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桜田門外の変映画化を応援しますコミュの野口雨情と桜田門外の変

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 こんばんは。管理人です。

 いよいよ映画公開の年となりました。千波湖のセットも建物が完成exclamation ×2
 撮影開始に向けて着々と準備が進んでいますm(--)m

 さて、今日から不定期で「茨城・幕末の有名人と桜田門外の変」と勝手に銘打って誰もが知っている有名人と桜田門外の変のつながりを紹介したいと思います。

 紹介と言いましても歴史専門家ではないので入口までのご案内になりますが、お気楽にお付き合いいただき、「郷土資料を見てみようかなぁ」というお気持ちになっていただければ幸いです乙女座

 また、「こんな人も関係あるよ!!」という情報がありましたら、是非ご紹介ください乙女座

 第一回は、茨城県出身の詩人・作詞家である野口雨情です。
 野口雨情は、皆さんご存知のとおり、「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」など沢山の素晴らしい童謡・民謡を残しています。

 この雨情さんの出は北茨城地方でも有数の名家だったわけですが、祖父の弟にあたる「西丸帯刀(さいまるたてわき)」という方がおり、野口家に生れた後に西丸家の養子となりました。この西丸帯刀が、「成破の盟約」締結に重大な役目を担ったのです。

【成破の盟約とは(茨城県立図書館資料より)】
■ 万延元年(1860)8月,長州藩の軍船「丙辰丸」の船上で,水戸・長州両藩の尊攘派有志の間に「成破の盟約」といわれるひそかな約定が結ばれました。その名が示すように,水戸側が「破」,つまり破壊的な行為を行って世情に混乱を起こし,長州が「成」,つまり正しいと信じる姿の世につくり変えていくというものでした。
■ 約定に名を連ねたのは,水戸側が西丸帯刀・岩間金平・薗部源吉・越宗太郎,長州側が桂小五郎・松島剛蔵で,仲介者は肥前の草場又三といわれています。

 帯刀よりも少し前になりますが、オランダ式医学を学んだ医師:野口玄珠という方もおり、幕末の北茨城地方で活躍しました。この方は安政の大獄で処刑された吉田松陰が1851〜52年まで水戸地方に遊学した際、松陰を自宅に泊める等の接点があります。

 手前味噌ですが、茨城の歴史も凄いなぁあせあせ

 突っ込みが浅くて申し訳ありませんが、今日はこの辺で…
 次回は、吉田松陰の水戸地方での足取りを紹介したいと思いますm(--)m

 また、資料が整ったら…の話ですが、現在桜田18烈士といわれる関鉄之助をリーダーとする班とは別に、鉄之助班が襲撃に失敗した場合の第二次攻撃部隊が存在していたのをご存知でしょうか。

 こちらについては、これから色々と勉強してみたいと思います乙女座

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