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認識論(epistemology)コミュの視点というもの

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パースペクティヴィズム(遠近法主義) [独]Perspektivismus

絵画技法としての〈遠近法〉(パースペクティヴ)が比喩として用いられ、作られた言葉。視点の変化に従って対象が変化してみえる―遠ざかるにつれて縮小し、斜めの位置から見ると歪む―ように、世界や事物が観察者の立場に従って異なって受け取られることを指し、ニーチェによって使われた。
プラトンは『国家』第10巻のなかで、視点に従って変化する事物の外観を写すだけの画家の仕事をイデアに関わらぬものとして非難しているが、そのような客観的真理擁護の立場に立つ反パースペクティヴ的な考え方は、神の画像を見る者がその位置の如何にかかわらず神のまなざしによって等しく見つめられることに注目したニコラウス・クザーヌスに至っても見ることができる(ただし両者ともにこのパースペクティヴ問題への鋭い意識はあった)。それに対して、「考える我」に一切の根拠を求めたデカルトは逆の位置に立っているとも見えるかもしれないが、その彼にあっても客観的認識を可能とする「自然の光」への信頼はあった。しかしライプニッツにおいては、各モナドがそれぞれに異なった視点から世界を別様に表象することがパースペクティヴという言葉と結びつけて論じられた。この考え方の延長線上に一切の客観的認識への幻想を打ち砕き、パースペクティヴィズムの本来の可能性を明らかにしたニーチェが位置する。彼によって、パースペクティヴという概念は生や評価といった彼好みの言葉と結びつけられる。生の観点に立ってみるならば、われわれの行為、思惟、感覚、好み、評価は、それぞれが比較を絶した独特なものである。それを全面的に肯定し、受け入れるのがパースペクティヴィズムの立場である。したがって認識論や客観的真理等というものと鋭く対立することになるが、それでも敢えて認識論や客観的真理に対してもパースペクティヴという言葉を使うとすれば、平俗な〈群畜〉のパースペクティヴと呼ばれるものとなるであろう。このニーチェの表現はいかにも彼独特の偏りが見られるものであるが、それを割引いてみれば、現象学、解釈学、プラグマティズムの哲学のなかでよく出会う発想だと言えよう。たとえば、フッサールは『経験と判断』のなかで、パースペクティヴを〈射映〉と同じ意味で使っている。そして様々なパースペクティヴ的な見え方を貫いてこそ、対象の同一性が与えられると説明している。

〜岩波 哲学・思想事典より〜

コメント(1)

相対主義 〜 上の事典から、一部、西洋における立場と、今日的な意義についての記述を引用したく思います。
"唯一の絶対的で普遍的な真理をめざす立場を否定し、真理が相対的でしかありえない、あるいはさまざまな真理がありうるとする立場。一般に知識に関する〈認識論的(ないし認知的)相対主義〉と、道徳的原理や倫理的規範に関する〈道徳的(ないし倫理的)相対主義〉とが区別されている。また、真理が個人・時代・文化・社会に応じて異なるとする立場は、それぞれ〈主観的相対主義〉〈歴史的相対主義〉〈文化的相対主義〉〈社会的相対主義〉と呼ばれている。なお、真理が視点(パースペクティヴ)や脈絡(コンテクスト)に依存すると考える立場は、〈パースペクティヴィズム〉や〈コンテクスチュアリズム〉と名づけられているが、これも相対主義の一種とみなすことができる。真理が何に相対的とみなされるかに応じて、相対主義はさまざまな形態をとる。
【相対主義の意義】今日において〈相対主義〉と呼ばれているのは、知識・規範・価値は一定の背景的枠組み(〈概念図式〉〈準拠枠〉〈パラダイム〉〈生活様式〉など)に相対的であるとする立場である。こうした立場に対して、〈普遍主義〉と呼ばれる立場は、知識や規範に関して、なんらかの普遍的な原理ないし基準を提示しようと試みている。また、現実はさまざまな観点から解明されうるし、解明されるべきであるという立場を、〈多元主義〉ないし〈多元論〉と呼ぶとすれば、現代の〈相対主義〉は、そうした立場と重なり合うところがある。
たしかに、相対主義の主張は、それを自己自身に適用するなら、自己矛盾や自己論駁に陥ることになる。しかし、現代の相対主義的な立場は、そうした形式論理学的な批判で片付けてしまうことができないような、きわめて積極的な論点を提起している。たとえば、新たな〈知の理論〉として、すくなくとも次の三点を取り出すことができる。1.知識の成立基盤に対する反省にもとづいて、われわれのあらゆる知識が歴史的に形成された共通の意味地平を基盤として成立する、という洞察に到達している。これは、近代哲学の基本的な立場、つまり認識の絶対確実な基礎を求める〈基礎づけ主義〉を放棄することに通じている。2.科学的知識を知識の規範とするような科学主義を放棄して、知の多元的な形態を認める。3.歴史的に規定されつつ、しかも自己の地平を拡大ないし修正していくという、知のダイナミズムを重視し、独断論でも懐疑論でもない道を求める。こうした3つの論点にもとづいて、現代の〈相対主義〉は、新たな〈理性〉ないし〈合理性〉の概念を模索している。"

相対主義の形式論理上の自己矛盾について触れていますが、この中でも、文字化したことによって認識における時間性の喪失、平面化が起こっているように思います。
現実には、物事を相対化するという視点は、時間軸において過去を見つめることによって生じるメタ認知だと思います。
現実にはあるはずの序列化が文字化・符号化では失われるといった認識の誤謬には気をつけたく思います。

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