ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

パフォーマンス・アートコミュのドキュメント・きくみるはなす安土“土俵櫓”縁坐舞台

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
皆様へ。

23日の誕生日にはフェイスブックやメールでいっぱいおめでとうの
言葉を頂きました。

まことにありがとございました。

こんなにたくさんの方々に誕生日の祝いの言葉をいただくのは
人生初めてのことなのでかなりびっくりしました。

とてもじゃないけどお一人お一人に返信はできませんので
心よりの御礼の気持ちを込めまして、表記のドキュメントを
お送りしたいと思います。

きくみるはなす縁坐舞台と縁坐村塾は、僕のこのあとの人生へ向けての
大きな楽しみになっています。

誕生日に開催した縁坐村塾では、縁坐舞台の意味を解き起こしながら
平家滅亡の時の平敦盛の姿、敦盛を討った熊谷直実が法然を訪ねたこと、
その弟子親鸞の生き様から歎異抄成立への流れ、
僕が龍谷大学に強いご縁がありその流れを汲むこと。

また僕の母方の先祖は奄美大島へ逃れた平家一門の血を引くことを語りました。

今回の安土縁坐舞台でも「敦盛」はキーワードになっています。
安土円坐(エンカウンターグループ)をご自宅で開催させていただいた亥川さんも
平家の子孫であるとのことで、不思議な因縁と連帯感のようなものを感じたのでした。


僕は、きくみるはなす縁坐舞台が、日本人の魂に適うような形に仕上って
皆様と楽しめる祭りの一つとして命をもつようになればいいなと思います。

このドキュメントをご覧いただくことで、僕のささやかな決意のしるしを示すとともに、

皆様への御礼に代えさせていただきます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。


                 シアター・坐・フェンス  橋本久仁彦




【ドキュメント・きくみるはなす安土“土俵櫓(やぐら)”縁坐舞台】


7月1日日曜日、夕方開始予定のきくみるはなす安土縁坐舞台の
ために、安土円坐(エンカウンターグループ)で滞在していた
古民家、亥川邸からJR東海道線の安土駅前へ。


昨日から断続的に降り続く雨は止む気配なく、開演の1時間前には
集中豪雨のような激しい雨粒が地面を叩きます。


安土駅前の土俵櫓(やぐら)は5メートル四方程の盛土の上に人工芝が
貼ってあり、四方の柱が天蓋を支えています。


外壁は無いので横殴りの雨は土俵に吹き込み、芝もビショビショです。


天正六年(1578年)2月29日、織田信長が安土城に、
総勢300人の力士を集めて相撲大会を行いました。


身分の上下に関係なく、「我こそは!」と思う力自慢を集めて、
頑張った者には褒美を与えて、さらに家臣にまで取り立てたそうです。


あるとき勝ち抜いて最後の二人になった力士が実力拮抗し、
引き分けになったときに、信長はその頑張りに報いて、
東から土俵に上がった力士に「東」、西から上がった力士に「西」という
姓を与えたそうな。


これが土俵の東、西の区別となり、名前の東さん、西さんの始まりとなって、
その子孫の東さんと西さんは現在も安土に住んでおられるのです。


豪胆で進取の気性に富んだ安土のヒーロー、信長公の象徴としての
「安土土俵櫓」で行われる“きくみるはなす安土縁坐舞台”。


大阪からシアター・坐・フェンスのメンバー4名が集合したものの、
駅近くの喫茶店に避難して互いに顔を見合わせます。


「すごい雨やな、できるんかな・・・」
「それよりこの雨の中誰も出て来ないって。。」


喫茶店のママさんが我々の縁坐舞台公演を知って気の毒がります。


店内にいたおじさんが、問わず語りに安土と織田信長の歴史を教えてくれて
ゆったりした時間が過ぎていきます。


やがて開演予定の16時半となって、とりあえず駅前の安土観光協会の
展示ホールをお借りして公演衣装に着替えます。


雨足が強くなると、マンホールからゴボゴボと水が吹き出しているのにびっくり。


人のいない土俵の上に裸足で立ち、濡れた芝の上に腰も下ろせず
手持ち無沙汰のフェンスメンバー。


今回の安土縁坐舞台を主催してくれた村岸氏と亥川夫妻の3人を
お客様として公演を始めようとしていたとき、、、


傘をさして女性が近づいてきます。
縁坐舞台のお客様だ!この雨の中、有り難い、と思っている間に、
今度は車がやってきました。。そしてまた一台!


駅からは近江八幡や大津、京都からのお客様も。


「いやあ、何か面白いことをこの土俵でやるってきいて・・・」
と近づいてきたのは、安土で会社を経営しながら町おこしに
力を入れる青年リーダーの西勝也さん。


続いて地元の安土観光協会局長、城念久子さん、
安土町商工会、青年部部長の西津善樹さん。
安土町観光協会副会長、向井義治さん。


こうして雨の中、17人のお客様が駅前の土俵櫓に集まってくださったのでした。


たとえビショビショでも熱心なお客様を迎えると、気合が入ってきます。
きくみるはなす安土“土俵櫓”の縁坐舞台の始まりです。


安土の町への情熱がたぎる西さんは、
信長が開いた世界への展望の中心がこの安土の町であること、
世界の中心という気概をもって安土のためにやれることをやっていきたい、と。。


向井さんは、子供の頃は琵琶湖でしじみや魚をとったり、祭りも賑やかだった、と
安土、近江文化の懐かしい面影を語ってくださいました。


観光協会局長の城念さんは、

「若い頃から信長が好きで好きで仕方がなかった。
そのせいか、安土へ嫁入りしてきて名前も城念に。

山の上の安土城址内に秀吉が作った信長の廟所があるのだが、
そこにある観光客のための記念スタンプのインクを補充するために、
朝7時半に登っていくのだ。その都度信長公をお参りしている。
私は安土が大好きです!」


このお話の縁坐舞台では、僕は生まれて初めて織田信長公の役に
なってみることができました!


赤い布を身に巻いて、インクの補充に来てくれた城念さんの前に
現れ、信長が終生愛してやまなかった敦盛の舞いのさわりを演じました。


「いつも見ておるぞ。」


自然に言葉が溢れます。
演じてこれほど雄大な気持ちになれる「役」もなかなかない、
縁坐役者冥利に尽きる素敵な経験でした。


信長の敦盛の舞い、有名な一場面を坂口安吾の文章でお届けします。


『・・・今川勢は丸根、鷲津にせまってきた。
その警報が櫛の歯をひくが如くに飛んでくるという夜、信長は軍評定は全然やらず、
もっぱら世間話に夜ふかしをして、夜も更けた、もう帰れ、と家来たちに帰宅させた。



家老たちは城を出ると顔を見合せ、運の末には智慧の鏡もくもるというが、
バカ大将も今日が最後だと云って、てんでに信長を嘲弄しながら夜道を歩いて帰ったのである。
 

あくる未明だ。今川勢がいよいよ鷲津丸根にとりついて攻撃をはじめたという注進がきた。
 
そのとき信長は立ち上り、朗々とうたいながら敦盛(あつもり)の舞いをはじめた。


 人間五十年
 化転(けてん)のうちをくらぶれば
 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり
 一度生を得て
 滅せぬものゝあるべきか


信長終生熱愛の謡であり舞であった。
彼の人生観ぐらい明快なものはない。この謡の文句で足りた。イノチをかけていたからだ。


謡が終えたが信長はまだ舞っていた。
そして、舞いながら、ホラガイを吹け、具足をよこせ、そして舞いながら具足をつけ、



立ちながら食事をとり、カブトをかぶり、なお舞いながらスルスルと出陣してしまったのである。


家来たちはバカ大将に呆れ、帰宅して、ねむっている。
ホラガイの音に目をさましても、すぐに、どうなるものではない。


出陣の信長につき従った家来はたった五騎であった。
それでも彼は時々路上で馬をグルグル輪型に駈けまわらせて、
家来たちの何人かゞ用意して、ついてくるのを待った。


そして、熱田についたとき馬上六騎のほか雑兵二百余人になっていた。


熱田神宮に戦勝を祈って、さて出発という時に、信長は鞍によりかゝり、
鼻謡(はなうた)をうたって、しばしばノロノロと号令もかけない。
人の肩につるさがって瓜を食いながら街を歩いたタワケ小僧の再現であった。


道の途中に、砦が落ち、守将の佐久間大学らが戦死した知らせがきた。
道々砦から落ちてくる兵が加わり、総勢三千人ほどになった。


今川軍の先鋒は大高城にはいって兵糧を入れつゝあり、
義元は主力を田楽狭間(でんがくはざま)にあつめて、勝ち祝の謡をうなっていた。


信長はそこを奇襲した。
今川義元は味方がケンカをはじめて同志討ちをしているのかと思っているうち、
もう織田方の侍が飛びかゝって首を斬り落されていたのである。


信長の戦争は、いつもこんな風であった。
家来の用意のとゝのうのを待たず、身のまわりのたった十人ぐらいで出陣するのは、
この戦争に限ったことではない。


家来たちは慌てふためき、信長に有無を云わさずひきずり廻され、
ふと気がつくと戦争がすみ、戦争に勝っている。・・・・・』

                          (「坂口安吾全集第7巻」 筑摩書房)



安土の町に住む人々が信長公を敬慕し続けているのは
このような人物が安土の先祖・先輩として本当にこの土地を駆け回っていた
という事実が今もまだ脈々とこの町の空気に生きているからに他なりません。


きくみるはなす安土“土俵櫓”の縁坐舞台がいよいよ終わりに近づいたそのとき、
あれほど降っていた雨が止んで、なんと赤い夕陽の光が土俵の上に
差し込んで来たのでした!


厚い雲を押しのけて虹が見えそうな夕日の青空が広がっています。


土俵と相撲をこよなく愛した信長公のお引き立てでしょうか?


全員に笑顔が溢れます。


雨に濡れた縁坐舞台の土俵の上にブルーシートを広げて、
皆で宴会へと流れ込んで行ったのでした。


信長公の「土俵櫓」の大切さを語り継いで行きたいと願う
町おこしリーダーの西さんも、


「土俵をこんな風に使ってくれるのはいいことだと思います。
信長さんも許してくれるでしょう。」と笑っています。


結局、安土の山の上から、月の光が煌々と我々を照らす時間まで、
安土や近隣の人々と縁坐役者たちの酒盛りは続いたのでした。


まるで、時空を超えて信長公とともに見上げているかのような
神秘的な丸いお月様でした。


では最後に、参加してくださったお客様のお一人であり、安土に住んで、
自然食の「マドレ」の代表として人が自然体で集まれる場を作り続ける
若き活動家の一人、高木あゆみさんのブログの文章をご紹介して
この「ドキュメント・きくみるはなす安土“土俵櫓”縁坐舞台」の閉幕を
飾りたいと思います。



「ブログ読んでいただきありがとうございます!

本当に、”地元の人の、地元の人による、地元の人のための”縁坐舞台だな、
と思いました。


思ったことそのまんまの飾りけもないつたない文章ではありますが、
なんらかの形でお役に立てるのならばぜひシェアしてください。


結界装置、おもしろいですね。
なんというか、憑依する感じというか、むかしなんていう名前の役割の人か忘れたけど、



いましたよね。誰か死者のことばをつたえる人。


それとはちょっとちがうけど、共通する部分ありますよね。
死者が、ではなくて、その場・雰囲気・言霊が憑依する感じ。

とてもおもしろいです!

�睫擇△罎漾覆泙匹譟�

2012.7.5

―――――――――――――――――――――――――――――
以下は、舞台直後の感想の文章です。
―――――――――――――――――――――――――――――


書きたいこと、いっぱい。明日キャンドルナイト。

だから今日はもう寝といた方がいい気がする、けど、書くことたまってく、ので書きます!


7月1日は、安土の相撲櫓、そう電車乗ってる時、安土駅から見えるあの建物です。


前回のキャンドルナイトでは、縁坐舞台とコラボやったね、その縁坐舞台です。


実は、この日、すっごく気持ちが沈んでて、行きたいっていうよりも、
行かなあかんっていう気持ちの方が強かった


しんどくって。体が、ていうか精神的に。


でも、行って良かった、本当に


なんで、いつも”縁坐舞台”の前に地名をタイトルでつけはるのか、意味がすっごく分かった。


縁坐舞台は、そこに集まったひとの言葉を聞いて、
人形(ひとがた)とよばれる演者の人たちが、その言葉をもとに即興で演じる、というもの。


今回は、ほんまのほんまのほんまの地元の人、


知ってるおっちゃん(観光ボランティアガイドしてはる)、


キラキラしてる文房具屋さんのひと(今年も頑張って新成人に熱い想いを届けようとしてはる)、


ガールスカウトしてた時にずっとお世話になってた人(小1の頃から知ってはるしな私のこと)、


いつも安土経済人塾で顔合わせる人、も参加してはったのでびっくり。


最初はなんか、不思議な感じがした。


最初みんなで自己紹介した後で、さっそく話をきく時間へ。


最初は文房具屋さん。


ものっすごく安土が大好きで、本当にものしり。


安土のこと、本当にたくさん知ってはって、しかも説明が分かりやすい。


また新しいこと知った。


その文房具屋さんのお話を、とても丁寧に聞き、人形の人たちが、
それをカラダを使ってその場で表現。


ほぉ〜っとなる。


つづいて、地元の、産まれも育ちも安土のおっちゃんのはなし。


私の知らない安土、がたくさん、生の声で出てくる。


山にあけびをとりに行ってたりとか、栗ひろいに行ったりとか、
鍵なんかかけんとあけっぱなしやった時代のこと。


とても、心にひびくことば。生の、交じりっけないことば。


でも、今はもうなくなってしまった事実たち。


それが、また人形の人によって演じられる。


で、いつも、語り部の人の話で始まり、人形の演技?、
また語り部の話で閉じるということになってるのやけど、


おっちゃんが、”古い文化と新しい文化が融合する感じがうれしかった”
みたいなことを言わはって、


なんか、ハッとした。


なんか、分からんのやけど、ものすごくものすごく、その言葉がうれしくて、思わず感動。


あぁ、そうか、そういうことなんや、


それや、たぶん、私が目指してること。たぶん。


そんな感じ。


この、安土の場で、安土の人から、生の声を聞いて、それが、
目に見える形でそこに表現されるということ。


なんといったらいいのか分からんけど、全部が共鳴してる感じやった。


私も、安土人として、たぶんすっごく共鳴してしまった気がする。


その後私の言葉も人形の人によって目に見える形となって、
それがまたみんなによって見られる。


私なんか、泣きまくりやったから(たぶん。私はこの日、すっごく泣きたかったような気がする)、
話とびとびやったと思うのに、


なんかめっちゃ分かりやすいし、言ってへんけど心のどこかに隠れてるもの、
もそこにペロンって出されて、


ほんまにすごいな、て思った。


その後も、私のことを小1の頃からずっと知ってる、
今は安土を外に向けてPRしているステキな女性のはなし。


私のぜんぜんしらないところで、こんなにも熱い想いをもってるひとがいるなんて。


そのことにまたまた感動。



縁坐舞台は、”芸能”や、て頭では理解してたんやけど、


ちゃんと、体で、というか感覚ではちゃんと理解してへんかった。


でも、そうか、これはまさしく芸能なんやな、芸能ってこういうことなんやな、
てすごくすごく思う時間でした。


”縁”。


安土という場所で、安土で生まれ育った人や嫁いできた人、
たまたま来た人、の話を、


特に、安土に対する想いを聞く。


縁 としか言いようがない。


縁の力はほんまにすごい。


たぶん、この話を聞いたのが、安土じゃなかったら、感動はしてたやろうけど、


また違ってた気がする。


なんかな、


縁坐舞台をいろんなところで、語り部も観客もみんなその地元の人やったら、


こんなにもステキなことないんちゃうかな、て思った。


たぶん、すごく住んでるまちが好きになる、し自然な形で自分の知らなかった
じぶんのまちを知ることができる気がする。


そしたら、住んでることにもっと意味合いが出るというか、誇りが持てる気がする。


私がまちづくりに関わる第一歩になった近江八幡草の根まんだらの
”おうみはちまんは好きですか?”のアンケートに、


みんなが”好き”て答えるようになるかもしれん。


もっともっと、自分のまちに、そもそも興味っていうものをもって、
もっと知りたいってなるかもしれん。


なんか今回の縁坐舞台ですごくそう思った。


そういう一面も持ってると思うけど、ちゃうな。


ちょっとね、うん、なんか縁坐舞台x何か で何か自分にできることが、
少しずつ見えてきそうな気がする。

まだ見えてないけど。


安土経済人塾に持ち込んだりしたら、おもしろそう。


今回は写真もなにもなしやけど、ま、いっか。


明日はキャンドルナイト。♪ 楽しんできます♪

�睫擇△罎漾覆泙匹譟� 2012.7.1    

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

パフォーマンス・アート 更新情報

パフォーマンス・アートのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。