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ナースたちの大学院事情☆コミュの看護理論について

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現在修士1年目。看護理論の学習をしています。ペプロウとオレムを読みましたが、看護理論を学習することに何も意義が見いだせません。

准看(学士は法学士です)で習ったヘンダーソンで十分だと思います。文献を読んでいて何かとても虚しい気がします。

看護理論を習って感じたこと 
�,修譴召譴陵�論に対する批判がない。理論は立てたら立てられっぱなし。科学史ならポパーvsクーン、心理学ならピアジェvsワロン、社会学ならハーバーマスvsルーマン、哲学ならサルトルvsレヴィ=ストロース。有名な論争がありましたが、そのような論争は看護理論にあったのでしょうか?
�△修里擦い�やたらたくさんある中範囲理論の山。どの理論を採用しても、結局ケアの内容は同じ。馬鹿馬鹿しくなります。

どなたか看護理論に対し「いや、価値・理由がある」と思われる方のご意見をいただければと思います。

コメント(21)

オレムについて。彼女は一つだけ良いことを言ってると思いました。「看護論」の50ページですが、「セルフケアは、自分自身を守ろうとするとき経験するデマンドへの実践的反応である。…(中略)…他者、たとえば子どもに対する親、クライエントや患者に対する保健医療専門職、さらには、隣人や友人の指示から生じることもある。

他者に対しても(私が)セルフケアを行ういうというのは良い考えだと思います。そうなると依存的ケアって何なんだろうと思いますが。

フランスのユダヤ人哲学者シモーヌ・ヴェイユが「根をもつこと」で『義務の観念は権利の観念に先立つ。権利の観念は義務の観念に従属し、これに依拠する一つの権利はそれじたいとして有効なのではなく、もっぱらこれに呼応する義務によってのみ有効となる』と書いているところに呼応すると思います。
ナチズムによって民主主義が破壊され、当然権利なんてものに一文の価値がなくなったとき、それでも私たちが他人に対して敬意を抱くことができるようになるには、絶対的価値として義務を持たなければならないという考えだけが生き残れる道なんだと思います。ヴェイユは『宇宙にただひとり存在する人間は権利をいっさい有さず、ただ義務だけを有するだろう』とも書いてます。

たぶんオレムはヴェイユを知らないと思いますが、職業倫理としてのセルフケアを考えると、それは自発的な義務の観念によるものではないかと思います。
精神看護なんで、ペプロウ、ヘンダーソンを援用してますが、救急などでは、あまり活用しないのではと?看護は患者さんがどんな治療をしているか?医学の知識は、医師と共同し、かつ患者さんのおかれた状況によって、身体的な看護、精神的な看護を統合し、今何が必要かを判断し、責任をもってケアをする。その振り返りのなかで、たまたまヘンダーソンのニードがあっていたのか?そうじゃなかっのか?考えるきっかけと振り返りくらいでよいのではと考えています。看護学と医学の発展は異なること、お互いがプロフェッショナルとして、患者さんとその家族に最善の医療が提供できれば、やりがいだとおもいます。
医師には医療理論なんてあるのでしょうか?

看護が専門性を確立しようとして背伸びをしている気がします。
昨日のゼミで、J.ワトソンの看護理論のプレゼンを聴いたとき頭がくらくらしました。
量子物理学がなんで看護と関係するのでしょうか?ソーカル事件を思い起こします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

これも「難しさ」だというのなら、その方向性は間違っているんではないかと思いました。

講義はあくまでも講義です。たくさんの授業のなかの一つだから、割りきるのもよいと思います。無理をせず、けったいな授業をする先生もいるんぐらいでよいのではと思います。
看護理論がナイチンゲール以外全てアメリカ製であることに違和感をもちます。アメリカは先進医療では世界のトップを行くところですが、医療資源の分配では後進国です。
事故で指を2本切断した人が、2本つなげるのなら1000ドル、1本だけなら500ドル(金額は適当)、どれだけ払えるかといわれて、泣く泣く1本だけ指の手術を受けるなど、大変お寒い現状です。そんな国で生み出された理論がグローバルなものになるのでしょうか?

福祉先進国であるデンマークやスウェーデンでの看護教育がどうなっているのか気になるところです。

看護診断については、元々が診療報酬計算のための手引きだったのが、いつのまにか看護診断をすることが目的となって、これも本末転倒です。
これでいいのか?
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0027/DO00270R061.pdf
>>[11]
http://www.hirokoku-u.ac.jp/faculty/nursing/nursing/staff.html
教授なのですね。文学修士とはいえ。

私が著作を通じて敬愛を抱いている先生は、看護学修士と文学修士で教授になられましたが、きちんとした論文を書かれる方です。惜しいことに教授を辞めて修道院に入られてしまわれましたが。
>>[14] 単に大学内での博士課程を取得したこと以上のものはないでしょうか?

話は変わりますが、文学博士号(民俗学)をとり、サントリー学芸賞までもらいながら、アカデミズムから縁を切り、ただの介護ヘルパーになった六車由実さんのような豪胆な生き方もいいなあと思います。
かってに続けます。上野千鶴子「ケアの社会学」でメイヤロフがこてんぱんにやっつけられてます。

メイヤロフはケアの定義づけを次のようにしています。
「一人の人格をケアすることは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけることである。」

上野は
「ケアの意味とはXであるという記述命題ではなく「ケアの意味とはXであるべきだ」という規範命題を含意している。そうなれば「ケアをとしての自己実現」は理念から強制(強迫)へと容易に転化する(「ケアを通して自己実現すべきだ」)この命題からはケアを自己実現と考えられないケアの与え手は、未成熟な劣った人格とみなされるだろう。」 p47
「不思議なことに、ケアをテーマにする本書のなかには、母親のケアはほとんど登場しない」 p46

上野はメイヤロフのケアの概念が「政治的」であると指摘してます。



誰か、ペプロウの好きな新フロイト学派の説はもう古いとか、オレムのセルフケアも開拓者精神のある極めてアメリカ的な考えだとか指摘しないのでしょうか?
やっつけ中範囲理論
http://mixi.jp/home.pl?from=global#!/diary/16321057/1942668983
重箱の隅つつきです。課題のため「ファミリーナーシングプラクティス」医学書院。カルガリー家族看護モデルを紹介した本を読んだのですが、「脱構造主義」って何ですか(-_-)。デリダのディコンストラクションのつもりなのでしょうか?

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