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オダサク倶楽部コミュの織田作文学トリビア25・万城目学と織田作

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 『鴨川ホルモー』でデビュー、『プリンセス・トヨトミ』では直木賞候補となった万城目学は、1976年生まれで中学時代まで高津神社の近くに住み、京都大学に入るまで大阪で育っている。

 『プリンセス・トヨトミ』の、あとがきにかえてエッセイ「なんだ坂、こんな坂、ときどき大阪」において、彼は少年時代に大阪城の偉容を仰ぎ見る生活を送り、太閤フアンであったことを明かしている。

 『プリンセス・トヨトミ』の舞台となった空堀商店街は彼の住まいから自転車で10分ほどで、月1回、商店街にある散髪店に行っていた。少年時代の大阪城と秀吉への憧れ、そして上町台地への慣れ親しみが、作品の舞台をより濃密なものとして描くことになったことがエッセイから伺える。

 さて、本エッセイで万城目は、同じ上町に生まれ育った織田作について親しく言及しているので紹介しよう。

1.大阪城と空堀商店街を重点的に用いて作品を書いたことについて
《まあ、ずいぶん身近でまとめたものだ、と思わないでもない。しかし、あの織田作之助だって、私の家と二百メートルと離れていない位置に実家があり、散々あのへんを使って小説を書いた。小説の筋をのでるのに適した土地柄なのだということで、そのへんはうやむやにしてしまおう。》

2.生まれ育った高津神社界隈に触れて
《そのほか、意外と文豪との因縁も深く、たとえば織田作之助の『夫婦善哉』には、「高津神社坂下に間口一間、奥行き三間半の小さな商売家を借り受け、大工を二日雇い、自分も手伝ってしかるべく改造し」と、主人公の柳吉と蝶子が、あれこれ商売に手をだすくだりのなかで、剃刀屋を営むシーンに使われている。また、当時の私の家から谷町九丁目駅までの坂の途中に、常国寺というお寺があり、そこのお墓には『檸檬』の梶井基次郎が眠っている。》

3.空堀商店街について
《かって織田作之助もうろうろしたことがあったろう。そうそう、直木賞で有名な直木三十五も空堀商店街の脇で生れた。》

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