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ほのぼの”わら細工”の広場 コミュの僕がわら細工をはじめた訳

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よく聞かれるので、一昨年民技会の30周年記念誌に書いたものを以下載せてみます。長文ですがよろしかったら是非読んでみてください。

文中の固有名詞は民技会の大先輩のおじいちゃんたちです。

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僕がわら細工をはじめた訳
           わらグループ 中島

 古民家の軒下でわら仕事をしていると「若いのにえらいですねぇ。ご実家は農家ですか?」とよく聞かれます。でも出身(実家)は大阪の文房具屋、父はサラリーマンですのでわら細工とは縁もゆかりもありません。ではなぜか?自分としての再確認も兼ね、あらためてまとめてみたいと思います。

 私の中学・高校時代はちょうど70・80年代という高度経済成長期にあたりまさに世の中に物があふれどんどん「使い捨て」が始まりました。でもそのことにずっと違和感を感じていたことを今も覚えています。スーパーのポリ袋は捨てずに何度も使ったりは当たり前。サイズごとに綺麗にたたんで整理していました。また会社に入ってからは「ごみ」や「リサイクル」に関する新聞記事なんかをスクラップしていました。「リサイクルは単に今日捨てるものを明日に伸ばすだけのことでありなんら本質的な解決にならない。簡単に『土に還る』素材でなければ」が当時からの私の考えでした。そんな私が「地球環境問題」に取り組むようになるのは自然な流れでしょう。ある日お友達のホームパーティでそこにきていた人とたまたま“ごみの話”になり、なんでかわからないけれど集めていた記事のスクラップを持って行っていたのでそれを見せながら持論を展開していました。するとその人が「中島さんて環境問題に詳しいんですね」と言うんです。正直その時まで自分が環境問題に関心があるなどとは思ってもおらず、「環境問題」なんて意識してやっていたわけではなかったのでまさに晴天の霹靂でした。「あーそうだったのか」と。それが1995年の初めのことです。
その後その人に誘われ環境問題の講演を聴きに行ったりはもちろん、「ネットワーク『地球村』」という環境問題のNGOに参加し地球環境問題全般についてどんどん吸収、勉強し、一年もたった頃には小さいながらも地球環境問題の講演もさせていただいてました。「美しい地球を子供たちに残すために一人一人になにができるのか」ということを一緒に考えていくために。
 「ごみやリサイクル」「森林破壊」「安全な食べ物」「温暖化とエネルギー」等々地球環境破壊に起因する問題に関する活動を始めると多くの人は「自給自足」や「自然農法による農業」に感心をもつようになり、会社を辞めて「百姓」をはじめたりされます。ストレスのたまる生活から「のんびり自然の中で田舎ぐらし」への転換でしょうか。でも私にはそのことにも違和感がありました。なぜなら「農業や田舎でのくらしはいいけれどあなたの今使っている電気、ガスといったエネルギー。作業に使うゴム手袋、長靴といった日常の道具。今着ている服。ひいては電話にパソコン、インターネット。全部がまさにあなた方が「逃げ出してきた」都会で今日もストレスをためながら夜遅くまで働いてくれているサラリーマンの人々のおかげではないのか。仮に都会の人々が同じように百姓をはじめたらあなたのその生活自体がなりたたないではないか。」と。なので自分はもっと広い視野にたってまず考えよう思い「農業」や「田舎ぐらし」「脱サラ」ではなく今生活しているところで「先人の知恵を借り」少しづつできることからはじめませんか、生活に「土とのふれあい」を取り戻すことを提唱する「農的生活」こそが大事と思い「農的生活ネットワーク」なるものを立ち上げました。(この文章の最後にその理念を付け加えておきます。)
 では、「農的生活」「先人の知恵」の中で今いる場所や立場で自分として何ができるか、何をやってみたいかを考えたとき私は「生活に密着した道具」に感心が及びました。つまり「いかに石油に依存せずに生活を成り立たせるか」ということを「生活の中の道具」という視点で考えました。現代の生活はいくら農業や田舎暮らし、「自給自足」と言ったところでその多くが「石油依存」であることは免れません。食べ物だけでなく「道具」についても日本の中でだいたい「自給自足」が出来るように、将来石油が枯渇しても日常の生活がとりあえず出来るように「道具を作る」先人の知恵そして技術を身につけたいと思い始めました。話は横道にそれますがこのような日本の各地域に根ざした「伝統技術」を守ることで「材料を確保するために里山を守り受け継がねばならない」「年配者ことが高い技術をもつので最も尊ばれる」「雇用も生まれる」等々まさに現代社会の抱える問題の多くも同時に解決されると思います。
 では自分として何をはじめるのか。私が考えたことは「日本の生活で最も生活に密着した道具でありながら誰にも省みられることなくまさに今なくなりつつある『伝統技術』はなにか」ということでした。そのとき私の脳裏に浮かんだ物、それは「たわら」と「むしろ」でした。私の友人の多くも百姓を目指して田舎に移り住んでいますが「お米を入れるものはビニールの袋じゃなくてやっぱり『俵』でしょう。それ使わんで『自給自足』とは片腹痛いっちゅうに」って思ったんです。「そうだ!「わら」だ!」って思った瞬間です。
 後は行動あるのみです。どこかで「わら細工全部」を教えてくれるところがないか。ご存知の通り
わら細工は「専業化」されているものではなかったので基本的に専門の人がおらず、また材料のわらと街中での作業場所の確保が難しいため「カルチャースクール」でやっているようなところはありません。電子メール仲間に「わら細工を教えてくれるところをどっか知らんか?」と問いかけたら当時登戸にすんでいたお友達から「近所でわら細工の実演販売してるところこがあったはず」という返事が帰ってきたので「すぐ行って、お友達にわら細工がやりたくて弟子入り希望のアホがいるからなんとかしてやってくれ、と頼んでほしい」とお願いしました。すぐ行ってきてくれたのですがそのお店(今は亡き“金子儀助さん”のお店です)はもう辞めてしまっていました。ですがそんな話なら「日本民家園」というところでわら細工を教えてくれるよ、という話を持って帰ってくれました、早速民家園に電話をしたところ「それなら会長の坂大さんに連絡してみてください」といわれすぐ坂大さんに電話をしました。忘れもしない平成10年の2月のことです。そして2月26日に会社を休んで朝から坂大さんのところに伺い暗くなる頃までかかって「わらぞうり」を一足作らせていただきました。「そんなにいろいろやりたいんなら“会”の方に入ったらいいよ。」と坂大さんに言われ「光が見えた」と思いました。因みにそのわらぞうりは約3年もうぼろぼろになるまで履いてすてました。
 
 さて、これが「僕がわら細工をはじめた訳」の一一部始終です。その後のことはみなさんもご存知のとおり。知れば知るほどこのわら細工業界?は人手不足で伝統技術を受け継ぐ基盤がどこにいっても全くない状態。わらの伝統を受け継ぎ後世に伝えることにわが人生を費やす私の決心は決して揺るぐことはありません。でもまだ「たわら」ひとつ自分でつくることができないので先は長いですが・・・


<農的生活ネットワーク>    
地球環境や身近な緑の破壊は日に日に悪化の一途をたどるばかり。そhしてそれに呼応するかのように人々の表情は疲れ、未来に不安を抱いているように思います。あまりにも激しく目まぐるしい社会の変化に人間のからだもここをも、もうついていけない所まできているのではと感じます。なぜそうなってしまったのでしょうか。
 身の周りの生活から「土とのふれあい」を失い、お金さえあれば簡単に手に入るからと「自分で作る・工夫する楽しみや喜び」を捨て、生産性や合理化、経済的な効率のみを何よりも優先し、おじいちゃんやおばあちゃんの知恵を古臭いとじゃまものにしてきたツケが回ってきた結果ではないか思います。
 「この地球と自らの未来を傷つけない」そんな生き方に少しづつ変っていけないだろうか。
 そんな気持ちからこの「農的生活ネットワーク」をつくりました。

 すべての生き物がいつまでも生きられる
     美しい地球を願って

 さあ、あなたから始めませんか。


『農』と言おう ニッポン!!

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