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九州大学もったいない総合研究会コミュの『サステナブル・コミュニティをどのように構築するか』

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『サステナブル・コミュニティをどのように構築するか』

 エネルギー社会の持続可能性を表す指標であるサステナジー指標およびサステナブル・コミュニティを構築するための過度的な経済システムである炭素経済システムの2つの概念を用いて、エネルギー基本計画を俯瞰的に眺め、計画の根底にある考え方と問題点を抽出し、いかにしてサステナブル・コミュニティを構築していくか、という点について論じる。

 Strong Sustainabilityの提唱者と言われるハーマン・デイリーの3原則によると、持続可能な発展を遂げる条件は、以下に則らなければならないという。

?“再生可能な資源”の持続可能な利用の速度は、その供給源の再生速度を超えてはならない
?“再生不可能な資源”の持続可能な利用の速度は、持続可能なペースで利用する再生可能な資源へ転換する速度を越えてはならない
?“汚染物質”の持続可能な排出速度は、環境がそうした汚染を循環し、吸収し、無害化できる速度を超えてはならない。

 2010年6月に改定されたエネルギー基本計画は、10年後の『25%削減』や2030年に向けた包括的なエネルギー戦略として、『安定供給の確保』、『環境への適合』、『市場原理の活用』の3点を踏まえたうえでの各エネルギー源別の戦略が網羅的に記述されている。
内容は至極全うであり、そう成すべきだと私も信じて疑わないし、そのように努力することは、曲がりなりにもエネルギー科学を学ぶ者の当然の責務だとも感じる。ただひとつ、その結果、どのような社会を構築したいのかというビジョンが決定的に欠けているという点を除いては。

 私は中学時代、もともと歴史に非常に興味があったことから、未来の歴史がどう紡がれていくのかといことについて大変興味を抱いていた。故に、総合的な学習において、『エネルギーと環境問題』というテーマで2年間独自学習を行い、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」やローマクラブの「成長の限界」に触れ、国内で過去発生した公害等についても触り程度に一通りの調査を行ってみた。そして、その末に導き出した当時の結論は『人類社会は負の連鎖に陥っている』というなんとも味気ないものであった。
 直感的に、今後の急増するエネルギー消費量および人口爆発等の過剰な需要に対して、この星の受容可能性の崩壊が起きるのはそう未来のことではないであろうと思ったからであった。
 したがって、その根本的な原因でもあり、また解決技術を創出するであろう工学に期待し、高専にて5年間機械工学を初めとして主な工学の基礎を学んだ。しかしながら、結果的に知識の獲得には有意義であったが、最終的には“期待はずれ”であった。ただ、財を機械的に生産する術だけが存在し、理念が存在していなかったのである。
 そのなかで、原子力、とりわけ核融合に可能性を見出し、大学では核融合理工学の研究を行った。大変興味深い内容であったが、これも結果的に“期待はずれ”であったと評価せざるを得ない。理念は存在していたもの、実現する為の手段が存在していなかったのである。
 そして、方針を転換し、大局的にビジョンを論じる方向へと舵を切った。

 当たり前の話であるが、ある計画が存在するのは、その目的があり、それはある大きな理念が存在しているからである。では、今の世界に存在している理念とは何なのであろうか?

 かつて産業革命の勃興期において絶対王政が崩壊し、資本主義が台頭した背景には、富を増幅させるための仕組みとして“市場”の存在が不可欠であり、そこでゲームを行うのは、もはや王族ではなく、資本家に取って代わっていたのだ。よって、前者は表舞台から追放された。
当時、資本、とりわけ自然資本は誰の目から見ても無限であった。彼らは、大航海時代を経て獲得した植民地から大量の富、とりわけ資源を搾取し、それを金融と生産技術を用いて我が物としていった。世界は、世界に偏在する自然資本を巡り、幾つもの大きな戦争や動乱、革命を経て様々な経済体制が生まれていったが、自然から搾取し、それを我が物とし富を蓄えんとするその基本的な構造は国によっても、時代によっても変わることはなかった。そして、それは現在もなんら変わっておらず、それを巡る競争は激化の一途を辿っている。

 論ずべき点はいくらでもあるが、持続可能な社会を構築するための最大の障害について、まず述べなければならない。それは、“マネーの膨張性”である。
 私は共産主義者などではない。資本主義の恩恵を十分に受け、その有り難味に日々感謝している時分であるが、それでもこの点は言及しなければならないのである。
 それは何かというと、“マネーの膨張性”が“経済成長”を否が応でも遂げなければならないメカニズムの根本原理であるという点である。これは私の10年来の疑問であり、この問いに対し、絶えず“なぜ”を投げかける日々であったが、その仕組みはいとも明快であった。
 経済成長を遂げなければ、金儲けができないからである。
 これは常識であるが、資産を運用するインセンティブは、それに利子が伴い、その規模を増大させるに従って資産が増大し、その結果生じた巨額な富を自身に還元してくれるからである。魔法のような仕組みだが、これは金融の基本中の基本原理である。それこそ、地域レベルでは数千年前から営まれてきた。この“持続性”のインセンティブは、そうすることによって、時の権力者や富を握っている者たちは、ますます富を増幅させることが可能だったからである。先人たちの偉大な知恵である。
 その金融メカニズムは、今や世界の血液そのものに成り代わり、2年前のように世界のどこかで流れが悪くなると、その影響が全世界へと及び、全体が悪くなるというような、動的な生き物そのものになりつつある。ここ最近では、中東圏やEU圏で詰まりかけ、世界の具合も再び悪くなりかけており、我々の運命はこの実態のない流れに握られているといっても過言ではない。
 ともあれ、我々は富を教授しつつける体制を維持するために、必死に経済成長のみを追及し続け、OECDと呼ばれるカテゴリーに属する国々は、おおまか、その一定の経済水準に到達したのであろう。人口も、国富の代名詞であるGDPも殆ど増えることが無くなってしまったからだ。  
そういった意味で、我々は、“豊かさ”を達成したのであろう。これまでの基準でいけば、我々は、十分な富を享受しているのだ。人々は、普通の生活を送っていれば、並大抵のことでは死亡する事態には至らないし、例えばタイムスリップをしたい、といったイリュージョンなことを除けば、望み、かつそれ相応の対価を払えば、何でもできる世の中である。
 我々は、目的を達したのだ。
 では、これからどうすればいいのか?

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