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浜町音頭研究会コミュの関東大震災と浜町音頭 その2

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その2 浜町音頭の誕生

1.浜町音頭の最古のレコード

浜町音頭は、昭和4年、浜町公園の竣工を記念して作られ明治座で葭町芸妓連中により披露されたという。

この年に作られたと思われる浜町音頭のSP盤レコードを2010年11月、あきらさんから御寄贈いただいた。
このレコードのレーベルは、「ニツポノホン」となっており、現在のコロンビアミュージックエンターテインメント(株)が明治43年から昭和6年まで製造販売していたものである。
また、あきらさんの音盤番号による推定でもこのレコードが昭和4年、浜町音頭誕生とほぼ同じ時期に作られたことは、間違いないと思われる。

浜町音頭が作られたきっかけは、たしかに浜町公園の竣工記念であり、佐藤病院長などのの積極的な関与も重要と思われるが、一方で、この最古の浜町音頭のレコードレーベル上に、「新民謡」と印字されていることにも注目すべきである。

また、今の言葉で言えば、いきなりメジャーデビューといった感じで、当時最大のレコード会社から販売されたこともその理由を確かめたいところである。

(1) 新民謡運動

  「新民謡」というのは、、大正期後半(1920年頃)から昭和期にかけて、詩人や作曲家によって始められた文化運動で、もともとの各 地の伝承歌を学んだ上で新しくその土地にふさわしい歌を残そうとしたものである。中山晋平 を筆頭とし、野口雨情、北原白秋、西條八 十などが数多くの名作を残した。その範囲は、本来の民謡に近いものから流行歌に近いものまで広範囲に渉っている。
  
  
(2) 浜町音頭のレコード
 
    このような文化運動の中に「浜町音頭」が取り込まれたのは、何故であろうか?

    まずこの時期、レコードの製作・販売という事業が利益をもたらし得る産業へと急速に発展しつつあったことが挙げられ
 る。
   その背景として、
   ?レコーディング技術の急速な発達による大量生産化と音質の向上(アコースティック録音→電気吹き込み 昭和2年)
   ?ラジオ放送の開始
   ?明治以降の音楽教育の西欧化や外国音楽流入に伴う音楽ジャンルの拡大
  
   などが考えられる。
   その結果、レコード会社の新規参入が相次いだ。
    
    コロンビア   1910 年 明治43年(株)日本蓄音器商会として発足
    ポリドール   1927 年 昭和2年 「日本ポリドール蓄音(株)
    ビクター    1927 年 昭和2年
    キングレコード 1931 年 昭和6年
 
   「新民謡運動」は、当初は、純粋な文化運動であったかもしれないが、レコード会社が参加して、コマーシャリズムを追求して行く過程で、ちょういいどタイミングで誕生した「浜町音頭」が目をつけられ、メジャーでレコード化が行われたのではないだろうか。
    
    しかしながら、「浜町音頭」は、「新民謡」というには、あまりにも古典的な曲であり、当時最高の長唄演奏家が作曲した
    長唄的なメロディーであった。
    したがって、当然のことながら、レコード会社が期待したような売れ行きにはならなかったと思われる。
    「新民謡」として爆発的に売れたのは、「船頭小唄」、「天竜下れば」、「波浮の港」、「東京音頭」といった曲であった。

   昭和8年にも、ポリドールで 浜町音頭のレコードが作られた記録がある。
     演奏者は、「浜町音頭会連中」となっているが、もはやこのレコードを発掘することは、不可能であろう。
     http://www005.upp.so-net.ne.jp/tsukakoshi/kayoudaizenn/kayou061.html
  
   

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