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70年代のラジコン機&Uコン機コミュの70年代に3ヶ月でF2Bパターンを覚えた方法

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その1
1976年春にF2Bスタントを3ヶ月でマスターし日本選手権に出場しようというプロジェクトが札幌で行われました。この歴史的?なプロジェクトについて曖昧な記憶をもとに目もしてみようと思います。

講師はリボルバーFXなど独自の理論で当時はあまり評価されていなかった那須氏。3人くらい生徒がいたと思います。

練習に使用した機体
リボルバーFXと同じアスペクト比の2.7mmベニアの主翼にエンジンマウントと双胴の10mm角のヒノキ棒にバルサの尾翼エンジンはENYA15かOS20だったと思います。

ベニア1枚板翼については意見が分かれるところでしょうが、3ヶ月でスタントをマスターするためには練習機が壊れていたのでは練習にならないからだったのだと思います。実際にこの飛行機は、練習で壊しても翌日には修理して飛ばすことができました。
今思うと機体のコントロールすることを覚えるに適したものだったのでしょう。

練習
練習は毎日連続して行われました。これがポイントだったようで、夕方日が暮れるまで2時間ほど練習をしました。
最初は水平飛行を行うだけです。毎日毎日1.2m(だったと思う)の高さで飛ばせるようになるまでこの練習を繰り返してしたように思います。

次回は背面飛行をどう覚えたか?について書きます。
復活組で背面飛行がうまくできない方は9月のD-DAYに川口の方が配っていたベニアの機体を準備しておくといいかな?

コメント(15)

その2
水平飛行ができるようになったら次に練習するのは宙返りと逆宙返りをつなげた8字飛行だったと思います。水平飛行からこの8字飛行を繰り返し練習していきます。徐々に宙返りから逆宙返りに入るタイミングを伸ばしていくことで背面で飛ぶ時間が長くなります。この練習で風の向きと宙返り逆宙返りができる場所も理解できたのだと思います。丸物の演技はこの練習を応用することで覚えることができたような気がします。

この繰り返しを2週間ほど繰り返すことで、自然に背面飛行ができるようになっていた記憶があります。この練習で背面飛行を覚えるとハンドルは手のひらが上を向く方向で水平に持つようになります。


背面飛行はしっかり覚えると自転車に乗れるようになったときと同じように忘れません。

1ヶ月半程この練習を毎日2時間くらいやっていたので,誰でも100時間ほどこの練習をすると背面飛行ができるようになるはずです。

ベニア板飛行機と丈夫なエンジンを使い
おおお、すごい記録!

ベニヤ機って、良く聞きますけど、ほんとに主翼がベニヤ一枚なんですか? よく売ってる3mmぐらいのベニヤと同じような板だったのでしょうか?
はい、ホームセンターで売っているラワンのベニアです。

この方の理論によると1枚板でも主翼のこのアスペクトレシオだとリブ組の主翼と変わらないという話だったと記憶しています。この方は10mmバルサ1枚板の45クラススタント機も飛ばしていましたし、主翼前縁にスリットをつけブレーキ効果を狙うなど奇抜なアイディアと行動が目立ったのであまり評価はされていませんでしたが、今考えるとすごい理論が多かったと思います。

リボルバーFXとスーパープライの主翼も同様のアスペクトレシオだったと記憶しています。前者は竹野さん、後者は藤沢さんの設計だったと記憶しています。
当時のUコン技術を参照ください。

リブ組フィルム仕上げの機体を使い練習するのもいいのですが、落として壊して修理する時間を考えると効率的ではありません。これに対して、ベニア板と10mmのヒノキ棒と尾翼のバルサ(エレベータだけだったかも?)だけで作ることができ、塗装もしない練習機で練習したほうが効率的と言えそうです。

ただ、この機体、何機も作った記憶がありません。舵角や重心他様々な調整をしていただき、落としても修理し再調整をしながら練習をした記憶があります。多分、何機も作ってもそれぞれ調整が必要だったからなのではないかと思うのですが。。。

ただ、設計を間違えると多分使えない飛ばない飛行機になるかと思います。
この機体の設計図がないので、とりあえずは、図面が残っているスーパープライを作り練習するのがいいのかも知れないですね。
その3
ということで、この練習をしていた時には背面飛行の練習をした記憶がありません。この変形8字を繰り返し連絡していくうちに、背面になっている部分を伸ばしていくことで自然に落とさずに背面ができるようになっていました。

自分がこの練習を始める何年か前は背面飛行が全くできませんでした。背面飛行を覚えようと宙返りから背面に入れていたのですが、この方法だと、焦って逆舵を打ってしまうので墜落を繰り返したのではないだろうかと推測しています。

Uコンを再開する方の中には子供のころ背面飛行でつまずいたままになっていた方もいると思います。この方法で背面飛行ができるようになるかも知れませんね。

この基礎練習が終了したあと、この機体で丸物の演技から練習しはじめたと思います。ただし、頭上八の字と四つ葉のクローバーはこの機体ではできなかったかやらなかったようにも思います。

曲技は水平飛行がきちんとできることが基本なのではないかと今更ながらに思っています。
ほんとに、ベニヤ1枚なんですね。うーん、すごい。

10mmのバルサ板で、45ってのがまた、凄いですね。
機体の性能よりもその方の機体調整能力が高かったのではないかと思うのです。重心位置、燃料タンクの高さと位置、舵角、エンジンの回転数、プロペラ、ヒートンの位置など細かく調整してもらい、自分はひたすら言われたとおりの練習をしていました。
で、飛行機だけにとどまらず骨盤の矯正や柔軟体操、硬い床に寝るなど身体作りにまで必要という話にはちょっとついていけなかった記憶があります。

このときに機体の調整の仕方を覚えていれば良かったのですがそんな余裕もなく何となく演技ができるような気になってきました。

そして尾翼容積の大きなOS35を搭載する機体を自設計で練習と平行して作っていました。このあと、何年間かUコンスタントに取り組むことになります。
しかし、才能がなかったのか、それとも別の理由があったのかわかりませんが、練習よりも理屈と物集めの日々を過ごし、そのうちになぜUコンをやっているのか考えるようになり、いつの間にかラジコンの世界に浸っていきます。

今にして思えばこのときはUコン機を飛ばしていたのではなく、飛ばされていたのだと感じます。というのも今年の夏のKMCo大会のF2Bの上位入賞者の方の地上ダンスを撮影してみましたが、これを見ると飛行機をコントロールしているのがよくわかります。
飛ばすと飛ばされるの違いが今頃わかったような気がしています。

他の国のことはわかりませんが、日本のUコンスタント競技者の場合、日本選手権を目標に特殊な物を揃え、練習に励む方が多いように思います。それはそれでいいことなのでしょうが、自分としてはそのことを追究するのではなく、いつの日か、古い時代のスタント機を作り1種スタントにチャレンジできればと考えています。

来年はまた板飛行機を作り、少しUコンスタントの練習をしてみようかと思ってはいるのですが。。。
oznetさん

体へおそいコメントですみません。
わたしも16歳の時背面も逆中も出来ないでもんもんとしていましので良く解ります。

指導者は誰も無く不運にも近所では私がリーダーでした。
それまではかっこつけて小型の箱どうばかり飛ばしていましたが
いただいたOS−29両面排気(豊橋のチャンピオンの使い古し)が手に入り

大型のスクラッパー機にしようそれも主翼は対称翼でゴムで胴体に縛るようにして
尾翼は3ミリベニヤでした。

これが長いワイヤーのせいかゆっくり飛んでくれパワーもそこそこでついに
ついに逆中返りと背面飛行が出来るようになったのです。

セミスケールの15クラスを何機もおとしスクラッパーを馬鹿にしていたのに
ね〜。

oznetさんのかきこにもありましたが背面飛行がスタントの登竜門なのですね。
その後新発売の高性能のOS−S35を購入し主翼をゴムで縛る方式のベニヤの側面の箱胴の機体を製作、これが少しのショックでも翼が外れこわれなかったのでした。

ご存知のようなキーバンエイトの8の字と進み今があります。

私もベニヤとの関係はかなり親密なのですね〜。
私もベニヤ板スクラッパーで飛行練習しました。

でも一枚板のベニヤでは水平飛行位しか出来ないと思い、その後は対称翼の
普通のスタント機で背面、曲技の練習しました。


先尾翼の(木村の震電)は宙返りくらいしか曲技が出来ないので有名?です。
先尾翼リボルバーFXをUコン技術で見た時は、これで本当に曲技が出来るかな?
と思ってましたけど、ベニヤ板でもよく飛ぶのですね。

こんなことも考えてます。
先尾翼の震電のデザインはカッコよく大好きです。
最近の実機ジェット戦闘機(先尾翼も)はエンジンの吹き出し口を可変にして、板見たいな主翼で曲技飛行してます。
Uコンでも推力方向を可変にするなどしたらF2B曲技の出来る震電が出来るかなとか考えてますけど?





中学1・2年(1970〜72)はUコンしてましたが、スタントの指導者がおらず、皆で適当に飛ばして遊んでました、当時出来てもウイングオーバーと背面・宙返りのマネぐらいで十分満足でしたね、その後はラジコンに移行。
シトロエンさん
私も中・高校生の頃、北海道の地の果てで自分より年下の子供たちとUコンをやっていました。北見市で大会があった時に生意気そうな子供がファイヤーバードで背面や逆宙返りをしているのを見て凄いなあと思った記憶があります。最近この時のこの子供にパイロン大会の会場で会いましたがF2Bのパターンが全部できるようになったと威張ってました。(笑 

MAX−29Iさん
スタントの練習をしたのは強度、修理のしやすさなどからリボルバーFXではなくスーパープライのような双胴の機体なのですが、翼のアスペクトレシオや平面型は皆同じだったと記憶しています。多分この翼の形でなければダメだったと記憶しています。
1枚板なので大きな舵を使うと失速するので舵の使い方も学習できたような気がします。

ニトベンおやじさん
短時間である程度の曲技ができるようになるためには、機体の製作時間を極力少なくすること、壊れてもその日のうちに修理ができること、毎日2時間程度の練習をすること、アドバイザーがいることなど条件がそろっている必要はあるかと思いますが、手をかけてせっかくつくった立派な機体をトレー人具でで壊すのは悲しいですよね。

部屋にはFUJI29もあるし赤いわしの図面を飾っていますし、赤わしのオリジナルの図面、リブ型などもありますが、全く手つかずです。たまにはUコンも飛ばしてみたいのですが。。。
ozunetさん あの時のOS29スクラッパーの写真が出てきましたので見て下さい。

家のすぐ上にある山の上の小学校が飛行場でした。S39当時

田舎なのでつっかけをなぜか履いています。

手に持っているのはOS29ではじめての倒立エンジンの3車輪の機体です。

この機体は生き残りお寺の住職が欲しいといったのであげました。
東京オリンピックの年ですね。私は小学校2年生でした。

翼がゴム止めのスクラッパーなのにスタントができそうな形なのですね。すごい!
写真に写っている百葉箱懐かしいですね。今の学校にはないものの一つかな?
私も学校のグラウンドが飛行場でした。誰にも文句を言われませんでしたが、今考えると迷惑な話?かも知れません。

たしかこの時期に、小学校の近くの空き地でいい臭いのするラジコン機が飛ぶのをみて大きくなったら絶対ラジコンをやろうと心に誓ったのでした。

それにしても当時の写真が残っているというのはうらやましいです。
当時MAMIYA6で写した写真は今はどこにあるか不明です。
昭和39年当時、ラジコンもUコンも知りませんでしたね、模型屋も近くに無く市場の中のおもちゃ屋ぐらい。
>模型屋も近くに無く市場の中のおもちゃ屋ぐらい。

市場の中のおもちゃ屋ってなんか懐かしい響きですね。

当時住んでいた北見市には大廉売という市場があり、その中に鳩屋模型店が入っていました。ここの店主はその前は紙芝居屋のおじさんとして子供たちに親しまれ、お金をもってこれない子供に水飴を手にくっつけてあげるといったやさしいおじさんでした。

その方が大廉売で模型屋さんを始め、その後、店を持ちUコン大会などを行ってくださいました。昭和50年に亡くなってしまいましたが、その後奥さんや娘さん、娘婿が店を引き継ぎとてもお世話になりました。

昭和39年は1/24のスロットカーが盛んで、親が歯医者の同級生の家にこのコースがあるのがうらやましく思った記憶があります。

多分、Uコンは昭和20年代から30年代始め頃に盛んになり一時衰退し、この頃から再度盛んになり始めた時代だったのではないかと思います。その後昭和54年にUコン技術が休刊になり特別な人が細々とやり続け、ここ10数年でリバイバル組が増えているという状況でしょうかね?

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