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埼玉県立熊谷高校コミュの青丹先生逝去

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高32回卒の柳澤と申します。
職場の同僚(熊高の先輩)のところに訃報連絡が回ってきました。

 SNSなので、わかる人にしかわからない書き方にしますが、青丹先生が亡くなられたとのこと。
今週末(土日)がお式のようです。
 現時点で私には不確実な点もあるのですが、訃報連絡が回っているので、確度の高い情報と思われます。

 詳細がわかり次第、再投稿しますが、もしフォローできる方がいらっしゃいましたらお願いします。

また、このトピックが不適切であれば削除お願いします>管理者さま

コメント(14)

81年度卒の案山子こと鈴木です。
間違いではないかとコメントをつけてしまいましたが、今朝になってご近所の方にも昨日亡くなったと連絡があったそうです。
ご兄弟が亡くなってすぐにだったので混乱されたようです。

yanagisawaさん、皆様、申し訳ありません。

青木先生のご冥福をお祈りいたします。
85年度卒の沼上といいます。

どうやら本当のようですね。
ご冥福をお祈りいたします。
案山子さん、ぬまがみさん、コメントありがとうございます。

残念ながら事実のようですね。

式場は熊谷市内のさいたまセレモニー
1月15日(土)通夜式
1月16日(日)告別式
の日取りのようです。詳細がわかりましたらもう一度書き込みます。

青丹は昭和期の熊高を代表する先生でしたね。哀悼の意を表します。

でもさすがに mixi は反応が良いですね。
Facebookでもページを作ってみたのですが全然反応がない…。
http://www.facebook.com/home.php#!/pages/xiong-gu-gao-deng-xue-xiao-fei-gong-shipeji/127896270609108
続報です。

通夜式:1月15日(土) 17:00〜
告別式:1月16日(土) 11:00〜
両日とも さいたまセレモニー熊谷です。
http://www.citydo.com/prf/saitama/guide/sg/260000405.html
電話 048-527-4444

聞き間違いしなかったと思うのですが、もし参加される方は上記
へ電話して確認されることをおすすめします。(すみません)

 今日、仕事の都合で職場の先輩と話す時間が余りありませんで
した。メモをとりながら聞いてわけではないのでちょっと記憶が
曖昧です。

 13日の午前に入院されていた深谷日赤病院で亡くなられたとの
ことです。主治医は熊高卒の方だったそうです。
 私の職場の先輩は担任が青木先生だったので訃報連絡が回って
きたようです。

 以上です。
青木先生のお通夜に参列してまいりました。

 私は50歳近いので今まで何回も葬儀に参列しましたが、どれとも
違う印象深いものでした。実を言えば私は青木先生に直接教わった
ことはなかったのですが、参列してよかったと思いました。

 まず式は神式でした。祭司は女性の方でした。BGMは先生が好き
だったというモーツアルトのレクイエム。
 アナウンスが「ごてーとーお願いします」と流れたときに何のことやら
わかりませんでした。(ご低頭=頭を下げて、とのことなのね)

 参列者には昔教えていただいた先生の面々が…。懐かしさで一杯
になりました。皆さんそれなりにお年を召しているので私が判別できな
かった方もいたと思いますが、私が気がついたのは、物理の野中先生、
橋本先生、生物の高橋先生、体育の船田先生、大迫先生、社会の新井
勇先生、国語の小林進先生…でした。私が存じ上げない熊高の先生も
沢山いらしたと思います。

 一番印象に残ったのはかつての同僚の先生のあいさつでした。
時計を見ていたわけではなかったのですが、おそらく20分くらい(ある
いはそれ以上だったかも)話されたことでした。式全体としては1時間を
優に超えていました。
 話は職員間のやりとり、エピソードを中心としたものでしたが、当時
生徒だった私には知るよしもなかったものばかりで非常に興味深かった
です。

 戦後の熊谷高校を形作ったのはまさに青丹だったんだな、と勝手に
納得した次第です。


08年卒の者ですが、

青木先生の話は親の代や親戚の叔父さんの代、08年度の校長先生、などの方々から

"名物先生"

として教えて頂いたことがありました。

勿論、自分は直接御会いしたこともなく、話を聞かせて頂いただけですが、

さぞかし、青木先生は偉大な先生であったのだと改めて実感しました。

青木先生。
ご冥福を御祈り致します。
yanagisawaさん、ご報告ありがとうございます。
追悼の意を込めて、青木先生の思い出話を一つ。残念ながら実際に授業を受けたことは無いのですが…33年前になります。
熊高に入学して体育の授業でプールに行くと青木先生が泳いでいました。
痩せているのに頭と足先が出るような不思議な泳ぎでスィーっと。
ざばっと、水から上がられた先生は素っ裸でした。
一瞬で男子校とは何か理解しました。
まるで昨日のことのようによく覚えています。
S49年卒の者です。
今久しぶりにmixiを覗いたら青木先生の訃報を知り、もう一週間早ければ、と悔やまれてなりません。
青丹は数ある恩師の中でも自分にとっては今でも最も尊敬し、多大なる影響を受けた人生の師でした。
高校2年の春に始まった青丹の倫社の授業は、白熱教室なんてレベルを越えて頭を毎回ハンマーで殴られるような授業でした。
夏休みまでの数ヶ月はなんとか間に合うようにと、毎回避妊の手法を事細かに、コンドームやペッサリーの装着方法を箒の柄で実演して見せてくれたり、初めての女性が処女で有ることを求めるか否かを討論させたり、徹底的に性的呪縛からの解放をもたらしたものでした。
続きは後ほど……
僕は↑のかたの1年前、1973年卒業です。

同じように倫社の授業の衝撃と
図書館に当時タブロイド誌「考える高校生」(高文研)を入れてもらうのに
青木先生にはお世話になりました。
それ以来、ずっと年賀状のやり取りを約40年続けていたのですが
今年はあの活版印刷?プリントごっこ?のような形態で
内容は哲学的な年賀状は来ませんでした。

そういうことだったのですね。

謹んでお悔やみ申し上げます。

続きです。
この性教育授業のおかげで何人の生徒が祭の後の虚しさや本能の呪縛からの悲劇を味あわずに済んだことか。
2学期には古今東西の哲学者の業績に関する考察とそれらのほとんどがスピロヘータの成した技であった事実の検証。
3学期は当然フロイト的心理学に関する講義。
っといった具合でした。



96年卒業生です。
たぶん、青丹先生から授業を受けた最後の世代なのではないかと思います。
とてもユニークな授業で、今でも鮮烈に覚えています。
そうですか。。亡くなられましたか。。
お悔やみ申し上げます。
「生徒の自由なくして教師の自由もありえない」
そんな表題で↓日記に書きました。

先日、帰宅したら見知らぬご婦人からの郵便小包が届いていた。

開けたら高校時代の倫社の先生の奥様からだった。

先生とは卒業してから40年、ずっと年賀状だけのやりとりをしていた。

昨年、その青木先生(青丹)が亡くなり遺稿を家族で書籍にしたのだという。

僕がうっかりして、喪中の挨拶を送ってしまったので
挨拶がわりに書籍のようだ。

征きて還りし日々―青木戍俊回想録



年譜をみると僕の親父より3つ上の1922年生まれ
88歳で逝去された。
軍隊に入り京大卒だったんだ。

青丹は、担任でも部活の顧問でもなかった。
僕にとっては単なる倫社の社会科教諭であったが
その授業が個性的であった。
中でも性教育は、避妊具をもってきて具体的に真面目に
説明してくれた。
フロイトや「自由からの逃走」のフロムも教えてくれた。

当時「考える高校生」というタブロイド誌が高文研からでていて
それを学校図書館に入れてくれるように頼んだのが
その担当が何故か青丹だった。

その理由が遺稿でわかった。
生徒部長だったのだ。
僕が入学した1970年、生徒会が反安保で毎日のように
生徒総会を開き遂に6月の生徒総会ではストが賛成618、反対607、保留8で可決された。
前年、69年には制服制帽が廃止され自由化されていた。

当時田舎の純朴な少年だった僕は、いきなり大人の社会へ放り投げられたようでそのカルチャーショックは尋常ではなかった。
岩波新書、朝日ジャーナルも初めて読んだ。

そんな僕の気持ちはともかく
そんな学園紛争の渦中、生徒部長であった青丹、
一人の処分者も出さず乗り切った
先生のご苦労が遺稿で具体的にわかった。
県教委、県教組、PTA、マスコミとの対応など
葛藤が青丹らしく正直に書かれていた。
授業では飄々としていた青丹が毅然と対応していたのは
感動ものだ。

僕の知っている熊高の社会科の先生で、管理職になるタイプの方はいなかった。

本によると

「六位会」という集まりがある。平安時代以降の宮廷制度では、五位以上にならないと昇殿を許されなかったことにちなみ命名された、「管理職にならなかった」同僚教職員の集まりである。私はずっといわゆる「ひら教員」だったので、参加資格があり、大いに旧交をあたためた。

写真を見たら当時の社会科教師(東京教育大卒)で僕の担任も写っている。
しかも「六位会」30人もいるぞ!
みなさん、優秀で「なれなかった」のではなく「ならなかった」のである。

書籍では
「われわれが、生徒ともに熊高をつくるのだ。生徒の自由なくして教師の自由もありえない」とも書いている。

そういう先生に教わりそれが伝統だった高校に在学できたことを僕はとっても誇りに思っている。

今の石原独裁の東京や「維新の会」橋下の大阪では、「不適格教員」にされてしまうのだろう。
しかも大衆から支持されている。
怖いなあ・・物言えば唇寒し・・・

こんな高校時代を体験した僕は、今の先生が気の毒で仕方ない。
もっとも最初から気概がなく生徒ではなく上しかみないで五位以上になって昇殿しか考えていない教師なら問題外だが現実は・・・・・?????

本で初めて知ったがご長男は出版社「すずさわ書店」の代表だった。

青木先生のご冥福をお祈りします。
ブログみてご命日を知りました。お悔み申し上げます。32年前・昭和54年3年4組担任だった青丹(本名:青木茂俊)先生。つい最近熊高便りで知りました。同級生の市川・野崎と3人で大学生の頃、寄居の実家に遊びにいき、アオカビのチーズをご馳走になった覚えがあります。社会の先生、それも倫理、しかも、みんなの好きな、フロイト精神分析が専門みたいで、赤ちゃんがはじめに覚える肛門サデイズムについて興味深々と授業を聞いた覚えがあります。高3の進路面談では東大理系ということだけど「医学部に進むつもりはないのかね?」という言葉が妙に耳にこびりつき、浪人して翌年医学部に進学、こうして医師をしています。1度クラス会を開いただけど、野崎とそろそろクラス会でもやろうかと話していたところです。大変残念です。

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