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伏見城コミュの伏見城の遺構

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伏見城の遺構としては、福山城伏見櫓(広島県福山市)、御香宮神社表門(京都市伏見区)、西本願寺唐門 (京都市下京区)などが知られています。その他、たぶん伏見城の遺構と言われるみたいなものもあります。

伏見城の遺構などに行った報告、感想はこちらへどうぞ。

コメント(23)

福山城、伏見櫓

元和8年(1622年)の福山城築城の際に、京都伏見城の「松の丸東やぐら」を移建させたものと伝えられています。
このほか、福山城には伏見城内にあった御殿が移築されていたそうです。現在は「湯殿」が復元されていますいい気分(温泉)
二尊院 総門

二尊院は、京都嵐山の名刹。総門は角倉了以が伏見城の薬医門を移築したものだそうです。
この門の内側の参道が、「紅葉の馬場」と言われる紅葉の名所です。
常寂光寺 本堂
同じく嵐山にある常寂光寺の本堂は、慶長年間に小早川秀秋の援助で、伏見城の客殿を移築したものだそうです。

写真ではほとんど散ってますが、ここも紅葉の名所です。
江戸城、伏見櫓。
これも伏見城からの移築と言われるが、確実ではないらしい。

美しい鉢巻型の石垣の上に、多聞櫓と並んで立つ現在の櫓は、関東大震災で倒壊した後に再建されたもの
宮城県、松島の観欄亭は、伏見城内にあった茶室の一つで、文禄年間に伊達政宗が豊臣秀吉から拝領したものだそうです。
政宗は江戸の品川藩邸に移築していましたが、仙台の二代藩主忠宗が、現在の地に移築しました。
御座の間は、華麗な金碧障壁画で装飾されており、いかにも秀吉の時代の遺構らしい雰囲気です。しかし、以前は写真を撮る事ができたのですが、今回行ってみると、室内撮影禁止になっていました
写真二枚目の手前に写っているのが御座の間で、わずかにふすまの絵が見えますか?三枚目はお茶席になっている次の間です。 この部屋や縁側から松島湾を眺めながら、お茶を頂けます。


http://www.matsushima-kanko.com/midokoro/rekishi/kanrantei.html
参考、松島観光協会のページ
西本願寺 唐門。正面にも唐門がありますが、そちらではなくて、御影堂の左の方を進んで行くとあります。さすが国宝だけあって絢爛豪華でした。二条城の唐門のような感じで使われていたのでしょうか?
京都、豊国神社 唐門。この門は伏見城から徳川家康の二条城、南禅寺の塔頭の金地院を経て今の豊国神社に落ち着いたとされています。上記の西本願寺唐門、大徳寺唐門(聚楽第からの移築)と併せて「桃山の三唐門」と呼ばれ、いずれも国宝指定されています。

京都、南禅寺の塔頭「金地院」の大方丈(本堂)は、慶長16年に金地院崇伝が伏見城の一部を徳川家光から賜り、移築したものだそうです。狩野探幽の襖絵が現存しています。
大方丈前の庭園は小堀遠州作の鶴亀の庭です。
宇治、平等院の南門は伏見城からの移築と伝えられていますが、調査の結果、豊臣秀吉が1596(慶長元)年に築城した最初の伏見城の遺構の可能性があるそうです。「薬医(やくい)門」の初期の様式としても注目されそうです。城の門だけに、火災に強い赤樫の木で造られています。
御香宮表門。元和八年(1622年)、 徳川(水戸)頼房が伏見城の大手門を拝領して寄進したものです。柱には「伏見城大手門」と書かれた札が下がります。門の上部の蛙股の透かし彫りはみごとでした。
徳川家康造営の御香宮本殿、徳川(紀伊)頼宣の造営による拝殿はいずれも桃山風の華麗な建築で、拝殿は豪壮華麗なため、伏見城の車寄せを寄進したと誤解されていたそうです。表門を入って右側の桃山天満宮の横には石垣の石だったような「伏見城跡残石」が置かれていました。
福山城の湯殿と月見櫓。いずれも再建ですが、伏見櫓同様に伏見城からの移築であったとされています。新幹線駅のホームから、湯殿の掛けづくりがよく見えました。
伏見櫓も新幹線ホームからよく見えます。
天皇誕生日の一般参賀の機会に、江戸城伏見櫓を近くで見てきました。

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