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短歌点コミュの短歌点825△お題「凍」

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「笑」からバトンを受け取りました。今回は「凍」です。
漢字で読み込んでください。
よろしくお願いいたします。

ルール
1:出題者が、お題を出します。
2:お題は、何でもありで面白そうなもの。50題以前に出されたものであれば、既出のお題でもOKです。
3:出題者じゃない人はお題を詠み込んだ短歌を書き込みます。(一人一首のみ)
4:一週間以後、出題者が(独断で)もっとも素晴らしいと思った短歌を1つ選び、その選出理由を書き込みます。
5:次のお題は、最優秀短歌をつくった人が出すことになります。(新トピックの番号は「自分が選ばれたトピック番号+5」)
6:その後は、みんなでワイワイ感想をかわします。
※2012年4月17日一部改定
(基本ルールに「特定の単語文字列を指定してください。」を加筆。)

コメント(74)

>>[34]

推敲前の歌、大好きで投稿された時点では一番でした。
でもみやまさんが納得する歌作りが一番だと思います。
さいきんみやまさんは調子いいなあと思って見ています。
ありがとうございました。
>>[36]

多分一番最初に投稿した歌が好きだったんだと思います。
それを一番にしようと思ってました。
>>[38]

ねんねこにおぶさっている夜の空のたったひとつの凍てつく星よ

こんな感じかなと思っていましたが違いましたか。
僕も忘れてしまいました・・・残念です。
>>[026]


講評 選歌 お疲れさまでした

丁寧な読み
ありがとうございます


ごじょうさん
最優秀おめでとうございます


寒いから大きな声はだせないよ
…は 呑気に感じましたかがまん顔

自己推敲前の

大声は雪崩を喚ぶよひっそりと雪洞の中凍えの会話

…の方が良かったかなァ冷や汗
>>[40]

どっちがいいですかね。
個人的には

大声は雪崩を喚ぶよひっそりと雪洞の中凍えの会話

の方が好きです。
あくまで個人的な好みですが…
>>[29]

お忙しい中ご講評ご選歌くださりありがとうございます。
拙作にもわかりやすく親切なご講評をくださりありがとうございます。自分でも気になっておりました。

ごじょうさん、おめでとうございます!!
>>[27]
>>[29] きじまっちさん
講評、選歌お疲れ様でした。
そして、一番を頂き、ありがとうございます。

凍傷の左手にある指輪見せ生還できた思いを語る

記憶に確固とした自信がないのですが、きじまっちさんのおっしゃる通り、テレビで観た情景からの歌です。登山の際の凍傷で左手薬指の第一関節を失ったとのことでしたが、「命が助かっただけでなく、こうして指輪をすることもできる。私は本当にラッキーだった。」そんなことを笑顔で話してました。そして「登山は続ける。妻も指輪も応援してくれてるんだ。」みたいな話もあったような…。いつもながら、記憶があいまいな部分は勝手な作り話になってる可能性はあるのですが、内心「なんて自分勝手な解釈だろう。」と呆れつつも、飾り気のない笑顔が羨ましくもあって、印象に残っているのです。



たくさんの祝福の言葉、ありがとうございます。

これまで、気軽に詠みを楽しんできましたが、初めてお題を出すことになりました。果たして、私に読み取る力があるのかと、正直不安の方が大きいです。でも、これをいい機会として、読みの勉強もさせてくださいね。よろしくお願いします。
>>[29]
選歌、講評、お疲れさまっす。
ごじょうさん、一番おめでとうございまっする!


では、わいわいしますわ。
今回、歌意はすごく分かるし共感も出来るのだけど
イイナ〜と思うだけに表現が惜しいというか残念と感じた歌があります。

>>[2] ユッコさん

凍空に伸べる木の枝留まりぬ春に新芽の計画持ちて


表現に違和感を覚える、ひっかかりを感じるというのは
悪いことばかりでなく、時に歌を飛躍的に面白くするのですが
この歌は、工夫が重ねられた分マイナスに作用してしまった気がします。

一番の違和感は文語調の動詞の中に一つだけ口語「伸べる」があることです。
文語に口語を混ぜること自体は、たとえ違和感はあっても
良い効果を生み出すこともあると思いますが、今回の歌では必然性が見出せず
逆に、(自分の受け取り方においては)悪い効果が生まれてしまいました。

どういうことか説明しますね。
とその前に、必然性は感じられる二つの違和感、表現の工夫について書きます。
まず「伸べる」という“他動詞”のチョイスには詠み人の並々ならぬ拘りが感じられます。
慣用的には「枝が伸びる」で、「枝を伸べる」という表現は特殊です。
また他動詞「伸べる」の慣用的な表現は「手を伸べる」「手を差し伸べる」です。
慣用的な表現ではないので違和感が生じますが、この工夫には必然性があると思います。

まず、木の枝の広がりを感じさせることです。一本の枝が伸びるのではなく
木が枝を全方向に伸ばしている光景が浮かびます。
そこから下の句の「新芽の計画」につらなり、やがて新芽が出るであろう枝の節々に
ズームインされる映像的効果を生み出しています。
また、主語を「木」とすることで擬人化され、下の句と整合すると同時に
「木」に感情移入しやすくしています。
よって「伸べる」の慣用的ではない表現の工夫は成功しているように思います。

しかし、
「木が伸べる枝」では無く「伸べる木の枝」として、
他動詞「伸べる」の主語が、ぱっと分かりづらい構文からくる違和感は微妙です。
これが慣用的な表現なら戸惑いません。例えば

「突然の爆音に差し伸べる私の手が止まった。」とか
「彼に差し伸べる私の手が止まった。」など。

この文の主部は「○○に差し伸べる私の手」であり
「伸べる」の主語は「私」であると、問題なく伝わります。
なぜこの構文にしたのかを推測すると
「空に伸ばされた木の枝」の方が「空に木が伸ばした枝」よりも
主部の表現として小慣れているからだと思います。
よって、構文自体の必然性は感じるのですが、
擬人化による効果は消え、
慣用的な表現でないことによる違和感は増大してしまいました。
つまり、工夫ひとつひとつには必然性があるのですが、
重ねることで、その効果が衝突し帳消しになってしまってます。

そこに更に、文語の中の口語と言う違和感が加わり全体の印象はマイナスに。
どういうことかといいますと
文語調の流れにあるために「伸べる」を文語として捉えると
文法ミスをしているように見えてしまうということです。
「凍空に伸ばされている木の枝が」という意味合いを詠み人が意図していると
読者が感じたとき
本来なら完了存続の助動詞「たり」の連体形を用いて「伸べたる」とするところを、
この動詞には使えない助動詞「り」を強引に雰囲気だけで使っている。
という風に誤解されてしまう恐れがあるのです。

てっとり早くこの問題を解決するには
文語調をやめて口語調の動詞で統一することだと思います。
たとえば

凍空に伸べる木の枝固まった春に新芽の計画を持ち

という感じでしょうか。
ちなみに古典調にするなら(自分なら)

凍空に伸べたる木が枝(え)止(や)みぬめり春(はる)芽を出づる謀(たばか)りあらむ

ご参考まで。
で、ちょいと言い訳・・
「木が枝(え)」は慣用的な表現ではありません。
慣用的な表現なら「木の枝(え)」と思いますが、ここは敢えて採用しました。

まあ、惜しい残念と言っても俺がそう感じてるだけですので
さほど気にされることもないと思いますが
もし、疑問、反論があれば是非。お待ちしてます。
>>[045]

ありがとうございます。
講評 本当にありがとうございました。

おっしゃる通り、雰囲気でまとめてる点は否めません。

具体的に例を挙げて書いて下さった事 感謝いたします。
>>[43]

「まざらざる」を何とかするのは難しいですね。
でも素敵な歌でしたよ。
ありがとうございました。
>>[44]

やはりテレビの映像だったのですね。
僕も観てみたいです。
素敵な歌でしたね。
ありがとうございました。
>>[47]

ありがとうございます。上のリズムが悪いと思いつつ言葉を変えられなくて、下のリズムを整えてばかりいました(笑)


師走の行事がたてこみはじめました。皆様もお忙しいことでしょう。お体大切に。

わいわいしにきました!

お気に入りです!


氏ネ氏ネ団団長さん

飾りなむ葉も無き枝の先までも凍てつく風に雪の華咲き


わかりやすくて内容がしっかり伝わって来るのが最高です。
飾りましょうという出だしが雪や景色と作者、作中主体が一体になっているかのようで、そういう工夫、趣向がとても好みでした。
また、私の故郷の美しい原風景にもつながる歌でもありましたので懐かしさも感じました。言葉が美しいと思います。



ユッコイイネスターさん

凍空に伸べる木の枝留まりぬ春に新芽の計画持ちて


空に差し出した手がふと思いとどまったようにそこでとまっている。ああ、春にまた新芽を出すことを思い出してここにとどまってくれているかのようだ。とよみました。最初に行こうと思えば空へと行けるのにという前提が見え隠れするところに新鮮さを感じました。
一つ。春に新芽の計画の新芽が言い過ぎな感じがしました。春の計画は新芽と言わず読者に任せてみてはどうでしょうか。
感性が素敵。内容の濃い素晴らしい短歌でした!


>>[050]

ありがとうございました。
具体的なアドバイス、本当に嬉しかったです。
>>[49]

そうでしたか。
難しいけど、推敲してみてください。
>>[54]

推敲頑張ってください。
コメントありがとうございました。
>>[51]

生意気を言ってしまいました(^^)
春の計画、素敵な発想ですよね。
>>[54]

お気に入りありがとう御座います(^^)
>>[056]

率直なご意見嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。
>>[46]

なんか上から目線の物言いになっちまい申し分けないっす。
完了・存続を表す助動詞「り」は、使い勝手がいいんですよね。
多くの場合、連体形「る」の形で使われますが。
雰囲気で無意識にそう詠まれたということは、古典調和歌のセンスを
理屈抜きでお持ちだということだと思います。

この「り」に接続できる動詞は、四段動詞とサ変動詞です。
使おうと思った動詞を古語辞典で調べればよいのですが

手っ取り早く、使えるか使えないか判断する方法を書いときますね。
動詞の未然形、つまり否定の「ず」を続けたときの活用の
最後の母音が「a」であれば、四段動詞なので使えます。

例えば、
「吹く」「為す」「待つ」「言ふ」等の動詞。
未然形は後に打消しの助動詞「ず」を付けたときの形ですので

「吹か・ず」「為さ・ず」「待た・ず」「言は・ず」。。

そして、助動詞「り」は、この四段動詞の命令形に接続します。

「吹け・り」「為せ・り」「待て・り」「言へ・り」。。

ちなみに、この時の命令形に命令のニュアンスは全くありません。
かつては「已然形」と解釈されていたこともありましたが
語形の変化の歴史から已然形はおかしいということになり
便宜上「命令形」と分類されているだけのようです。

今回の歌の、口語の動詞「伸べる」は下二段で
文語にしても「伸ぶ」で活用は下二段ですので助動詞「り」は使えません。
実は、似たような意味の他動詞で「伸ばす」という動詞が文語にもあります。
これは四段動詞なので助動詞「り」が使えます。
よって、今回の歌も

凍空に伸ばせる木の枝〜

と、出来そうな気もするのですがw
古語辞典の用例からは「伸ばす」は「長びかせる」
という意味合い、ニュアンスが強いようで
自分は怖くて使えませんw。
まあ、やっぱし地道に辞書を引くのがお勧めですかねw。

是非とも完了・存続の助動詞「り」を使いこなしてかっこいい歌を詠んでくださいw。


>>[50]

お気に入りにあげて頂きありがとうございます。
ええと、好意的な解釈をして頂いているので、書くか書くまいか悩んだのですが
意図した歌意は若干異なるのです。
現代文で近いニュアンスの歌にすると。。

飾るだろう葉も無い枝の先までも凍てつく風に咲く雪の華

結句の後に「が」という格助詞を省略して倒置法にしています。
歌の心は

季節が変わり、凍てつく風を身に受けて「痛っ」と思いながらも
この風は、やがて枯れた木々を美しく飾ってくれるだろう。
という感じです。

ここで、強い推量を表したいと思い古語表現である連語「なむ」を採用しました。
ただ、この「なむ」、強い未来推量のほかに強い意志も表します。
そこで、結句の体言止めをやめて「雪の華咲き」→現代語にすると
「雪の華が咲いて」という風にして推量と取れるようにしたつもりでした。
倒置法も明らかになりますしね。

悩んだのは、「飾らなむ」として「飾って欲しい」
というニュアンスにするかどうかでした。
おそらく余情的な歌にするには「飾らなむ」の方が
良いかとも思ったのですが、客観的な事実(推量)を詠むことにしました。

去年の冬、金沢は大雪に見舞われ散々だったのですが
それでも雪の華が咲いた街路樹は、息を飲むほど美しく
今年の寒い風もきっと雪の華を咲かせてくれるに違いないという
期待に慰めを感じました。

そんなわけでチョイスした「なむ」でしたが
「意思」で解釈されてしまいましたねw
まあ、そこが古典調に和歌を詠むときの悩ましいところですね。

きじまっちさんの講評もそうでしたが、
凍てつく風とは真反対の暖かな解釈をありがとうございました。


写真は去年の冬に撮影した街路樹に咲いた雪の華。
>>[061]

色々教えていただき、ありがとうございます。
かっこいい歌を詠むのを目標といたしましょう。
>>[62]

綺麗な写真ですね!空気感がなんとも言えません。

私の方こそ大変失礼いたしました!お気遣いくださったうえに、ご丁寧にお教えくださりありがとう御座います。

お教え頂いて、飾ることになるだろうという大きな感慨が先にあることで長くその地に住むものの息づきが感じられるのだとあらためて鑑賞させていただきました。

ごめんなさいね(^^)
>>[27]  超遅くなりましたが、歌評、選歌、ありがとうございました!特に歌評は、日頃から、なんてロッカな歌人さんなんだろう、とその作品が大好きだったきじまっちさんの創作のヒントがかいまみえ、ありがたかったです。具体的なアドバイスもいただき、これからの自分の道しるべとなりました。
訂正ロッカ→ロック

ごじょうさん、おめでとうございます。理由は後日のべますが、わたしも大好きな歌会でした。
>>[50]
いえいえ、こちらこそっす。謝ることは何もないっすよ〜。

ふふふ、それでは
ってことでも無いですが半分子さんの歌の感想も書きますわ。


故郷の冬にはなにもまざらざる凍て山の吐く息の白さよ


故郷の雪の白さを詠んだ歌だと思いました。
まじりけ無しの真っ白な雪を。
我が故郷、札幌にも雪の思い出は沢山あるので
分かる気がしますが、まあなにせ都会なもんでw
雪をとかしたら塵や油が浮いてた体験があるので
まじりけありまくりの印象が残ってますw。
その点、この歌からは自分の故郷よりも
美しい山と空気が感じられる歌だと思いました。

「凍て山の吐く息」という表現は
分かりやすく下句のリズムも軽快っすね。

「まざらざる」にも
特にネガティブな印象は受けなかったのですが
議論?になっているようなので考えてみました。

「なにもまざらざる」は、無垢な白さを表す工夫された表現です。
動詞「まざる」には詠み人の拘りを感じます。
おそらく意図したものではないでしょうが。
客観的な事実を描写するのであれば
動詞「まじる」の方が状態を表すにはフィットすると思うのですが、
外から混ざるものは何も無い、という詠み人の思いが表れています。

敢えて難をあげるとすれば
「まざらざる」から「白さ」までが遠く、
せっかくの「凍て山の吐く息」が、インサート的な位置づけになっている点でしょうか。
また、ご自身もおっしゃるように、上句のリズムが若干もたついてるかもしれません。
それは「なにも」が原因ではないでしょうか。
以上を踏まえて、僭越ながら推敲してみましたw

故郷の冬にはまざるものはない凍て山の吐く息の白さよ


文語表現の「なし」も良いかと思いましたが
現代語表現の「ない」は終止形と連体形が同じなのを活かしました。
上の句で「?」と思わせて結句で歌意を明らかにする構造は変わってません。

歌の推敲に終わりはないっす。是非是非、推敲を続けてみてくだされ。


>>[65]

ロックでしたか!
それだったら満足です!
これからも転がり続けていきます!
>>[67]

わぁ 嬉しい嬉しい!拙作が素敵になりました。
なにもは押し付けていたんですね。なくなったらスッキリしました。ありがとう!
好きな歌です。
「凍傷の左手にある指輪見せ生還できた思いを語る」
定番のストーリーではあるのですが、描写が巧みなので新たな感動があります。わたしの目には今も生還者の赤黒くなった顔や手と三日月のように静かに光る指輪が見えます。新奇なドラマを産み出すより、難しい表現だと思いました。
「,故郷の冬にはなにもまざらざる凍て山の吐く息の白さよ」
下句の山の擬人化に、まず魅了されました。上句のざらつく感じもすべてが凍りつく世界のかじかむ身体性にぐーっと、訴えかけて、迫力が凄かったです。
「とこしえの凍土にタネを落とす鳥でもいい今日も歌を投じる」
「タネ」の表記に、鳥がフン(種の混じった)をポタッと落とす音まで、聴こえるかのよう。すべての表現者を勇気づける意志ある世界観も好きでした。
  
 みなさん、素敵でした!

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