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熊谷対世志コミュの「豚とオートバイ」に就いて、或いは、「豚とオートバイ」の時間

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「豚とオートバイ」に就いて、或いは、「豚とオートバイ」の時間

1.「ナンパした女の子を引ん剥いたら、腋毛がボン!」

「豚とオートバイ」(作/李萬喜、翻訳/熊谷、『韓国現代戯曲集2』/日韓演劇交流センター刊)の冒頭で、シャワーを浴びている若い恋人の「慶叔(キョンスク)」に「髭剃り」を取って呉れと云われて主人公の「男」載奎(ジェギュ)が戸惑うと云う場面がある。「女が髭剃りする場所が何処だって」と。無論、舞台当時の'93年の日本だろうと現在の日本だろうと、余程、何にも関心の無い男でない限り「ムダ毛処理」と云うモノが女性に付いて廻ると云う事を解らぬ男と云う者はいるまい。だが、此の作品のもう一つの舞台である'83年当時の−此の年は僕が初めて韓国に行った年でもあるが−韓国では、女性の「ムダ毛処理」と云うモノ其のモノが、略、あり得ぬ話であった。真夏であろうと「堅気の女」は肩を出さないのが普通で、スカートも、近頃では老女か田舎の小母さんしか履かなくなったロングスカートが普通であったから。僕が参加していた韓国語夏期集中講座に「付いていた」海水浴で、ボランティアの韓国人女子大生は、「スクール水着」の上から肩にバスタオルを掛けて、海に「浸かって」いた位だったし(韓国人が余り泳げないのは、未だに全ての小学校にプールがなかったりするンで、今も昔も変わらないとも云えるが)。だから、'83年当時同い年の妻と結婚していて慶叔の高校の先生だった載奎は、'93年に慶叔に髭剃りを取って呉れと云われる迄、女の「ムダ毛処理」気付かなかったって事なのだ。
見出しの文句は、韓国で国会で迄取り上げられて社会問題になった、断末魔の『平凡パンチ』の韓国特集の何処かの見出しで遣われた科白だ。確か'84〜5年だったか。此の頃流行ったドイツの歌手ネーナのPVで、タンクトップ姿のネーナの腋毛が其の儘で、「腋毛がボン!」は、結構良く遣われた云い回しだったと思う(『黒木香』の登場は、もう少し後だ)。で、此の頃、例えば初めて韓国に行った僕が、或いはネーナのPVを見た誰某が、「腋毛がボン」と口にし乍ら、一方で自分が子供の頃、大人の女性は其んなに「ムダ毛処理」って奴をしてなかったって事にも、気付いてた。勿論、ソウルオリンピックを挟んだ'83年から'93年の十年間で、韓国の女達は肩を出す様になりミニスカートも履くようになり、ファンデーションべったりの化粧もする様になりビキニも着る様になり、「ムダ毛処理」もする様になったのではあるが。
たかが冒頭の「髭剃り」を取って呉れと云う場面丈で、僕は、此んなにも自分と韓国の「来し方」を考えて仕舞う。「豚とオートバイ」と云う芝居は、其う云う作品だ。だが其れは、お前が「韓国オタク」で四半世紀以上前から韓国語なンか遣ってて韓国の芝居迄訳しててだろって、其んな理由じゃぁない。其の位、韓国の'83年から'93年も大きく変わったのだし、僕が子供の頃から'83年迄の日本も大きく変わって来た社会だったし、'93年から此方の、韓国も日本も大きく変わって来たと云う事なのだ。

だから載奎は、自らの「来し方」に想いを巡らし、此れからの「行く末」に躊躇ってしまう。
だが其れは、唯韓国社会が、唯経済成長して大きく変わって来たと云う事丈ではない。

2.載奎の「身世打鈴」(シンセタリョン)

「身世打鈴」は、韓国式の「身の上話」の事。但し、「打鈴」は元々「〜節」の意味で、節回しを付けて歌うが如く唸るが如く、拳で床を叩き男女問わず「泣き乍ら」・・・・・・・と書いたが、「哭き乍ら」、声を上げて涙を流して謳い上げるのが普通だ。屡々最初の文句は此う云うのから始まる。「俺は不幸なンだ!此の世で一番、不幸なンだァ!」
処が、孤児乍ら苦学して高校の英語教師になって結婚して幸せになった筈だったのに、一つ目で額に口がある奇形児が生まれ、其の子を殺して其の獄中で妻に自殺されて仕舞った主人公載奎は、此の芝居で、其うした「身世打鈴」を始めない。其んな「揉み苦茶の(人)生」(慶叔が載奎の事を評した台詞)を辿って来た載奎は、決して「俺は不幸なンだ!此の世で一番、不幸なンだァ!」とは、自らを語り始めない。人生を「三泊四日の旅行」に譬えて、「躊躇いの裡に生まれ/何かがあるだろう、叶うだろうと待っても/名残の裡に死を迎える様になるでしょう」と、諦めの気持ちに充ちた詩の様な独白の台詞で、此の芝居は始めている。大体、最初の回想場面である獄中の「妻」との面会場面からしてが、通常、韓国であったら仕切りの壁も溶けよと許りの号泣シーンになる所が、何とも噛み合わない、不自然な会話である。載奎は「妻」に彼此れ尋ねるが、載奎は其の返事をちゃんと聞いてる風ではない。其して最後に「申し訳ないわ、色々至らない所だらけで」と謝り乍ら友人が借金の相談をして来た話をした此の面会を最後に、「妻」は自殺して仕舞う。載奎には何の事だか解らずに。「『貴方を愛しているって/貴方を狂う程愛しているって。』/此の言葉が私の運命を変えて仕舞う事でしょう。」と云う詩の走り書きを残して。載奎の口から其う聞かされる観客は、日本であれ韓国であれ、放り出された様な気分にされて仕舞う。
出獄後、予備校講師となった載奎は、曾ての教え子である慶淑に求婚されている。妻のいる高校教師だった載奎に猛烈なアタックを仕掛けた向こう見ずな少女だった慶淑は、今は医大を出て専門医の道を進む裕福な家の何不自由ない立派の大人の女性であり、犯罪者であった載奎を、昔以上に愛している。其れは其れは健気に。勿論、年の離れた「前科者」との結婚に反対する親と三年も闘い続けてはいるが。処が人生の全てに躊躇っている載奎は、此の慶淑との結婚話にも迷って仕舞う。其れ処か慶叔を邪険にすら扱って仕舞う。題名にもなった「豚とオートバイ」の話は、此処で出て来る。載奎が求婚を迫る慶叔に「面白い話」をして遣ると語る。昔、豚の種付けは爺さんが豚を連れて練り歩いたモノだが、今では、オートバイ(荷台付きの三輪オートバイ)に豚を載せて廻る様になった。其うすると種豚は、オートバイに乗った丈で「訳が解ってブーブーギャーギャー得意になって大騒ぎ」し、其して、事を終えた種豚は雌豚の事等考えもしない。忘れられた雌豚は寂しく泣く丈だと。豚がオートバイに乗る様になった様に大きく世の中は変わったが、男女の事は、昔も変わらずだと云う風に。処が慶叔は、其んな載奎に「式場押さえて箪笥も見よう」と母が折れて来た事を告げる。無論、載奎は喜べない。此の結婚話が、更に彼に自分の「来し方」を思い巡らせてしまう。
載奎は医師に、奇形児は「トリソミー13症候群」であり勿論不治であり併し「三〜四歳迄生きられるのではないか」と説明され、絶望する。併し、「妻」には嘘を付き続けるしかない。本当の事が云えない。其して看護婦に相談して「海外養子縁組」の道も考えるが、結局、自分で「殺す」事を決意する。処が、放置して置けば死ぬと看護婦に教えられて家に置いて出掛けて「もう死んだ」と思って帰って見ると、「妻」は退院して赤ん坊の世話をしている。此処から二人の押し問答が始まる。カトリックである「妻」は、「五体満足な他の子供達を只管愛し乍ら」育てようと迄云う。処が載奎は、死ぬ事を望み乍ら育てる事は出来ないと、押し切る。すると押し切られた「妻」は、裁判の為の写真も撮ってあると云い、「子殺し」の儀式も抑々「妻」がカトリックとは云え、「妻」主導だ。子を殺して北漢江に流して、愈々此れから自首しようとする時の二人の会話も、プロポーズ当時の事を話したりして、妙に疎々しい。

此処迄回想した処で、慶叔から電話が掛かって来る。終に父も折れたと。勿論、載奎は喜べない。其んな載奎に慶叔は、美女が唯美女の儘でいる選り、交通事故で片足切断されて「松葉杖を突いてジリジリ照り付ける日差しの下をよろよろと跛を引いて歩いている」方が美しいのだと、更に孤児院の修道院長が曾て載奎にした、聖書のヨハネ福音書のイエスと盲人の話(盲人の目が見えないのは、神の権能・神のみわざを示す為だ)迄持ち出して、載奎に強く生きろと、「愛しています」と迫る。

載奎は未だ、躊躇っている。此処で、載奎が躊躇って許りもいられない出来事が起こる。

3.「妻」達の物語

出獄後、電話を掛けて来る許りでちっとも遣って来ない載奎の親友崔判東(チェ・パンドン)。其の「妻」が載奎の所に料理を持って遣って来る。ちょくちょく来てる様だ。李萬喜が「ソウルの普通の観客は解らなかっただろう」と云う、古くて強烈な木浦(モッポ)訛りで彼此れ吹き捲り散々載奎を振り回した挙げ句に、夫の「財布」の「住民登録証」の間に、載奎の「妻」の「写真」があったと告げて帰って行く。無論、鉤括弧付きの語は「近代語」なので、方言ではない。載奎は勿論、「普通の観客」にも解る言葉だ。
載奎は「妻」を「呼び付け」る。其して、滔々たる「身世打鈴」を始めようとする。「奇形児」を産み、其の子を「殺した」苦しみで「妻」は自殺したと思ってたら、其処に、載奎を裏切って崔判東と不倫してた苦しみもあったと云う訳だ。自分は「妻」に酷い仕打ちをしたと思ってたら「酷い仕打ち」をされたのは自分だった、裏切られた「俺は不幸なンだ!此の世で一番、不幸なンだァ!」と云う訳だ。被害者意識丸出しの載奎は、「妻」を吊るし上げようとするが、此の「身世打鈴」は全く上手く行かない。「妻」は、全く怯まない。「妻」は載奎に反撃する。併し此処でも、壮絶な「糾弾合戦」が始まるでも「身世打鈴合戦」が始まるでもない。「妻」は自分の非を簡単に認めて仕舞う。其して其の事を許せ、忘れて呉れと迄云う。普通、韓国で此う云う時に、お互いがお互いの言葉にエスカレートして行く様な「吊るし上げ/身世打鈴合戦」にはならないのだ。「妻」は疚しさなく堂々と自分の非を認めているし、載奎の不幸な生い立ちも其の後の苦しみも、受け止めている。但し其れは、「母親の様に全てを許している」と云う風でなく、自分の生を、良きも悪しきも認め受け入れているからの事だ。其んな「妻」は何時迄も慶叔との結婚を渋る載奎に、慶叔との結婚を恐れる理由は慶叔が又奇形児を産むのではと恐れている丈ではないのかと詰る。其して、載奎の「被害者意識」は、出掛けに何時も左足から出て行ったのを右足から出て行く様にすれば治る程度のモノだと云って、去って行く。だって「妻」は、右足から踏み出す事が出来ずに、死んで仕舞ったのだから。

此処で場面は裁判の回想に移る。載奎が子殺しを「愛」の為にしたと、殺して遣る事を望み乍ら育てる事は出来なかったと云うのに対し、検事は、愛したが故と云うなら、「奇形児」育てている親達は早速自分の子供を殺さねばならぬだろう、二人目が「奇形児」だったら又、殺す気かと問う。此の辺りの台詞で、屡々日本の若い観客が其う思って仕舞った様には、載奎が、李萬喜が、「子殺し」を正当化しているのではない事が看て取れる。其して弁護士は、載奎は初飛行に失敗して空から落ちて傷を負った鷹、「落傷鷹」なのだと弁護する。鷹ですら、初飛行に失敗して「折れて砕けて目茶苦茶になって、到底生きる事が出来る事が出来ない筈なのに、強力な生命力でもう一度飛翔する奴」を愛すると云うなら、人間が「初飛行に失敗して真っ逆様に墜ちたなら」、我々はどうすれば良いのかと。

処がと云うか当然と云うか、載奎は、弁護士の言葉にも救われない。

此処で、もう一人の「妻」が登場する。載奎の独白の長台詞で出て来る、「鄭仁秀(チョン・インスゥ)と云う友達」の「妻」である。
彼女は身重の体で癌で闘病する夫の世話をし、其の死後、其の子を産んでしっかり育てて行こうと誓っていた。併し、数ヶ月後、彼女は子供を堕して再婚して仕舞う。周囲から、当然の如く避難の声が上がった頃、載奎は彼女と再会する。夫が死んで二ヶ月程の間、彼女は毎日「夫の残像」と闘っていたと、「毎日夫への愛を確かめて、気を確かにして考えて見ると、違ってた」と。其して、姑に夫の財産を奪われ−韓国では'90年に法改正される迄妻に夫の遺産相続権がなかった−周囲に「一生の間操を守る事が出来るのか」と好奇の目で見られ乍ら、彼女は、再出発を決意したと云う。
「利己的なのか、飛躍なのか解らなくても、私は其処から逃げ出したかった。其の寄る辺ない寂しさの中で私が今新しい生を生きて行こうと足掻いている。誰が何と云おうと私は死んだ夫を愛している。併し、私自身も愛したい」と。
其の時はピンと来なかった彼女の言葉が、「全く私の話になって仕舞いました。率直に、私は私の妻を真実に愛してます。併し、私自身の残っている人生も愛したいのです」と、漸く再出発を決意する。

此処で肝心な事は、載奎が、三人の「妻」達に因って、再出発に踏み切ったと云う事だ。崔判東の「妻」は、此の芝居の登場人物の中で、唯一学歴のない人間である。韓国式に云えば、「民衆」代表だ。金持ちの家に生まれたが頭が悪いからと学校にも行かせて貰えずに生きて来たら、他に好きな男がいたのに「見込みがあるから」と父に崔判東と結婚させられる。夫は、載奎は、其の「妻」は「大学」に通い「デモ」もし「詩」も書き「歌」も歌っていたと。自分には其んなモノは何もなかったが、必死に夫と生きて来た。なのに、夫は自分でない載奎の「妻」を愛していた。載奎の「妻」も、「大学」迄通い「詩」も書いていたが、結局、専業主婦だ。夫に、「詩」を書く様な女と結婚したと云うステータスの象徴の様に奉られた丈の、主婦だ。鄭仁秀の「妻」も、必死の看病も報われずに、姑に財産を奪われる「寡婦」だ。載奎の「妻」は崔判東との不倫に走る事が出来たが、崔判東の「妻」には其れも出来ない。だが、載奎の「妻」は「奇形児」を産み「殺し」て仕舞った事もあり結局、自殺して仕舞う。鄭仁秀の「妻」も、「未亡人不婚」の制度が長らくあった韓国では周囲の冷たい目の中で生きて行くしかないし、前夫の子を堕ろした事は一生の負い目として生きて行く事だろう。だが彼女達は、其の「被害者意識」では語らない。彼女達は、「娘」であり「「妻」」であり「母」である事を求め強要する社会・制度と云うモノが齎した「軋み」の中で、「娘」や「「妻」」や「母」で丈では生きて行く事が出来ずに、「女」である「私」に、「自分」に、「実存」としか称び様もない「私」に出会って仕舞った。此の、「妻」達の出会って仕舞った「私」には、「娘/妻/母」の様な理念性も制度性も、何もない。崔判東の「妻」は夫への「意地」を誇らしげに語り、載奎の「妻」も自分の非を認めつつも後悔してる素振りもない。其の「妻」の叱責の中で思い出された鄭仁秀の「妻」の言葉で、再出発を決意する。

だが、其う遣って再出発を決意した載奎なのだが、此れは、ハッピーエンドなのだろうか。

4.、慶叔の物語、其して、「上辺の偽り」

朗らかで一所懸命の慶叔だが、「妻」達に較べると何とも危ういと云う気が、しないだろうか。「戯曲集」の「解説」に書いたが、「妻」は古くて貧しくて苦しい韓国の、「慶叔」は新しくて豊かで自由な韓国の象徴でもあると、李萬喜は云う。だが、「新しくて豊かで自由な韓国」は、其の後、'97〜98年のIMF危機に遭い、昨年来、其れ以上とも云われている経済危機を迎えている。女達は曾て選り自由にはなったが、出生率の低下は日本を上回り、自殺率も、日本を上回った。あの芝居の時点で慶叔は、未だ、其うした危機に出会ってない。「妻」達が其うなった様に、「女」である「私」に、「自分」に、「実存」としか称び様もない「私」に出会って仕舞った訳でもない。載奎の云う様に、種豚に忘れられた雌豚になって仕舞ったかも知れないし、更に載奎との間に、又、「奇形児」が生まれなかった保証は何処にもない。
僕は酷い「訳者」だったので、此の作品は、全く、「『妻』達の物語」と思って訳していた。実際、此れも「解説」に書いた話だが、李萬喜も、「妻」の物語と云う意識の方が強い。だが、'06年の福岡の都地みゆきの「慶叔」の「先生、愛してます。貴方の全てを」の台詞に、殊に「愛してます」の一言に、「此れは『慶叔の物語』でもあったンだァ!」と気付かされた。「前科者」である載奎と結婚する為の三年間の親との「闘争」で、「男尊女卑」の韓国で「専門医」の道を歩むと云う苦難の中で、「慶叔」も又、「妻」達程には強かではないが、「私」と云うモノに出会ってきたのではないのだろうかと。
だが、此の「愛してます」も、決してハッピーエンドを齎す言葉かどうかは、解らない。大体、「妻」の走り書きの、「『貴方を愛しているって/貴方を狂う程愛しているって。』/此の言葉が私の運命を変えて仕舞う事でしょう。」と云う「言葉」だって載奎に向けられたのか崔判東に向けられたのか良く解らない儘だし、載奎は、「愛したが故」に、「子殺し」をした。此の何れかを偽善と云い何れか丈を真実と云う事は容易い。だが、何れも「愛」だ。
実は芝居の中で、「奇形児」は、ずっと「上辺の偽り」と称ばれている。此の称び方は、変な称び方だ。だが、最初載奎が其う称んだ時は、「愛したが故」に殺したと云う「偽り」、其の後ものうのうと生きて仕舞った事の「偽り」と其う取れる。其の後も、医者の言葉の「偽善性」や「妻」に嘘を付いていた事等々と、此の「奇形児」が様々な「偽り」を齎して来る事も、良く解る。「妻」が載奎を裏切って崔判東と不倫していたとなると、「妻」の「偽り」も加わって来る。更に、載奎を詰問する「妻」の、「若しかしたら慶叔が又、『上辺の偽り』を産むかと思うの」と云う言葉を思えば、載奎は更なる「上辺の偽り」をしていた事にもなる。だが無論、此の「上辺の偽り」を齎したのも「愛」なら、「殺し」たのも「愛」だ。

此れも「戯曲集」の「解説」や「注」に書いた話だが、'97年の夏、ソウルで此の芝居を初めて見た時(演出/姜英傑[カン・ヨンゴル])から、此の「上辺の偽り=奇形児」が、一体、何の比喩だろうと思ってた。「載奎」が「金載奎」(朴正煕暗殺犯。裁判後死刑)と同じな所から、ひょっとして、「上辺の偽り=奇形児」が「独裁政権」や「光州事件」と云った韓国現代史の「苦しみ」や「困難」の比喩ではないかと。其処から「妻」や「慶叔」の意味や、躊躇って許りいる「載奎」は新しくて自由な現実に躊躇う「韓国人」の姿ではないかと云う事にも辿り着いたのだが、他は全く其うだが、「載奎」は必ずしも「金載奎」ではないと、李萬喜は云って呉れた。何故、日本人の私が気付いて、韓国の演劇評論家先生が気付かないのかと迄も。李萬喜は、事件当時光州で高校教師をしていて、最中に出会った旧友と市内で小劇場を始める事で、演劇人としての履歴を始めた人だ。更に、「二つに切り裂くとでも云う様に自分の体から此んな凶悪で恐ろしいモノが出て来た殊に対する(「妻」の)身もだえ」と云う台詞でも、「愛」が「奇形児」を齎し「殺し」た事でも、朴正煕がクーデターから暫くは大変な人気があった事や実際韓国を経済成長させた事、其して「独裁者」となり行き詰まり其の側近であり仲間である金載奎に殺された事、其うした事を思わさせずにはいられない。併し、其うした「悲劇」や「苦しみ」や「困難」は、単に糾弾する事でどうにかなる事なのか。其れは却って其れ等を「他人事」にして仕舞う事なのではないか。其の事を認めて受け入れる事を阻害する丈なのではないかと。朴正煕は「愛」國を口にクーデターを起こし、金載奎は同じ言葉で朴を殺した。光州市民は「愛」國の名の下に蜂起し全斗煥は「愛」國の名の下に弾圧・虐殺した。何れも、「愛」國なのだ。

今回公演のアフタートークで、稲川方人は此の作品を、次の様に語って呉れた。
「豚とオートバイ」は、人間の「原罪」、近代国家の犯して来た「罪」、広い意味での「倫理」と云うモノを扱った作品である。だが、李萬喜の扱い方は、普通と違っていた。「倫理」と云うモノは、屡々、「最大公約数」と云うモノに接近して仕舞う。其して、社会的な抑圧になって仕舞う。だが、李萬喜は「最大公約数」に付く事は避けて、一人の人間の実存の場面でキチンと描いて呉れた。だから、「子殺し」と云う普遍的な「罪」、人間が歴史的に犯して来て近代国家も又、戦争や虐殺と云う形で犯して来た「罪」が、上手く、描かれている。だが、其れは、「回避」と云う事ではない。此の「罪」を「最大公約数」に還元しない事で、逆に選り一層、問題に強く迫っている。だからこそ一人の人間の実存に起こった出来事に、社会全体や歴史的事件が上手く折り重なっていると。一人の人間の実存の事実が、良く描かれてると。
私は此う答えた。
実は、李萬喜は、若い頃出家した事もあり大学は印哲であり、クリスチャンではない。其の李萬喜が描く「原罪」であるからこそ、キリスト教徒の描く「原罪」選りかは一層「最大公約数」から遠く、相対化されたモノなのではないかと。「愛」も又、日本語程不自然な言葉ではない韓国ではあるが、かと云ってキリスト教国の、ヨーロッパ語の「愛」選りかは「最大公約数」から遠く描けたのではないか。だから一人の人間の実存に現れた事実として、描く事が出来たのではないかと。

今回の公演に出た若者達は、どんな「私」に出会うのだろう。私を含めた一緒に遣った周りの大人達、
此の芝居を見て呉れた観客達は、此れから何の様に生き、「愛」して行くのだろう。載奎と慶叔の其の後は、韓国の其の後は、どうなって行くのだろう。
「豚とオートバイ」は、「歪んでひしゃげて腐敗して饐えてグジャグジャになった」大人達の為の物語だ。

「我々が、此の険しく苦しい世の中に生きていると云う事自体が、暗澹とした中でも生きていると云う事自体が大切な事ではないでしょうか。」

「豚とオートバイ」は『韓国現代戯曲集2』(日刊演劇交流センター発行)所収。
'93年初演(演出/許奎[ホ・ギュゥ])、'05年第2回韓国現代戯曲ドラマリーディングで日本初演(演出/鐘下辰男)、'06年福岡で小松杏里演出で再演(Hirobaプロジェクト)、'08年12月小松杏里脚本/演出
で初の演劇公演(d'THEATER)が新宿タイニイアリスで上演された。


熊谷対世志


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上記は、担当編集者に送付された原文ママの原稿です。
掲載時に、表記と若干の修正をしています。

Mixiに掲載することで、出版権に付随する権利を放棄したりはいたしません。

故人の想いを多くの人に理解していただくために掲載したいと思います。

もし、何らかの形で転載されるときは、ご一報ください。

TH叢書37号 特集デカダンス収録

A5判192頁・定価1500円(税込)ISBN 978-4-88375-097-9
発行=アトリエサード/発売=書苑新社(しょえんしんしゃ)

コメント(2)



さようなら。

49日です。

お達者で!!

いろいろありがとう!!!!

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