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live spot DiAngeloコミュのメインストリーム 4

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メインストリーム 4

「Maiden Voyage」


稲葉山城に入った織田信長は、この土地の名前を「岐阜」と改めました。「岐」とは中国の周王朝の起源とされる岐山からとったものと言われています。また、かつての美濃国の権威であった土岐氏から、とも言われています。土岐氏を滅ぼし因果の中に没した斎藤道三の一生を思えば、信長が彼を偲ぶような気持ちでこの文字を採用したとも考えられます。
やがて、この地「岐阜」より天下布武、つまり主君織田信長を中心とし武力を持って天下安寧の国を作るのだ、という一つの「思想」が出現しました。信長の首尾一貫した哲学でした。日本の政治の中枢は衰退の一途を辿っており、全国各地の大名は覇権争いを繰り広げていました。彼も、その覇権競争の主役の一人に躍り出たのです。

何かを成し遂げようとする人間には、常に気丈な状態、性格、躁鬱気質、ある意味でのフロー状態が見られるように、信長も例外ではなく、激しい気性を素直に表現し、時に家臣を脅えさせるような苛烈な言動を見せていました。しかしそれが織田家臣団のエネルギーとなり、信長の中にある理路整然とした哲学を理解する者は、即座に学び、察し、行動しました。行動に至る者が増えれば増えるほど組織は上手く機能し、領地の人々を順応させられるようになりました。
一度このようにイノベーションが拡大し始めた後は早い。技術革新、経済発展、生活の向上、余剰資本の投下。これこそ信長の創造であり、後世に残る偉業なのだと思いたい。現代とはやや質を異にするかも知れないけれど、いつの時代でも思想哲学は普遍的なものです。
信長は、足利義昭を擁して瞬く間に京都に上り、それまで日本を治めていた権威やシステムと対峙し、文字通り、武力を以てそれらを制圧して行きました。


さて、長近にとっても長い旅の始まりでした。信長の勢力拡大と同じくして、家臣の一人として働きに働きました。
美濃攻めの折り垣間見た予感は次第に明らかとなり、長近は北方、越前へと動き出します。
長近の手による最初の城下町、越前大野、今の福井県大野市に入るには、美濃からは標高の高い山岳地帯を越え、狭い渓流の間を抜けなけばならず、あるいは琵琶湖東岸、岐阜の北西を迂回して大野盆地へと向かいます。
立派な山城跡の残る越前大野の城下町は、広々と余裕を持った碁盤の目状に作られています。四方を豊かな田園に囲まれ、その先にはいずれの方角にも山々が連なっているのを眺められます。とても美しい景観です。ところどころ、街角にさしかかると京都大徳寺の風情を思わせるようで、またいくつもの寺院が軒を並べる通りにも繋がります。ゆったりと敷き詰められた石畳の道路の端には、かすかに音を立てて流れる水路。
長近は、山岳に阻まれたこの険しい土地の平定までにかなりの年月を要しました。日本の将来を説き、信長の思想を説き、人々の心を引き寄せて行く作業でした。信長の考えは性急なものだったけれども、長近は臆することなく、確実に町の人々の尊敬を集めて行きました。

織田家臣団の中には、信長の優れた思想や輝く威厳を追い求め、出世欲に情熱を燃やす者も多くいました。
木下藤吉郎(羽柴秀吉)、明智光秀、滝川一益、柴田勝家。長近が遠く越前大野の内政に取り組んでいる間にも、彼らは時代を駆け抜けるように、生きました。
船出でした。新しい日本の夜明け、処女航海でした。


Daichi Furuta



「世界の人たちに私がどのように見えるか、私は知らない。
しかし、私自身にとって、私は浜辺で遊ぶ少年のように思われる。
私はときどき、なめらかな小石や、ふつうより美しい貝がらを見つけては楽しんでいる。
しかし、真理の大洋は、すべて未発見のまま私の前に横たわっている。」

Sir Isaac Newton

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