ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

討論コミュのオリジナリティー

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
最近の日記「鏡」で書いたのですが、どうも自分というモノのオリジナリティーが何なのか?色々考えています。
もしよろしければ、皆さんの考えをお聞かせ下さい!

コメント(10)

少し前まで、身体と精神(自分自身)とにある種の不一致を感じていました。
ですが、最近は身体の中の精神、精神の中の身体を感じるようになり、昔のようなある種の不一致は感じられなくなりました。

これが、良いのか悪いのかわかりませんが見えない変化が自分の中であったのでしょう。

ただ、対人に対しては、どうも自分が他者の身体のみで人を認識してる感じがいなめません。
というよりは、他者の精神?、内にあるモノをうまく見れないのです。

他者の身体に必ず存在している精神を見たい、理解したいそう考えています。

何が足りないのでしょう?
精神と身体との繋がりを、最近また強く感じるようになりました。
身体の変化に伴い、精神にも変化がみられてきたのです。
初めての体験です。改めて、精神と身体の不可分を感じたのです。

個のオリジナリティーとは、精神・身体に共に、いやその共同体としてのモノに存在するのではないでしょうか?

では、他者のオリジナリティーを理解するためにはどうしたらいいのでしょう?
自分はオリジナリティーとは存在そのものだと思います。
完全に同じ種類のりんごが10個あるとして、確かにそれらは同じ種類ですが、違う存在です。
肉体や精神をひっくるめた宇宙の一部としての存在そのものがオリジナリティーだと考えると、他者を尊重しようという気が出てきて自分にとっても健康的なんで、そう思ってます。
オリジナリティーについて、自分なりに答えを出してみました。
暇な時でも読んでみて下さい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=120173106&owner_id=2038765

むらたさん>オリジナリティーとは存在そのものだととするのなら、やはり、肉体の死=個の死なのでしょうか?
オリジナリティー、個、っていうのを人だけが持つものだとすればそうなりますが、私は犬にも虫にも木にも物にもオリジナリティーがあると思ってます。
人の精神も存在の一態様であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもないと思います。
私達が死んでも、私達を構成していた元素(精神や肉体を形作っていたもの)が宇宙から消え去ってしまうわけではありません。
形を変えて確かにそこに存在しています。
肉体の死というのは個の変化ではないか、などど思っています。
肉体、そして精神も形を変えて存在し続けるという考えは非常に共感できる部分があります。
ですが、精神も存在の一態様であるというのにはかなり共感できますが、何か違和感を感じています!

存在というモノに対する考え方に違いがあるのでしょう。
私は、存在が肉体と精神を形成し、そこから個性としてのオリジナリティーが生まれると考えています。
同じことを言っていたらすみませんが!
言葉で伝えるニュアンスの違いは難しいモノがありますね。

うまく伝えられないですが、肉体が形を変えてもそこにあってもそれを存在するとは言えないと考えるのです。
私の考える存在し続けるとは、オリジナリティー(個性、個の生みだしたモノ?)が形を変えあり続けることだと思うのです!
JDさんの言うこと分かるような気がします。
やはりこういうことは言葉で表現するのは難しいですが・・・
やはり存在、肉体、精神、というものをどう捉えるかによって、答えもそれぞれなのでしょうね。
私の考えはかなりスピノザという中世の哲学者の影響を受けているので、時間があったら読んでみてください!
ある新聞記事の中に、ある教員の問題発言(?)が紹介されていました。確か、次のようなことをその教員が言っていたと思いました。

  優しい気持ちで生成した水は優しい水になる。

学校の教員の質が下がり、生徒に誤りを教えている例として
紹介されていたと記憶しています。

この教員が何をいいたいのか定かではありませんが、
あらゆるものにオリジナリティーを加えてゆくのは、
「私」だということを指摘していると理解するならば、
意味深な発言です。

私の知人Aさんがどういう人か。私にとっては、これこれな人ですが、別の人にとっては、かくかくしかじかな人です。
世界のあらゆるものにオリジナリティーを付与しているのは自分のように思われます。

あらゆるものが自分が作り出したものだとするならば、
他人は自分の鏡ということになります。
他者にオリジナリティーがあるというよりも、
他者は自分のオリジナリティーの投影とも
いえるのではないでしょうか。
オリジナリティ、が、ある、ということは、境目があるってことですよね。
境目、がどこにあるのかがわかりません。
だから、見分けるべき、知るべき、見つけるべき、オリジナリティがわかりません。
オリジナリティがなんなのかは分からないが。オリジナリティがある、という認識はあるんですね。
その認識が及んでいる範囲はどの辺なんでしょう!?

あと、身体、と、精神の境目はどこなんでしょう。
皮膚の内側はまだ身体?
内臓は身体?
心臓の、鼓動は身体?
脳は身体?
では、脳が精神を生み出していると仮定して、
脳の送っている信号(電気?なんやっけ?)、は身体?
眼球は身体?
眼球が受け取った風景は身体?

でも、境目なんて本当は存在しないのではっていうのが今の私の考えなので、このままやと私は「オリジナリティとは」という議論に到達できない・・・^^;
>めぐ(Уртаа)さん
私たちは、未分化である物事をあれこれと境界線をひいたり、分類したりしますが、
その分類は文化や時代、個人などによって左右されるので、絶対的なものではないでしょうね。
おっしゃるように境目なんて本当は存在しないともいえると思います。
私たちは、あらゆる現象を総体として把握することはできないので、便宜上そうしているともいえますね。

あえて言えば、境目をどうつけるかということは、オリジナリティの間接的な表現とも言えるでしょうね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

討論 更新情報

討論のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。