ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

本家公認・戸野広浩司復活企画コミュの戸野広浩司さん事故死の顛末

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
順調だった戸野広さんが突然事故で亡くなる前後を調べ、昨年の12月11日のmixi日記に発表したものを多少改訂しまして再アップさせていただきます。



戸野広さんが亡くなったのは12月11日の午後10時10分だったそうです。

私なりに調べたことを書かせていただきます。

12月11日

戸野広さんは「快傑ライオン丸」第40話「大魔王ゴースン再び怒る!」第41話「大魔王ゴースン・あの胸を狙え」の撮影のために彦根に入ります。

当日のロケは昼で終わり、錠之介にとっては宿敵の獅子丸を演じている潮哲也さんと初めてこの日2人だけで飲みます。

ムック本「快傑・風雲ライオン丸」の潮哲也半世紀によれば、お酒が大好きな二人が「じゃあ、呑もう」と意見が一致して飲み始めたそうです。

20代前半の二人はそれはもういろいろな話をしたそうです。

そして、「ちょっと酔い覚ましにでもいこうか」とどちらからともなく、琵琶湖のほとりに散歩にでました。

傍らに干してあった大根を拝借して「うまいな〜」と二人で齧りながらあるいたそうです。(この本には時効だから書きますと書いてありました)

潮さんにとって現実でもあり夢でもありそうな幻想的な夜だったとの事です。

そして、「お互いこれからも頑張っていこう」と誓い合って宿に戻りました。

(この宿というのは滋賀県彦根市松原町の国民宿舎・湖城荘という宿です。今は営業してないみたいです。)

翌日の出番がない戸野広さんは「俺、もう少し飲むわ」と言ってスタッフの飲み会に合流しに行ったそうです。

潮さんが別れ際にパッと見るとお銚子が10本近く転がっていたそうです。この時点で一升近く二人で飲んでいたとのことです。

これが、永遠のライバル・獅子丸と錠之介の永遠の別れになったのです。


そして、この本の次の場面では寝ていた潮さんが「起きろ!」とスタッフに頬をたたかれるところになります。


その間のことは「スペクトルマンVSライオン丸」という本の中の鷺巣プロデューサーのインタビューで語られております。

しかし、鷺巣氏も現場にいなかったので、駆け付けた際に聞いた話だそうです。

ロケ隊と合流した戸野広さんは、なおも飲み続けていたようです。

そして夜宿舎の消灯時間が過ぎた後に、喉が乾いて水を飲みに向かった先が風呂場でした。

洗面所が真っ暗で蛇口が分からないので、仕方なく風呂場のカランで水を飲もうと女湯のほうに入って行ったのです。

そこで暗くて段差が見えずにつまずいて、つんのめってガラス戸に突っ込んでしまったらしいです。

ガラスの破片が脇腹に刺さったまま湯船に落ちて、酔っているから立ち上がれずにそのまま・・・。
これが午後10時10分とされています。

鷺巣さんが連絡を受けたのが12時過ぎ。

この間のスタッフの慌てようは先の文献「快傑・風雲ライオン丸」の小助役の梅地徳彦さんのインタビューで語られております。

子役だった梅地さんは、撮影が終わりみんなで食事して母親と部屋で寝ていたそうです。

すると、廊下が騒がしくなって「誰かが風呂場でたおれたぞ〜!」という大きい声が聞こえ、みんなが走って行ったそうです。

母親が出て行って、戻ってくると「いいから、早く寝なさい」と言われ本当の事を教えてくれなかったそうです。

多分、9時〜10時くらいのことじゃないかと思うとまとまっている。

その後は。。。


先の潮さん自伝に戻ります。

「起きろ!」と怒り声とも焦り声ともつかぬ声で起こされた潮さんに対し、

「すぐに病院に行ってほしい」といわれました。
潮「いったい、全体なんですか!?」と寝ぼけ眼で聞くと
「戸野広が大けがして、病院に運ばれたんだよ!」と言われたそうです。


ついさっきまで、一緒に呑んでたのに・・・。

半睡状態のような状態で病院に駆け付けた潮さん。

到着した時には既に亡くなっていたそうです。


「ええ!今まで・・・ついさっきまで、一緒に話してたのに!」

「一緒にこれからもがんばろう」と誓い合った直後でした。
潮さんはショックで、このあとのロケには参加できなかったとの事です。


翌朝ー。
Pプロ社長であり「快傑ライオン丸」のプロデューサーである鷺巣さんが駆けつけます。

ここからは先の「スペクトルマンVSライオン丸」のインタビューです。

1972年12月12日

氷雨の降る寒い朝だったそうです。
鷺巣さんが駆けつけた時には東京から、戸野広さんの許嫁が来ていたそうです。

見ているのが、つらかった。涙をこらえているからよけいにね。


発見された湯船は真っ赤だったそうです。


プロデューサーである鷺巣さんは、四国の山奥にある戸野広さんの実家に事故の報告に向かいます。

到着が夜8時。山奥のために暗闇だったそうです。

真の闇というのをはじめて体験した(鷺巣)


戸野広さんのご両親は二人とも学校の先生だったそうです。

鷺巣さんと別所プロデューサーはとにかくありのままを言葉に詰まりながらご両親に説明したそうです。

じっと聞いていたお父さんは

「本人が自分で求めて、本人が選んだ道ですから、あの子も本望だったでしょう」

とポツリとつぶやいたようです・・・。


この日のロケは中止。
潮哲也さんはショックのため東京に帰ってしまったそうです。

今、40話、41話を見ると不自然に気ぐるみだけで物語が進んでいる部分があります。


戸野広さんが撮影済みだった部分は使われております。
当然アフレコはできなかった為、池田勝さんが戸野広さんの声を担当しています。

この回をみるにつけ、画面の裏側で起こった悲劇を思い起こしてしまいます。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【2代目タイガージョー誕生と福島さんとの関係】

当初4話のみの出演予定だった虎錠之介でありましたが、戸野広さんの迫真の演技で主役を喰う人気がでてしまい、局に電話が殺到。

レギュラー出演という形になったのです。

このことが、皮肉にも戸野広さんの寿命を縮めたことになるのですが・・・。

急遽、続投。撮影が開始され、第37話「折れた槍 怪人ハチガラガ」から再出演を果たします。

当時、どれだけ戸野広再登場を子供達が望んでいたかというと、35話が終わり、36話の予告編で「タイガージョーのテーマ」(口笛でかっこいい)が使用され、ちびっ子達の期待をあおるほどだったんです。




1972年12月11日
そして、あの事故です。この日は皮肉にも本格的に画面に復活した第37話の放送の2日後となります。

以後の回は、亡くなった後の放送となりました。


さて、現場では戸野広さん亡き後の錠之介をどうするかという事に追われました。

本『快傑・風雲ライオン丸』福島資剛インタビューで何故2代目に選ばれたのか?受けるまでの葛藤が語られております。


福島さんインタビューによれば、2人は2年半か3年間くらい同じ養成所で学んでいました。

福島さんは演出志望で演出側から戸野広さんを見て「いい役者さんだな〜」と思っていたそうです。

福島さんと戸野広さんはタイガージョーのオーディションを同時に受けていて、戸野広さんが受かっりました。

が、事故により戸野広さんが急逝してしまった為に、福島さんに白羽の矢が立ったのでした。

しかし、「彼のことが可哀想で精神的に辛くて」話をお断りしていました。後姿だけでも撮らして欲しいという依頼もあったようです。

しかし、戸野広さんと仲のよかった狭間鉄さんというかたが、「錠之介の代役をやってくれませんか」とお願いに来たので、謹んでお受けしたとのことです。


その間は彼の死から一週間でした。

福島「複雑でしたね。彼にしか出来ない役だと思ってましたから。キャラクターも終わってしまうんじゃないかと思っていましたが、僕が引き継ぐことになって続くことになって・・・。

これは彼のためにも頑張らないと・・・。」


インタビュー中には彼の許婚の話もでていました。

福島「僕や戸野広君と同じ劇団の研究生だった方です。彼女も凄くいい女優さんになるな〜と思っていたんです。それが、戸野広君と結婚するという事で休業状態だったんじゃないかな。

当然といえば当然ですが、彼女もしばらく立ち直れませんでした。
毎晩のように一緒に呑んでいた仲間で、それがお酒が原因で亡くなってしまったんですから・・・。」

戸野広君は本当にお酒が好きで、それこそ「血反吐」を吐くまで飲む。
実際に吐血したんです。
だから、我々仲間で「あんまり飲まさないようにフォローしよう」と話していました。みんな貧乏でお金も無いのにそれでもお酒にまわしてた時代でしたー。



最初の撮影

最初の撮影は神奈川県の丹沢近くにある日向薬師というお寺での撮影。
2代目虎錠之介が誕生する。

福島「最初に行った日、僕が入ることが伝わってなくて、ドクロ忍者の衣装を渡されるんですよ」


最初の撮影は脚立の上から飛び降りるシーンだったとのこと。
出来上がりは逆回転して、木の上に飛び乗るシーンだった。


Q代役に当たって、戸野広さんを意識したところは?

福島「戸野広君は錠之介と性格があってなかったんです。普段は優しくて声も細くてね。だから、ああいう役柄を作ったんだと思います」


違う点は?
福島「戸野広君は乗馬が巧かったんです。よく彼が「馬に乗ってきたよ」なんて私に言ってました。私は乗馬が出来ないので一回も馬に乗るシーンは無かったはずですよ」



2代目タイガージョーは、子供達に迎え入れられ、続編の「風雲」での再登場を果たしました。

しかし、福島資剛さんは根が役者ではなかったのか、その後数本のドラマに出るも、自らフェードアウト。


現在は長野県でひっそりとペンションを営んでいます。
自然と暮らす彼のブログは私も大好きで憧れの人の一人になっています。


一度、ペンション「キングサーモン」に言って戸野広さんの話をじっくりと聞きたいです。


コメント(3)

今回は原文のまま発表しましたが、実は間違いが数箇所ありました。

鷺巣社長のインタビューでは四国の山奥にあるご実家とありますが、本当は広島県です。

更に、亡くなってすぐにご挨拶に行った旨が記載されておりましたが、戸野広さんのお母さんのお話では、逆にすぐにご遺体を迎えに行ったそうです(こっちのお話の方が信憑性があります)

あまりの急な事でお母さんは涙を流すことが出来なかったとの事でした。
正に、自分が産まれた年の出来事だったんですね。
返す返すも、この若き名優の早世が残念です。

「苦しくても恥ずかしくても、生きる事が大事なんだ。」
と、獅子丸も言っていたんですけどね…

余談かも知れませんが、福島資剛さんは「仮面天使ロゼッタ」にて
潮哲也さんと26年振りの共演を果たされたんですよね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

本家公認・戸野広浩司復活企画 更新情報

本家公認・戸野広浩司復活企画のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング