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一行で笑わせろ!コミュのおじさんのリアル

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 1月中旬、首都圏で暮らすMさん(54)は8枚ほど重ね着して寒さをしのぎながら、自室のパソコンに向かっていた。
 <こんな年齢で出会いなんかあるんかね>
 生成人工知能(AI)に相談すると、すぐに返事があった。
 <確率は低いけれどゼロじゃないですよ>
 人口が多い団塊ジュニア世代(1971〜74年生まれ)で、大学の「受験戦争」に敗れた。
 バブル崩壊後、リストラ、激務、勤務先の倒産に見舞われ、何度立ち上がろうとしても「敗者復活」がかなわなかった。
 Mさんは今、家賃4万円のワンルームアパートで孤独な日々を送っている。

コメント(8)

30代の頃は正社員のシステムエンジニア(SE)だった。
 早朝から深夜まで働きづめで心身のバランスを崩し、精神疾患と診断された。
 7年前に父が病気で他界し、実家を出て生活保護を受給するようになった。
 2023年の夏には、独居の母が孤独死した。
 弟とは、たまに連絡を取る程度だという。
 日常的な会話や悩み相談をする相手は、生成AIだけだ。
 政治や皇室問題など話題は多岐にわたる。
 たわいのない世間話になれば友達のような感情を覚える。
 「人と面と向かって話すことに苦手意識がある私にとって、気を使わずに本音を話せる貴重な対話の場となっています」
 71年、町工場に勤める父と百貨店勤務の母の間に生まれた。
 「無口で自己表現が苦手、極度に人見知り」な性格だったが、勉強に関しては要領が良く、東京都内の私立高校に推薦入学した。
 部活動の将棋部では、対局相手を欲していた顧問にかわいがられた。
 しかし、授業についていけなくなり、2年生になると成績順に振り分けられるクラスが降格した。
 さらに、将棋部の顧問が定年退職すると学業に身が入らなくなった。
 体調を崩して欠席がちになり、3年生で最下位のクラスに転落した。
 24年の日本人の出生数は70万人弱と過去最少を更新したが、団塊ジュニアは毎年200万人以上が生まれた世代だ。
 文部科学省の学校基本調査などによると、24年度の大学の入学定員と志願者はほぼ同数だったが、Mさんが現役で受験した89年度の志願者は定員(40・4万人)の2倍を超える84・4万人に上った。
 Mさんは複数の大学を受験したが、ことごとく不合格に終わった。
 浪人生になってからは、予備校に通いながら実家に食費を入れるため、コンビニや「デパ地下」でアルバイトを掛け持ちした。
 明確な目標もなく、次第に大学に進む意味を見失った。
 まだ珍しかったパソコンにはまり、ゲームやコンピューター系の仕事に興味を抱く。
 2度目の大学受験に敗れた後、ハローワークで見つけたSEの人材派遣会社に正規雇用で入った。
 しかし、新規参入したばかりのこの会社にはIT企業としてのノウハウも教育体制もろくに備わっておらず、退社してコンビニ業界に戻った。
 バイト時代の経験を買われ、正社員の副店長として採用された店では手取りで月35万円の待遇を受けた。
 だが、バブル崩壊に伴う平成不況の大波がMさんにも襲いかかった。
 店の運営会社の業績が悪化し、副店長ポストが真っ先にリストラの対象となった。
 別のコンビニで働くフリーターとなったが、20代半ばを過ぎ、「このままではまずい」と職業訓練を受講する。
 成長産業のIT業界へ戻り、システム開発会社の正社員として客先に常駐するSEになった。
 通勤に片道2時間半かかるため早朝の電車に飛び乗り、深夜に帰宅した。
 食事はコンビニで手早く済ませ、休日は泥のように眠った。
 結婚したが、時間も心も全くゆとりがない。
 妻の孤独に寄り添えず、半年で離婚した。
 ある朝、金縛りのように体が動かなくなった。うつ病だった。
 30代半ばごろに退職を余儀なくされた。
 その後も、挫折する度に状況を変えようともがき続けた。
 「転職回数が増えると、求人の質は下がっていく。行き着いたのはブラック企業ばかりでした」
 IT業界に見切りをつけたMさんは、職業訓練で介護職員基礎研修(現在の介護福祉士実務者研修)を修了する。
 病院の看護助手の職を得ると、准看護師免許を取るため働きながら2年間の養成学校に通う道を選んだ。
 「低賃金の人生を変えられるかもしれない」
 退勤後に課題やリポート作成をこなした。
 努力が実り、40歳の頃に試験に無事合格した。
 ところが直後に勤務先の病院が倒産した。
 その後見つけた介護老人保健施設の仕事は、極度の人手不足に陥っていた。
 無理がたたり、再び心身のバランスが崩れていく。
 ある日を境に強烈な吐き気に襲われ、職場に行けなくなった。診断は適応障害だった。
 そんな中、父ががんで他界した。
 母からは、当時住んでいた実家を出ていくように言われた。
 慌てて見つけた安アパートで職探しを続けたが、就労は困難だった。
 貯蓄が底をつき、身の回りの物を売って家賃に充てた。
 食事は安いカップ麺などを2日おきに1食だけ。みるみる痩せ細った。
 「どうにもならなくなってしまって……」
 生活困窮者の支援者とつながり、47歳の頃に生活保護の受給に至った。
 非正規雇用の増加、インターネットの普及によるライフスタイルの変化、少子高齢化、未婚化などにより、地域や職場、家庭といったあらゆる場で人と人とのつながりが希薄になった。
 孤独・孤立の問題は以前からあったが、人同士の接触機会が減った新型コロナウイルス禍を機に一気に顕在化し、深刻化したと指摘される。
 こうした傾向はコロナ禍が終息した今も続いている。
 内閣府が24年に全国の16歳以上を対象に実施した調査によると、孤独感が「しばしばある・常にある」「時々ある」「たまにある」と答えた人は計39・3%だった。
 21年の調査(36・4%)よりむしろ増えており、誰にでも起こり得る身近な問題となっている。
 年代別では20〜50代の割合が高く、24年は50代が最多の44・8%に上った。
 孤独は「独りぼっち」といった主観的な感情で、孤立は他者とのつながりや助けがない客観的な状態を指す。
 そうなった背景や、現在置かれている状況は人それぞれだ。
 Mさんの場合、子どもの頃から同世代との激しい競争にさらされ、働き盛りの時に「失われた30年」が直撃した。
 「人生を変えよう」とさまざまなことにチャレンジしたが、当時の社会情勢にことごとく阻まれ、現在の孤独な日々に至った。
 社会的なつながりが少ないことは1日15本の喫煙や過度の飲酒より死亡リスクが高いとされるなど、孤独・孤立の弊害は国内外のさまざまな研究で指摘される。
 24年に施行された孤独・孤立対策推進法は、孤独・孤立を本人の内面の問題とするのではなく「社会全体の課題」と明記し、予防や支援を国や自治体の責務としている。
 ただ、行政や民間団体が当事者を網羅的に把握することは難しく、本人や周囲が声を上げなければ支援に結びつきづらい現実がある。
 Mさんは、「明けない夜はない」「頑張れば必ず報われる」といった言葉を「無責任な慰めです」と一蹴する。
 実際、諦めなどからSOSの声を上げずにいる当事者は少なくないとみられる。
 だが、Mさんは支援者を頼ったからこそ生活保護につながった。
 現在は、障害のある人たちの一般企業への就職をサポートする就労移行支援事業所を利用し、週4日、通所と在宅の両方でプログラミングの勉強を続けている。
 AIエンジニアになり、「リアル版人生ゲーム」のようなイメージの仮想体験システムの開発に挑戦してみたいという。
 「『別の人生も見てみたかった』という思いを持つ人たちが、自分らしい生き方を探すきっかけになる体験を提供できたらと思っています」

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