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ソウル観光サポーターズコミュの慶熙宮(キョンヒグン)

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慶熙宮(キョンヒグン)の歴史
五大古宮のひとつ慶熙宮は、もともと朝鮮王朝第14代王・宣祖(ソンジョ)の5番目の息子であった定遠君(チョンウォングン)の邸宅でした。その土地から王が出る予兆があるという噂が流れ、当時の王、光海君(クァンヘグン)が土地を奪い宮廷の建築を開始、1620年に完成しました。
完成後は歴代王が頻繁に利用し、朝鮮時代後期には昌徳宮(チャンドックン)、昌慶宮(チャンギョングン)と同様に離宮としての役割を果たしました。当初は慶徳宮(キョンドックン)と呼ばれましたが、第21代王・英祖(ヨンジョ)により慶熙宮と改称されました。「西の宮殿」とも呼ばれ、最も栄えていたときは100もの宮殿をかかえていました。



二度に渡る火事や戦争の被害により、多くの宮殿、建築物が焼失、売却、移築され、数個の建築物が残るのみとなっていましたが、ソウル市による慶熙宮復元事業により、主要宮殿などが復元されました。現在も宮殿の数ヶ所に当時のものが残っており、特に崇政殿の階段に彫られた鳳凰や雲の柄は、優れた芸術作品として評価されています。


興化門(フンファムン)
慶熙宮の正門にあたり、本来は現在の位置から250mほど離れた所にありましたが、1915年の道路工事の際に移転、さらに1932年に新羅ホテル敷地内にあった博文寺に売却されました。博文寺がなくなった後、新羅ホテルの正門としても使われていましたが、1988年ついに慶熙宮に戻されました。
礎石、柔らかい軒の曲線など、韓国木造建築の特徴がよく表現されています。



泰寧殿(テニョンジョン)、瑞岩(ソアム)
泰寧殿は、1744年、第21代王・英祖が自らの肖像画2つを安置する用途で使いはじめ、宮殿として使用されるようになりました。英祖が崩御してからでなく、まだ在位のうちに自らの肖像画を安置した、というのが特徴的です。泰寧殿の前にあるのが泰寧門(テニョンムン)です。
泰寧殿も日本植民地時代に取り壊されましたが、復元作業により再建されました。裏手には「瑞岩(ソアム)」と呼ばれる奇妙な形の岩があります。この岩には源泉があり、今でも水が流れてきます。



崇政門(スンジョンムン)、崇政殿(スンジョンジョン)
崇政門をくぐると正殿、崇政殿があります。何人もの王がここで即位式を行った由緒ある建物です。現在の崇政殿は復元されたものであり、元々の崇政殿は日本植民地時代に寺院に売却され、現在は東国大学の敷地内にあります。




資政門(チャジョンムン)と資政殿(チャジョンジョン)
崇政殿の後ろに行くと階段の上に資政門と資政殿が建っています。資政殿は王が執務を行う宮殿でした。このような宮殿は他の全ての古宮にもあり、正殿のすぐ裏にあるのが一般的です。資政殿が正殿である崇政殿よりも高い位置にあるのは、傾斜が多い地形によるものです。資政門の前の階段に彫られている彫刻は、長い歴史を感じさせてくれます。



アクセス
地下鉄5号線西大門(ソデムン、Seodaemun)駅4番出口を出て道なりに約400m直進すると左側に興化門があります。


データファイル
・ 住所(日本語):ソウル市 鍾路区(チョンノグ) 新門路(シンムンロ)1-126
・ 電話番号:02-724-0274〜6
・ 休日:月曜日、1月1日
・ 開園時間:9:00〜18:00(平日)/10:00〜18:00(土日・祝日)
・ 日本語表示:あり
・ 料金:無料
・ 交通:地下鉄5号線西大門(ソデムン、Seodaemun)駅4番出口 徒歩7分

場所 :鍾路区(チョンノグ) 新門路一街(シンムンノイルガ) 1-126関連エリア : 市庁・光化門
問合せ先 : +82-2-724-0274〜6


提供:http://japanese.visitseoul.net/visit2008jp/article.do?method=view&art_id=504745

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