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日本男児と大和撫子コミュの「ノーブレス・オブリージ」について

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最近、日本の官僚の腐敗や、大企業経営者の無責任さが
ジャーナリズムを賑わしている。亡国の兆しと嘆く人もいる。
この機会に日本人には馴染みが薄いが欧米のリーダーには
不可欠の資質とされる「ノーブレス・オブリージ」
(noblesse oblige高い身分の者の負う重い道徳的義務)の
精神を考えてみたい。
英国に於ける
「ノーブレス・オブリージ」は貴族だけの意識ではない。
オックス・ブリッジの出身者、政治家、実業家など人の上に
立つ者は、強い権限と高い報酬を受ける反面、一旦緩急ある
場合には、「率先垂範」して国のため社会のため責務を果た
している。責務を果たさない者は社会から軽蔑される。
責任をとるべき時には「出処進退」を心得ている。

エリートは私生活も十分エンジョイする。ヒース首相が
休暇に大型ヨットでクルージングを楽しみ、労働党の
ウイルソン党首がバカンスをのんびり過ごす写真が報道
されるが、国民は当然と受け止める。
重い責務を果たしているからである。

ここらあたりにも「ノーブレス オブリージ」を当然の
こととして行動する気風と、これを受け止める国民の
風土がある。

日本ではどうであろうか。
「ノーブレス・オブリージ」に相当する日本語や倫理規範
や格言が、身近に思い当たらないないことに、憶良氏は
愕然とする。
適切な表現がないのが不思議であるが、武士道の世界、
とりわけ上級武士には厳然と存在していたとみられる
この美徳が、明治維新とともに滅びてしまったような
気がする。
明治維新が下級武士のエネルギーで為されたのはよいが、
革命は旧弊を刷新するプラスの面と、残すべき美風もかき
消すマイナスの面がある。
革命を賛美ばかりしてはいけない。たとえば、第二次世界
大戦敗戦のショックでは、アメリカはすべて正しく、日本
はすべて間違いといったような全面否定、自己喪失の感す
らあったことを冷静に思い出そう。

日本帝国陸海軍の元帥大将たちは、「生きて虜囚の辱めを
受けるな」と兵士に訓示していた。このため真面目な兵士
や民間人たちが数多く戦死し、あるいは自決した。
ところが敗戦となった時、人間の真価がポロリと出ている。
軍人中の軍人として権勢を極めた陸軍大将はピストル自決
に失敗し、米軍の捕虜となった。多くの高級将官たちも自決
どころか「生きて虜囚」となった。

人前では威厳に満ちた将官でさえ、生命への執着心がいかに
強かったことか。哀れなのは、虜囚の辱めを受けまいと死を
選んだ兵士たちや民間人である。
エリートと見えし方々も平凡な人間であったのだ。
本当に尊敬に値する人はいつの世でも数少ない。

その度毎に、政治家や経営者や高級官僚の「出処進退」が
ジャーナリズムの話題になるが、残念ながら根本的な解決
にならない。
「ノーブレス・オブリージ」は、辞めれば済むという問題
でもないからだ。

進学・体育・芸能などの英才教育は盛んであるが、徳育の
英才教育は聞かない。
人格にいささかの欠陥があっても、偏差値が高ければ社会的
に高い地位に就けるようであれば、官僚や経営者のスキャン
ダルは減るまい。
日本の風土にあった「ノーブレス・オブリージ」の倫理を、
身近な日本語による教訓として確立し、規範として定着させ
伝承させる必要があるのではなかろうか。

<ロンドン憶良見聞録より>

コメント(11)

 この文章を読んでアンバランスさを感じたのは俺だけでしょうか。
 日本に当てはめてみる場面で、そしてピストル自決の下りでそれを感じます。

 
さすが。。。
今、小泉さんが”食育”を仕かけていますけど、”徳育”っていいですね。

現代の武士道ないし、現代の大和撫子をバランス感覚をもって再構築してしかるべきだと思っています。但し、その規範を一定にしてしまうと難しいとも感じます。哲学をもって、それを体現する人物が必要かと感じられます。騎士道精神も内面規範ですからね。

おそらく”美意識”をどう捉えるか?
という視点も重要かと。。。


「ノーブレス・オブリージ」もおそらく美学ですよね。

難しいのはその内面規範構築方法とアピール方法かな?
と感じています。

☆私は、現在、陽明学の”心即理”とギリシア哲学の”知徳合一”を組み合わせて世の中に提案してみたいと考えています。現代版の哲人政治の担い手ですね。

☆和洋折衷の人間観(≒日本人観)こそ、文明開化→戦後カルチャーの歴史を歩んできた現代日本人がまずは汲むべきか?と現在、考えています。

そして、おそらくmixiのようなSNSのような場は、老若男女を問わず、それができうる場かな?という気がしています。発言の主体が”個人”ですので。

政党政治ではなく、個人の力量を基に”サシ”で勝負する。この個人対個人の図式に、傍観者による”補完性”の構造があれば、バーチャル国会ができる“場”はあると踏んでいます。倫理・理念創造と合意形成方法などをクリアできれば、200万人mixiのCommunity上での世論形成は、現実的にも無視できないのでは?

新しいタイプの日本男児・大和撫子によるmixi国会ですね。

逸脱かな?
「ノーブレス・オブリージ」 (noblesse oblige高い身分の者の負う重い道徳的義務)とは少しニュアンスが異なるかもしれませんが「フィランソロピー(篤志家)」も近いニュアンスを感じます。

有名なカーネギー・ホールを創立した「鉄鋼王カーネーギー:http://www1.ttcn.ne.jp/~fujiyan/manhattan/ues/car_memo.htm」やロックフェラーJrもいますよね。

彼等も武士道精神に通じるものも持っていますが、その行動の倫理的土台はプロテスタンスト社会に強い「予定説」と「隣人愛」の精神ですね。

若い折には、自我むき出しの激しい競争と、引退してからの社会奉仕活動。

伝統を大切にする一方、異なるカルチャーの見習うべき部分は素直に見習って、世界に誇れる新たな日本男児・大和撫子像を提示したいものですね。
武人と貴族という切り口面白いですね。私の感じるところ、日本男児というと”士魂”結びつけがちな傾向があると思うのですが、”光源氏”みたいな貴族も立派な日本男児ですよね。日本男児≒武士道みたいな考えって、現代の文脈では、すごく一面的で、息苦しいとさえ感じます。実は、社会システムとしてもおうおうにして、”封建制”的ですし。

80年代くらいから、大和撫子像は、グローヴァルに発展しましたけど、日本男児は精神面ではあまり変化できていないと感じています。

日本男児像を一面的にすることで、おそらく一番、苦しんでいて、かつ損をしているのは日本男児そのものだと感じています。
お友達からの情報ですが、
これから東京の高校では「ボランティア」が必須項目になるそうです。
そこから道徳心が生まれ明るい未来が来る事を願います。
小学生の頃は「道徳」という授業があったのに…
明治、大正、昭和の初期あたりまであった日本人の倫理観は、結局は江戸時代の儒教道徳の影響がまだ残っていたからに過ぎないですからね。200年もかかって築き上げたものなんですから。今の日本人にそれを期待してもどだい無理な話。教育は国家100年も計とはよくいったものです。簡単には変わりませんね。それに、教育といっても学校だけじゃない。家庭も、職場も含みますから。占領政策じゃないですけど、上から強制的に変えていくしか方法はない。100年。いや、200年かけてでも。それも、お手本とすべき江戸の思想家でしょう。新井白石とか荻生徂徠あたりですか。目に見える形でなく、その奥底に流れるものをきちんと学ばないと。
ただ、その前に、今の為政者じゃない、きちんとした哲人、賢人を上に立たせなくては<ダメでしょう。育てるというか。国家というもは、魚と同じで頭から腐ってくるって言われていますけど、今の日本もそうなっていますからね。まず、真のエリートを育てないと。
それに関して、よく戦前の旧制高校の教育が良かったという話は聞きます。25年ほど前、北杜生の「どくとるまんぼう青春記」を読んで「なんでこんなにプライドの高さがプンプンと臭うのだろう」と友人に聞いたら「それは彼らが無限責任を背負っていたからだ」と言われ「そんなものかな」と思ったことがあります。櫻井よしこさんの日本の危機2の第四章に「日本が情報面でも経営面でも科学技術面でも自立していくためには、国家としてある部分をエリート化していすなければ、全体が大きな損失を被る結果になる」とありました。

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