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Billy Cobhamコミュの知ったかヒストリー4(72’〜73)

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さて1973年に発表された「ダウン・ビート」誌72年度人気投票によれば
マハヴィシュヌ・オーケストラは
ロック・ポップ・ブルースグループ部門で1位

マクラフリンは
ギター部門で1位
ジャズマン・オブ・ジ・イヤーで2位
ポップ・ミュージシャン・オブ・ジ・イヤーの2位

アルバム1作目「うちに秘めた炎」は
ジャズ・アルバム・オブ・ジ・イヤー1位
ポップ・アルバム・オブ・ジ・イヤー1位

と輝かしい記録を作った。

1972年9月から10月にかけて
ロンドンとニューヨークでレコーディングされた
「火の鳥」写真1
もまた発表されるや否や記録的なヒットを示した。

しかし、
マクラフリンのSGダブルネックギターにマーシャルアンプ3段積みやビリー師匠の透明な[Fibes]の2バスドラム、4タムは
古参のジャズファンには衝撃的で人気を落としたが、
そこらへんは慣れっこになっていたロックファンが多く飛びついたのである。

そこには6拍子、7拍子、さらには9.5拍子(写真2)
と言う変拍子を、いとも容易く乗れるビートにかえてしまう
天才技能集団がいたからである。
新しいものに飢えていたロックファンが
それを見逃すはずはなかった。

そのため分野がわからず「ジャズロック」なる言葉が生まれたほどであった。(クロスオーバーの引き金になった言葉)

「火の鳥」はゴールドディスクに輝いたのである。

しかし我らがビリー師匠の心は収まらなかった。
ソロアルバムを模索していたビリー師匠は、以前手伝った
アトランティックレコードのプロデューサーに声をかけた。
だが、当初アトランティックからも断られたのだが、
A&Rの副社長から「やらせてみたら・・・」なんていう
お言葉を承り、師匠は大急ぎでデモを作ったのである。

アトランティック側は師匠のレコードがさほど費用が
かからないことがわかっていたようだ。

これがコロンビア(現SONY)に知れて
さらにグループ内での関係が悪化して行くのでした。

1973年8月
セントラルパークでのライブ(写真3)を最後にビリー師匠は
マハヴシュヌ・オーケストラを去ったのであります。

そしてあの「スペクトラム」の発表へ
つづきます・・・

コメント(1)

譜面の「Celestial Terrestrial Commuters」、Doves of Fireもカヴァーしてましたね。サイモン・フィリップスがビリーのドラミングを見事に再現していました。
この手の16分音符も奇数になっちゃう曲は、ツーバスをオルタネイトで踏み続けると小節をまたがるところで右と左が入れ違っちゃうので、私のような素人には敷居が高いです。

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