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F1初心者の会☆コミュのシューマッハが「皇帝」になった16年(1998年〜2000年)

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こんにちは☆管理人のケロックです☆
さて、今回は・・・ミハエル・シューマッハのF1生活16年間を振り返る特集第2弾です。

今回は、フェラーリに移籍して、チャンピオンを獲得するために本当に苦労した3年間のお話です。



【1998年】
「3年後にはこのチームでチャンピオンを獲得する」この年は、その約束の3年目です。この年のライバルは、マクラーレン・メルセデスチームのミカ・ハッキネン。知らない方もよく名前を聞いていたと思います。もちろん、1998年チャンピオン争いをした相手でもありますが、そのもっと昔から・・・シューマッハvsハッキネンのバトルは展開されていたのです。

★★シューマッハvsハッキネン「因縁のライバル」★★
それは、彼らF1にデビューする前年、1990年にまでさかのぼります。
当時のF1は「セナ・プロ対決」で盛り上がってましたが、F1への登竜門といわれるF3選手権で二人は戦っていました。当時は国ごとに選手権があり、ハッキネンはイギリスF3のチャンピオンとなり「セナの再来」と言われ、注目されていました。一方のシューマッハはドイツF3のチャンピオンになるものの、ほぼ無名な存在。そこで行われたのが、各国F3王者が集い、F3世界一を決める「マカオF3グランプリ」でした。
レースは、シューマッハvsハッキネンの一騎打ちに。シューマッハがリードして大本命だったハッキネンはなかなか1位になれません。そこで迎えたファイナルラップ・・・ギリギリまで攻めていたハッキネンがシューマッハに追突!ハッキネンは姿勢を乱し、ガードレールに激突、リタイヤとなってしまいます。一方シューマッハは、マシンの一部を破損しながらも、なんとか1位でゴール!!名誉ある「マカオ王者」になったのです☆これで、両者の人気・注目度は逆転。シューマッハにスポットライトが当たり、ハッキネンは影に潜むことになったのです・・・。



そして、8年ぶりにこの二人のチャンピオン対決がF1という舞台で見れることになりました。完璧なまでのマシンを作り上げたマクラーレンに対し、シューマッハ率いるフェラーリは「5周でエンジンブロー」から始まるシーズンとなりました。これにはシューマッハもハンドルを投げつけるほど激怒していました。
その流れは続き、シーズン前半で22ポイントまで差が開いてしまったのです。しかし、シューマッハはそこから底力を発揮し、ラスト2戦で同ポイントにまで盛り返します!
結果、ハッキネン4ポイントリードで迎えた、最終戦鈴鹿。シューマッハが予選1位でのスタートでした。レース前に2位ハッキネンがシューマッハのもとへ・・・「今日はお互いフェアに戦って世界一を決めよう」と、両者が握手をしたのです☆
そしてスタート・・・
なんと、そこでまたドラマが・・・1位シューマッハがエンストを起こしてしまうのです。これでシューマッハは最下位に、ハッキネンは1位でレースが進みます。追いかけるシューマッハ。逃げるハッキネン。その結末は、また驚くようなことでした。別のマシンが接触して散らばった破片を踏んだシューマッハ車のタイヤが、なんとパンク!マシンにまでダメージを与えるひどいもので、シューマッハはリタイヤとなってしまうのです。
これで、ハッキネンが初のワールドチャンピオンに☆シューマッハも「全力を出しての結果だ。悔いはない」とレース後のハッキネンに歩み寄り、がっちり握手をして、鈴鹿を去っていきました☆



【1999年】
気を取り直し、新しいシーズンに臨んだシューマッハ。98年での敗北の原因となった「開幕ダッシュ」を課題にシーズン前は徹底的にマシンの準備を進めました。その甲斐あって、シーズン前半が終了した時点では、ライバルのハッキネンとほぼ同ポイントに近い状態☆「今年ならチャンピオンになれる!」それが現実になろうとしていた、その矢先・・・またしてもシューマッハを悪夢が襲うのです。
第8戦イギリスGP、スタート直後の直線で、シューマッハのマシンのブレーキが故障。そのままコース脇のバリアに激突し、シューマッハは右足骨折の重傷を負ってしまうのです。一時は「今季絶望」とも言われましたが、厳しいリハビリに励み、シーズン終盤の2戦に出場☆ドライバーズチャンピオンはハッキネンに譲ったものの、フェラーリに17年ぶりとなるチームチャンピオン獲得に大きく貢献しました☆



【2000年】
この年から、ヘルメットのカラーを赤にして気持ちを切り替えて臨んだ2000年シーズン。ハッキネンとの世界一をかけた攻防は、一進一退の展開で進んでいきます☆シューマッハが戦略勝ちをすれば、ハッキネンが入魂の走りでシューマッハを追い抜き、優勝する。シューマッハが2cmブレーキを我慢すれば、ハッキネンは5cm我慢する。そんなシーズンの後半、シューマッハはついにポイントでハッキネンに逆転されます。追い込まれたシューマッハ。全力で攻めても全力で逃げていく相手がいる。彼のプレッシャーは想像を絶するほど大きなものでした。そこで迎えたイタリアGP。シューマッハはフェラーリの地元でハッキネンを抑え、ポイントも再逆転!そして、あのセナに並ぶ41勝を勝ち取ったのです☆レース後の記者会見。「セナに並ぶ41勝ですが、どんな気分ですか?」という質問に。まるで、何か緊張感が途切れたかのように、人目をはばからず・・・シューマッハは号泣しました。
あの、ずっと追いかけ続けていたセナに追いつけた安堵感、そして大きなプレッシャーの中でハッキネンに勝利した開放感。シューマッハは、本当は・・・泣きたいくらいの苦労を強いられていたのです。常人なら耐えることの出来ない、でも「シューマッハだから」耐えなければならない・・・。それの呪縛から、開放された瞬間でした。

そして、2000年の王座決戦は、またしても鈴鹿へ。予選では両者が0,001秒単位でタイムの更新し合う壮絶な戦いに!最後の最後で、シューマッハがハッキネンを0,009秒逆転して予選1位を勝ち取ります。
そして、決勝。スタートで1位にたったのはハッキネンでした。でも、シューマッハも背後について追いかけます。そして2回目のピットで、ほんの少しだけ速く走れたシューマッハが逆転!結果シューマッハが優勝し、21年ぶりにフェラーリドライバーがワールドチャンピオンを獲得しました☆



フェラーリに移籍して5年。最初は言う事の聞かないマシンに手を焼き、それでも勝たなければいけないプレッシャー、何とかしなきゃいけない王者。そんな中起こしてしまった失態、怪我・・・。これからシューマッハは、みなさんも知っている「黄金時代のフェラーリ」を築き上げますが、それまでには、そうとうな苦労と努力があったのです。

そして、ミハエル・シューマッハ自身を心広き「皇帝」として育てたのは・・・もしかしたら、ミカ・ハッキネンだったのかもしれません☆
何があってもフェアプレー。そして、最後まで諦めない闘争心。ハッキネンが限界まで頑張ったから、シューマッハもそれに応え、頑張ることができたのだと思います。必ずレース後は、お互いの健闘を讃えあう光景を、彼らの時は目にしました☆
そういった意味でも、シューマッハにとってハッキネンは「最大のライバル」であり、「永遠のライバル」だったのかもしれません。



ここからシューマッハとフェラーリチームによる「黄金時代」が始まります。かって当たり前のシューマッハになっていくのです。多分知っている方も多いと思います。
でも、「皇帝」だから、苦労することも、追い詰められることもたくさんあったのです。


そのお話は・・・また今度☆

コメント(3)

ケロックさん、ありがとうございます。
いつも優しく分かりやすい文章で、すっと読めてしまいます。
きちんとF1を見出したのがここ3、4年なので、こういう歴史を教えてもらえると新たな発見や驚きがあって、勉強になります。
また機会があればシューマッハVSハッキネンのレースをDVDで見たいと思います。
レース後にお互いを讃え合う姿は凄く良かったです。
シューマッハ応援しつつ、ハッキネンも応援してたような…。
だからハッキネンが引退したとき私もショックでした。
第3弾も楽しみにしてますっ☆

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