当時の我が国からアメリカへの輸出は、生糸、緑茶、缶詰類、陶磁器等の軽工業製品が主であり、その多くの品質はあまり高度ではなく、Made in Japan は安物の代名詞でした。 それでもこれらの輸出は、外貨獲得という面では国際観光とともに貴重な存在でした。 この点、戦後の我が国が奇跡的な復興を遂げ、各種のMade in Japan が世界に誇る高度な精密工業製品へと脱皮したことは驚嘆すべき快挙であり、これは現在でも国際的に認知されている事実です。 一方、アメリカからの輸入は、石油、鉄鋼、綿花や各種の工作機械等の重要物資であり、我が国の対米依存は極めて大きなものでした。
このように、太平洋戦争の緒戦では我が軍は華々しい勝利を次々に収め、その占領地を大東亜共栄圏の各地に拡大していきました。 この大東亜共栄圏の範囲は、現在の ASEAN(Association of Southeast Asian Nations) 東南アジア諸国連合に加盟している10カ国はもとより中国や南洋諸島などを含めた広大な地域を指していました。その当時の独立国は、タイと中国(国民政府)を除いて他はすべて欧米の植民地でした。