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エリザベス1世あれこれコミュの2)父親

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エリザベス1世の父親は、ヘンリー8世。

お芝居とか映画にもなってますね。
何人も奥さんを変えた(殺した)ことで有名です。
…不名誉なことで有名なのもどうかと思いますが。

ヘンリー8世が生まれたころ、イギリス(とのちに呼ばれる国)は
長く内乱にありました。
これも有名な「白薔薇紅薔薇戦争」ってやつ。
ヨーク家、ランカスター家という二大貴族が争っていたわけです。
「ライオンと一角獣」(家紋)のけんか、という言い方で童謡にもなってます。
ヘンリー8世の父親ヘンリー7世は、この争いをおさめて即位した、ランカスターのプリンスです。
父王も本家の血筋じゃなくて王位につけない?とかいうややこしい話もあったようですが、
息子ヘンリー8世が王さまになるときも、ちょっとごたごたしました。

ヘンリー8世は二男だったんですね。
お兄さんのアーサーが皇太子だったわけ。
ところがこのお兄さん、14歳で病死してしまいます。
病死のきっかけになったのが結婚、というからなんだか気の毒です。
結婚して正式に家庭を持ったら皇太子が住む、と決まっている屋敷が
手入れが悪くてぼろぼろで寒くて、病弱だった皇太子は風邪をこじらせてしまうのです。

この「皇太子の家」がウエールズにあったので、今もイギリスでは
世継ぎの皇太子のことを「プリンス・オブ・ウエールズ」と言いますね。

ヘンリー8世は、そういうわけで12歳で皇太子になり、
17歳のとき父王が亡くなって、王様として即位します。(1509年)
即位とほぼ同時に結婚しますが、このお嫁さん、実はお兄さんのお嫁さんだった人です。
結婚したとたんに旦那さまが亡くなって、本来なら実家に帰るところだったのでしょうが、
あいにくと、和平交渉がらみで嫁いできたスペイン王女でした。
返してしまうとスペインとの間に戦争が起きかねないので、
「そのうち弟の嫁さんにして王妃にしますから」とずっとイギリスにとどめられていたのです。
キャサリン・オブ・アラゴンと呼ばれる人です。

兄弟の妻だった人を奥さんにする、ことについては
カソリックでは原則的に認めていません。
ヘンリー8世の場合、「結婚が成立する前だった」つまり
「まだベッドを共にしていなかった」という訴えをして
ローマ法王からお許しをもらっています。

30年間に6人の王妃を持ったヘンリー8世ですが、
この最初の奥さんとは24年間続いています。
浮気はしょっちゅうあり、ヘンリー8世の子供を産んだ女性もいますけど
(それも男の子!)キャサリン・オブ・アラゴンもしょっちゅう妊娠していたようなので
別にうとんじていたわけではないようです。
ただ、キャサリンは気の毒なことに流産死産の繰り返しで、
生き延びた子供はメアリー王女だけでした。

ヘンリー8世としてもこれはもう、仕方ない、と思ったようで、
よそに産ませた男の子を貴族にして、後継ぎにしようと考えていたようです。

じゃあなんで24年間連れ添った奥さんを離婚してまでアン・ブーリンと結婚したのでしょうか?

だってそうしなきゃエリザベス1世は生まれないじゃん。
…まあ、そういうことなんですけどね。

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