1980年、超能力戦を描いた『スキャナーズ』で人気を得る。続く『ヴィデオドローム』(1983年)では興行面こそ奮わなかったが、アンディ・ウォーホールをはじめ業界筋からの評価が高く、ビデオ発売と同時にカルト的人気を博しクローネンバーグは一躍注目作家となる。また、初めて原作つきの作品『デッドゾーン』(同年)を映画化。アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭(ジェラルメ国際ファンタスティカ映画祭の前身)で3部門を受賞。1984年次女ケイトリン誕生。1985年長男ブランドン誕生。同年、ジョン・ランディスの『Into the Night』で俳優としてデビュー。1986年にはリメイクした『ザ・フライ』でアカデミー賞特殊効果賞を受賞。商業的にも大成功を収める(ちなみに本人も産婦人科医役でカメオ出演している)。1988年の『戦慄の絆』はアヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭でグランプリ、ロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀監督賞を受賞。さらに広い層からの人気を得る。
1990年、フランス政府より芸術文化勲章シュバリエ(Chevalier, 騎士、勲爵士)受勲。またクライヴ・バーカーの監督作『ミディアン』に出演し、殺人狂の精神科医デッカーを怪演。1991年、学生時代より愛読していたウィリアム・S・バロウズ原作の『裸のランチ』で全米映画批評家協会賞最優秀監督賞・脚本賞受賞。1996年にはJ・G・バラード原作の『クラッシュ』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。1999年、同カンヌ国際映画祭映画祭審査委員長を務める。この年『イグジステンズ』でベルリン国際映画祭銀熊賞、アムステルダムファンタスティック映画祭銀賞を受賞。「カナダ名声の歩道」(Canada's Walk of Fame)に名前が刻まれる。
2001年、母校トロント大学より名誉法学博士号を授与される。2002年カナダ最高の勲章であるオーダー・オブ・カナダオフィサー受勲。しかしこの年の『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』は興行面で失敗。資金確保のためプロデューサー役も務めたクローネンバーグはあやうく破産寸前に追い込まれる。2005年、前作の失敗を受け大手スタジオの支援を受けて作成した『ヒストリー・オブ・バイオレンス』は、カンヌ国際映画祭でパルムドールにノミネート、ゴールデングローブ賞作品賞ノミネート、全米映画批評家協会賞では監督賞を受賞、また「ローリングストーンズ誌」で2005年のBest top 10で1位に選出されるなど、好評を博す。2006年、カンヌ国際映画祭で功労賞受賞。また同映画祭の60周年を記念して制作された、世界25か国から集った35人の監督による短編集『Chacun Son Cinema(英題:To Each His Own Cinema)』にカナダ代表として参加。この年カナダ王立協会(FRSC)フェローに。