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方言!コミュの九州豊前地方の方言には古語の痕跡が多い

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いきなり失礼します。日記にこのテーマで少し連載したのですが、ほとんど反応がありません。それで、「九州方言連盟」のコミュニティに書いたのですが、興味のある人は居ないようです。このコミュニティに興味のある方がいましたら、こちらに書こうかと思います。連載の第1回目を引用します、よろしく。

私は18歳まで大分県中津市の郊外の里山で育ち、50年近く京都で生活していたため、当地に帰住して、方言は忘れてしまっていて、方言を聞くたびにそれを思い出して、懐かしく感じます。
大分県でも、豊前と豊後ではまったく方言が違います。むしろ、福岡県の西部(豊前になる)と方言は共通します。古語が残っているのは、おそらく、平安時代以前より宇佐八幡宮が栄えて中央の文化が流入し、また、国東半島では、平安時代から仏教が栄えていたからでしょう。福岡県西部(行橋市の奥)には今でも「京都郡(みやこぐん)」という郡名まで残っています。
昨日の夜は金曜で、NHKでは、九州独自の番組を放映します。東九州高速道路の番組で、福岡県豊前市の人の「山がくえた」ということばを聞いて、私もよく使った言葉だと思い出しました。こういうときに使います。「どげち雨が降っち、土手ぐくえちしもた」(ものすごい雨が降って、土手が崩れてしまった」と言う意味です。「くえる」は『広辞苑』にはなく、『古語辞典』を引くと、「くゆ」(崩ゆ)という用語があり、「塞きに塞くともなほやくえなむ」という『万葉集』にも用例があるようです。
捨てることを「うっする」とみんな使います。「うち捨つ」という古語からきた言葉だそうです。「そげなもん、うっせちしまえ」(そんなものは捨ててしまいなさい)というように使います。
落ちることを「あゆる」と言います。「梨がぜんぶあえちしもた」(落ちてしまった)という様に使います。『古語辞典』に「落ゆ」(あゆ)とあり、『万葉集』に「あえぬがに(落ちこぼれんばかりに)花咲きにけり」とあります。
こういう方言は、古老やおばあちゃんばかりしか使わず、いずれ消えてしまう言葉ですが、古の古語からきた言葉、残したいものです。
年寄りは無意識に平気で使っていますが、若者は使わず、いずれ消滅する言葉です。私は半分よそ者ですから、それを新鮮に感じます。出来るだけ拾っておこうと思っています。


コメント(44)

TMRさん、「なでふ」はいろんな意味がありますが、「なじらね」はどういう意味で、使い方の用例も紹介していただけませんか。こんごともよろしく。
ひつじこさん、「くゆ」は、万葉集からあるようで、この種の言葉も拾いたいと思っています。ありがとうございます。

variatim=小倉口花猫さん、どうも専門的なことをいろいろ教えていただいて、有難うございます。二つのサイト、とても有意義で、早速お気に入りに登録し、これから参照させていただきます。
私は、大分県最北部の中津です。豊前市とはほとんど方言は似ています。もちろん豊前と豊後とは、九州のほかの方言と比べれば、近いと思いますが、私の父親(故人)が豊後竹田の近くの生まれだったので、方言がずいぶん違うことは承知しています。「よだきー」と言う言葉は豊前では使いません。
ご紹介で、国東弁を見たのですが、やはり大分方面よりは、わたしたちの方言にうんと近いことがわかります。
九州方言同盟のコミュニティで、各県ごとにトピックを立てているので、大分県でも豊前と豊後は違うので、大分県の方言とくくってほしくないということを言いたかったのです。比較方言についてはまったく素人ですので、ただ、私の近くの古老の使っている方言に古い言葉の痕跡があるなと、直観しただけで、もちろん他の地方の方言にも古語を語源とする方言が多いようです。これから、豊前の方言に古語の痕跡が多いという名前は修正したいと思います。
<また、言葉を収集される場合、名詞、動詞、形容詞、形容動詞、副詞などの内容語だけでなく、オノマトペや感嘆詞、英語の助動詞に当たる表現などにも注目されると面白いのではないでしょうか(例えば、「泳ぎきらん」と 「泳がれん」の違いなど)。 >
こうなると、私は国語学にも弱いし、とても太刀打ちできません。まあ、日頃年寄りと話していたとき感じたことで、勘弁していただけませんか。「泳ぎきらん」は、自分の力で泳ぐことができない、「泳がれん」は、そういう意味もありますが、むしろ、受動的に泳ぐことができない意味が強いような気がします。たとえば、「今日は海が荒れちょるき、泳がれん」とか。
とにかく、今後、ご教示の点をよく勘案して、方言を拾いたいとおもいます。有難うございました。このサイトに投稿してよかったです。
> 随念院さん
私は、幼い頃、中津で遊んでいた事もあり、大分へ行くと、方言が懐かしく感じます。
確かにおっしゃる通り大分県内でも地方によって違いますよね。
大分弁について書かれた方言本を読んでみたら、これは聞かないなという方言がありました。
私は愛知県在住ですが愛知県でも名古屋弁・三河弁など、細かく分かれています。それと同じことですね。
(名古屋弁、あまり詳しく分かりませんが…(^_^;))
ひつじこさん、中津におられたのですか。中津の郊外の耶馬溪の方言は、また人情がありますよ。耶馬溪でも、中津市山国町は日田の方言に近いです、同じ天領でしたから。
私には、桑名、名古屋、岡崎、岐阜、大垣の友人がいますが、いずれも微妙に違うようですね。
方言に関しては、明治時代に分けられた県単位よりは、その前からある江戸時代までの国単位に分けたほうがいいような気がします。私の知っている限りでは、石川県でも能登と加賀とではかなり違いますし、福岡県でも、豊前、筑前、筑後でもかなり違うように思います。
>5 随念院さん

説明はやたら長くなりますので、長くても構わなければ以下の私の著述を御参照ください。
「なじらねを考察する」http://www.najirane.com/nagaoka/hougen/najirane1.htm

ま、、簡単に言うと、How are you 〜〜 の意味を持ち
通常、「なじらね?」の問いかけには「なじょも」と返ります。
これは「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」と同じニュアンスになります。
が、何か料理を作り「美味しい?」と聞くときも「なじらね?」ですし、
何か工作をした出来映えを聞くときも「なじらね?」です。
また、仕事の進捗を聞くときも「なじらね?」なので
日本語で考えるよりやっぱり、How are you 〜〜 の方がより理解が早いかと思います。

つまり、「こはなでふことか」(これは何と言うことだ)の用法ではなく
「なでふことなし」(いえ、なんということもありません)の用法が主である。事になります。
方言トピックでやっと面白いものに出会えた気がします。
私は引越しが多いのですが、主に福岡出身の者です。父は筑後出身です。

「ねまる」という言葉。
私の認識では腐るとか傷んでダメになるというニュアンスです。
が、東北方面では「座る」という意味です。
古語辞典で調べるとどちらの意味も載っています。
都では廃れた言葉(死語)となり、地方でそれぞれの意味だけが生き残った例と思います。

父がたまに発する言葉を、母が「何て?もう一回?」と聴き直します。
古語辞典で調べたら載っていることも多々あったようです。
TMRさん、長岡弁の「なじらね」よくわかりました。我々にはまったく通じない方言ですね。玉稿を読んで、古語から来た方言の奥ゆかしさと、標準語では決して表現できない深い意味を知ることができました。私は九州の中津で、しばらく離れていて、そういうことを感じたものですから、専門家にはまどろっこしいとは思いますが、気がついたことを報告しているまでです。
長岡弁の一覧、拝見して、まったくわからない方言が多いです。家内が能登出身なので、能登方言と共通するものが結構あるようですね。「あんさま」とか。最初のところだけですが、「あんげんが」は、豊前では「あげなんこつ」と言います。「いっこ」は、まったく同じように使います。「アンヒタイッココン」(あの人はまったく来ない)と言う具合です。
ゴンさん、お父上は筑後でしたか。筑前と筑後は方言が幾分違うでしょう。ゴンさんのように郷里を長く離れている人には、郷里の方言が新鮮に感じますね。
「ねまる」はこちらでは使わないようです。
上のTMRさんの研究などもあり、さまざまな方言の語源研究のような本も出ており、また、NHKの「ことばおじさん」なんかを聞いていると、びっくりするようなことがあります。わたしなどは、いまさら研究と言うわけもいかず、古老から聞いた方言をメモする程度にとどめておきたいと思います。このコミュニティで、こちらにもあるよと言うような話が聞かれれば、ありがたいと思います。
4 のvariatim=小倉口花猫さんのコメントに、
<先日、NHKの言葉おじさんが、方言に残る古語で最も古いものとして「糅つ/糅てる」(かつ、かてる: 仲間に入れる、まぜる)を挙げていましたが、これは九州のいくつかの地方(「かたす」「かちぇる」も含む)のほか、東北にも残っているそうです。>
とおっしゃっていますが、私も日記の<2>に次のような記事を書いています。「かてる」というのは、全国の方言に影響を与えているのですね。私は、各地の人と交わってみて、やはり、豊前の方言に古語の痕跡がかなり残っているように思うのですが、variatim=小倉口花猫さんのおっしゃるように、学問的には事例を当たって、統計でも取ってそれを証明しなければなりませんね。それは無理として、古語の痕跡だと思われるものをリストはしてみたいと思います。私個人の日記は<4>までとして、それ以降はこちらにリストしてみようと思いますので、みなさんご意見をよろしくお願いします。ご自分の地域の方言ではこう言うんだとか。私は語源を古語に絞っていますので、「かてる」のように、案外共通点が出てくるかもしれないと思います。
<豊前の田舎の方言2>
☆「かてる」:糅てる←糅つ(かつ)=混ぜ合わせる、「(遊びなどに)わしもかてちくりー」(私も加えてください)。先日NHKの「ことばおじさん」でも、この言葉は全国的に方言になっているそうです。
☆「こらゆる」:堪ふ(こらう)=我慢する、許す。「ゆーこらえたなー」(よく我慢したね)、「こらえちくりー」(どうか許してください)
☆「てーがてー」:耐え難い=はがゆい、我慢できない、「てーがてーなー」我慢できなくてイライラするときに使う。
☆「はまる」:一生懸命働く←塡む(はむ)=深入りさせる、「よーはまりよるなー」(よく働いて精が出ますね)
☆「ぶげんしゃ」=金持ち←「分限者」、「あんひたーぶげんしゃじゃきー」(あの人は金持ちだから)
☆「しかぶる」:(小便などを)漏らす、ちびる。←「し被る」、「し」はすること、(することをしくじる?」か。「被る」は芝居の隠語で、「しくじる」と言う意味。舞台で役者が切られて死んだとき、布を被せて楽屋に戻すことからきた言葉らしい。「あんまりおかしゅーち、しかぶっちしもた」(あまりにおかしかったので、小便をちびってしまった)。

「てーがてー」のように、標準語に近い言葉も、かなりなまって使いますが、「耐え難い」は文語で、標準語の日常話し言葉ではあまり使いませんよね。
私の方言の考え方ですが
サイトの方にちらほら書いているように、言葉とは人と人が交流するために存在するものなので
発生時から今日に至るまで変わらず残る言葉と変わっていった言葉があるのは何故か?とか
変わっていったならその要因は何か?を考えるようにしています。

例えば、長岡は平安時代には京都の貴族が所有する荘園が多数あったため
平安言葉(=古語)がその母体になっていますが
江戸幕府開府とほぼ同時に三河の牧野氏が藩主となった関係で
三河弁が多数流入し、その後江戸幕府との行き来から江戸言葉も入ってきました。
そして新潟(市)は本来、長岡の奉行所があるだけの「信濃川河口の新しい湊」だったのですが
佐渡金山の関係で幕府直轄となり、交流も制限され、
沿岸部と内陸部では言葉が異なるようになってきました。
つまり、長岡の主要陸路である三国街道経由よりも日本海沿岸経由の影響を受けるようになりました。

確かにご指摘のように長岡と石川の言葉には共通点が多々ありますが、
新潟(市)と能登となるとイントネーションやアクセントまでほぼ共通してきます。
これが陸上交通(北国街道)と海上交通(日本海海道)の差でしょうか。

日本海海道もその先には九州も北海道もあるので
日本海沿岸語というものがあるとも思っています。
「いっこ」なんてのはその例かも知れませんね。

ちなみに。ですが、
邪馬台国といえば九州説に畿内説だけかと思えば
「邪馬台国(耶麻壹国)は長岡にあった」という本も出されていたりします。
天の岩戸が隣の戸隠山まで飛んできたことを考えれば
長岡を当時の同じ地図上に置くのも、あながち荒唐無稽ではないかも知れません。
私は歴史にも言葉にも、同じ悠久のロマンを感じます。
TMRさん、お説はたいへん参考になり、納得がいきます。その地域の過去の歴史、支配者、流入文化(たとえば海路など)などによって、変遷したいますね。なるほど、越後でも長岡と新潟では方言は多少異なるのですね。能登と新潟は確かに海路の交渉が深いですね。すると、三条あたりはその緩衝地帯になるのでしょうか。この近くでは、国東半島が豊前・豊後の緩衝地域になります。大分県でも日田になると、筑後方言の影響が絶大です。
長岡には長岡西病院に関係が深いので、何回か行きましたし、あの日本一の花火にしたったことがあります。しかし、平安時代から江戸時代までそのような歴史の変遷があったことは知りませんでした。長岡とは離れていますが、親鸞が越後に島流しと言うことで、直江津のあたりに行きましたよね。島流し先と言うから、さぞかし、当時は辺境だったと思っていたのですが、そういう文化の高いところだったんですね。長い田舎生活だったのにも関わらず、後に『教行信證』のような学術的な著作を残した秘密もそのあたりにあるのかもしれません。
こちらの中津は、平安時代は文化的に栄えたことはわかっているのですが、鎌倉・室町時代のことについては私はよく知りません。ただ、戦国時代以降になると、中津藩主が黒田家(播磨出身)、細川家(丹後の宮津)、小笠原家(播磨の明石)、奥平家(丹後の宮津)と次々と変わっていますので、それらの影響もあるかもしれません。
邪馬台国論争にも私は読者としてはまり込んだことがありますが、さまざまな本を読めば読むほどわからなくなります。三角縁神獣鏡の出土状況から、やや、大和説が有利な気がするのですが、最近神獣鏡は証拠にならないと言う本が出ているようですね。
方言から離れましたが、おっしゃるように、言葉には悠久のロマンを感じます。個人的には、日本語の語源として、インドから中央アジア・中国、あるいは南方海路を経て日本語になった言葉に興味があります。仏教用語が多いのですが、それ以外の日常用語にも結構ありますね。「あばた」「だんじり」「世話」「鳥居」「極道」とか。
方言に戻りますが、現在の県ごととに方言を分けるのは無意味だと言うこと、かといって、豊前・豊後、筑前・筑後と言う具合に分けても、その緩衝地帯があるし、そこがどうなっているのか、そういう場所で暮らしたことがないので興味はありありますがよく分かりません。
日本は島国ですから、特に問題になりませんが、これと同じことが、海外の陸続きの国に起こってきます。私が経験したところでは、インドとネパールの国境地帯が面白いです。それから、インド各地には何回もいっていますが、23種類ほど公用語があり、さらにそれ以上の辺境言語があり、みんな違うのに、私には言葉はわかりませんが、実にうまく交流しているのを見ます。
まあ、そんなこんなで、興味は散漫になってしまいますので、とりあえず、私の地域の方言で、古語に語源の辿れるものを拾って、それが日本の各地域でどうなっているのかを教えてもらうことにしたいと思っています。長くなりましたが、よろしくお願いします。
>随念院さん
はじめまして。私は標準語家庭で関西に育ったものです。
自分の話す言葉と周りが話す言葉が違ったと言うことに成人して東京に出てから気付いて以来
方言に興味を持っています。
私の経験から言うと国境や行政区ではなく
○ 川を挟んで言葉が違う
○ 山よりの集落と海よりの集落では言葉が違う
と言うようなことがありますが、そちらは如何ですか?
私が育った関西では川一筋でほんの少しですが言葉が違います。往来が自由になった今でも
特徴が残ります。有名な所では、「グリコ森永事件」の犯人の残した脅迫状で出身地域が絞られた
と言うことがありました。
山と海は熊本のある地方で集中的な調査に関わったのですが、私が担当した可能表現に僅か
ですが音韻の差があり興味深く思いました。語彙では明らかに発音に差がありましたし。
もし、他の地域との比較に興味をお持ちでしたら国立国語研究所の『日本言語地図』で調査が
行われている語についてお住まいの地域で調べてみると、他の地方との比較が容易で楽しいと
思いますよ。
 国立国語研究所「日本語情報資料館」HP: http://www6.kokken.go.jp/
 同 『日本言語地図』地図画像: http://www6.kokken.go.jp/laj_map/

現在は福岡におり、随念院さんのお話興味深いです。
次の話題をお待ちしております。
ふぇすさん、どうもありがとうございます。
○ 川を挟んで言葉が違う:私の住んでいるところに山国川という中くらいの川があり、こちらは大分県、川向こうは福岡県で、いつも行き来しているのですが、特に方言の違いは感じません。30年位前までは橋がなかったのですが、橋ができるまでは渡し舟でごく近所というように行き来していました。ただ、4年前まで宇治に住んでいたのですが、昔から大きな橋があっても、宇治川の南の宇治市の人と、北の京都市伏見区の人とでは言葉が違う印象を受けました。
○ 山よりの集落と海よりの集落では言葉が違う:明らかに違いを感じます。私は海よりと山よりのちょうど中間のところに住んでいて、それを感じます。同じ中津市でも、海よりと山よりとでは微妙に方言は違うように思います。
紹介いただいたホームページですが、私のパソコンはノートで昔ので、字が小さくて読めません。登録しておいて、パソコンを買い換えてから活用したいと思います。
ちょっと専門的なところには手が届きません。収集と語源探索でせいいっぱいです。こんごともよろしく。

variatim=小倉口花猫さん、「土手★ぐ★」の「ぐ」はやはり主格「が」の訛った音だと思います。旧中津市内でなく、昔の真坂村という農村独自の訛りかもしれません。「ううけなううごっちゃ」は、この村の古老は間違いなくよく使います。確かに標準語の「う」ではなく、「お」との中間音かもしれません。ただ、「ううごっちゃ」の場合は、はっきりした「うー」の音です。
私も、「暑い」を「あてぃ」という発音は聞いたことがありません。「暑ちぃー」です。
「だまっちょらんで、言★わ★いいんぢゃら」は、そのとおり使います。
「暑★から★ 脱★が★よかろう」、この村では、「よかろう」より、「いいじゃろー」と言うほうが普通だと思います。
<旧中津周辺だけでも地域差・階層差まで考え出すとかなり大変そうですね。昔の城下町と南や東の在方、それに海辺の漁師町ではかなり差があるようですし、また今では人の移動も激しく、入れ混ざってしまっているようですから・・・>
おっしゃるとおりです。私の住んでいるのは、中津の街と山村の中間にある開けた農村です。城下や海岸の人たちの話している言葉はだいぶ違うようです。
ただ、イントネーションなどは違っても、単語は共通するのが多いと思いますので、気がついたものだけをメモしているのです。

次のを転載しておきます。

豊前の田舎の方言3
☆ ウムス:←蒸す、鳥が抱卵する、「イマ、ツバメグタマグーウムシチョル」(今、ツバメが卵を抱卵している)。
☆ ユスグ:←濯ぐ、ざっと洗う、「ハヨユズギナハイ」(早く洗いなさい)、浮世風呂に用例あり。
☆ フスブル:←燻べる、いぶす、「カヲフスブル」(蚊やりを焚く)。
☆ フスボル:←燻べる(上と語源は同じようです)、「くすぶる」から、うだつの上がらぬこと、閉じこもって暮らすこと、「ソゲー、イエンジョーニ、フスボッチョラント、チーッタデチコイ」(そんなに、家の中ばかりに閉じこもっていないで、ちょっとくらいは出てきなさいよ)
以上は、標準語ではあまり使わないと思いますが、『広辞苑』には出てくる言葉です。
こちらには若い頃18年しか住まず、京都で50年ちかく生活した私にとって、この方言に慣れるのは大変です。しかし、慣れた地元の人には気がつかない新鮮なものを方言に感じます。
variatim=小倉口花猫さん、すみません。昨日書いたつもりが、確定を忘れたようで、失礼しました。いろいろ関連リンクを紹介いただいて有難うございます。今まで紹介リンクも、エクスプロラーのお気に入りに登録して、常時拝見したいと思います。
宮永はいまは都会ですが、昔は農村だったんですね。昔は歩いていける範囲でしたから、城下の言葉より真坂の方言に近いようです。「食びゅーな」「もう起きゅーかな」はごく普通に使います。主格の「が」を「ぐ」と発音したり、どうもウ段の音が好きなようですね、このあたりは。
「晴りゅー」は、聞くことは少ないですが、あしたの天気のことで念を押されたときに、「うん、そりゃー、晴りゅー」と答えることはよく聞きます。「晴るるじゃろな」の用法の方が多いような気がするのですが。
社長♪夜の住人さん、どうも。私は宇治でも、伏見の向島のニュータウンに隣接した宇治市落合という集落の近くに住んでいましたので、宇治の方言には弱いです。会合などで、宇治中心部や城陽市、久御山町の人たちと付き合いをしたのですが、特に宇治橋周辺の人たちの言葉に特色があるように思いました。
たしかに「しゃーはる」はみんさんよく使っていました。城陽の青谷の知人はこれを多用していましたね。平等院周辺の人たちの言葉は、源氏物語の故里ですから、きっと方言も調べると面白いでしょうね。
宇治、城陽、久御山はひとつの文化圏ではないかと思っています。
それと、旧小椋池の周辺の農村ではまた違うのではないかと思います。
八幡の人との付き合いはありませんでした。
社長♪夜の住人さんが、社長♪あっけなく死亡さんに変わったんですか。青谷の方とはご縁ですね。お茶と梅が名物でしたね。
本題に戻りまして、いくつかあげてみますが、Webでは結構同じような試みがあるようですね。私は、中津市三光というところで、語源のたどれるものを拾っていますので、何かご意見があれば教えてください。

豊前の田舎の方言4

☆ いびしい:恐ろしい、気味が悪い、←いぶかし、いぶせし、どちらも「いぶ」(はっきりしないさま)からきた言葉で、気がかりだという意味だったらしが、恐ろしいという意味に転化しています。「ヨミチャー、イビシカッタ」(夜道は恐ろしかった)。
☆ いぬる:帰る、←いぬ(往ぬ、去ぬ)、古語には「行く」という意味もありますが、方言では、「帰る」の意味だけに使います。「ハヨー、イノーヤ」(早く帰ろうよ)。この言葉は各地の方言に残っているようです。
☆ うたちー:汚い、←うたてし(見苦しい)、「アンヒター、イエンナクー、ドゲチウタチューシチョル」(あの人は、家の中をとっても汚くしている)。
☆ ふする:繕う、ふせる(被せて隠す、覆って押さえる)からきたか?、「イマー、キモンヌフセチマジキルモンナオラン」(いまどき、着物を繕ってまでして着るような人はいない)。
名詞
☆ いやり:アリ、←家蟻、「イエガフリート、イアリンジョーアガッチキチ、ドゲシュムコゲシュムナラン」(家が古いと、蟻ばかり上がってきて、どうしようもなりません)。
豊前の田舎の方言5
☆ カヤル:倒れる、ひっくり返る、←「返る」の訛りか? 「ウエンジョームイチ、アリイチョッタラ、カヤッチシモタ」(上ばかり向いて、歩いていたら、ひっくりかえってしまった)。

☆ ゲサクナ:下品な、←「下作な」品格のないこと、「ソゲナンゲサクナコツンジョーユーナチコ」(そんな下品なことばかりを言わないでください)。最後につける「チコ」はいろんな言葉の後につけます。「イイチコ」もそうです。博多弁の「〜タイ」とか「〜バイ」にあたる豊前の表現のようです。

☆ スラゴツ:嘘、←「虚言(そらごと)」の訛りか。「アンヒター、スラゴツンジョーユーチ、ドゲシュムナラン」(あの人は嘘ばかりついて、どうにもなりません)。
おさじさん、そうですね、大変失礼しました。早速削除して、こちらに入れます。
    豊前の田舎の方言6
しばらく置いていましたが、ありがたいことに、あるマイミクの方から、豊前方言集のリストをいただきまして、その中から、語源が古語や文語に求められるものを拾い出して、私の聞いた用例を交えて報告します。場所は大分県最北部中津市の郊外です。資料提供いただいたマイミクの方に感謝します。
☆ あらけねぇ(大変乱暴である):←文語「荒けなし」;「荒けなき武士」(『源平盛衰記』);「ソゲナンアラケネーこつ、スンナチャ」(そんなに乱暴なことはしないでくださいよ)
☆ あたる(さわる、触れる):←文語「当たる」;「髪をさぐれば・・・ひややかにてあたる」;「ソゲーアタンナチャ、コワレチシモーデ」(そんなにいじらないでください、壊れてしまいますよ。)
☆ あんべぇ:←古語「あんばい(塩梅)」(料理の味加減が転じて、体の具合、標準語でも使う);「何さ、あんばいがわるうござりやす」(酒、四十八手);「キューワドゲーチアンベェグワリーチコ」(今日はとっても体の具合が悪くてどうにもなりません。)

豊前の田舎の方言7
☆ たまがる(びっくりする):←たまげる、たまぎる(魂消る):魂が消えるほどびっくりする、俗説に、「きんたまが上がるほどびっくりする」という解釈もあるが、「たまげる」が「たまがる」に転化したのは、そういう俗説が作用したのかもしれない。「ソゲナンコツキイチ、タマガッチシモタ」(そんなことを聞いて、びっくりしてしまった)。
☆ それから、文語または口語のウ段がい段になる例は無数にあることに気がつきました。ぬりー(液体が熱くない)←ぬるい、ぬきー(暖かい)←温い、さみい、さびい(寒い)←寒い、あちー(暑い)←暑い、この種の言葉はきりがありません。
豊前の田舎の方言8
昨日、コピーをしていた若い女性が、「アー、紙がハサカッタ」というのを聞いて、はっとしました。
☆ はさかる:詰まる、挟まる、←古語:挟(はさか)ふ(挟まる)、<塩魚の歯に挟ふや秋の暮れ>(猿蓑)、「魚ン骨グ歯にハサカッチシモチ取レンノジャラ」(魚の骨が歯に挟まってしまって、取れないのですよ」。
豊前の田舎の方言9【せがう、むげねぇ】
どの豊前方言集にも出てくる言葉ですが、先日面白いやり取りがあったので報告します。
ある研修会で、開会前、若い講師(この地方出身でない)に、受講者が「あんまりセガワンチョイテな」と話しかけたら、その講師?キョトンとしている。別の受講者、「ああ、ことばグわからんのジャナ、?せがう?チューンナ?いじめる?チュウコッチャラ」と言うと、講師は納得。研修中に講師から難しい質問などをして我々をあんまり困らせんといてくださいという意味で言った言葉。そのあと、みんなで、?せがう?とは?いじめる?とちょっとニュアンスがちがうなと、標準語を探したが見つかりませんでした。「いじめる」は暗い、嫌なイメージを持つが、「せがう」「せごう」は、もっと明るい、滑稽なイメージがある。「からかう」という意味もあるからなんでしょうか。ただ、語源がわかりません。古語「せがむ」(責める)に関係するのでしょうか。どなたか教えてください。こういう使い方もあります。
「ソゲーセゴーナッチャ、ムゲネージャネーカヤ」(そんなにいじめないでくださいよ、可哀そうではありませんか)。
ついでに、「むげねぇ」ですが、「可哀そう」という意味。『広辞苑』に江戸時代の言葉として、「むげない」(思いやりがない)と出ていますが、これも語源がわかりません。古語の形容動詞「無下」(思いやりのないこと)、江戸時代の形容詞の口語化した「むげちない」(不人情だ)のどちらかでしょうか。どなたかご意見をお願いします。
variatim=小倉口花猫さん、どうもありがとうございます。『大辞林』は便利がいいですね。これから見ます。「むげねぇ」はやはり「無下なり」という形容動詞からきたんでしょうね。
「せがう」が「せがむ」からきたであろうことは、上の説明でよくわかりました。古い言葉が各地で独自の変化をして方言になったんでしょうね。
前にも書いたように、国語学には全く素人なんですが、50年も京都にいたので、思わぬところで出てくる方言を新鮮に感じます。素人なりにその語源が気になるのです。また気がついたときに書きますので、よろしくお願いします。
昨夜(2月5日)夜8時からの、NHK総合(九州のみ)の「ししまるTV 大分弁徹底調査!」は面白かった。「よだきー」という大分弁(豊後のみで豊前中津方面では、意味はわかるがあまり使わない)のルーツを探る。大分では、「めんどうだ、おっくうだ」というような意味で使うそうですが、広島や鳥取では違う意味に使っている。なんとルーツは『源氏物語』「行幸」に見つかった。「弥猛し」、「籠り侍れば、よろづうひうひしく★よだけ★うなりにて侍り」とあります。都の文化が直接大分方面にきた証拠です。中津で使わないのは不思議ですが、豊前と豊後の違いがここにもあります。それから、番組の中でコメンテーターが使っていた方言で、豊後では「せちー」(せつない、つらい)という方言を使うようですが、これも中津方面ではあまり聞かないようです。語源はわかりませんが(せつないの短縮形か?)、「せつい」という言葉は浄瑠璃でも使うようです。
今日(2月23日)午後1時過ぎ、NHKラジオ第1の「旅ラジオ」で、「道の駅」。ちょうど、福岡県上毛町の道の駅「新吉富」が紹介されました。上毛町は中津市と山国川を挟んで隣の町で、この道の駅には私の家から10分ほどでいけます。そこで、方言として、「おじい」という言葉が出てきました。「恐ろしい」という意味ですが、こちらでもよく使う方言です。「ユンベ、帰りに、道グマックラジ、ドゲチオジカッタ。」(昨夜帰るとき、道が真っ暗でものすごく恐ろしかった)。これは間違いなく、古語「怖ず」(おず)が語源だろうと思います。現代語でも、「物怖じ」というようなところに使われます。
同じような意味に使われる方言に「いびしい」があります。「ソゲナンイビシイコツスンナチャ」(そんな気味悪いことをしないでくれよ)。「いびしい」は「怖い」という意味もありますが、どちらかと言えば、「気味悪い、嫌らしい」という意味が強いようです。語源がよくわからないのですが、私の感じでは、「忌む」(嫌悪する)からきた、「忌みじ」が語源ではないかと思います。
ついでに、この道の駅の名物として、「鱧づくし弁当」(500円)が人気だそうです。豊前・中津は鱧(はも、こちらでは「ハム」と言います)の名産地、一度買いに行ってみようっと。
追伸、失礼、「いびしい」は25に言及しています。どちらが正しいでしょうかね。どなたかご意見をお願いします。
variatim=小倉口花猫さん、お久し振りです。そうですね、あのテレビ番組は興味本位で、あまり学問的でなかったかもしれません。一応学者も出てきたのですがね。ただ、私はあの番組から、古語に多義があり、その一部の意味がいろんな地方で使われているのはわかるような気がしたのですが。
「しゃあしいやっちゃ」ジャネート、本当の論議が出来ないと思います。そうでうか、「いびしい」もいろいろな説があるのでしょうね。
いずれにしろ、標準語では表現出来ない方言のニュアンス、大事にしたいと思います。
最後の方言、ほかんひたーわからんじゃろーな、今日のラジオでは、店長さんの話では、鱧づくし弁当は限定販売ですぐ売り切れるそうですので、私もそうしますが、朝行ってみてください。
36のvariatim=小倉口花猫さんのコメント最後に出てきた方言の文章、豊前以外の人には分からない人が多いと思うので、翻訳しておきます。
原文:「道ん駅新吉富ちゃ こんまえこそ寄っちみたけんどが、はもん弁当ちゃ ちょいとテレっとしちょったんかしらん、見らんぢゃったがなぁ。夕方ぢ売り切れちょったんかんしれん。こんだ まいっぺん いっちみろう・・・」
翻訳:「道の駅新吉富というのは、ちょうどこの前に立ち寄ってみたけれども、はもの弁当というのは、ちょっとうっかりしていたのかもしれず、見ていなかったようです。夕方で売り切れてしまっていたかもしれません。今度もういっぺん行ってみましょう・・・・」
それから、「しゃあしいやっちゃ」というのは、「こうるさいやつだ」というような意味です。「世話しい」からきた方言と思われます。
方言というのは本当に味がありますね。
ぎゅうらしい:
私は、90歳の母を老(私)老(母)介護しています。母はもちろん体が不自由で、ちょっと歩いただけで「あーヒジー」(ひどく疲れる)とか、頼みもしないことをしては、「動悸がする、腰がイテー」とかいろいろ訴えます。それで、「あんたー、昔からギューラシすぎる、あんまりギューラシューゆうと、まわりのモンに迷惑をかくるジャネーデ」と言うたら、「うん」とにっこり頷いた。
これを、「あんたやかましーき、黙っちょれ」と言うと反発するはずです。
同じような意味でも、「ぎゅーらしい」という方言を使うと、また違ったニュアンスで伝わるものです。「ぎゅーらしい」は、やかましいだけでなく、大げさだという意味もあり、柔らかい印象の滑稽な意味も含む言葉です。
この言葉の語源を調べたら、文語「仰々し」で、もと「ゲフゲフシ(業々し)」、「ギョウギョウ(凝々)シ」からきて、「大げさな」と言う意味、また語源からすればもっと深い意味もあると思います。
つえる:
90歳くらいの老母と老伯母の会話、「アンイエンヤネグツエチシモタナア」(あの家の屋根が潰れてしまったね)「ヘー、ソーデー、アンイヤーフリーキ、ツエタンジャロー」(はあ、そうですか、あの家は古いから、潰れたんでしょう)
 潰れるとか、崩れるという意味ですが、次第に潰れていくという意味合いがあり、標準語では適切な言葉は見つかりません。
「つえる」は標準語にはなく、古語に「潰ゆ」?潰れる、崩れる、?滅びる、なくなる という言葉があり、これは、「つひゆ」の転か とあります。「費ゆ」「弊ゆ」「潰ゆ」で、?使ってだんだん減る、?疲れ衰える、?崩れる という意味のようです。
ところが、ネットで方言を調べたら、全国でこの言葉が方言になっているようで、豊前だけの方言ではないようです。やはり、古い言葉が各地で方言として使われているのですね。
しょのむ:
昨日80代のおばあちゃんとしゃべっていたら、「隣んひたー、うちが家を建てかえちから、なんかしらん、しょのむんじゃら」(隣の人は、内が家を立て替えて以来、なにかと妬むんです)と言う。おばあちゃんに、「しょのむち、標準語じ言うたらどげなるかな」と聞くと、おばあちゃん、「うーん、妬むかな」という。私、「妬むはちょっときつすぎる、羨ましがるという方が近いのでは?」、おばあちゃん、「そーじゃなー、標準語じゃいいことばぐねーなー」と言うような会話を交わしました。この「しょのむ」は宮崎県の方でも使うらしく、Webでも出てきます。どうも語源は「そねむ(嫉む)」のようでその転化した言葉のようです。『広辞苑』では、「自分よりまさっているものを恨み憎む、嫉妬する」となっていますので、妬むの意味ももちろんありますが、どちらかと言えば、この場合は、嫉妬や羨ましがると言うような意味で使っているようです。
『源氏物語』に、「さも悪しき御もてなし故こそすげなうそねみ給ひしか」という用例があるようです。
久しぶりに書きます。
☆むげねー:「かわいそう」という意味ですが、語源がはっきりしません。古語に「むげちない」(残酷だ)というのがあるのですが、どうでしょうか。
☆うたちー:「汚い」という意味ですが、古語に「うたてし」というのがあります。「嫌だ、気味が悪い」という意味ですが、どうでしょうか、どなたかご意見をお願いします。
>>[42]
宮崎県民です。
祖母が県北部出身なので、むげねー。はよう使うちょっとやけど、九州方言や手元にある宮崎弁に関する本で少し確かめたちゃけど、大体古語で扱われちょったって考えても良いかもしれん。
と言うのも、九州方言や宮崎方言を調べちょっと古語が残る要因として挙げられるのが、本州みたいに陸続きではなく太宰府が置かれた影響が強かったと言うのもあっげな。まだ調べて日が浅いけん、あんまし良い発言じゃねぇかもしれんけどねあせあせ

ただ、体感として「むげね」が通じなるんは今の20代半ば以降かなと感じちょる。

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