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短歌点コミュの短歌点843△お題「うどん」

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お題は「うどん」でお願いします。
熟語も可です。表記はひらがなの「うどん」でお願いします。
お待ちしています!


うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う 高瀬一誌


ルール

1:出題者が、お題を出します。
2:お題は、何でもありで面白そうなもの。
  50題以前に出されたものであれば、既出のお題でもOKです。
3:出題者じゃない人はお題を詠み込んだ短歌を書き込みます。(1人1首のみ)
4:一週間以後、出題者が(独断で)もっとも素晴らしいと思った短歌を1つ選び、その選出理由を書きこみます。
5:次のお題は、最優秀短歌をつくった人が出すことになります。
 (新トピックの番号は「自分が選ばれたトピック番号+5」)
6:その後は、みんなでワイワイ感想をかわします。

※2012年4月17日一部改定(基本ルールに「特定の単語・文字列を指定してください。」を加筆。   管理人:ツトム)

コメント(54)

讃岐路でうどん一杯シェアするの。幼な子一本ちゅるんとすする
風邪をひき寝込む枕辺運ばれる母のすうどんふぅふぅ熱く
朝ぼらけ吹きこぼれたる讃岐うどんたまみが泣くから後はお願い
真夜中にひとりうどんをかっ食らう まだまだ強くていやんなっちゃう
久々の雪掻きのあとまっていた鍋焼きうどんの湯気たちのぼる
「木嶋いま何やってんの?」旧友に答えられずにうどんをすする
しめきりましたー。
少しお待ちください。
>>[1]

柔らかく炊いたうどんをぷつぷつと切りつつ赤子に口開けさせる

「柔らかく炊いたうどん」、「炊いた」という言葉もいいのか、ほんとうに柔らかくあたたかい音の感じに惹かれました。まだ固いものを食べられない赤ちゃんに食べさせているのですね。まだ言葉を話さない赤子への目線や、思いを汲み取りつつ口を開けさせる、近しい関係性が伝わります。
>>[2]

伊勢うどん好きか嫌いか召し上がれ伊勢っ子ソウルフードのどうだ

好きでも嫌いでも食べさせる強引さがおもしろかったです。ぐいぐい押してくる。伊勢うどんを「ソウルフード」と名付けたところがキモ。セリフをそのまま書き写したみたいな、「好きか嫌いか」とこちらの気持ちを揺らすところに「謡」の感覚が流れていると思いました。
>>[4]

柔肌の喉すべりゆく感触を面白味とせり讃岐うどん

讃岐うどんに対して自分の喉が柔肌のように、ひ弱なように感じられる。そこがなんだか面白いところも讃岐うどんの味のうちだ、と読みました。「面白味」というところを起点に言葉から受ける雰囲気ががらっと変わるのがおもしろいですね。
この読み方で合っているのか、すこし歌意がとりにくいところが気になりました。
>>[7]

夜も更けて腹鳴りぬればうどんのみ君喰はねやも火をかけまけな

夜中になってお腹がなったがうどんしかない。君が食べるかは分からないけれど、火をかけようかな。と読みました。「かけまけな」の「まけな」は「設けな」でしょうか。おじいさんがおばあさんに、呟くともなく呟いている感じがします。古語のやわらかく身に直接寄り添ってくるような響きが、気持ちをあたたかくもしんみりさせます。
>>[13]

間違えたたぶん間違えようとして湯がくうどんの解けゆき透く

「間違えた」で軽く時間が途切れ、「たぶん間違えようとして」と自分で自分に補い、下句のうどんの動きに心がなじんでいくさまが描かれていると読みました。冷凍うどんの解けて透けるあの感覚が下句で的確に言い表されているところに惹かれます。ぎくしゃくした上句の感じが、うどんに見透かされるよう。
>>[14]

暁と共につむじをかき乱し羅刹の咽喉はうどんを流す

羅刹とは仏語だそう。「大力で足が速く、人を食うといわれる悪鬼。のちに仏教に入り、守護神とされた。(デジタル大辞泉)」とあります。「つむじ」とはあの渦巻き状が人体の不可思議さや不気味さを醸し出す部位ですが、羅刹はその部分を暁の時刻にかき乱し、うどんを咽喉に流し込んでいます。何かもとになる話があるのかもしれないですが、すごく人間味がある光景で、読んでいるこちらが逆照射されるような気持ちになりました。徹夜明けだったのかなあ。
>>[16]

讃岐路でうどん一杯シェアするの。幼な子一本ちゅるんとすする

親と子、または肉親でなくとも、大人と幼な子でシェアするということでしょうか。幼な子は胃も口も小さいから、讃岐うどんなら一本で充分なんですね。「うどん」っていう字がかわいいことに、この歌の雰囲気から気づかされました。
>>[17]

風邪をひき寝込む枕辺運ばれる母のすうどんふぅふぅ熱く

風邪をひいた私の枕辺に運ばれた、母のつくったすうどん。その熱いすうどんをすすっている光景が描かれていると読みました。「枕辺運ばれる」あたりでしょうか、誰が誰に運んだのか、寝込んでいるのは誰か、という関係性がちょっと分かりにくかったです。「母のすうどん」がやさしい。
>>[18]

朝ぼらけ吹きこぼれたる讃岐うどんたまみが泣くから後はお願い

朝たまみが泣くから、火にかけた讃岐うどんをみていられない、後はお願い。途中から声になっている書き方が巧みなのと、「たまみ」という名前がちょうどよくて心に残ります。「吹きこぼれたる讃岐うどん」と字余りになっているところに「吹きこぼれ」ている感覚が出ていてうまいです。
>>[19]

真夜中にひとりうどんをかっ食らう まだまだ強くていやんなっちゃう

真夜中に「かっ食ら」って次の行動や次の気持ちへ進んだのでしょう。その勢いが出ていておもしろいです。「ひとりうどん」という単語にも読めるところも良い。下句は笑っちゃったけど、ここは文脈があるから読める部分もあるでしょうね。
>>[20]

久々の雪掻きのあとまっていた鍋焼きうどんの湯気たちのぼる

こういう風景、実感を知らないので、ああいいなあと思いました。「鍋焼きうどん」はスーパーで売っている簡易なものかもしれないし、ちゃんとつくったものかも。どちらにせよいい光景です。
>>[22]

「木嶋いま何やってんの?」旧友に答えられずにうどんをすする

「うどんをすする」で心情が伝わるところ、上手です。この文字数でシチュエーションや複雑な心情を伝えられたところ、「木嶋」「旧友」という言葉のセレクトの絶妙さが良かったです。
>>[18]

バトンはりりる♪さんにお願いします!

朝ぼらけ吹きこぼれたる讃岐うどんたまみが泣くから後はお願い

「たまみ」になんか惹かれてしまって。。
場面が特定されすぎないで、でもなんとなく大切なところは読み取れるところ、後半の勢いのよさや、言っている本人の泣きそうな感じがいいなと思いました。
お気に入りは、

氏ネ氏ネ団団長さん
夜も更けて腹鳴りぬればうどんのみ君喰はねやも火をかけまけな

カニパンさん
間違えたたぶん間違えようとして湯がくうどんの解けゆき透く

でした。

あたたかいうどんが多かったですね。
みなさんの感想もどうぞお聞かせください。
>>とみいえひろこさん
講評、選歌お疲れ様でした。
小気味よいスピード感あふれる講評が気持ちよかったです。

>>[18] りりる♪さん
最優秀おめでとうございます。
物語性、臨場感のあるお歌ですね。
「たまみ」インパクト大です。
私の敬愛する筋肉少女帯の歌に「たまみ、たまみ…」と連呼するのがあるのですが、まさか、それ…じゃないですよね?(笑
次回、よろしくお願いいたします。

>>[037]

講評・選歌お疲れ様でした。
「うどん」良いお題だったと思います。

たまみ…私は楳図かずおの「赤ん坊少女」が浮かびました。
インパクトのある名前ですね。
>>[27]

選歌、講評お疲れさまっす!
そして感想あざーすっ。
「設く」調べてくれたんすね〜。嬉しいです。まじでw。
調子にのって解説すると、訳というか意図が微妙にですが違いました。

「君喰はねやも」のところ。

君  名詞
喰は 四段動詞「喰ふ」の未然形
ね  打ち消しの助動詞「ず」の已然形
やも 連語 係助詞「や」+終助詞「も」

係助詞の「や」は疑問、反語を表しますが、
ここでは已然形に接続する反語表現です。
硬めに訳すと

君が食べないなんてありますか(いやないよね)

という感じです。
古典和歌ではよく使われる用法で、有名なのだと
万葉集、大海人皇子(おおあまのみこ)

紫の匂ほへる妹をにくくあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも

この歌の「我恋ひめやも」っすな。
品詞分解すると

我  名詞
恋ひ 上二動詞「恋(こ)ふ」の未然形
め  推量、意思の助動詞「む」の已然形
やも 連語

【俺訳】
紫が美しく映えるあなたを嫌いだったなら
人妻なのに私が恋するなんてありえるでしょうか


是非是非、歌に取り入れてみて下さいw。

今回、面白いな〜と思った歌は・・


>>[19] 蜜柑さん
真夜中にひとりうどんをかっ食らう まだまだ強くていやんなっちゃう

勢いがいいっすね〜。うどんを元気よくすする感じで。
「強い」というのは「うどんのこし(芯)」なのか、
夜中にひとりでうどんをかっ食らう心(芯)のなのか
気になるところですが、どちらも悪いことじゃないのに
「いやんなっちゃう」のが、分かるような分からないようなw。


>>[18] りりる♪さん
朝ぼらけ吹きこぼれたる讃岐うどんたまみが泣くから後はお願い


一義的には、子供が泣いてるので吹きこぼれた「うどん」の鍋、あとはよろしく
ということなのだと思いますが、
朝のつくりかけの讃岐うどんを歌に詠もうとして上の句まで詠んだところで
子供が泣き出したので、下の句はよろしく〜と言う風にも読めて面白かったっす。
なんかね、急にふられて「え、え、俺?」という感じw。
まあ、そう勝手に解釈して下の句を詠んでみますかw

朝ぼらけ吹きこぼれたる讃岐うどんいたくな急(せ)きそたまみ泣くとて


古典嫌いな人用に「いたくな急きそ」を品詞分解しときますね〜

いたく 形容詞「いたし」(甚だしい。)の連用形。
な   副詞 〔終助詞「そ」と呼応した「な…そ」の形で〕…(し)てくれるな。
急き  四段動詞「急く」(いそぐ。あわてる。あせる。)の連用形。
そ   終助詞 穏やかな禁止。

というわけで現代語にすると・・

朝、ほのぼのと明るくなるころ、吹きこぼれている讃岐うどん。
どうかひどく慌てないで下さいな。たまみが泣くと言って。


ああ、そうだ・・
一等賞、おめでとうございまっする!

>>[26]
選歌、お疲れ様でした。
全ての歌に、評をいただき、ありがとうございます。


柔肌の喉すべりゆく感触を面白味とせり讃岐うどん

> すこし歌意がとりにくいところが気になりました。
そう思います。「柔肌の」の 「の」にかなり悩みましたが、やはり伝わりにくくなりましたね。
実は、柔肌は、讃岐うどんの形容でした。
「が」の方が伝わりやすいと思ったのですが、読んでみると、つるんと流れる感じにならず、喉に引っかかるような気がして、「の」を採用したのでした。

> そこがなんだか面白いところも讃岐うどんの味のうちだ、と読みました。
大筋で、そういう感じなのですが、本当は「柔肌のようなうどんが喉を通っていく感触こそ讃岐うどんの醍醐味」という風にしたかったのです。力不足でした。

ちなみに、わたしは断然、しょうゆうどん派です。
>>[42]
黙ってられなくなったので参加しますw

柔肌の喉すべりゆく感触を面白味とせり讃岐うどん


この歌は、下の句にある「せり」という表現から、
全体を古典風に詠まれたと判断しました、というのが前提ですが、
「柔肌の」の「の」は、この格助詞主格「の」で正解ですよ。
というか一択です。

ごじょうさんが意図されたとおり「柔肌」がかかる体言は「感触」、
つまり「柔肌の感触」、「柔肌が喉をすべってゆく感触」と受け取れます。
もちろん今回のように、
「柔肌の喉」と格助詞連体格「の」と読み取られるおそれはありますが
そう読まれてしまったら「残念でした」というだけですw。

逆に、ここに格助詞「が」を使うと主格じゃなくて、
連体格の「が」と解釈されても文句言えません。
というのは、古語表現での格助詞主格「が」は、
主語が人や人名、人称代名詞となるときしか使われないからです。

格助詞連体格「が」というのは例えば
「白松がモナカ」とか「君が代」の「が」です。
連体格の場合は人だろう物だろうとOKです。

古典で格助詞主格「が」が使われるケースは案外少ないです。
というのは、古語表現では「我行かむ」のように
格助詞を使わないのが一般的だからです。
百人一首で格助詞主格「が」使われているのは一首のみです。

百人一首95 慈円

おほけなくうき世の民におほふかな我が立つ杣に墨染の袖

この「我が立つ杣に」の「が」です。
主語が人称代名詞「我」ですね。

格助詞主格を使うか使わないかの判断は、ざっくり言うと
その後の文節に主語が掛かる体言があるかないかです。
この歌の場合は「袖」、もしくは「墨染の袖」ですね。
ただ、体言が無い(省略される)場合も多いです。
省略のため文末が連体形だったことが始まりなのでしょうか、
平安時代までは、格助詞主格「が」が使われるときは文末は連体形です。
のちに文末が終止形の場合も出てきますがね。
一方、格助詞主格「の」は、主語が人でも人以外でも使われます。
この辺の用法は、時代とともに変わるので難しくもあり興味深いところですな。

格助詞の話は、きりがないのでこの辺で。

歌の感想ですが、「醍醐味」と意図してるところに
「面白味」という単語のチョイスしてるところが面白いですねw。
「なんか分かる〜」という気がしました。
勝手ながら「味」はあて字と判断すると

「面白み」=面白(形容詞「面白し」の語幹)+接尾語「み」

で構成された「名詞」と解釈できます。
「面白し」の意味は、
https://kobun.weblio.jp/content/%E9%9D%A2%E7%99%BD%E3%81%97

趣がある。風流だ。すばらしい。

なので、「素晴らしさ」→「醍醐味」と言えなくもありません。

「とせり」は詠み人ならではのユニークな表現だと思います。
品詞分解すると

と 引用の格助詞
せ サ変他動詞「為(す)」の命令形(助詞「よ」を取った形)
り 完了、存続の助動詞「り」の終止形

逐語訳すると「としている。」。
ここで区切れるので構文は倒置法ですね。
全体を現代文に逐語訳すると

柔肌のように喉をすべって行く感触を素晴らしさとしている。讃岐うどん。

という感じになります。いかがでしょうか?
少し冷静でニュートラルな表現ですが、ごじょうさんの個性が出ていると思います。

さて、ここからは老婆心というか余計なお世話とは思いますが、もし自分が
「この感触が醍醐味(面白み)なのだ!」を古典調にするならどうするか書いときますね。
まず良くあるパターンですがw、断定の助動詞「なり」を使います。
「面白みなり」そのまま「面白みなのだ」ですね。
つぎに名詞「感触」を古語表現で名詞「あたり」にします。これは好みですが。
あとは、強調の係助詞などを使って語調を整えます。
具体的には係助詞「こそ」+已然形で結ぶ。

柔肌の喉すべりゆくあたりこそ面白みなれ讃岐うどんは



ちなみに、俺は結構うどんどん兵衛が好きですw。

>>[32]  その歌が、他者の目にどう映るか、端的に、伝わってくる歌評、ありがとうございました。お気に入り、ありがとうございます。バトン、受継ぎました。
 ひとつひとつの歌のどこがどんな効果を生んでいるのか、推敲できる余地があるのか、正確な鏡のようなリフレクションでした。
 選歌、とくに歌評は負担だ、という話しはわたしも直接耳にしたことがあり、これからは短歌点も選歌だけになっていくのかな。とリアル歌会にいまどうしても通えない自分は絶望的になっていました。負担を感じながらも、みなさん、そのひとのできる精一杯で、選や評を下さってるんですよね。みやまさんが言っていた成長できる場所のひとつとして、わたしも自分にできる精一杯をやっていきます。
>>[41]  ありがとうございます。短歌には、古語のリズムが合うと思っているので、氏ネ氏ネ団団長さんの和歌にはいつも感銘をうけています。素敵な古語訳、嬉しかったです。ふと、現代名歌を氏ネ氏ネ団団長さんが古語訳したら、面白い本
ができるかもなぁと思いました。
>>[43]
丁寧な解説と、嬉しくなる感想、ありがとうございました。

> 「柔肌の」の「の」は、・・・一択です。
参りました。『格助詞主格「の」』ときっちり説明できることに。
私は、文法的なことや、古典風、現代風ということについて、まだまだわかっておらず、雰囲気的に言葉を選択してしまうところがあります。今回も、「の」にしたいけど、伝わりにくいかな?どうしよう?とぐるぐる考えてました。

> 「柔肌の喉」と・・・読まれてしまったら「残念でした」というだけ
こういう決断力、身につけたいです。こう詠みたいけど、そう読んでもらえるかなぁ、とか考えちゃうと、なかなか踏み切れないことがあります。逆に言えば、それだけ、言葉選びがあいまいになってるということなのでしょうね。それは、私の知識や経験、センスの不足からくるのだと思います。他にもたくさん丁寧な説明をいただきながら、果たして私にどれだけ理解できてるのか、戦々恐々です。

> 「醍醐味」と意図してるところに「面白味」という単語のチョイス
> 「とせり」は詠み人ならではのユニークな表現
この指摘は嬉しかったです。これはもうそのまま、私の讃岐うどん評です。讃岐うどんには、かなりのこだわりがあります。ですので、私自身は、「あの感触こそ醍醐味」だと確信を持っているのですが、一歩引いての表現にして、私と違う考えの人へのあたりを柔らかくしています。ただ、内心、他の人がどう言おうと、私はこうだという思いがあって「せり」を選択しました。
なので、
> 「せり」という表現から、 全体を古典風に詠まれた
は、指摘されるまで、考えもしてませんでした。

> 柔肌のように喉をすべって行く感触を素晴らしさとしている。讃岐うどん。
この読みは、的を射ています。ただ、団長さんの「少し冷静…」とおっしゃる通り、個人的には、もう少し押しを強くしたい欲が出ます。

基本の味覚には、五味(甘味、酸味、塩味(鹹味)、苦味、旨味)があるとされますが、そこに六つ目の味、面白味が加わってもいいのじゃないか?という持論があるのです。五味以外のサプライズがあるという思いが「面白味」を使った理由。もちろん、この表現が独り善がりなのは、承知の上。「月のウインク」や「豆腐が笑う」みたいな感じです。

> 柔肌の喉すべりゆくあたりこそ面白みなれ讃岐うどんは
古典調になると、なんだかとても優雅な感じですね。余裕をもって味わいながら至福を堪能しているような、達観している人のようです。「あたり」という触りの良い言葉のなせる業と言えるかも。「感触」の意味でありながら、喉の辺りを連想してしまって、飲み込んでいる喉の様子が浮かびます。比較すると、拙歌は、まだ達観できずにガツガツ食べてる感じに思えます。団長さんの手にかかると、こういう味わいの深さまで影響がでるものなのですね。結句を変えるだけで、「うどんどん兵衛」のCMに使えそうですもん。

とても勉強になりました。ありがとうございました。


尚、讃岐うどんへのこだわりは、昔の日記で触れたことがあります。
(喉ではなく唇ですが…)
近所の讃岐うどんの店(1)〜(3) 2008年02月17〜20日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=718272388&owner_id=14924440
>>[37]

お気に入りありがとうございます〜
掲載の歌はもともとこう歌ってたのですが

・間違えたたぶん間違えようとして湯がく饂飩のほどけゆき 透く

ひらがなのうどんが課題だったので、ただひらいて出しちゃいました笑
音と意図を汲んでいただいてありがたかったです。

その他の講評も楽しく読ませていただきました!
もろもろどうもありがとうございました〜
>>[40]

読み解こうと思っているうちに時間が経ってしまってすみません。
ごじょうさんの読みもあわせて、ありがとうございます!

「我恋ひめやも」これで覚えたいです!
りりる♪さんの歌の立体的な読みもおもしろかったです。こちらに歌が急に渡される感じ、なるほど。
>>[42]

ありがとうございます、なるほど、わたしは「柔肌の」が喉にかかるとして読もうとしていたんですね。たしかにこの読み方では無理があります。
「柔肌の」が食べ物にかかるところが面白みだったところがとりきれませんでした。「の」のほうがいいとわたしも思います。
讃岐うどんがにゅるっと通っていくところや色白の、讃岐うどんの「存在感」がおもしろかったです。

最近冷凍うどんを食べることが多くて、このお題にしてみました。
>>[44]

もったいないお言葉を〜 ありがとうございます。
ワイワイでもときどき書いてくださること、読んでいます。
わたしはけっこうmixiのゆったり感に助けられていて、それぞれ刺激し合いつつマイペースに続けられるのがいいなと感じているひとりです。
それだけに書かずじまいになってしまうことも多いのですが、たしかに気づいたら書き込むようにする姿勢は続けていくにあたって大事だなと思いました。
「消」、楽しみなお題ですね。
>>[50]  きしまっちさんの投稿歌がいたく気に入って、この良さを理解しようと自分なりに歌評を書いていて、気づいたことが。
 うどんという素材はいとおもしろし。自分のをつくっていても思ったのですが、白飯は悲哀が、パンは何かから解離したかろやかさが、ラーメンは喜怒哀楽いづれも、こってり。な感じがします。  
 うどんは、どこかユーモラスで、間が抜けている。この、不寛容の時代に。人間らしい優しさを湛えた主食ではないかと思いました。素晴らしいお題。ありがとうございました。
 
>>[51]

確かに、きじまっちさんの歌は秀逸ですね。

>うどんは、どこかユーモラスで、間が抜けている。この、不寛容の時代に・・

なるほど、とも思いますが、実は最初「えっ」となりました。
ダイレクトにきじまっちさんの歌のことではないのかもしれませんが、
自分には覚悟を決めないと触れられない突き刺さる歌でだったので意外だったのです。
りりる♪さんの歌評が気になります。さしつかえなければ是非、教えて頂ければと思います。


>>[22] きじまっちさん

「木嶋いま何やってんの?」旧友に答えられずにうどんをすする


生々しいほどにクリアに現実の一場面をシャープに切り取った歌です。
シャープすぎて、気軽に触れると指が切れそうなほどです。
いや実際は初見で、自分の心にすっと剃刀を入れられた感じがしました。
痛みを感じたわけではありませんが、身動きがとれない感覚です。
傷を広げないようにするには、ゆっくりと離れるしかありませんでした。

この歌の感想を書くことによって、
自分個人の内側に確かに存在する認めたくないものを
さらけ出してしまう怖さがあったのです。
詠み人の心情が良く解るなどとは、俺には言えません。
ただ、個人的に同様のシーンがあり、その時の心情が蘇るばかりです。

怖い歌だなと思ったのです。
そして同時に、極めつけの秀歌だと思います。

旧友による、答えられない答えたくない問いかけに対して
子供のころ、口にものを入れてしゃべるなとしつけられた自分は
うどんをすすっている間は、それを理由に黙っていられます。
しかし、いつまでも黙っているわけにもいかない。
うどんをすする音と共に、その緊迫感が伝わってきます。

この後、詠み人はどうしたのか
読者(俺)の気持ちをひっぱりつつ、歌は完結しています。
しかし、作品として美しく完結していると分かっていても
その先が気になるのが読者(俺)の心情と言うものです。
さて、俺ならどうするか。勝手にその先を詠んでみました。

「短歌をね」呆けた友に笑みを見せゆっくりと又うどんをすする


触発された二次創作ってことでご勘弁下さいw。
>>[52]  自分のつぶやきにUPして、短歌点の方にも書くぞー、と思いつつ、そのままに、、、。興味持って下さるひとがいて、うれしーい。後日書きますね!
 自分なら、どうすかなぁ、て誰もが我が事のように入り込んで、主体と体験を、分かちあえる名歌ですよね。箱がしっかりつくられてるんだろうなぁ。
>>[52]  超おそくなりましたが。どうか、わたしの拙い歌評を、聴いてやって下さい。

 「木嶋いま何やってんの?」旧友に答えられずにうどんをすする     きじまっち

 わかりやすい言葉で、誰もがそれぞれの体験を重ねることができる歌。舞台美術のように、箱が精巧につくられ、読者はそのなかで、自分のイマジネーションを存分に遊ばせることができる。この箱が、できてないと、だからなに、で流されてしまう。普遍性と芸術表現を両立させるには力量が、いるんだなぁと教えられました。
 久しぶりに会った旧友に、充実の近況を無邪気に報告されたのでしょうか。ふいに「オマエは?」ときらきらした眼差しのまま、自分にふられる。「なんて、答えよう…」と言葉に困り、とりあえず、考えるふりしてうどんをすする。この行為が、人間臭く、愛おしい。他者と関わることは、時に痛い。自分が人知れず弱っているときは、特に。けれどこの主体は、切ったり、閉じるのではなく、困りながらも、とりあえず、うどんをすすることで、友情を交わそうとする。
 うどんだからこそ、ふたりのこれまでが、あたたかく、ちょっとだめな自分をも、笑ってゆるしあえる関係であったこと、これからも、きっとそれは、かわらない、そう感じさせます。

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