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今朝の毎日新聞地方版
8月19日 18:55

虹のパレット:今はつらくても、まちがってないよ
=岡村孝子 /愛知
毎日新聞 2013年08月19日 地方版


先日、コンサートで大阪駅に行った時のことです。迎えに来ていた車に乗りこもうとしたその時「孝子さーん」という呼びかけに振り向いてみると、よくconcertに足を運んでくださっている女性が2人。遠方からの友人と待ち合わせた後、私たちの到着を待ってくださっていたとの事でした。

 今年もお会いできた喜びに二言三言、声をかけ合い「では、またね」と会場に向かいましたが……。そう言えば、最近、会場で顔を見かけなかったなあ、忙しかったのかしら?なんて思いながら、お二人から頂いた手紙に目を通してみると、お一人はご主人の仕事のことで少しバタバタし、もうお一人は体調を崩されていたということです。

 そして私と同年代の彼女たち、「最近の友人との会話と言えば、もっぱら自分の病気のことと介護のことです」と。

 「うーん。すごくわかる」(笑い)

 私の音楽を聞いてくださる女性は、本当に同じ時代を共に歩いてきたといった方が多く
20代の頃、男女雇用機会均等法世代の私のコンサートは、圧倒的に女性が会場を占めていました。

 ところが30代から40代にかけて(多分、多くの方が結婚をし、家事や育児に忙しかった頃)ぐっと女性が減り、寂しいなあーなんて思うこともありました。

 それが40代になり、私もsingle(エヘヘ)としてlive活動を再開した頃から、ポツポツと女性のお客さんが再び会場に足を運んでくださるようになりました。

 育児などが落ちついて、少しだけ自分の時間を取り戻せたのでしょうか。時には小さなお子さんと一緒にいらっしゃる方も。

 50代になった最近では、私も父の闘病や他界など、生きていく中で避けられない様々な事を経験し、それを言の葉にして歌うようになり、私にとって絵日記である音楽のpageも、かなり色合いが変わってきました。

 今年releaseしたalbumは「NO RAIN, NO RAINBOW」と言います。Hawaiiのことわざで「雨なくして虹なし、雨が降るから虹が出る」という意味ですが、私はこの言葉を「悪いことの後には、きっと良いことがあるよ」といった意味でとらえています。

 デビューして30年の中で、この10年くらいは、つらいことやしんどいこと、不条理なことをいっぱい経験したように思います
私は、普通に結婚して子供が2人とか3人出来て、若しかしたら音楽から離れてしまっても、そこに幸せを感じて生きていくタイプだとずっと思っていたので、この想定外の山あり谷ありの人生に一番自分が驚いているんですけど……。

 でも、ちょっと客観的にシビアな目で俯瞰(ふかん)している「岡村孝子」からふり返ってみると、そういう経験をしたおかげで、いろんなことが少しはわかる大人になれたんじゃないの?みたいに感じます。きっとまちがってなかったって。

 多分、その時期はとってもつらくて膝を抱えたんだろうと思うけど、気付いたら前に進んでいた。だから、今とても悲しいことのただ中にある方には「きっといつか前に進んでいるからね。あなたが前を向いて一生懸命歩こうとしている間、私は音楽を通して一緒に寄り添うからね」って伝えられたら……。

 「何もまちがってないよ」って。(シンガー・ソングライター)

リスさんより連絡しますねY_V(^_^)V_Y  
8月20日 19:18
お久しぶりの岡村孝子インターネットラジオ
「T's GARDEN」第38回 [2013.08.13(火)]が
放送更新しましたよ

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放送更新されましたので是非ともお聴き下さいね

http://www.okamuratakako.com/_radio/index.html


毎日新聞中部版より
5月29日 20:27


はじめまして。今日からこの「虹のパレット」に登場させていただくことになったシンガー・ソングライターの岡村孝子です。

 「あみん」でdebutしてから、早いもので30年が過ぎました。

 女子大生でdebutした当時、まさかこんなに長く音楽の世界にいるとは思いませんでした。これもひとえに、応援してくださる皆様のおかげだと感謝しています。はい。

 たぶん、愛知県出身ということで声をかけてくださったのだと思いますが、ちょうど自分の言葉で自分の考えていること、感じていることを伝える場があったら……と思っていたところでした。おまけに、長年連絡が途絶えている友人に(ずぼらで、まめに連絡するのが苦手なの。ごめん!)近況が伝えられるとあって、一挙両得じゃん、なんて小躍りしています。

 「故郷(ふるさと)」という言葉がとても優しく響くようになったこのごろ。私も年をとったのかなぁ〜なんて思います。

 あみんでdebutした20歳の頃。

 名古屋の大学に通いながらも、私たちの心は遠く東京を目指し、はばたいていました。いつでも戻ってくることのできる故郷があったから。

 そしてsolodebutのために東京で一人暮らしを始めた23歳。

 東京に旅立つ朝、心配そうに、でもニコニコしながら私を見送ってくれた両親。この娘は二度とこの家に戻って来ないかもしれない、そう感じながらも、やりたいことをやらせてあげよう、そんなふうに送り出してくれた両親を残し、故郷という場所から旅立ちました。

 岡崎で過ごした年月と東京で暮らす年月が変わらなくなった頃、私の中で故郷が、何と言うか、知らない町に思えたことがありました。それこそ室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思うもの」。とても大切な存在なんだけど、目の前に深くて長い川が流れているような、少し遠い存在……。「遠き故郷」という曲を書いたのもこの頃でした。

 それが徐々にいとおしい存在になったのは、ここ数年のことです。

 父が他界して、しばらくして落ちついたある日、葬儀のアルバムを見ていたら、母校・岡崎北高校の同級生が写っていたのです。誰にも連絡しなかったのに……。私に声をかけることなく、ただ参列してくれていたのです。
その後、愛知でconcertをした時に岡崎北高の音楽部仲間が駆けつけてくれたり、classmateが33年ぶりに楽屋を訪ねてくれたり。東京にいる同級生が東京でのconcertに度々足を運んでくれていることも最近になって知りました。それはみんな岡北の仲間たちでした。

 当時、みんな勉強に明け暮れ、そんなに語り合う時間もありませんでした。私はシンガー・ソングライターを目指し、作曲編曲教室に通っていたので、ゆる〜い勉強しかしていなかったんですが。私の夢なんて本気にしてないと思ってたのに、デビューした時、一番喜んでくれたっけ。本当に感謝、感謝です。

 ニューアルバム「NO RAIN,NO RAINBOW」には「ふるさとにて」という曲が収録されています。思春期を共にした温かい仲間たちのいる故郷を誇りに思い、大切にしていきたいと思います。(singer・songwriter)

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