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日本の将来を考えよう!!コミュの公共通貨→ベーシック・インカム

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【転載】

蘇るC・H・ダグラス
藤沢雄一郎
      (転載自由)
今の経済問題は構造的

景気は二番底になるかどうか懸念されている。しかし、もし現在の不況が経済の構造に問題があるとすれば、小手先の対処療法では解決せず底なしの景気後退になる可能性が高い。そして、実際今の経済には構造的で深刻な問題がある。経済は難しいなどと言っていられない。

実は、近代経済はその構造から必ず恐慌に陥ること、そしてその解決策を八十年も前に提示した人がいる。スコットランド人のクリフォード・ヒュー・ダグラスである。昭和初期には日本でもかなり研究され来日もしている人である。全国あるいは信州の各地で自由大学運動を始めた佐渡出身の思想家・土田杏村もダグラスの経済理論を熱心に紹介している。ダグラスはもともとエンジニアであったが、企業会計を調べている内に近代経済の矛盾に気づき解決策を考えた。現在でもその理論は充分通用するし、理論的・系統的な批判は知らない。エンジニアらしくマクロ経済をシステムとして捕らえている。
 
ダグラスによれば近代経済の根本的な問題は三つあるという。一つはオートメ化の進行で雇用が少なくなる傾向。二つ目は企業会計から見ると生産力・製品供給力に比べて人々の所得や購買力が必ず足りなくなること。三つ目は銀行マネーの問題である。
 
まずオートメ化の進行で雇用が減少する問題を見てみよう。例えばトヨタを考えると、二十兆円くらいの売り上げがあるにも関わらず正社員の数は七万人もいない。この計算でいくと、もしあらゆる企業がトヨタ方式で経営したら二百万人くらいでGDP五百兆円の生産高を稼いでしまうことになる。農業を産業として見るのは間違いだと思うが、私も作業受託も含めると一人で三町歩くらいの田畑を耕作している。昔は家族総出でも五反くらいが精一杯であったことを考えると省力化も極限まで来ている。こと生産現場においては機械化・オートメ化により全く少ない人数で足りてしま
うというのが現実なのだ。ではサービス産業が余った労力を吸収できているかと言うと、すでにその雇用数は横ばい状態になって久しい。この分野でも合理化やコンピューターなどによるオートメ化が進行しているのだろう。つまりあらゆる企業はまるで宿命のように人件費と雇用を減らす努力を続ける傾向があるのだ。我々はみな潜在的失業者なのだ。
 
次にダグラスは様々な企業の会計を調査して、企業会計は大きく見て人々の所得に繋がる労賃や報酬・配当などと、原材料費や設備投資・研究開発や利払いなどの経費に分けられると考えた。簡略化して人件費と諸経費としよう。両方を合わせたものが製品総額となる。企業利益というのは割合では意外に少なく無視して考えている。人件費と諸経費、双方の比率は違っていてもあらゆる企業にこの会計は当てはまるのだから、雇用などによる所得では全製品を買うことは不可能なのだ。一国を一つの工場と考えればわかりやすい。製品がすべて売れて始めて人件費と諸経費を賄うことができる。しかし、国民の総所得(人件費)だけでは製品の一部しか購入できない。諸経費の分だけ購買力が足りなくなるからである。また現代の人々の所得のほとんどが雇用によるものである点はダグラスの時代より顕著である。

考えてみれば当たり前のことではあるが、当時はまだ近代工業化社会の経済構造の分析は進んでいない古典経済学の時代であった。古典経済は自給自足的家族労働による自営農民や手仕事中心で徒弟制度の職人社会を基本としたものであり、諸経費や人件費はほとんど問題にする必要もない経済であった。余った物を売っていたとも言えるし、市場では需要と供給の関係で自動的に価格が決まり均衡するであろうという理論が通じる時代であった。しかし、近代工業化社会ではその理論は全く通用しない。労働者の総所得で総生産物を購入することは不可能なのである。必ず所得・購買力不足に陥り、放っておけばデフレと恐慌に行き着くであろう。だが、今でも価格は市場で自動的に決まり、生産と消費は自然に均衡するから国や政府が口や手を出すべきでない、という時代錯誤な意見は根強くある。
 
さらに利子つきの銀行マネーの問題が追い討ちをかける。工業化社会では初期投資やランニングコストは莫大なものであり企業の資金需要はとてつもなく大きい。例えば、製品を市場に送り出すには、研究開発や設備投資・原材料の購入が必要だし何ヶ月か何年か後に売り出す製品のために多くの労働者の所得を保証しなくてはならない。先立つものはマネーなのだ。言い換えれば将来は製品が売れるであろうという信用が不可欠である。それが銀行の信用創造という仕組みを肥大化させてきたわけである。手持ちの現金の十倍から二十倍、最近のカジノ経済においてはデリバティブなど
という金融商品は百倍近いマネーを無から創造している。不動産屋が架空の土地を売買すれば明らかに詐欺である。悪名高い街金でさえも手持ちの現金しか貸し出さない。唯一、銀行界だけが架空のマネーを創造して、その上利子を取る詐欺行為を公認されているのである。

近代工業化社会においては信用創造は不可欠なのだが、問題はその帳簿上の銀行マネーが私的利益のため利子つきで、しかも銀行の思惑に沿ってしか創造されないことである。だから、貸し渋りや貸し剥がし、株式や為替や土地投機などが常に行われる。金融は実は影の政府・実質的政府なのだ。初代ロスチャイルド財閥のマイアー・アムシュルは「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば誰が法律を作ろうとそんなことはどうでもよい」とまで言っている。日銀は国が半分出資しているが、米英などの中央銀行はすべて民間銀行の出資で通貨と信用を支配・コントロールしている。民主主義など金融界の前では屁のようなものなのだ。実際、現在のマネーは利子つきの帳簿あるいはコンピューター上の銀行マネーが九割以上であり、私達が毎日馴染んで使っている札やコインはほんの数パーセントの割合しかない。国や自治体、企業や個人もこの魔手から逃れることはできないから社会全体が負債に覆われ身動きできなくなる。ギリシャだけでなく多くの国が財政破綻状態である。また、工業製品は数千から数万の部品からできているが、それぞれの部品を作る下請け企業も銀行マネーで運営しているから最終製品の価格には莫大な利子がつくことになる。価格の三分の一から半分は利子であると言われている。
 
 しかし、デフレや恐慌で経済が落ち込み格差がますます広がり、企業や自治体まで破産してゆくと、最終的には銀行そのものが自滅してゆく。資金需要がなくなるし融資が焦げ付くのだから当然のことである。アメリカでは地方の銀行を中心に恐ろしい勢いで銀行が潰れているという。金融界・財界の指令で政府も様々な小手先の対処療法を打っているが、経済構造を変えなければ焼け石に水なのだ。

経済成長と戦争

 以上の三つが恐慌の主原因であるとダグラスは指摘した。しかし、ここで今までの小手先の対処療法がどんなものであり、ダグラスの時代から百年近くも騙し通せたのは何故か、知っておく必要があろう。小手先の対処療法としては、経済成長とローン社会、自由貿易と戦争などがある。まずは耳に蛸ができるくらい言われ続ける「経済成長」である。新規商品の開発により新たな需要を作り出し、経済全体のパイを大きくすることによって雇用と消費の減少を食い止めようということだろう。地球の資源も環境にも限界があるのだから、無限の経済成長などあり得ないことは現代では常識ではなかろうか。例えかなりの需要を生む新製品が開発されたとしても、他企業も一斉に追いかけるのですぐに過当競争に陥る。最近のIT産業などはその良い例である。また、要らないもの、どうでもいいもの、危険なものも社会に満ち溢れる。
 
 次に、自由貿易・グローバル化で余った商品を他国に押し付けようとする。しかし、先進工業国はどこも同じような状況なのだから、貿易戦争から本当の戦争に繋がってしまう。古典的な戦争は、他国の資源や富を奪うために行われたが、近代では富や製品を他国に押し付けるために行われる、とダグラスは指摘している。実際、二つの大戦にはそういう側面が大きかったのではなかろうか。先進工業国がやらかした戦争なのだ。ニューディール政策がほとんど効果を生まなかったアメリカでは、第二次大戦によってようやく完全雇用を達成し不況から脱することができた。全くの浪費経済である戦争によってしか完全雇用など実現できないことの証拠ではないか。その戦争でさえ最近はオートメ化が進み、人間は機械の回りの雑用係みたいなものである。今は、グリーン・ニューディールがもてはやされているが、一般の人に購買力がないのに電気自動車や太陽光発電をいくら開発したところで限界は見えている。
 
 戦後、アメリカはこの戦争経済と自由貿易を進めてきたが、自由貿易は自国産業の衰退・空洞化を招いてしまった。そこで今度は、購買力のある中間層以上を対象とした贅沢品や金融商品などの開発と個人ローンを進めたが、その結果個人も借金だらけになり中間層の没落を招いた。もはや、小手先の対処療法もほとんど種が尽きたようだ。

国民配当という解決法

 では、ダグラスは近代経済の構造的問題をどのように解決すればよいと考えたのだろうか。これも三つの提案をしている。国民配当とパブリックカレンシー(公共通貨)と適正価格である。

 国民配当というのは、すべての個人に無条件に支給されるもので、ベーシック・インカムと考えていいだろう。前に書いたように、近代工業社会は必ず雇用が減少するし企業会計から見ても所得・需要不足は明白でありいずれ恐慌に陥る。雇用や労働とは切り離した所得を保証する国民配当によって所得の底上げをし、消費の落ち込みやデフレになるのを防ぐ必要がある。諸経費のなかの設備投資や研究開発、原材料や部品などは国民が幾世代も営々と築いてきた共有財産とみなし、現代の人々はすべてその配当を受ける権利があると考える。今更、火打石から火を起こす人も企業もいない。また、ダグラスは個人の自由を重要視してもいた。現代のワーキング・プアーや失業者などの増え続ける貧困層、あるいは正社員でさえリストラと過労死に脅えている状況を考えるとほとんどの人は経済・金融奴隷と言える。国民配当はこの経済奴隷制度からの開放を意味しており、社会主義ではなく自由主義に基づいた構想なのである。
 
 次にパブリック・カレンシー、公共通貨である。現代は利子付き銀行マネーによって動く負債経済であり、社会全体が負債に覆われてしまうことは指摘した。しかし、逆に考えれば、国が信用創造と通貨発行の権限を取り戻しさえすれば簡単に問題は解決してしまう。実際、戦前高橋是清がやった、国債の日銀直接引き受けは実質的には国による貨幣発行と同じである。これによって世界で最も早く恐慌から脱することができた。ダグラスも自分の考えた公共通貨と似ていると言ったそうである。また、ドイツのシャハト国立銀行総裁は労働財務証券という政府通貨を発行してわずか三年で破綻状況の経済を西欧最強にしてしまった。第一次大戦の莫大な賠償金により疲弊し破綻していた財政や経済を、金や外貨の裏づけも全くなしで立て直してしまった。これは現代においては通貨発行の裏付けはその国の生産力であることを示している。国民配当や国の信用創造による企業への融資は、それによって生産される財が国民によって消費されることで企業から国立銀行に戻り循環するのでインフレの心配はない。さらに、ほとんど利子なしで融資されるので製品価格は半値近くになる可能性もある。高橋是清とシャハトはともに国民の消費に結びつかない軍拡がインフレを招くことを指摘したため、暗殺・投獄された。
 
 最後は適正価格。これは消費税とは正反対の制度である。国民配当だけでは生産と消費のバランスが取れない場合、すべての製品やサービスを一律に割り引く制度である。小売店に割り引いた分の代金を国立銀行が直接支払う。古典経済では需要と供給のバランスにより市場で自動的に価格が決まるが、近代工業化経済においては人件費や諸経費により正当な価格はかなり高く固定的になる。そこで国が一律に割り引くという発想ではなかろうか。
 
 以上の三つの制度は、国立銀行がマクロ経済の分析に基づいて行い、生産と消費を均衡・一体化させることを目指すものである。国立銀行の業務は、あたかも気象庁が様々な観測によって気象情報を発表する作業に似ている。

恐慌克服の政治は可能か?

 以上がダグラスのマクロ経済の改革案である。今でも基本的には通用する理論であろう。ケインズ経済のユニークな所はほとんどこのダグラスの理論から導いたものではなかろうか。こうしたマクロ経済からの改革・民主化が進まない限り、私達の民主主義への努力はすべて徒労に終わるであろうし、国民が築いてきた富の恩恵を享受することもできなくなるだろう。

 また、現在の政党政治や議会制度・官僚機構といった政治の仕組みは、銀行マネーや経済発展を前提とした近代工業経済の矛盾を抱え、それに基づいて主にイギリスで作られた制度である。一旦、その経済が行き詰まると最早なんの解決策も見出せず迷走するだけなることは世界の政治状況を眺めるとわかる。機能不全に陥った政治システムをどう変えるか、その見通しは今のところほとんどないし、残念ながらダグラスの考察もそこまで及んでいない。
 
 しかし、通貨と信用創造を公共制度とすると、財源の問題は全くなくなる。財政規律とか歳入・歳出といった言葉は無意味になる。デフレ・インフレ規律が主要な論点となるから、マクロ経済を知らない政治家は不要になる。極言すれば無限の財源があるのだから、国民配当は言うに及ばずその他の政策も公共通貨で行うことができるので、財務省や各省庁に政治家や国会が牛耳られることもなくなる。教育や医療・福祉の無料化も充分可能であるし、将来の不安が少なくなれば貯蓄や投資から消費へとマネーの使われ方は替わる。さらには、わずかな利子により税金を基本的に廃止することもできるだろう。デフレ不況時の徴税や公共料金の値上げは人々から購買力を奪う愚かでマクロ経済オンチがすることである。
 
 もちろん、信用供与・通貨発行も公開・公平・公然・参加の民主主義の原則に沿って行われなければならない事は言うまでもない。国民の大多数が納得するものでなければ公共通貨は使えない。南米では自治体の予算や決算を住民が直接参加して決めたりする動きが広がっているという。また、イスラム金融は戒律にそって利子を禁止しているが、その銀行運営にも市民や聖職者・専門家などが参加している。アメリカ各州の財政はほとんど破綻しているが、ノースダコダ州だけは健全財政である。それは唯一州立銀行を持っているからである。
 
 お金はもはや私達の生活になくてはならない空気や水と同じようなものになってしまった。公共制度と考えるしかない。とりわけ現代では交換ではなく分配の道具として重要な意味を持つ。ダグラスはお金を切符のようなものだと言っている。切符はただ持っているだけで増えたりしない。使われない切符はただの紙切れである。現代ほどダグラスの理論や思想が必要とされている時代はないが、実現の可能性はまだほとんど見えてこない。恐慌という人工的な大津波に人類は襲われようとしている。緊急避難としての地域通貨も視野に入れておく必要もあるかもしれない。


藤沢雄一郎
ゆういちろうのページ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~oyaoya/yomimono.htm
ベーシック・インカム
http://basicincome.progoo.com/bbs/?pid=basicincome&mode=topic
http://bijp.net/


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