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九頭竜の封印を解くコミュの御蔵島の伝説・歴史

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御蔵島に一日余分に滞在したおかげで、ちょっとおもしろい伝説に出会いました。紹介します。




ダイヤ伝説 九頭九神


はるか昔、三宅島から御蔵島を見ると誰も住んでいないはずの島に煙が上がっているのが見えました。不思議に思って船を出し、ここに渡ってきてみると、1人の男が立っています。この男は崖下の風が当たらない場所に井戸を掘り、石を積んで住んでいたのです。何年住んでいるのか尋ねてみると、オサダ(仙人草)の花が七まわり半咲くうちだといいます。

つまり7年半住んでいたことになります。

その後、この人をキュウトウキュウジン(九頭九神、旧渡旧人、旧島旧人などの字を当て、別名キュウトウ様ともいいます)と呼び、島の始祖として大切に祀るようになりました。

また、この場所をカミヤマ(神山)とし、ここには始祖伝説を伝える石祠が今も残されています。



御蔵島
チクマ秀版社より





ダイヤ御蔵島の歴史

『三島大明神縁起』には次のような話を記しています。

昔神々が協議した結果、龍神に頼んで海中に石を3個置いてもらいました。石は1日1夜にしてそれぞれ島になり、さらに7つの石を置いて、合計10個の島が出来上がりました。御蔵島はその6番目の島なのです。



『伊豆七島誌』によると、伊豆諸島を造ったのは大国主命の子どもの事代主命であるといい、御蔵島もまたその子どもの1人に治めさせていたそうです。

現在、七島に近い三島市にある三島明神に事代主命は祀られています。

以上のような伝説があります。


御蔵島
伊豆諸島・小笠原諸島特定地域経済活性化対策協議会 パンフレットより





ダイヤ「トシガミ」の信仰

御蔵島の里部落は、傾斜の急な凹地に発達したので、土地を切り崩して家屋の敷地を造ったから、旧民間28戸の百姓の敷地には、祖先が土地を切り崩したとき残した小高いところが存在する。

その敷地の小高いところには、各戸とも神が祭ってあり、御蔵島では、その祭ってある神を「トシガミ」といい、トシガミの祭ってあるところを「トシャマ」と呼んでいる。

この各戸のトシガミは、普通には自然石か、海岸の玉石を土中に立て、部落の近くにあるネブカワ石で側をかこい、屋根をふいている。

方2、3尺の小祠であるが、中には木造の小祠もある。

御蔵島の旧28戸の百姓が、トシガミに関する祭事として、現在において行っていることは、歳末にはききよめて、小祠の前に長さ2・3尺の2本の細いシイの木を立て、その細いシイの生木に、同じ長さのユズリハの小枝を結び、ウラジオをつけた縄をかけるくらいで、往時からの慣習を守ってきた。

御蔵島の明治初期においても、トシガミに関する祭事は現在と変わりがなかったのであるから、その各戸のトシャマに鎮座するトシガミは、祭事の点より考えて、信仰を失った、廃れた神の残骸であるのではないか。

中略


移住者が各戸に造ったトシガミは、自家1戸の神で、隣家の神とは関係のない孤立した神であって、御蔵島が共同の部落として発達すれば、各戸に共通の信仰の対象として稲根神社を造ったであろう。

そして、御蔵島の旧民家28戸の百姓は、自家1戸のトシガミの信仰から、共通の稲根神社の信仰に移り、トシガミの祭事は、いつしか忘れられて、現在は信仰の残骸をとどめているのであろう。

この原始信仰の発展の型は、ひとり御蔵島だけにとどまるものではないと考えられるから、わが国の各地方に、トシガミならぬ原始の神の残骸があって、いまは淋しく昔の栄華の夢を、かこち嘆いているのではないか。



御蔵島の社会と民族
栗元惣吉
西田書店

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