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F1初心者の会☆コミュの日本GP“鈴鹿”の歴史〜第1弾〜

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こんにちは☆管理人のケロックです☆
いつもF1初心者の会☆にご参加いただき、ありがとうございます☆

今回は「7月特集」ということで、今年3年ぶりに開催される鈴鹿サーキットでの日本GPについて、お話していこうと思います☆

これまで20回、F1日本GPの舞台として、レースが開催されてきた鈴鹿サーキット。コースレイアウトの難しさから、ドライバーの腕、マシン・チームの実力がはっきり見えるサーキットとして、ファンからも関係者からも、そしてドライバーからも高い評価を得ているサーキットです☆
この鈴鹿では、過去の日本GPで、数々のドラマがあり、多くのワールドチャンピオンが誕生してきました。F1史の一部と言っていいほど、たくさんの名勝負が繰り広げられてきた「日本GPの歴史」を全4回に分けて、細かく見ていければと思います☆

今回の第1弾は、初開催の1987年〜1992年の日本GPを再現していきたいと思います☆
この頃は、ピケJrや一貴の父が出てきたり、トロ・ロッソのオーナーであるゲルハルト・ベルガー氏も現役ドライバーとして出てきます☆
最近になって、F1を見始めた方は、是非一度読んでいただければ幸いです☆


※この第1弾は以前掲載したことがあるものの、リメイク版です。ご了承ください。





【1987年:F1が鈴鹿にやってきた】
1987年、ついに世界最大の自動車レース「F1」が、日本に上陸しました。以前に富士スピードウェイでレースが開催されたことはありますが、今回は久しぶりの日本開催、鈴鹿サーキットでの開催です☆
しかも、初開催で世界一決定戦の舞台にもなってしまいました☆当時はウィリアムズチームとホンダエンジンがタッグを組んで常勝軍団を築いていました。ドライバーズチャンピオン対決も同チームのネルソン・ピケとナイジェル・マンセルの一騎打ちとなりました☆しかし、この年のチャンピオン争いはあっけない形で決着してしまいます。
金曜日の練習走行で、マンセルのマシンが大クラッシュ!本人も背中を強打し、レースを欠場せざるを得なくなりました。これで戦わずしてピケの3回目の世界チャンピオンが決定しました。
日曜日の決勝レース。ポールポジション(予選1位)はなんとフェラーリ!!当時のフェラーリは勝利から遠ざかっており、このレースで勝つと約2年ぶりの勝利となる状況でした。そして、日本人初のフル参戦ドライバーの中嶋悟も11位からスタートを切りました☆
レースは、プロストやピケなど、強豪が脱落していく中、1位スタートのベルガー(フェラーリチーム)が順調に1位を守りきり、チームとしては2年ぶりの勝利を手にしました☆
また、中嶋悟選手も6位入賞と、母国日本GPで好成績を収めました☆

こうして、鈴鹿での日本GPは第1歩を踏み出したのです☆




【1988年:セナのチャンピオンへの想い】
鈴鹿では2回目の開催となった1988年。この年も鈴鹿でチャンピオン争いが行われることになりました。今年はマクラーレン・ホンダチームが大活躍!王座決戦は同チームのドライバーであるプロストとセナによって繰り広げられました。プロストは85、86年と2度のチャンピオン経験がありますが、セナは初めてのチャンピオン争い、しかもセナが王手をかけた状態です。予選ではセナが1位、プロスト2位という結果になりました。
そして決勝スタート、セナはチャンピオンへのプレッシャーからか、エンストを起こしてしまい、20位ぐらいまで大きく後退してしまいます。これでレースはプロスト絶対有利な展開になり、奇跡でも起きない限り、プロストの優勝は確実視されていました。
そう、奇跡が起きなければ・・・
スタートで出遅れたセナは、脅威的な挽回を見せ、1台、また1台と前を行くマシンを次々と追い抜いていきます!そして、レースのちょうど半分を消化したところで1位のプロストを捕らえます!プロストもギリギリまで粘りましたが、セナの気迫が少しだけ上回っており、ついにセナはスタート時の1位を自力で取り返してしまうのです☆
まさに「奇跡の大逆転劇」で優勝し、初の年間チャンピオンを手に入れたセナ。レースの記者会見での「僕はプロストを抜く時の1コーナーの先に神が見えた」というセナのコメントは有名なものになっています。





【1989年:セナプロ対決“因縁の接触”】
この年もチャンピオン争いは、鈴鹿で決着を見ることに。そして争っているのは、またしてもセナとプロストです。しかし、この年はプロストが世界一に王手をかけてのレースとなりました。一方のセナは鈴鹿で勝たないと、逆転王座の可能性が絶たれます。それに加え、2人の間には大きな確執が生まれており、少し重苦しい雰囲気の中でのチャンピオン争いとなっていました。
決勝でのスタートではプロストがセナを上回るダッシュを見せ、プロスト1位、セナ2位でレースは進んでいきます。そしてレース終盤の47周目のシケインで事件は起きます。何としても優勝したいセナは、プロストを追い抜きにかかります。一方のプロストも前に行かれたくないために、セナの飛び込むスペースを消しにかかります。結果、2台のマシンはシケインで接触。プロストはマシンを降りましたが、セナはチャンピオン奪還のために、諦めませんでした。マーシャル(コース係員)の手も借りて、なんとかコースに復帰、ラスト2周で1位になってゴールしました☆
ところが、ここから事態は一変します・・・。
レース審議委員会は、セナとプロストの接触の後、セナがシケインをショートカットしてコースに復帰したことが、ルール違反ではないか?と審議を始めました。
結果、セナは有罪となり、レースは失格。優勝もはく奪され、プロストが1989年のワールドチャンピオンを勝ち取るのでした。





【1990年:鈴木亜久里、日本人初の表彰台!】
1990年、この年もセナプロ対決のチャンピオン争いが一番の見所になっていました。しかし、スタート直後に主役2人がクラッシュし、リタイヤ。セナがチャンピオンというあっけない結果になりました。さらにベルガーやマンセルなどの大御所が次々とリタイヤしていく中で、鈴鹿を盛り上げたのが鈴木亜久里でした。レース後半には3位になり、そのままゴール!日本人ドライバーとしては初めての表彰台となりました☆さらに中嶋悟も、6位入賞を果たし、鈴鹿は大盛り上がりとなりました☆

また、このレースで優勝したベネトンチームのネルソン・ピケにも、特別な思いがありました。このレースの直前に僚友で昨年の鈴鹿優勝者のアレッサンドロ・ナニーニが、ヘリコプター事故で重症を負い、欠場を余儀なくされたのです。複雑な気持ちでレースに臨んだピケ、しかし、ナニーニのためにも良い結果を残したいという強い気持ちで激走。ナニーニの代打で同じブラジル出身の後輩、ロベルト・モレノとチームで1,2位を独占!これでナニーニに嬉しい報告ができると笑顔を見せていました☆




【1991年:“先駆者”中嶋悟の鈴鹿ラストラン】
この年の鈴鹿は、少し寂しい雰囲気が漂っていました。日本で初めて正ドライバーとしてF1参戦を果たした中嶋悟が、91年いっぱいでF1を引退することになっていたからです。この年、鈴鹿に来たファンの合言葉は「ありがとう中嶋」でした。金曜日から観客スタンドでは、ウェーブが起こるなど、全員が中嶋の鈴鹿ラストランに注目しました。
決して上位ではないものの、中嶋もできる限りのレースを見せてくれました。
しかし、レース後半にマシントラブルが発生し、コースアウトしリタイヤすることになってしまいます。スタンドからは悲鳴も聞こえました。「せめて完走してほしかった」というのがファンの気持ちでした。そんなファンに向けて中嶋は、笑顔で手を振って、ガレージに帰っていきました。

もちろん、今年もチャンピオン決定の舞台は鈴鹿でした。今回は、セナvsマンセルの決戦、セナはマンセルをうまく押さえ込み、マンセルのミスを誘います。マンセルがリタイヤし、セナにチャンピオンが決定すると、最終周の最終コーナーで、91年シーズンでチャンピオン獲得のためにサポートしてくれた僚友のベルガーに、1位を譲り、優勝をプレゼントしたのです☆




【1992年:セナとホンダ、最後の鈴鹿コラボ】
この年、セナにとっては感慨深い鈴鹿となりました。これまでエンジン供給という形でF1参戦していたホンダが92年いっぱいでF1活動休止を発表していたからです。セナにとってはホンダとともに世界一の座を勝ち取ってきました。なんとしても、ホンダにとって最後の鈴鹿・・・勝ちたい!その意気込みでセナはガレージを後にしていきます。
しかし、この年はセナにとって強敵が存在していました。ナイジェル・マンセルが所属するウィリアムズチームです。彼らは最新鋭のハイテクマシンを開発。リアクティブサスペンションという無敵の武器を手にしたマンセルはシーズン中盤でチャンピオン決定。鈴鹿でも驚異的な速さを見せ付けます。これにはセナも何もできず、予選は3位になりました。
そして日曜日。鈴鹿には「セナの勝利」を願うファンがたくさん詰め掛けました。セナもここで勝たなければならないということはよく知っています。
ところが・・・レースがスタートして3周目の途中で、セナのマシンは動力を失いコースサイドに力なく止まります。気合を入れて投入した鈴鹿スペシャルエンジンが壊れてしまったのです。セナは肩を落としピットに戻り、何も話さずにガレージの奥に消えていきました。
レースは、大本命のマンセルもエンジンから火を噴きリタイヤ。セナの同僚であるベルガーがリベンジとばかりに頑張り、2位を獲得しました☆





いかがだったでしょうか??
おそらく、この頃のF1を知っていらっしゃる方は、コミュ内では少ないと思います。でも、F1に触れている中で、聞いたことのある選手やエピソードはあったと思います☆
このように毎年チャンピオン決定戦の舞台としてF1界でも定着していった鈴鹿での日本GP。主にセナvsプロストの「セナプロ対決」が中心でしたが、次回の第2弾ではセナプロ世代から次の世代へと名勝負が受け継がれていくところをご紹介したいと思います☆

また、今回は各ドライバーや専門的な用語等の細かな説明を省略させていただいている部分もあります。分からない事がありましたら、遠慮なく書き込んでください☆
あと、この頃のエピソードなどある方も、どんどんコメントしてください☆

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