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柿本人麻呂さん☆☆コミュの天理市柿本寺と、釈 正輪さん

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天理市の柿本寺復興を任されておられる
釈 正輪さんのホームページ
http://www.syakusyorin.com/


●プロフィール

正眼短期大学宗教学部禅学科卒業。佛教大学文学部仏教学科中退。



梶浦逸外(かじうらいつがい)、大森曹玄(おおもりそうげん)、黒田武志(くろだぶし)、李西翁(りさいおう)の四大老師に師事、更に真言・天台の隔週を研惨鑽修行する。


また中部の霊峰高賀山に於いては「千日回峰行」(せんにちかいほうぎょう)を達成し大阿闍梨(だいあじゃり)となり、密教の荒行「入水往生」ならびに山岳回峰「六社巡り」を復興、20年間に渡り継続する。




その後、形骸化した宗門に疑問を抱き、独自の宗教観により世界宗教の聖地巡礼を行い、マザーテレサの信仰実践とダライ・ラマ十四世の宗教的覚醒に触れたことが、自身の宗教的活動に大きな変化をもたらすこととなる。中でもイスラームの聖地、マッカ大巡礼は偉業である。



世界の皇室関係また国家元首はじめ宗教指導者との交流も深く、特にスリランカ代菩提会会長バナガラ・ウパテッサ大僧上とは旧友の仲である。

高校・大学と教鞭をとり、天台寺門宗本山布教教師などを経る。柿本寺(旧倭宗)住職を拝命し再建中である。



日本国並び日本人の生き方を提唱、再認識し実践とする日本大僧伽(やまとだいさんが)主宰。
MAO塾(児童教育施設)。
直心影流(じきしんかげりゅう)師範(免許皆伝)。
真新影流(しんのしんかげりゅう)を研究。




●千日回峰行 (せんにちかいほうぎょう)

天台宗独特の不動明王と一体となるための厳しい修行である。修行の厳しさでは名高い比叡山延暦寺にあって、最も過酷だといわれる修行が「千日回峰行」である。しろ装束に身を包み、1000日、7年をかけて地球一周に相当する40万キロを歩くというもの。

最初の三年間は1年のうち100日だけ行が許され、1日30kmを歩いて255箇所の霊場を巡拝する。続く2年は1年に200日同じ修行を行い、この5年で通算700日となる。700日を終えると、最大の難関である「堂入り」に入る。これは、飲まず・食わず・寝ず・横にならず、ただ座したまま十万遍の不動真言を唱えると言うもの。


生きたまま出堂できるかわからぬため、親族、一山の僧との別れの儀式をして籠もる。「生き葬式」と言われる大変過酷な行である。堂入りを終えた後の6年目は1日60kmを100日行い、残りの200日は7年目で終える。ただし、最後の100日は75日をもって満行となる。25日足りないのは、一生かけての行ということで残すという。

「歩く禅」とも云われている千日回峰行を行うには強靭な精神と肉体が求められる。一度、「行」に入ると「不退(ふたい)の行」「捨身苦行(しゃしんくぎょう)」と云われ、一日たりとも中断することを許されない。中断は即ち死を意味している。それ故、行者から許可願いが差し出されると千日回峰行満行者で構成する「先達会議」が開かれ、厳しい審査を経て許可が下される。

700日の行と難関の「堂入り」を終えると、「阿闍梨(あじゃり)」と呼ばれる位が与えられる。1000日を満行すると最高位の「大阿闍梨(だいあじゃり)」となり、京都御所に土足参内(どそくさんない)して、国家安寧の加持を行う。織田信長の叡山焼き討ち囲碁、文献が残っている500年間で満行者は47人(2003年時点において)、戦後では12人と極めて少ない。大阿闍梨は生き仏として崇められるが、途中で挫折する人もあり、まさに命がけの行で、これ以上の過酷な修行は存在しないと言われる。




(トピック・・21世紀の提案より)

●精神世界では、個々の存在、集合意識、存在する全ての物の過去の記憶は、すべてアカシック・レコードとして脳の奥深く潜むと言われ、仏教では”阿頼耶識”(あらやしき:第8層の階在意識ともいう)に残っていると言われています。

 最近は、遺伝子工学と遺伝子組み換えが注目を浴び、あたかも現代科学がDNAの謎や遺伝子の世界のすべてを解明したかのような印象を与えていますが、実は現代科学をもってしても、遺伝子の世界はあまりよく分かっていないというのが実情です。せいぜい1%ほどを解明する見当が大体ついたという程度でしょう。これは人間の脳にしても同様で不明な点があまりに多いにもかかわらず、何でも大脳生理学・心理学などですべてが解明できると思い込んでいると、とんでもない結果となります。輪廻転生は、仏教やヒンドゥ教などインド起源の宗教の根幹を貫く教えです。しかし現実には、悪い行いが原因で今世がこうなったと自他に言い聞かせて納得してしまい、刹那を生きる程度の信仰しか持たない人も多くいます。しかし、我々は様々な輪廻転生を形作るカルマを、現実世界において建設的に生きるための推進力・切実なパワーへと変えていかなければならないのです。 それが絶対宇宙の真理より授かった私達の使命なのです。

 真の宗教家とは、自分の過去世のパターンを知り、同じカルマ的な失敗を繰り返さないように細心の注意を払っている者をいいます。過去世を知ることによって今世の意味と使命に気づき、それに沿った目標達成に向けて努力をする方もあります。重要なのは、真剣にそのように考える人がそこから何を学び、それをどう活かしていくかということです。過去世では、誰もが男か女、王様から乞食までを体験しているはずです。カルマによる輪廻転生においては、いかなる地位や才能も全て手が届くところにあります。これを知れば、羨望の念などは無意味となるでしょう。そのように考えれば、宇宙の真実は少数の富者が多数の貧者の上に成り立つものでは決してないことがわかってきます。真の資産・財産とは、全ての人に平等に利用されるべきものなのです。


7.原始キリスト教は”カルマ”を認めていた

 キリスト教のオーソドックスな教義では、生命は一回限りですが、これはあくまでも現在の教会が公式にとっている教義であって、イエス自身の教えではありません。「汝ら蒔くごとし刈り取らん」とは、聖書の格言中の格言です。
  
イエスは言う(ヨハネ 9章 1〜3)
  イエスは道行きしとき、うまれながらの盲人を見給いたれば、弟子達の問いて言う。「ラビ、この人の盲人に生まれしは誰の罪によるぞ。己の罪によりてか親の罪によるぞ。」
  イエスは答え給う。「この人の罪にしもあらず、親の罪にもあらず。神の業の現れんためなり。」

 この問いからもわかるように、弟子達は、霊魂が肉体の誕生以前から存在することを知っていました。しかし、イエスの答えが、輪廻を肯定するのか否定するのか非常に曖昧で、ピントが外れている理由は、聖書が、政治的な理由によって何回も改竄され、その真意が故意に隠されたためなのです。
あなたはわかりますか?イエスがイスラエルに生まれた理由は、そこが、霊的に最も進んだ環境だったからではなく、逆に、最も邪悪で悪魔的な世界であったからです。思い起こしてください。20世紀の聖女と言われた故マザー・テレサも、問題の小国マケドニアに生まれ、自ら進んで貧困の地インドへと渡ったことを・・・・。また、チベットではダライ・ラマ14世の括仏としての化身もそうではないでしょうか。このように、輪廻転生”カルマ”の思想は、ヒンドゥ教や仏教だけでなく、初代キリスト教の教義の中核もなしていたのです。またヨーロッパでも、古代ケルト人は輪廻転生を信じていました。

 以上の事柄を元にカルマの法則を理解できれば、名を馳せた有名人として生きた過去世からでも、無名の人物としての過去世からでも、学ぶべきものは非常に多いのです。しかし、実際にそこから学ぶかどうかは、あくまでも個人の選択であり、自由意志であります。カルマによる輪廻転生においては、いかなる地位や才能もすべて手に届くところにあります。これを知れば羨望の念など無意味と悟り、宇宙の真実は、少数の富者が多数の貧者の上に成り立つものでは決して無いことがわかってくるでしょう。真の資産・財産とは、全ての人に平等に利用されるべきものなのです。物質の世界よりも、ずっと豊かな”精神”の世界の充実を求めるようになること、それこそが”人間復興”の真髄であり、人が人として生まれてきたことの意義とも言えるのです。

 21世紀は”心=意識”の時代、すなわちすべての人が心の輝きを取り戻し、精神的な豊かさを実感して生きる時代なのです。「自分は何のために生まれてきたのだろう」 「人はどこから来て何処へ行こうとしているのか」 究極ともいえる目標が、この”自己を知ること”にあり、「自ら霊的存在との関係について、完全な確実性を完成すること」であります。 それは言い換えれば「自分は何をなすべきか」という使命感に到達していくのです。ここで改めて自らの魂に問いかけてみてください。まず自分自身が変わることからしか周囲は、この現実の世界は、変わっていかないのです。「自分が自分が・・・・」と他人を押し退け”個”を前面に出していく時代は既に終わりました。世界と世界・人と人・情報と情報は複雑に絡み合い、私達はお互いをもっと必要とする時代へと移らなければなりません。これからは、多くの個人や団体が手を取り合い、支えあい、強調しながら生きていく社会にきっとなることでしょう。そのような新しい社会・新しい世界を築くため、新しい意識を持った人々が確実に増えていくことでしょう。まさに未来は”覚醒した個人”がどれくらい多く立ち上がるかに懸かっています。

世界平和の道は、世界各国の人達と魂(心=意識)の絆を結び合うことによって大きく開かれていくのです。今こそ、私達一人ひとりが、創造主の分身として、その使命を果たすべき時が到来いたしました。一人でも多くの人が、偏見やエゴを捨てて自ら心を浄化し、まろやかな愛と慈悲で闇をも包む優しさを持ち続けることが、地上に真の調和をもたらすものと確信するのです。


(柿本人麻呂関連)

●奈良から推参いたしました柿本寺の住職で釈正輪(しゃくしょうりん)と申し上げます。(略)
私共の奈良にございます「柿本寺(かきのもとでら)」と申しますが、これは万葉歌人の三十七歌人の筆頭に上げられます「柿本人麻呂」の菩提寺のお寺です。7 世紀に建立されまして、実は今、廃寺同然なんです。ところが、奈良県のほうは、どうしてもこのお寺を復興したいということがありまして、5 年ほど前に、ご縁がありまして私のほうへ拝命を受け、復興の最中です。日本最古のお寺といわれています。

●過去7年間にわたり大念珠祈祷会の仲間の僧侶達と共に、6月6日午前6時6分に舟を出し、世界平和と日本国家安寧、ならびに柿本人麻呂の霊を慰めるために鳴戸で祈祷を続けてこられました。
今回は訳あって、敢えて9日に鳴戸の渦潮のところで、祈祷をされました。今回は初めて、上記の祈祷だけに留まらず、依頼を受けて、鳴戸でなくなられた有縁無縁のご供養も執り行われました。  


●鳴戸の祈祷は、毎年五日の前日に入り、鳴戸ルネッサンスホテルに宿泊する。
異風な僧侶四人は、今ではホテルの従業員皆の知るところとなり、なかなかよくして頂いていて感謝。

祈祷当日は午前4時起床、午前5時漁港に移動、5時半より漁船を繰り出す。
船長は我われの世代。 この漁場では有名な漁師でワカメ漁を主とするが、鯛漁の時期ともなると、50?以上の大物を吊り上げる事もある。

最初の三年間程は、一体何をする連中なのかと疑われた。6月6日6時だから、悪魔の儀式オーメンですかなどと、訝しがっていたが、毎年ともなると、何かと協力してくれることには有り難い。

漁港から10分も走らすと、鳴戸大橋の橋げたに到着する。
大渦はこの周辺で沸き起こるが、とくに大潮の時などは海流も速く、危険である。
今年は大潮に遭遇する。

今年(2009年度)はわけあって、6月9日に鳴戸での祈祷を行う。
今回は宋師欠席の元、三人での祈祷となった。
現地では先ず崔師を中心に林師が千手経を読経し、続いて私しが大悲咒と観音経を読経した。その際、林師が供物をわだつみ(海の神)と御仏に奉納するのである。

典礼事はしゅくしゅくと厳守されていく、そして終了後は決まって鳴戸の海水を戴いてくるのであった。さて、今年は例年と違い、あるところから特別な祈祷を依頼されたのである。
わけあって依頼主はあかせられないが、なかなか大変な祈祷であった。一連の行事を終え、我われ一行は一路大阪に帰寺したのである。






古事記の話も結構でてきます。。。
(トピック日本の源流を解くより)


六社巡りと修験道
妖魔の本当の意味
シンボルマーク
扶余(ぷよ)族
熊族(ヤ)、虎族(イェ)



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