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短歌点コミュの短歌点869∆お題「血」

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トピック859「シーソー」よりバトンを受け継ぎました。人間を形づくるパーツシリーズ、「血」でお願いします。音読み訓読み、意味が、そうであるなら、カタカナ、ひらがな、熟語、なんでもありで。
「青ざめしわがくすり指青森の小学校の吸血鬼いずこ
」          寺山修司

「母よ修羅なす散りぎわがみごろしの血の気のうすき花みにゆかむ」    平井 弘

「玉子かけごはん食べおえ血液400cc捨てにおもむく」         窪田政男

「血を抜いた跡をちいさな指が撫ぜ お医者さんごっこはリアルを帯びぬ」  拙歌


ルール

1,出題者がお題を出します。
2,お題は何でもありで面白そうなもの。50題以上前のものなら既出もOK。
3、出題者じゃないひとはお題を詠み込んだ短歌を書き込みます。
4,一週間以降、出題者が独断で、もっとも素晴らしいと思った短歌をひとつ選びその選出理由を書き込みます。
5,次のお題は最優秀短歌をつくったひとが出します。(新トピックの番号は「自分が選ばれたトピック番号」+5)
6,その後はみんなでわいわいがやがや、感想を交わします。

+特定の単語、文字列を指定。新ルール。

よろしくお願いします。

コメント(118)

続).わかりやすく説明すると
例歌1 
家出したママの帰りきこれからはずっと一緒うれしいな、ぴょん
 これだと、予想がつきすぎて、説明しすぎ、うれしい、はもっと違った表現、あなたにしか言えない固有の表現を探しましょう、とか言われそうですよね。
例歌2
家出したママの帰りきこれからはずっと一緒かなしいな、ぴょん
 これだと、上句のわかりやすさ、ほとんど説明に、なっていることが逆に生かされて、この子どもはかなしいのかあ、なんで?と、読者がいろいろイマジネーションを動かして、考える必要があります。
「せつなさ」が安易という評は、先の例にあてはまるんですかね。どのお題のあれだったのか、思い出せないので、確かめてないのですが。
 わたしは、意外性のない、わかりやすい歌でもよい歌は、たくさんあると思います。たぶん、せつなさの評をして下さった歌人さんも、それは同じだと思います。(これまでの歌評や作品を読めば、伝わってくる。)。大事なのは歌の骨格、誰が、どこで、何をした、何を思った、それで何が起きた、。これらを、わかりやすく歌うのか、読者が自分で考えざるおえないようにして、歌うのか、。
 どちらにしても、創り手のなかでは、はっきりしたプロットがあると、それを表現しようとして、おのずと言葉が選ばれ、表現スキルも磨かれてくると思います。 
 これらは、わたしがほかのひとから教わったことです。とにかく、創作を続けてみて下さい。応援しています。
 
はりはりありがとうございました。おもしろくってためになるなぁ。ぼんぼりさまだったのか。(きじまっちさんのアドバイスだと思っていた。)歌人らしく、ひとつひとつの言葉を大事に大事にあつかいたい、思ってらっしゃるんだなあ、と感じました。
 発見が、あって良かったです。わたしも毎回学んでいます。ありがとうございました。
>>[74] とんでもありません。

これからもよろしくお願いいたします。
>>[77]

ここまでコメント追えていませんでした。
りりる♪さん、書き込みほんとにありがとうございます。言葉だけがたよりなのですよね。うなずきつつ読みました。
>>[86]  ほんとですか、よかった。ありがとうございます。(TOT),うれし泣き。
すみませんが、おふたりとも、冷静さを失っているようです。わたしは、やりとりを読んでいて、悲しくなりました。どちらの言葉も、適切じゃない。
 トピック「耳」を凍結せざる負えなかったのは、ふたりのエスカレートするやり取りを、止めるためだったのですが。
 izumiさんは、ノコギリおとこさんと、対話がしたいのでしょうか。言葉を選ぶ必要があるのは、やり取りする双方にありますよね。

 ここは、ふたりだけのスペースでは、ありません。自分たちは、思いっきりけんかしたくて、してるのだと、しても、人間対人間のマナーに反する感情や言葉が行き交うので、あれば、止めるしかありませんよー。
 健全な議論とストレス発散の傷つけあい、はまったく違う。
  どうか、よろしくお願いします。りりる 
 
線路から血が流れてる
路線図の
ようなあなたの
悲しい傷痕
遅まきながら、
心動かされた歌について書かせてください。


>>[18] ヨシカワさん

血の池に沈まりおりぬうまれ来ぬ子のむくいたりと手をあわせつつ


詠み人の、「苦しみ」を背負って行こうという静かな覚悟と、
この世に生を受けることのなかった子への祈りが伝わってくる歌です。

顔も未だ見ぬ我が子を失った心の痛みはいかばかりか。
体験のない俺には想像するほかありませんが。
きっと周りの人達は「あなたのせいではない」「あなたが悪いのではない」と
慰めたことでしょう。しかしそれでも決してやむことのない心痛は、
他の誰にも理解され難いものなのだと思います。

自分が悪くないのなら、何故この苦しみ、つらさはいつまでも続くのか。
誰のせいでもない強い悲しみは、やがて怒りに変わり、理不尽と分かっていても
その怒りは理解のない他者へとむかいがちになるものです。でも、詠み人は
そうならず、誰にも理解されないその苦しみ、つらさを自分ごととして
静かに向き合う覚悟を決めた。
歌から伝わってくる詠み人の姿勢に、頭が下がる思いがしました。


では、なぜそう解釈出来るのか、気になった表現と共に解説しますわ。

まず歌の構成ですが、二句切れで倒置法を使っています。
「血の池」は、まさしく地獄の血の池のこと。そして二句までで、
いつ果てるとも知れぬ地獄の苦しみの中にいることが明示されています。

しかし、その苦しみの中でもがいているのではなく
静かに沈んでいることが読み取れます。
何故かというと二句から(勿論、結句からもわかりますが)。
ここは気になる表現でもあるので、
二句「沈まりおりぬ」を品詞分解しておきます。

沈まり:四段動詞「しづまる」の連用形
おり :ラ変補助動詞「居り」の連用形 ※1 
ぬ  :完了の助動詞 ※2

※1「おり【折り・居り】」は辞書引くと→「をり」と出てくる。
  「おり」か「をり」かは辞書に両方あるし気分で良いかとw。補助動詞なら
   大抵仮名表記だがここでは「おり【降り・下り】」と区別するために漢字
  「居り」を採用。
※2 ただし意味は文脈から完了ではなく確述=強意を表す(多分w)


えーと、品詞分解書くと文法嫌いな人がうわってなるのは分かってるんですが
これしとかないと古語辞典ひけないんすよ。多くの場合、辞書には終止形しかのってないので。
というわけで「血の池に沈まりおりぬ」を
強意の「ぬ」は訳出せずに逐語訳すると

血の池に沈まっている


となります。
「??」と思った人も多いかとおもいます。
すでに辞書を引いた方は気づいたと思いますが、
「しづまる」に「沈む」という意味はありません。
また辞書上は大抵「静まる」「鎮まる」の字が使われてます。

では「沈まる」という表現は日本語にないのか、
全くの間違いなのかというと、そうも言い切れません。
なぜかと言うと「沈」「鎮」「静」は同根のニュアンスがあるようだからです。
実際「鎮まる」の意味で「沈まる」としている用例も見つけました。(散文ですが)
もちろん自分は専門家ではないのでみつけた用例自体が間違っているかもしれません。
しかし詩歌においては、仮に正調の表現ではなくても工夫によって生まれる効果的な
表現はありえます。この歌は正調に訳すと

血の池に静まっている


となりますが。
この「静」に「沈」をあてる工夫とするなら


血の池に静かに沈んでいる


と解釈できるということです。よって
地獄の苦しみの中で心を鎮めていられるのは強い覚悟があるからなのだろう
と思えるわけです。

ただ、この工夫された表現の素晴らしさが
読み手に届くかどうかはかなりの博打かと思います。
文法ミスではありませんが、言葉自体が現代語にも見当たらないのですから、
出題者のりりるさんが「めんくらった」というのも無理からぬことかと。


つづきます・・
つづきです。

さて、自分が気になったのは「おりぬ」という表現です。特に助動詞「ぬ」。

ちなみに、この「おり」を「降り」ではなく「居り」と解釈したのは
その前の動詞が「しづまる」だからです。
もし「沈みおりぬ」ならば「降り」「下り」の可能性もありましたが。
(以降、混同をさけるため「をり」と書きます。)


動詞に連なる補助動詞「をり」は、〜しつづける。〜している。という意味です。
そこに完了の助動詞「ぬ」が続くとどういうニュアンスになるのか。
今回「ぬ」を「確述=強意」としていますが
有名な用例は正岡子規の


鶏頭の十四五本もありぬべし


の「ぬ」です。
鶏頭の花が十四五本もはあるに違い無い
と解釈します。

もっとも確述の「ぬ」は、上記の「べし」のほか
「む」「らむ」「べし」など推量の助動詞を伴うことが多く、
それが「完了」か「確述」かの判断のヒントになるのですが。
今回は推量の助動詞がないので用例に頼るしかありません。
しかし「をりぬ」が末にくる表現自体が古典和歌では見かけないので、
判断は難しいろころです。日文研の和歌データベースで検索しましたが
室町時代中期の私撰集に一首のみで、
しかもその「をり」は補助動詞ではありませんでした。
というわけで、文脈での判断ということになりますが、
確述のニュアンスを前面に出して歌を意訳すると。


私は、間違い無く地獄の血の池に静かに沈みつづけるだろう。
生まれて来れなかった子が報いてるのだと手を合わせ祈りながら。


となります。いかがでしょうか。
気になるのはこの「ぬ」があることで、
客観的になりすぎる感じがしてしまうことです。
上記の意訳の「私は」をとると分かると思いますが。
出題者のりりるさんが他者を詠んだ歌と感じたというのも、
うなずけてしまうわけです。

ちなみに「子のむくいたりと」の破調については、
歌に良い効果をもたらしていると思います。
字余りは五七調で読み取ろうするとき一気に読むので
勢いがつき、その分、詠み人の熱量が伝わってくるからです。
少なくとも自分にはですが。
あとこの完了・存続の助動詞「たり」は大事なポイントだと思います。
前半の「をり」と呼応して、いつまでも続く「つらさ」を伝えるからです。、


なんか、
とりとめもなくだらだらと書いてしまい申し訳ありません。
最後に余計なこととは思いますが、
以上の点をふまえて上の句を推敲してみたものを書いときます。



血の池に身は沈みをり生まれ来ぬ子のむくいたりと手をあわせつつ

>>[117]

ありがとうございます。

拙稿歌に添削までしてくださって
このうえないことです。

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