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夢窓疎石コミュの史料の中の夢窓さん:『園太暦』

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 世上の事等、粗(ホボ)、(+崇光帝?ヨリ)勅語ありて、一昨日か、夢窓国師、(+内裏ニ)参上す。武士の上下の不快事、かれこれ命ぜられる事、有るの間(*為に)、(+国師ガ)方々に問答するに、悉く落ち居(イ)れるにて*1、(+コレヨリ)西郊*2に罷(マカ)り帰る旨、これを申す。

 武士の成敗の沙汰*3は、元の如く、直(タダ)義卿、その沙汰を致すべし。執事*4、元の如く、師直、沙汰を申すべき旨、と云々。(+混乱ノ)静謐、誠に神妙(*感心)の事か。

     *1:無難に収まったということで *2:天龍寺か *3:幕府の政務を取り仕切る権限 
     *4:足利家の筆頭家臣

                                     (園太暦・貞和5(1349)年8月21日条)
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 先日、足利尊氏と直義に関する本を読んでいたら、突然、紹介史料の中に夢窓さんが登場して驚きました冷や汗 私は普段、夢窓さん自身の言葉や、弟子たちとの問答などはよく目にしていたのですが、「そういえば、他人から見た夢窓さんの姿は、あまり知らないなぁ・・・」と、改めて気付かされました。こういう素敵な場ですので、紹介させていただきます。

 この日記の当時には、室町幕府の中で、直義と高師直が職権をめぐって対立していて、ついにキレた師直が、徒党を引き連れて直義の邸を襲って、直義がからくも(日本史ではお馴染みの女装で・・乙女座)逃れて、兄貴の邸に逃げ込んだ、という出来事があり、これが後々の、網の目のように複雑に人心が絡まり合いながら展開する”観応の擾(ジョウ)乱”のきっかけとなったようです。

 夢窓さんが亡くなるのは、この2年後なので、当時は75歳exclamation なんとなく険悪な仲・・・というレベルではもうなく、正面切って相手を滅ぼそうとしているわけで、その2人をあっさりと和解させてしまうことからも、大げさな言い方ですが、何となく当時の夢窓さんという人の存在価値や、世間からの期待感のような物が垣間見える気がします。その彼が亡くなって間もなくに、尊氏と直義の対立が収集不可能なほど深刻になるのも、何だか象徴的です。

 史料の『園太暦』は、後醍醐天皇の腹心で、建武の新政の崩壊後は、主に南朝の側に付いて活動していた公卿、洞院公賢(キンカタ、1291-1360)の日記で、南北朝時代の本を読んでいるとしばしば引用されますので、その頃の南北両朝廷の詳しい事情を知るのに、格好の史料のようです。

 「こういう史料もありますexclamation」という方がおられたら、ご紹介して頂けるとありがたいです。あまり知らないので・・・冷や汗

 *チラチラと知った限りでは、花園天皇の日記や、「太平記」の中でも、彼に触れた部分があるようです。

コメント(2)

カドマンさん、ご苦労様です。

示寂前の夢窓国師は、やはり存在感は大きかったのですね。

夢窓国師が、もう少し長生きしてれいれば、観応の擾乱は防げたのでしょうか。。?
やはり、それは無理ですね。あせあせ

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