番だと思います。

ワープ→訂正→ワープロ
ナターンさん晴れ

お返事、拝見しました。
ありがとうございましたチューリップ

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