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ファジル・サイ(Fazil Say)コミュのファジル・サイとマリオ・ブルネロのデュオ・コンサート

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ファジル・サイとマリオ・ブルネロのデュオ・コンサートを
聴いてきました。
プログラムは下記の通りで、会場は神奈川県立音楽堂でした。
 ・シューベルト『アルペジョーネ・ソナタ』
 ・ファジル・サイ『4つの都市』
 ・フランク『チェロ・ソナタ』
 ・ドビュッシー『チェロ・ソナタ』
 <アンコール>
 ・シューベルト『冬の旅』より第1曲”おやすみ”(歌曲を編曲)
 ・バッハ『主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ』(オルガン曲を編曲)

マリオ・ブルネロは1960年生まれのイタリア人チェリストです。
既にクレーメルやアルゲリッチといった世界的ソリストとも協演する
ような実力派です。日本では富士山頂でのチェロ演奏を敢行した
ことで話題になりました。

演奏は期待を裏切らぬ、素晴らしいものでした。ブルネロの気品
溢れるチェロの音色と、サイの生命力に満ちたピアノの音珠の
協演による音楽的祝祭でした。

シューベルト、フランク、ドビュッシーというような古典的なチェロ作品も
さることながら、より芸術的な高みに達していたのは、サイの自作品と
アンコールの小品2曲でした。

ベスト演奏はシューベルトの『冬の旅』”おやすみ”だったと思います。
私はこの歌曲を、ヒュッシュというバリトン歌手が1933年に録音した
定盤で聴いています。この録音は神風特攻隊の青年が、出撃前に
よく聴いていたことでも有名です。勇気を湧き立て、内から励ます
ような、人倫の奥底より響く歌声がCDで聴けます。
この曲をブルネロは悲哀を秘めた静謐なチェロの音色で演奏しました。
彼は決して(死を前にした特攻隊員に対するように)人を励ますことを
しません。その代わり眼に微かに涙を湛えながらやさしく慰めてくれます。
感情の故に造形を崩すということなく、透明なシンパシーを放っています。
こんな演奏は滅多に聴けません。全く有り難い感動的瞬間でした。

次点はバッハ『主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ』でしょうか。
このオルガン曲はタルコフスキー監督の映画『惑星ソラリス』で使われた
ことでも知られています。バッハの数多いオルガン曲の中でも
一、二を争う名品だと思います。これをチェロ用に編曲したものが
アンコールで弾かれました。この天上の佳曲を素材にブルネロは高貴に
歌い、サイは天使のように雅に踊りました。タルコフスキーもこの演奏を
耳にしていたら、自作の映画『惑星ソラリス』には、
オルガンではなくチェロ・ヴァージョンを使用したかもしれません。

ブルネロは往年のフランスの名チェリスト、フルニエの正統的後継者
であると思います。高級貴族の振る舞いのように気品に満ちた
瀟洒な奏法は他の誰にも真似できないでしょう。
一方でサイは、誰の後継者でもない、全く突然変異型の天才と
いえます。正直、私もこんなピアニズムを予想すらできませんでした。
しかもそれが圧倒的なテクニックと色彩感を伴っています。

サッカー・フリークの間では、”ペレとマラドーナのどちらがより天才か”
という議論が交わされますが、その論争にピリオドを打ちそうなのが
メッシの出現です。この大天才の突然の登場には過去のふたりの
プレーヤーの存在が霞んでしまいそうです。
同様にピアノ・ファンの間では、”ホロヴィッツとルービンシュタインの
どちらがより凄腕か”という会話がなされますが、サイの出現がその
論争にピリオドを打つ可能性は高いと思います。

しかもサイの凄さはその天才的な閃きを孕んだピアニズムだけでは
ありません。彼は作曲の才能においても天才的だと思います。
それを実証したのが、当日演奏された自作『4つの都市』です。
これは文字通り、4つの都市の風景を4つの楽章で描いた作品です。
特に各都市の解説はついていないのですが、私の独断と偏見に
満ちた表象で各都市の様態を(勝手に)描写してみます。

第1楽章の都市は砂漠で圧倒的な量のダイヤモンドの粒が降って
います。そこには意味もへったくれもありません。莫大な黄金の珠が
ひたすら舞い降りているのです。それを表現するサイのピアノの音色
も黄金に光り輝いていました。

第2の都市はカオスです。宇宙開闢の前にある、暗黒の混沌が
無茶苦茶な音楽的文法で描かれています。一体この作品以前に
誰がこんな不条理な音符を書けたでしょうか。唖然としました。

第3の都市は荒野で建設中の巨大なコンクリートの構築物です。
ひたすら無機的な居住空間。ドン、ドン、ドン!と工事中の音が
(ピアノで)鳴り響きます。『新世紀エヴァンゲリオン』で綾波レイが
クスリを飲みながら、住んでいそうな無慈悲な都市。
(↑分からない人には全く分からない解説)

第4の都市はニュー・ヨークの繁華街でしょう(←無責任な推測)。
即興のジャズが目くるめくリズムで(ピアノで)演奏されています。
大勢の人が陶酔と堕落に陥る享楽空間。アルコールの匂いも
漂ってきそうです。リズムにのって、死ぬまで激しく踊り続けます。

私は当日までこんな音楽が存在し得ることを想定していません
でした。何故なら、おこがましくも自分の感性に自信を持っている
からです。しかし、サイは見事に私の感性をひっくり返しました。
こんな作品を聴かされたら無条件降伏するしかありません。

カントは『判断力批判』で”美”について論じました。
突き詰めて言えば、美は”恰もある”という形で主観的に認識する
もので、客観的に認識される自然と神の中間にあるものです。
そのプロセスは悟性と構想力の戯れによって合目的的になされます。
反省的判断力と呼ばれています。ところが巨大な津波のようなもの
は構想力の範疇を超えます。その場合は通常の”美”として認識
できません。そこでカントは”崇高”という概念を登場させます。
大いなる天空や怒涛のような波といったものは、『超感性的基体』
が”崇高”の感情を呼び起こすのです。

ファジル・サイの『4つの都市』はまさに”崇高”の感情を喚起します。
そこで人は圧倒されるしかありません。その意味では”美”の射程を
超えた芸術作品といえるかも知れません。しかしそのような作品を
過去のどの作曲家も描けなかったのも事実です。”美”の方を創造
しようとしていたのですから(それはそれで理に適っているのですが)。
まさにサイは誰の後継者でもない、突然変異の天才ピアニストであり、
天才作曲家なのです。

実は私はサイと同年代なのですが、これからもサイのコンサートに
歩を運んで”崇高”な作品に圧倒され、ひれ伏しようとハラをくくり
ました。もしそこで傷ついても、ブルネロの高貴なチェロの音色に
慰めてもらえれば良いのですから。

『自然はその混沌とした状態において、或いはその狂暴で不規則
 極まる不秩序と荒廃をもたらす破壊とによって、莫大な量と力
 とを瞥見させつつ崇高なものの理念を著しく喚起する』 (カント)

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