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80年代後半〜90年代前半F1コミュのあれから14年・・・

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皆さんは覚えているでしょうか?あのイモラの忌まわしい出来事を・・・
それは1994年5月1日サンマリノGPで起きた・・・
アイルトン・セナ・ダ・シルバ、速さをありがとう!僕は今でも心の中にセナがいます。
彼を超えるF1レーサーをまだ見たことがありません!

コメント(42)

14年も経つのですね...つい最近のことのように思えます。

当時小学生の自分には刺激が強すぎました。

「速くて上手くて格好良いけど、死んじゃうんだなぁ」

モータースポーツの怖さを学びました。
あの事故からもう14年も経つのか……。
月日が経つのは早いなぁ。
この時のGPX誌は絶対に捨てられません。

今にして思うと、セナの言動は常軌を逸している部分があった。
確か、あるレースで「1コーナーの先に神が見えた」と真顔で言ったのはセナじゃなかったっけ?
他にも神にまつわるセナの発言は多かったように思う。
それだけ神に近い存在だったからこそ、若くして神に召されてしまったのではないかと思ってみたりもする。

あの事故では、安全性の向上とは別に、考えさせられたことがある。
前日の予選でラッツェンバーガーの事故が発生した時、
ラッツェンバーガーは一旦救急車でコース外に搬送され、
それから救急ヘリに乗せかえられて病院へ搬送された。
たぶん、これが通常の対応なのだと思う。
しかし、セナの時には救急ヘリがコース内に飛来し、直接、病院に搬送された。
どちらも命に関わる大クラッシュなのに、この扱いの違いexclamation
これは、誰もが認める超一流のセナと、まだ無名の新人だったラッツェンバーガーのドライバーとしての格の違いを如実に物語っている。
人の命は決して平等ではないことを思い知らされた瞬間でもあったように思う。
早いですね。時がたつのは…いまだにあの時の新聞あります。 あの日のビデオも。
思い出すと涙がでます。
あの時あまりのショックで、一週間仕事を休みました…
先週の事故も「またっ衝撃
て思いましたが、命が助かって本当によかった。

セナのことばかりとりだたされてしまうけど、ラッツェンバーガーもこれからって時に残念でした。

一生二人を忘れない。
F1レーサーの誇りです。

セナ…あなたの走りが見れてよかったわーい(嬉しい顔)
 この事故があってから、追悼の意を表してWilliamsのマシンにはセナの名前を書き入れるようになったそうですね。
 父親がセナのかつてのチームメイトであり、彼自身14年後のチームドライバーである中嶋一貴選手は、どんな気持ちで今日を迎えたのでしょうか・・・。

 もう戻らぬ二人のドライバーの魂に、黙祷。
ニュースで速報が伝えられ、
友人が自宅に飛んできて、
何か不思議な感慨に包まれながら、
二人でレースの模様を見ました。

あの車両の壊れ方には、
私たち同様、
チームの皆さんもいたたまれなかったと思います。

セナだからこその事故。
そんな気が少しした日でした。
セナと同じ時代を生きた、この事は自分の中では誇りである、と思っています。
あの時のサンマリノは、バリチェロの事故から妙な雰囲気に変わっていましたね。


ラッツェンバーガーは、国内F3000に参戦していましたよね?
前年だかに小河等サンがレース中に亡くなったのを見て衝撃を受けた記憶があります。

そしてラッツェンバーガーの死をWOWOWで見てしまい、ショックで呆然としてました。そしてセナの死…

翌戦のモナコのベンドリンガーの事故といい、この年は強烈過ぎました。




黙祷
 私にとってレーシングドライバーはみんな尊敬の対象なので、アイルトンセナだけが特別どうって事はないんですが、それだけにラッツェンの事もセナの事もどちらも同じくらいショックでした。特にラッツェンは日本でも走ってましたから。

 いくら昔と比べて安全性が向上したと言ってもモータースポーツには危険が付き物なので、これからもレースファンとしてこういった事実を受け止めなければならない時が来るかもしれません。
でも、それでもこういう事実を受け止めながらモータースポーツは続いていくんですね。

そうですか・・・
もうそんなに経ちますか・・・
あの大騒ぎの中・・・

大丈夫だ
セナだぜ?
次のレースには何もなかったようにトップにからんできて
インタビューで

「この間のクラッシュのことが〜〜」

ってサラっというに違いないさ!
だってセナなんだぜ・・・?

当時マンセル党だった自分は・・・・
セナの言動行動にちょいと面白くないことありましたが・・・・
本気で心配しながら・・震えてTVにかじりついていたのを覚えてます・・・・

セナが死ぬわけない・・!
ヤツが死ぬわけないんだ!
こんな馬鹿な話があるもんか・・!
セナが・・・!

数日間・・ナニもてにつかなかったです・・・・

もう・・そんなに経つのかぁ・・・
セナ・・・
当時は小学3年生でした。
母親から知らされたときは本当に驚きました。
幼稚園はいる前からF1を見てきていたので。。。

その後、学校でも友達が「アイルトンセナが死んだ」という話を持ちかけ、話題になりました。それだけセナが日本人に見せたイメージは大きかったんだって思いました。
もう、そんなに経つんですね。


今でも、あの衝撃は忘れられません…。

セナが死ぬはずがない…。
セナが死ぬわけがない…。

そう思い込んでいたから、余計に
タンブレロに310キロでコンクリートウォールに
激突した映像が衝撃的でした…。

もう14年かー。。。
あれから14年ですか。
丁度いろいろもやもやしてた時期で、セナの活躍が励みにもなってました。
いまだに後藤さんのインタビューと今宮さんのエンディングは覚えています。
そういえば、ブラジルがW杯で優勝したときにもセナに捧げるといってましたね。



いまだに事故の原因は謎なんですよね?
深夜、バイトから帰ってきたら
(当時は)あまり喋らない兄貴が
「セナが…」と言ったきり絶句してて、、

目が溶けるかと思うほど泣きました。
忘れられない大事なひとです。
書こうかどうか、迷った末に書き込むことにしました。

当時イギリスに住んでいて、昼間に普通に観ていました。
シュッっとミハエルの車載からいなくなるのを見ても頭の回路は受け付けませんでした。
バリチェロ、ラッツェンバガー、アルボレート、と立て続けの深刻なクラッシュ。
とりあえず毎日新聞を買い続けていました。
先の書き込みにもありましたが、私も一週間ほどボーッとしてました。
留学先の先生に「進んでない」と注意されて「セナが死んだんだ」と答えました。

このトピックも、最初はスルーするつもりだったんですが、
>5:やわはらさん
のyoutube埋め込みを見てしまって「ドンッ」と胸を突かれました。
今でも「ポチッ」っとする勇気はありません。書きながら泣けてきました。
今はSAF1支持者ですが「現状の憂うべき状況も発端はこの辺りにあるんじゃないの?」
と感情的になってきました。
セナは好き嫌いを超えた存在でした。
(ショッキングな事項は出来ればリンク程度にしていただければありがたいです。彼の顔を直視できません。)
14年経ちましたね。あの時、少々心配気味にテレビの電源を点けた覚えあります。本来ならTRUTHが流れる時に涙の今宮さん達が写っていました。あれ以来しばらくF1見なくなりました。でもこれからはセナの偉大さを次世代に伝えて行こうかと、何回も92年のモナコを見せて・・・。
セナは僕をF1の世界に連れていった人でありました。
すごくショックでした。

http://jp.youtube.com/watch?v=geQvkZuBSHo

このサイトを見て下さい。

感動しますよ。(何度も泣きました)
『80年代後半〜90年代前半F1』
このコミュニティの「エンド」に当たる日が、この日(1994.5.1)なんですよね。おそらく。

26のyoutube観て、F1って12年おきにパラダイム・シフトを迎えるのかなと思いましたね。昔のことはよく分からないけど、この12年前(1982年Gilles Villeneuve)にも12年後(2006年:Michael Schumacher)にも名高いドライバーがF1界から去っているわけですから・・・

ひとつURL載せます。ちなみに、チャプター20まであります。
http://jp.youtube.com/watch?v=78NF2ZYXvBY
今でも惰性でF1を見ていますが、まさにあの日が終わりだったかもしれません。

予選を見そびれ、ニュースでラッツェンバーガーの死を知り、イヤーな雰囲気の中、本戦。かかさずきちんと録画していたビデオも、この時に限って予約を失敗したのも何かあったのかもしれません。
セナのクラッシュを目前で見たシューマッハも引退した時も、セナのチームメイトだった中島悟の息子がWilliamsで参戦決定した時も、セナの事が思い浮かびました。

「時速300km/hで天国に駆け上がった」A・セナ。大きな感動をありがとう。貴方の走りに対する情熱は絶対に忘れない。
当時のサンマリノグランプリのビデオを今も大事に持っています。
このグランプリはあまりにもいろんなことが起こりすぎて、開催すべきではなかったのかなとも感じました。
クラッシュする車がほぼ全てサイドポンツーンが抉り取られる状況は異常以外の何物でもありませんでした。「F1って安全な乗り物じゃなかったの?」と。

どちらかというと、僕はアンチセナでした。でも、「いいとも」に出演されたのをきっかけに親近感が沸き好きになりました。

フリー走行の時の「最後の」プロストとの通信がすごく印象に残っています。

今のF1を否定するわけではないのですが、「人間らしさ」が薄いように感じます。この頃は個性あふれるドライバーとマシンが一体し、真のドライバー対ドライバーのバトルが見られた最後の時代だったのではないでしょうか?
もうそんなに経つのか・・・・
アンチセナですが、事故のときはショックでした。
あの日セナは車に乗りたくないと言ったそうですが
大雨のアデレードでレースを拒否したプロストの様にホントに乗ってなかったら
どうなっていたかと思うと複雑です。

何年経ってもラッツェンバーガーの事故と共に思い出しては感慨に耽るんでしょうね。
マクラーレンホンダでセナがホンダに賞賛と共に開発の催促をしていたときは
うぜぇwww とか思ってたものですが、今となっては懐かしい思い出です。
27に挙がっていたフジの特番を観てみました。
これはセナの追悼番組だから美化した内容でも良いとおもいます。

でも、あまりに一方的すぎるのも見ていて気持ちの良いものじゃないなぁ
初めて書き込みします。

あれからもう14年も経つのですね。

あの日の事・・・ハッキリと覚えてます。
と言うのも、普段は必ずF1を観るのに、
仲良しの友達とケンカをして落ち込んで
気が付いたら寝てしまってたんだけど、

ハッ!と目が覚めて時計を見たら丁度
F1の始まる時間でした。いつもの様に
TVをつけて見ていたら・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

信じられない光景が目に飛び込んで来て
しばらく絶句・・・・・。
ケンカした友達から

「F1のドライバー大変な事になったね。」

と心配して電話を貰って大泣きしたのを
思い出しました。その後、セナのメモリアル展が
渋谷で開催され会場で泣きました。

周りにも泣いてる人がたくさんいました。
みんなに愛されていたんだな〜と実感。
早いものですね・・・。

丁度、放送を見てたので今でも覚えてます。
途中で訃報に変わった時思いっきり泣いてしまいました。

あれ以来、F1がつまらなくて・・・興味がなくなりました。

初めてTVで見て感動した91年が一番好きです。
2004年イモラGP。3戦目のレースだったはずです。
当時はウイリアムズのマシンがレギュレーションの変化により調子が悪く、1,2戦目までシューマッハが勝ちました。
そこで問題の3戦目。
セナがコースアウトということで、面白くないレースだといわんばかりに録画を消した記憶があります。
せっかく苦労してウイリアムズに入ったのに無様なレースが続いたからです。
しかし。。まさか死ぬほどの事故とは思いませんでした。タンブレロコーナーは危険なコーナーで有名でしたが、当時のクラッシュをみても、事故死にいたるほどとは正直思いませんでしたから。。
ボクは決意しました。あの地に行こう。と。
そして、2004年5月2日からアイルトンセナ貯金としてお金を貯め、当時学生だったボクは卒業旅行をかねて、イタリアを旅しました。
そこでアウトドモーロエンツオエディーノフェラーリ到着。
庭園の手入れをしていたおっちゃんに交渉を重ねた末、サーキット内になんとか入りました。すぐに見つかったため、コントロールタワーへつれていかれました。怒られたが、帰り。数百メートル離れたタンブレロコーナーへと到着しました。
事故の面影はなく、そのアイルトンセナがぶつかったであろうコーナーを凝視することしかできませんでした。
当時学生だったボクでしたが、決してセナが好きだったわけじゃない。でも、セナは色んなものを訴えかけた伝説の1人であることを確信しました。
それを受け継いだのもシューマッハだったんでしょう。
あれから14年たつんですね…

僕もあの頃はプロストやマンセルのファンでした。

プロストやマンセルがF1界から去りシューマッハやハッキネンの若手が台頭し始め、セナが若手から追われる立場に変わった矢先に起こった悲しい事故でしたよね。


サンマリノでセナのすぐ後ろを走ってシューマッハは心境は複雑だったでしょうね。


追いかけるべき背中がなくなりセナからF1界を背負っていかなくてはならない重い十字架を課せられわけだからね。


2000年のモンツァ、シューマッハがセナと同じ勝利数41に並んだ時、記者会見でプレス陣の前で人目をはばからず号泣した場面を見たとき、シューマッハもセナという存在の大きさを感じていたのでしょうね。


あとにも先にも、セナようなドライバーはしばらくは出てこないでしょうね。
94年はF1で技術が人間の限界を越えた年だと思います。 

陸上の100mだと100分の1を短縮するのに何年もかかりますが、当時のF1は1年で下手したら2秒位速くなってましたからね。 

もう14年。F1で死者が出ていない期間もF1史上最長を更新してます。

セナが残した最後の功績はまだ続いてますよ。

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