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エリザベス1世あれこれコミュの6)弟

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以前に書いていたブログでは、全く触れなかったエリザベス1世の弟。

ヘンリー8世の子供では唯一の男子です。
…おつきあいしてた「王妃でない女性」たちで男子を生んだ方々はいます。
エリザベスの母親、アン・ブーリンも男子は生みましたが、死産でした。
王妃から生まれた「嫡出の男子」で、ちゃんと育ったのはエドワードひとりなのです。

ヘンリー8世が亡くなったあとで王位を継いだのもエドワードです。
なんでそんなお方について、自分は何も書かなかったのか?

それは「資料が少なかったから」なんです。

ヘンリー8世が死んで王位を継いだとき、エドワード6世は9歳。(1547年)
結核(といわれる)でこの世を去ったのは15歳。(1553年)
治世としても短いですし、若い王様の周りには野心たっぷりな側近が常にいて、
王様が実際に政治を行った、という感じが薄いのです。

ただ、非常にまじめで信心深いお方だったようで、
国内における礼拝はプロテスタントの祈祷書に限る、という「礼拝統一法」を出しています。(1549年)
だからカソリック教徒である長姉メアリとはどうしても意見が合わない。
メアリも意地っ張りなので(笑)全く譲歩しないし、
エドワード6世も、わざわざクリスマスにメアリを王宮に招待して
プロテスタントの流儀でクリスマスを祝おうとしたりします。
(もちろんメアリは怒って途中で帰ってしまいますが。)

プロテスタントである次姉エリザベスとはずっと仲よしでした。
父王が亡くなる直前で容体が不安定なときに、ふたりはずっといっしょにすごして慰めあい、
亡くなった知らせも二人で聞いて、抱き合って泣いた、と伝えられています。

それならなぜ、エドワード6世は自分の後継ぎをいとこのジェーン・グレイにしたのでしょうか?
メアリはとにかく、エリザベスまで退けた理由は?

それは、エドワード6世がまじめでがちがちのプロテスタントだったからです。
「姉ふたりは嫡出ではない」から王位を継ぐにはふさわしくない、と考えたのです。
バチカンでは今現在でもエリザベス1世を「嫡出でない」として「正式な王」と認めていませんが、
(…実はバチカン的には、エドワードも「正式な結婚(最初の結婚)」の子でないので認めていません。)
それでもまだ、カソリックのほうが融通がきく、というか寛容です。
エリザベスも一時は、当時の法王によって「嫡出」とされたのですから。
プロテスタントの教義は、実はけっこう「お固く」て「融通がきかない」のです。

ジェーン・グレイはヘンリー8世の妹の孫では一番の年長者でした。
エドワード6世の当時の側近であったノーサンバランド公の息子と結婚したのは1553年6月。
エドワード6世はこの結婚を心から祝福するつもりで贈り物を用意し、
王位を継ぐのも「レディ・ジェインおよびその嫡出の男子」としています。

女性である上に嫡出でなく、さらに結婚もまだしていない姉たちよりも、
嫡出の上結婚もしてすぐにも男子を生むかもしれないジェインのほうが王位にふさわしい、と考えたのでしょう。

プロテスタント的に言えば女性は社会の表にでしゃばるべきではないのです。
ジェインを後継ぎに指名するだけでも、エドワード6世にしてみれば、
大変な譲歩だったかもしれません。

資料によってはエドワード6世は「父王からうつされた先天梅毒で病弱だった」となっています。
ただ、1551年に行われた「模擬騎馬戦」でエドワード6世が大活躍した、という記録もあるのです。
少なくても、運動もできず、日にもあたれない、という状態ではなかったみたい。

それでも、1552年の春からエドワード6世の体調は急激に悪化、
結核の兆候が出始めます。
このころに自分の後継者についての論文を書き、
「嫡出」の女性のいとこたちを次々に結婚させたのは
エドワード6世自身が自分の寿命を悟っていたからでしょうか。

1553年7月、エドワード6世は息をひきとります。
姉ふたりにはその死は秘密にされました。
次の王はジェインなのかメアリなのか、で王の側近がもめて分裂したためですが、
死の床で誰も身内の顔を見ないままに天国へ行った若い王様は、
なんだかとっても気の毒です。

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