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70年代のラジコン機&Uコン機コミュの私のハンスグラーデ機物語

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はなはだ場違いではありますが。古い飛行機とのことでお許しくださいね。

話のはじまりは平成5年ごろだと記憶してますが私のお客様の息子さんが大の飛行機マニヤとお聞きしてお付き合いが始まりました。

当時息子さんH氏は私より18歳ほど若い好青年でして夢がハンスグラーデの復元でした。
そんな時期にこの本に出会い著者の故渋谷氏と熊蔵の故郷人吉の名士(名はふせます)
が復元を計画している筋を知りH氏と友人(マローニにてゼロ戦の復元を手伝ったかた)の二人で

熊本に行きます。もともと資料を昔から多く持っていたH氏に製作依頼がきますが予算の折り合いが
出来ず、話は振り出しに。

しばらくしてH氏は結婚をしますがその式の司会に東海テレビの若手アナウンサーが担当、私も招待されていました。飛行機いっぱいの思い出のスクリーンを見たアナウンサーの方が高井アナに話しをして

数日後私の店にウイスキーをもって高井アナがこられ各務ヶ原航空博物館オープンの展示機にとの話が進み今度は市の予算で製作が始まります。

5年もかけて完成した機体なのでのんびりと気の向くまま製作の画像など交えこのコミをお借りして
進めていきますので暇な方はお付き合いくださいね。まさに大きな模型飛行機の製作でした。

写真はきっかけになった渋谷さん(熊本県球磨郡)の本。サインは当時御生存でした日野熊蔵氏の
ご子息虎雄氏のサインを各務原でいただきました。今年惜しくもお亡くなりになられ100歳を超えられたそうです。

また虎雄氏は機体が完成したことを知り父の偉業を表に出していただき嬉しいと言われたそうです。

今日はここまで、、

コメント(30)

スミマセン、ハンスグラーデ機とは???
各務原市航空宇宙博物館の西4kmの所も住んでいます。
説明不足ですみません。

明治43年12月代々木練兵場にて徳川、日野両者による日本最初の飛行に成功した
ファルマン機とグラーデ機で徳川大尉はフランスからファルマンを、日野大尉はドイツから
グラーデ機を修練して14日に初飛行に成功、19日には徳川大尉も成功しました。

これはグラーデ単葉機の画像です。
この写真は日本で飛んだ日野機です。

いげたのそめやさん

ぜひ見に行ってください。飛鳥の上に釣ってあります。隣はUコンで有名な吉川さんのバードマン機が
ありますよ。

完成最後の2ヶ月はオープンにあわせて豊田の店を午後7時に閉めてシトロエン2CVで
各務ヶ原の格納庫に日参して製作に当たりました。
まるでウルトラライトプレーンですね。
日本で最初にこんなんで飛ぶのは勇気が必要ですね。
そうですね、ウルトラライトの元祖ですか。
それから機体の製作と同時にエンジンも製作するわけでH氏は冬のドイツに2度も行きグラーデ機の
展示してあるミュージアムで館長のご好意を受けエンジンの外観の実寸を得ることとなります。
これをもとに三菱の設計やであるO氏が図面をひき私の友人の木工やにたまたま自動車関係の木型や
O氏がアルバイトに来ていて木型を製作することとなります。

ところが当時のプラグがありませんのでどうしたものか困っていた折テレビに東京モーターショー
のニュースが目に入りそこにBOSCH社のロゴが映りましたので友人の商社マンに話したところ
彼の娘さんがスッタフで参加されてるとのことが判りBOSCH社にお頼みしたところ最後は幸いにも当時の
プラグ新品4本と判らなかったエンジンの内部構造図そして当時のボッシュ氏とグラーデ氏がとも
映った写真までもが無償に手寄付していただくことになったのです。

画像はその時のものです。今日はここまで、、、。クロスフローえんじんかな?
グラーデ単葉は存じていましたが、エンジンの詳細は見た事が無かった!
この上なくシンプルな空冷V型4気筒の2スト!

手前バンクのシリンダーに付いているのがクランクケースに新気を吸入するバルブ&混合燃料補給パイプっすか!?

とっても貴重な資料を拝見できて、少々興奮しております!
この機体ならスケール機を作るのが簡単か?
ひろぽんさん

そのようです、実際ここに燃料パイプがつながっています。スロットルは?途中にコックはありますが

BSA500さん

以前ラジ技にグラビアで載ってましたね。
スロットルは・・・点火のオンオフだけ・・・かな?
暫くぶりになりました。
製作にかかるまでにH氏がドイツに2回いきまして実機のエンジンとか機体の現存する博物館にてできる限り正確な資料を集めてきました。そのあたりは後程触れますが、

まずはH氏のおじさんの土地が岡崎にありそこに小屋を建てました。
地面が土なので正確な土台をまず作らないと主翼は組めません。
鉄骨と木で数か所作り水平を出しました。

その後最長2700ミリのリブを組み立ててあったのを治具の上で桁に紐で括り付けます。
竹の工作なので一切の接着剤は不可でした。ひたすら紐で括り付けます。
なんでこの時代竹なんだろうか?、、後でわかるのですが。
冬から夏に夏から冬にひたすら、、、。当時オオム事件の真っ最中で小屋で怪しいことを、、、誤解されるののが怖かったです。シトロエン2CVでお休みの日はすべて通いました。楽しい思い出ですが。

ここまでの竹はふゆの虫の入らない時期のものです。細くて長い竹を探すのが大変でしたね。
全体の形になるのはまだまだと〜〜い先の話です。この場所で4年間はいましたね。
>>[10]

ご質問のお答えがまだでしたね。
本当のことは不明のようですが、2枚の写真から燃料の流量を調整しているようなスナップですが
それらしき機構はほかに見当たらないようです。
蛇足ですが先日各務原航空宇宙博物館のリニュ-アルオープン(3月)にちなんで
グラーデ機の尾翼を分解して別々にして外のテントから館内の展示ブースに搬入しました。
飛燕と十二試艦戦のブースに展示ですが入り口がぎりぎりの大きさでしたので
当日TONYさんとJPSさんとH氏の4人で途中風にあおられながらなんとか
運ぶことがで8本のリン青銅製の張線も始末ができその後吊り上げられた模様です。
お二人の協力がなければ無理でしたので感謝です。
本題に戻ります。
機体の製作とともにエンジンの製作にかかります。
H氏の設計図も完成して知人の当時現役のO氏が木型製作を担当
素晴らしい出来栄えでアルミ鋳造もダイハツの長老の名人芸で
鋳造薄い冷却フインも再現できました。もうご存命かわかりませんが
有難いことです。設計三菱、木型トヨタ、鋳造ダイハツと奇跡のタイミング
ですね。
おはようございます。エンジンが進むうちに土台となる重要なフレームの製作です。
者フレームに主翼と胴体車輪エンジンとほとんどが収まります。
友人I氏が下地の処理をしています。この時はまだ岡崎の仮住まいです。
木型を基に完成したアルミ製のオイルパンです。意外と小型ですね。
そしてクランクケースです。ドイツの博物館では外形のみ実寸を図らせてもらったので
スリーブの設計は正確にはわからず、機械加工手前の状態になってます。
鉄製のフレームにシリンダーも付けて仮付けしたところです。
キャブレターらしきものが存在しないのでとてもシンプルですね。
少しずつですが飛行機らしくなってきました。
>>[19]
アルミの切削加工は何処でやったのですか?
ダイハツの某工場で鋳造後フライス加工までの発注でしょうね。公表はできませんのであしからず。当時不況のあおりで脇の仕事が入りやすかったです。その後とても受けてもらえないようになったです。O氏には施設がないのでそのように記憶しております。ちなみにフレームの加工プロペラの加工も友人の商社を通じて完成して運がよかったと思います。
グラーデ機の燃料タンクは自然燃料沈下式の砲弾型のタンクで銅板の叩き出しです。
腕の良い板金職人さんに作っていただきました(私の店の換気扇御フードを作った方)
業者の会合でも発表されたそうです。タンクがつくと古典機の風格が出てきました。
とても安価での製作で感謝しております。
さて次はコックピット??ですが今考えても細いリン青銅の吊り線に革製のシート前後の端には
竹の棒が差し込んであり両端を金具で吊り上げてます。スプリングで上下の揺れを防ぐ仕組み?
良くこれで空を飛んだことと怖いくらいですが実機に忠実に作らないといけません。
少し、この時代のよく似た機体との比較をしてみました。
フランスのドモアゼル機です、翼に竹らしき構造でグラーデに比べると
翼が小さく飛行速度も速かったような気がします。でもよく似ています。
アメリカで発明された飛行機は実際はヨーロッパで発展したんですね。
単葉機の元祖なんでしょうか。
尾輪の構造も細い竹です。しかも昔のライトプレーンのように紐(糸)で縛るように
組み立ててあります。木と竹との違いは接着材が竹では効かなくてすべて紐でくくっての作業でした
そして前後左右の固定はリン青銅の張線なんです、尾そりではないので着陸時大丈夫だったんでしょうね。
難問だらけの竹製の主翼ですが特性をよく生かしているには感心します。
グラーデ氏のドイツ的な合理主義なのかわかりませんが強度は木製に劣らないようです。

主翼内部にはリン青銅にてトラスに張線があり 前縁は紐でくくって固定します。
主翼の後縁はパイプ状の鉄の金具にリン青銅の張線が通ってます。 個人的には
このあたりの製作段階はとても楽しかったことを覚えてます。

ようするに模型屋の自分には主翼の輪郭が表れてくる瞬間なんです。大っきい模型ですね!
全ての翼をひねって操縦する仕組みなのでフートペタルもなく操縦かん一本での飛行です。
主翼端に上下竹の棒を立てて策で前縁のほうから引っ張ることでひねる構造です。
のちにエルロンを付けた写真があり工夫をしながら発展した姪明記の機体ですね。
グラーデ機の尾翼ですが太さの差がなく細い竹が使われてるので私の故郷のメダケを使いました。
主翼の竹は日野熊蔵さんお故郷九州の人吉の竹を使ってあります。
平面形は独特で端っこを引っ張り上げるとアップになりますしラダーも同じ。
本物が飛んでいる画像がありますがそれでも普通に飛んでますからすごい時代だなと感心します。
推進力を得るためのプロペラは当初鉄板でできていますが日本に残されているものにアルミでできているものがあるそうです。それからのちに木製の普通のプロペラになったようです。
代々木で飛んだ機体のレプリカなのでこれは鉄板です!
本物のできるだけ忠実にです。これがフル回転で回ると正直怖いです。
当時のボッシュ製のプラグは今よりねじ部の直径が大きくて困っていましたが
本物の当時の新品をボッシュ社より4本しかも船便も込で寄付していただけて感謝です。
当時自動車のレース用のプラグを開発していたそうで専門の方がこの図面を見たら
興味深いでしょうね。

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