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大崎のともなるさんコミュの成島さんの祖先って

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2012年3月11日

今日はお仕事が
お休みだったこともあって、
家で片づけをしたり、
テレビを見てすごしました。

そして、テレビでは、
この日で一年をむかえた
東日本大震災の番組が
多く流されていました。


その番組の構成は
【 過去を忘れない・伝えていく 】
というものと
【 これからの復興をどうするか 】
といった切り口だったように感じます。

そんな答えになるだなんては
思ってもいないのですが、
タイトルのことを今日は書こうと
思います。

なんで、祖先について書こうかと
思ったかといいますと。

あったことはない方々ではありますが、
だれか一人でも欠けたら、
今のボクはいないんですよね。

今回起きた震災のような天災、
そして過去数々あった戦争などは、
多くの人々の命を奪ってきました。

そして、それを乗り越えた祖先の
方々がいるからこそ、今のボクがいる、
そう考えたからです。


成島という変わった苗字は、
全国におよそ6,300名ほどいらっしゃる
そうなのですが。

そのルーツは、甲斐の国巨摩郡成島村、
今の山梨県です。
小笠原氏の源氏だったとも言われていて、
千葉県北部にも結構な数の方がいたそうです。

ちなみに、うちのお墓は柏市にあって、
後者の方々と同じです。。。

さらに、山梨に来る前は、朝鮮から来た
渡来人だったといわれているそうです。
当時の渡来人は技術者集団でもあって、
成島さんたちは、どんな技術を持っていたか
というと「馬に乗る、馬を育てる」技術だった
そうなんです。

これを知ったのは、大学生の頃でしたが、
高校で馬術部に一時期いたボクは、
びっくりしたものです。。。

さて、戦国時代になると、山梨は、
武田信玄さんひきいる集団で統一されます。

しかし、長篠の戦い以降、武田家は、
滅亡へと進み、多くの家来は徳川家へ仕官
したのです。

特に赤備えと呼ばれた、武田家の
最強騎馬軍団は、徳川家の家臣・井伊直政さん
への家来となった方が多いのです。

そして、直政さんのお子さんの直孝さんの時代、
井伊家は彦根へと引越ししました。。。

ボクが以前旅に行った彦根は、
彦根城が国宝として有名で、当然ボクも
彦根城に行きました。

そして、お城には博物館も併設してあり、
資料館にあった家臣の書かれた本に、
「成嶋彦左衛家 物見役 400石 」という
記述を発見したのです。

もともと武田家にいた成嶋さんが、
井伊家に行って、彦根で生活していた記録。

それをボクが見つけたというのは、
鳥肌が立ってしまったのです。。。

ちなみに、井伊さんは、東京都世田谷区に
ある豪徳寺にも領地があって、
直孝さんの時代に「招き猫」の伝説があります。

長くなるので省略しますが、「ひこにゃん」は
ここに由来されます。


他にも成島さんは江戸時代儒学者として、
家が栄えたそうでして。。。

19世紀前半から「徳川実紀」、「後鑑」などを
編纂して、将軍の教育係りをしたことも
あったそうなんです。

江戸時代の歴史をまとめていた家だった
わけでして。。。

ボクが日本史が好きなのも、こんなところに
ルーツがあるって考えるのも面白いですよね。


もちろん、家系図にもとづいて書いている
わけではないので、直接関係しているとは
いえないのですが。

なにせ苗字が珍しいので、なんだか成島さん
皆さんに親近感を覚えるのです。

そういえば、自転車を購入したお店も、
「ナルシマフレンド」という自転車好きで、
ロードレーサーを買おうとしたことがある方なら
知っているであろう有名店。。。

お会計の際に保証書を書いてもらったのですが、
「お客様のお名前は?」と店員さんに聞かれて、
「なるしまです」といった後の店員さんの顔が
本当に面白かったです(笑)

文房具と成島さんのつながりは。。。

そもそも歴史を編纂するときに、
紙やら筆やらはたくさん使ったでしょう
なので、身近に文房具はあったということで。。。

やや苦しいですね。。。


以上、最後までお読みいただき
ありがとうございました。


後記:久々に日記形式の文を書きましたが、
やっぱり楽しいものですね。

mixiの日記は更新をやめていますが、
なんらかの形で復活をしようと思います!




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