ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

離人症性障害コミュの離人症とは

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
トピ立てすいません。
いまだ精神医学界でもはっきりとした結論の出てない解離性障害。
参考文献も少なく、得られる情報量は少ない。
DSMにしても症例を列挙しているだけで、その症例も様々。
その中でも他の解離性障害とは性質を異にしていると思われる(私的見解ですが)離人症について、皆さんの知識、体験、考えを元に議論を行い離人症に対する見解を深めたいと思います。

まず私の見解から(日記に書いたものなので、極私的表現をお許し下さい)

『だれしもが解離的行為を強いられるこの時代、(ここに説明は要らないだろう)解離という病はその行為が行き過ぎたとき病理として現出する。
私において離人症というものの根幹を為しているもの、それは観念的想像力である。
全ての肉体的事象を観念化して経験に還元する事で、肉感的刺激が得られず、当然肉体的表現との断絶が生じる。
これが、感情がない、何も感じないという症状に至る経路である。
それは観念的想像力が強いほど起こりやすい。
つまり治すためには観念的想像力を捨てるか(極論では不可能である)、観念化できないほどの強い肉体的事象を経験するほかはない。
端的な例が自傷である。
痛みそれ自体は意味を伴わないため、観念化することが困難であり、有効である。
しかし痛みは治まってしまえばそれまでであり、自傷という行為自体にはいくらでも観念化する余地がある。
自傷が一時の癒しであると同時に治療的行為になり得ないのは自明である。

さて私が離人症となり他の解離性障害となりえなかったのは、私が解離的行為にも極めて自覚的であったからにほかならない。
解離的行為すら自身の観念体系に組み込むことで私は他の解離性障害から逃れた。または逃した。
誰かが私のコアと呼んだものはこの観念体系にほかならない。』

解離的行為を迫られる時代、に補足を付け加えると
『広義の意味で言えば誰しもが時代の病理性の犠牲者である。
しかし狭義に時代の病理性をとらえたとして(狭義は現代社会、バーチャルリアリティの増殖、価値観の細分化、核家族の氾濫、の集合体=郊外、シミュラークルなど)解離は時代の病理性に深く関係しているのではないか』

※解離性障害の主な原因と思われてる幼児期のトラウマについては
私が持ってないので取り上げてません。もちろんトピ内で議論することはかまいません


なにぶんトピ主の私がこんな程度ですのでほとんど教えていただく形になると思いますが、皆さんで色々な意見を交換しあいましょう。

コメント(8)

あまり正確な文でなくてごめんなさい。
ここでいう解離は
・病としての解離・・・「自己の内部において時間的ないし空間的な連続性が損なわれること」

・内的行為としての解離・・・自己を複数に分裂させ使い分けること(同一性障害ではないです)

で、主に後者の意で取り扱ってます。

観念とはここでは「自分におきた体験を頭で考え、抽象的なもの、想像できるものに置き換える」ことですね。


つまり自分の体験を頭でばかり理解し肉体的、感覚的に感じようとしない、その度がすぎてあらゆる一般的日常も非現実的になったんじゃないか、とそんな感じです。

下手糞な説明ですいません・・;

ちなみに主治医にこの文をみせたら、「(学会では)こういう説を唱えてる人もいる」とのことでした。
>それは逆に健康な証拠だ
そうですね。今の時代だと逆に自分を使い分けれないと苦労して
病気になることもあると良くいいます。
度がすぎると解離性障害になっちゃいますが。
うん、できるだけ体で感じようとすること、それと色々なことを、理解を超えた体験をすることがいいと思います。
読んでくれてありがとうございました☆
トピ違いになったのでこちらに貼ります。
別トピからの丸投げですので全然理論的になってないですけど
どっかに興味を持たれたら幸いです。
書き直すのだるいんです。。すいません;

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


・人と身体的接触をしたとき
・古い記憶が回帰したとき
・アロマ、香水(匂いですね)
・メイク
・ストレスからの解放、リラックス(寝る前というのも多分これでしょう)
・セックス
・薬
(現実感を感じるときを皆さんに挙げて貰ったものです)

僕が興味をもった点は
他者の存在を身体的に認識する行為です。
つまり・抱きしめられる・セックス
ただこれには安心感(リラックス)と快楽(刺激)も含まれますが。
安心感については多分、離人症の原因において比較的多い愛情の欠落から来るものではないかと思います。

またまた強引に僕の持論に引き込みますと
感情の壁を作って内面世界を守り、孤立させる行為は
最初こそ内的資源(記憶、孤独感や寂しさといった付随的に発生する感情、憎しみ、妄想)で充足していられるかもしれませんが
外的刺激の得られない世界は次第に枯渇していき
内的資源も使いまわしによって擦り切れ特殊性を失い実存感が薄れる。
結果、内にも外にも現実感を感じるものがなくなる。

そこで他者という絶対的に内的世界とは異質である外的存在と(まれに)接触すると現実感が引き起こされんじゃないかと。

つまり自分のなかにあるものに非凡性を失い慣れきってしまったことで現実感を失い、他人から自分のないものを与えられることで新しい感覚を得て現実感を得る、と。
これは普通の人は普通にやってることだと思うんですが僕らはそれができてないんじゃないでしょうか。

相変わらず下手糞な文章ですいません;
すごく簡単に例えると、内的資源に頼るというのは、やり尽くしたゲームを延々とやってるようなもんで、楽しいのか暇つぶしなのかそもそもなんでやっているのか分からなくなる。
そこに新しい要素、それこそ対戦だとかが入るとまた楽しくなったりする。
対戦=他人ですからね。
やり尽くしたテトリスも対戦してみると意外と楽しい、みたいな
やったことないっすけど。。。

ただ悔しいのは慣れ=現実感の喪失の部分がやっぱり上手く理解できません
何ででしょうね

で、僕が興味があるのはそれが肉体的干渉によって行われているということです。
それは多分、やっぱり解離現象が思考や観念の歪みから来てるせいじゃないかと。

******************************************************

僕は最近はすすんで恐怖感を感じることで現実感を得ています。
もちろん簡単には得られないので、人間のもってる原初的な恐怖、真っ暗な森のなかを延々とさまよったり
首を吊ってみたり
とかです。
三島が「人生というものは、死に見をすり寄せないと、その本当の力も人間の生の粘り強さも示すことができないという仕組みになっている。 ・・・・・そして死の危険のないところで、いかにして自分の生を証明するかという行為は、一方では狂おしいようなセックスの探究となり、一方ではただ暴力のための政治行為になっていくのもやむをえない」
と書いてます。
離人とは直接関係ないですけど、現実感となると結構ためになる文章かと。
結局、常に死というものに向かい合わなければ生は意味を持たないのかもしれませんね。
自分で自分をみることができないように、生の中で安穏としていては生を理解することができない。
常に死を意識をすることは現代日本では難しいことですから
離人症が蔓延しているのもある種これも原因かもしれません。
私は14才から離人症になってしまい、現在54才まで症状が続いています。会社を退職して暇が出来たので、本格的にに治療したいと思っています。名医の方がいらっしゃれば、教えて下さい。
どうも神経(自律神経)とも関りがあるように思うのですが、どうなのでしょうね。
「ものを持った際、手袋で掴んだように思える」という症状があるのですが、これは触ったという情報が上手く脳に伝わらない為に起こっているようにも思うのです。
こういう物理的な部分にも原因があるのではないでしょうか。

あまり詳しいわけでは無いのですが
「文章を読んでも文脈が解釈できない」というのはドーパミンなんかも関っているような気が・・・違うかな。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

離人症性障害 更新情報

離人症性障害のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング