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ピーチスマッシュ!コミュの3話:おにたいじ ?

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 左のチョップブローだった。
 握った拳の手首側で、相手の顔面に向かって上から下に振り下ろすように当てるパンチ。ボクシングでは、反則技として使用を禁止している危険な攻撃である。
 それが、男の顔面にめり込んだ。
「ぐぇ」
 男は呻き声を漏らし、床に倒れた。
 ごんと音が鳴った。後頭部を地面に強く打ち付けられ、気絶したらしく、口から泡を吹いている。
 折れた前歯が、吉備子の赤く濡れた拳に突き刺さっていた。
「さーてとぉ、サクッとやっちゃおうか」
 倒れ伏せる男を跨ぎ、堂々と胸を張って吉備子は部屋の奥に向かった。
 猿島は、息を飲んでその光景を見た。
 やるとは思わなかった。
 「まさか」と、ふいに頭の中で心配事が過ぎった猿島であったが、それはちょっと考えすぎだ。さすがにそこまでするのは、有り得ない。いくらなんでも、それはない。バカじゃないんだからそれはしないだろう。と、無意識の中で思い込んでいた。
 いや、タカを括っていたのかもしれない。 
 勇敢というより“無謀”
 無謀というより“暴挙”
 自分自身の身の程がわからず、火の中に飛び込んで勝手に自滅する。そういったどうしようもない大バカ野郎しかしない。正常な神経の者なら絶対にしないはずで、できないはずだった。
 できるなら、そいつは血迷っているか、気が狂っている。
 まともな人間ではないはずである。
 しかし、目の前にいる少女は、そのどれもに該当してしまった。
 まともではなかった――。
「こ・ん・に・ち・わぁー! わるいわるい“おに”さんたちを退治しにきましたキビコでーす!」
 元気よく、吉備子は片手を挙げて部屋の奥のリビングに向かって言った。
 赤い絨毯が敷かれたリビングに、ソファーとマホガニーの机があった。
 壁にかけられている『足柄興行』と書かれた提灯が並べられており、虎の毛皮が壁の真ん中に飾られていた。
 額縁に収められている墨字は、達筆で『任侠』の二文字が書かれていた。
 白のスーツ、赤のアロハシャツ、角刈り、茶髪、坊主頭、オールバック、金のネックレス、指輪、ブランド物の腕時計、革靴、サングラス、般若や桜、龍の和彫り、金バッジ。
 それらの視覚情報が、瞬間的に猿島と犬山の眼の中に飛び込んできた。
 足柄興行。
 ここ数年の間、暴力事件関係でニュースや新聞で頻繁に取り扱われている会社であった。
 肩書きは総会屋。
 わかりやすくいえば、ヤクザである。
「何じゃ……」
 玄関先での異変に気付き、リビングにいた足柄興行の男の一人が振り向いた。
 白のスーツにオールバックの痩せた男であった。大きな頬骨に、針金のような細い目。全体的に肉は少なく、細身で華奢な体格の印象だが、その細い両の眼から刃物のような鋭い殺気を放っていた。
 その眼で睨まれてしまえば、カタギの人間なら足が竦んでしまうのではないかと思えるほど、威圧感のある眼差しであった。
 その男の顔面に、吉備子の膝がめり込んでいた。
「よいしょー」
 飛び膝蹴りをもろに食らい、目付きが鋭い男の背がエビのように反り返り、その場に仰向けで倒れた。
「な! あ、兄貴?」
 床に倒れた男のすぐ傍らに立っていた子分らしき坊主頭の男が、目をむいて頓狂な声を上げた。
 と、その一瞬の間も開けず、頓狂な声を上げた坊主頭の男の肩を片手で押しのけ、横から赤いアロハシャツを着た男が、上体を低くした前のめりの姿勢で飛び出してきた。
 ドンッと、吉備子の脇腹に体当たりした。
 アロハシャツの男が握る匕首の鍔のところから、赤い液体が、絨毯にポタポタと滴り落ちた。
 それを見た猿島の背中に、じわりと嫌な汗が噴き出した。
「うわぁー、あっぶないなぁ! 刺されるとこだったじゃないスかぁー」
 至近距離から放った吉備子の中指一本拳が、アロハシャツの男の胸元に深く突き刺さっていた。
 べきぃと、胸骨が折れた音が聞こえた。
「あ、あがぁ……」
 口から吐き出された血が、アロハシャツの男の手首に落ち、それを伝って匕首を赤く濡らしていた。
 匕首が絨毯の上に落ち、アロハシャツの男の膝が崩れた。
「さっすが、おにさんっすねぇ。マジ容赦ない」
「テメェ……どこの誰だ?」
 サングラスをかけた角刈り頭の男が、しわがれた声で吉備子に訊ねた。
 しわがれていたが、ドスの利いた声だった。
 ストライプの入った灰色のスーツに茶色のネクタイを締めており、先ほど吉備子が倒した白スーツの男よりも地味な格好であった。
 顔のシワの様子や風格からして、それほど若い印象はない。四〇歳の後半ぐらいの年齢に見える。が、体つきは明らかに四〇歳の中年男のそれとは違っている。
 身長が一八八から一九〇センチはあった。
 スーツの下から、肉が張っているのがわかる。贅肉や脂肪ではない。よく発達した筋肉が、薄皮一枚の中に溜められている。
 それが、サングラスをかけた男の盛り上がった背中や肩、足の至る所から見て取れた。
「あれ? さっき言ったんスけど? おにたいじにきたキビコですよ」
「小娘……ここがどこだか、わかってるんだろうな?」
「うん。おにさんが住んでる場所でしょ?」
 ニコッと笑う吉備子に、重い殺気が集中して当てられた。
 トカレフ、ベレッタ、コルトトルーパー、マカロフ。
 改造されたモノは一つもない。全て密輸で手に入れた本物だろうと予想できる。
 ハッタリであろうとも、コピーや改造されたモノは暴発や故障する可能性が高いからだ。多少値段が高くなるとも、確実性を求めるのが常識である。
「なめた口きいてっと、タダじゃすまなくなるぜ」
 ちッ! と、サングラスをかけた男は舌打ちし、ポケットに両手をつっこんだ状態で吉備子の前に歩み寄った。
 猿島と対峙した時以上に、体格差が大きく開いていた。
「おじさんが、ここの大ボス?」
「はぁ?」
「聞いてるんスから答えてくださいよぉ。おじさんがここで一番強いのかって……」
 全部で八人であった。そのうち、二人を床に転がしているので、現在は六人になっている。
 拳銃を持っているのは三人、サングラスをかけた男を除いて、残った二人は懐から匕首を抜いていた。
「お前、一体何言ってやがる?」
 凶器が、周りを囲んでいる。
 殺気が部屋中に充満していた。
 普段の生活で、おおよそテレビや映画の中でしかお目にかかれない凶器たちである。
 どこにも逃げ場所はない。
 キュっと心臓を鷲掴みにされたかのような圧迫感があった。
 皮膚のあっちこっちが、目には見えない爪にガリガリと引っ掻かかれているかのような気分である。
 喉が詰まる。口の中が乾いている。
 少しでも気を抜けば、小便が漏れそうだった。
 全身の血の巡りと、顔から流れる生ぬるい湿った感触が堰を切ったかのように止まることがない。
 そこにいるだけで、自分は死ぬかもしれないという連想が、絶え間なく繰り返えされる。頭の中では、逃げ出したいとしか考えられない。
 絶体絶命――。
 猿島と犬山は、その異常な光景を玄関先の遠い位置から目の当たりにし、そう感じていた。
 生かすも殺すも、相手次第である。
 この場合だと、相手の選択肢に『生かす』という項目は、ないものだと考えるのが、妥当である。ネガティブな発想ではない。そうなるように、吉備子が仕向けたからだ。自業自得としか言えない。
 勝てっこない。
 誰の目から見ても、それだけは確かだと思える。
 武器を持って戦うというならまだしも、吉備子は素手である。
 たとえ格闘技を身に覚えていて、肉体を鍛えていても、素手で拳銃や匕首と対等に渡りはしない。
 拳銃で頭を撃たれれば、刃物で首を切られれば、間違いなくどうなるか、小学生でもわかる。
 死ぬ、だけだ。 
 それがわかっているから、怖いと感じてしまう。
 大の男でも、いざ遭遇すれば股間が縮み上がってしまうような窮地であった。
 ビビッてしまうし、パニックにもなってしまう。
 もはやどうしようもない。文字通りお手上げ状態だった。
 が、この抜き差しならないような異常な緊張の中、さほど驚くこともなく、むしろその貌に喜びの色さえ浮かんでいる人間が一人いた。
 吉備子である。
「ねぇ? どっちなんスか?」
「っるせぇぞ! ガキ!」
 トカレフの銃口を吉備子に向けたまま、黒髪にパンチパーマをあてたヘアースタイルの男が吼えた。
 顔つきは、まだ二〇代そこそこに見える。白のワイシャツとクリーム色の綿のズボンを穿いていた。
「テメェわかってんのかッ? いってぇテメェが何やってるのかをッッッ! ぁあッッ?」
 明らかな不利な状況であるにも関わらず、眉一つ動かしていない。
 自分の今の立場がまるでわかっていない吉備子の様子。
 そのふてぶてしい態度が無性に気に入らないパンチパーマの男は、自分よりも明らかに年下の少女である吉備子に、恫喝した。
「何って……」
 パンチパーマの男の顔をチラッと横目で見た吉備子は首を傾げ、斜め上の方向を見ながらうーんと唸った後、さらっと言った。
「おにたいじ?」
 ゴリッと、硬い金属の先端が吉備子の額に押し付けられた。
「このガキぃ……ざけてんじゃねぇぞコラぁ!」
「ま、待ってくれッッ!」
 ダンダンダンッと、床を踏み抜く勢いで廊下を走る音が聞こえた。
 足柄興行たちと吉備子が、声が聞こえた方向に振り向いた。
 そこにいたのは、猿島だった。
「誰じゃおのれは……」
 サングラスの男が、自分たちの前に現れた猿島に対して尋ねた。
 冷たい汗が全身から隈なく流れ、息が荒れていた。
「ああ、モンキッキーそこにいたんだぁ」
 額にトカレフの銃口を押し当てられながら、ケロッとした顔で吉備子は猿島を見て言った。
 下唇を噛む猿島は鼻の穴から息を一度吸い、首筋に力をこめるとサングラスの男の足元に両膝を落とし、両手と額を床にこすりつけるように当てた。
「た、頼む! この通りだ! そいつを見逃してくれ!」
「あ?」
 リビングのほぼ真ん中で、サングラスの男の足元で土下座する猿島に、足柄興行の人間たち一同は、眉を寄せて猿島を見下ろした。
「俺は青田プロレスでプロレスやってる猿島義男という者だッ! うっかりそこのバカが場所間違えてやっちまったことなんだッ! 知らなかっただけなんだッ! 本当に申し訳ない! 全て俺の責任なんだ! 頼む! だからここは穏便になかったことにしてほしい!」
 土下座――。
 プロレスラーである猿島が、生まれて初めて人に許しを乞う。
 敗北感と屈辱が体中に染み渡る。
 クソ不味いジュースを喉に流し込み、腹の底で溜まっていたのが血管に乗って隅々まで拡散していくようだった。
 想像する自身の体のサイズが、もう一回り小さくなった気分だった。
 こんなにも人に対して頭を下げるという行為が、胸糞悪いものだったのか。猿島は改めて、土下座をするという意味そのものを理解した。
 決して、自分一人が助かりたいからといった、自分の保身の為でやったのではない。やろうと思えば、吉備子を見捨てて逃げることもできた。
 だが、もしここであの少女を見捨ててシッポを巻いて逃げてしまえば、男としてではなく、人として最低であると思った。
 ワケもわからず無理やり巻き込まれたとはいえ、自分にも幾分かの責任はあったはずだ。
 少なくとも、ヤクザにケンカを売る吉備子の暴挙を止めることはできたはずである。やるとは思わなかったや知らなかったという理由は、虫のいい言い訳にしか聞こえない。
 プライドや面子など、どうでもよかった。
 吉備子に責任を押し付ける気は、まるでない。今時、格闘技のジムに道場破りをするような少女だ。見た目の容姿とは関係なく、精神年齢は小学生以下なのである。
 本気で、自分が特撮番組の正義のヒーローだと錯覚している。
 ヒーローだからこそ、自分は絶対に負けないし、自分は絶対に死なない。自分こそが『最強』なのだと妄信しきっているのだ。
 きっと自分自身が、ここにいるヤクザを蹴散らす前提と算段でやらかしたのだろう。
 でなければ、ここまで大胆不敵にできるわけがない。
 フィクションの世界だけのご都合展開であって、それと現実が同じではないと、きっと知らないのだろう。
 世の中のルールを、大人の決まり事を知らなかっただけだ。知らないというだけなら、そこに重い罪はないはずである。
 やらかしてしまったことに後悔してもしょうがない。たとえ、頭のネジが何本か外れた子供がやらかしたとしても、やってしまったことは元には戻らない。
 後始末は、大人である自分たちがするしかない。
 しかし、困ったことに相手が悪い。悪すぎる。
 自分の面子とプライドを差し出して事が落着するのなら、まだ安い。彼らがその程度で許してくれるなら、ここまで掻く必要のない汗を掻かないで済むものだ。
 金を、いくらか積むことになるだろう。
 何百万、何千万。額がいくらになるかはおおよその見当もつかない。だが、払えと彼らが請求して、それでなかったことにしてくれるのなら、致し方のない処置だったと思い、条件を飲むしかないと覚悟した。どうやって金を工面するのかは後で考えることである。
 とにかく、この危機的状況をどうやって乗り切るかが、最優先事項なのだ。
 一人の純粋な少女の命を守る為なら、躊躇いなど不必要だ。そう猿島は腹をくくって彼らに臨んでいた。
「……兄ちゃん。とりあえず面上げろや」
 親しみの込もった穏やかな声が聞こえた。肉厚のある大きな掌が肩にぽんと置かれた。
 伏せている顔のまま、サングラスの男の足元を見れば、膝を曲げて腰を落としているようだった。
 猿島はおそるおそる顔を上げた。
(え?)
 びゅっと熱いモノが、目前を覆った。
 何が起こったのかサッパリわからなかった。
 顔の半分が、妙に生暖かい感触がした。
 それが顔の半分ではなく、顔の一部分だと気付いた。 
 気付いた時には、右眼の視界はなくなっていた。
「あ、あぐぁああああああああッッッ!!!!」
 悲鳴を上げた。
 ぶしゅっと、右眼から熱いものが一気に噴き出た。
 腹の底から這い上がるように、猿島の意識に痛みが伝わった。
 わかりやすい、シンプルな痛みである。
 刺さっていたのは、刃渡り一〇センチほどの果物ナイフ。
 どこに隠していたのか、それともたまたま見つけたのか、いずれにしろ猿島が土下座をしている間に手に入れていたらしい。
 想像もしなかった行為だった故、ショックが大きかった。
「ひ、ひぃいいい!」
 悲鳴を上げた。腹の底から、喉の先に搾り出すように猿島は泣き叫んだ。
 その場でゴロゴロと左右に往復して転がった。
 刺された右眼を両手で覆った。ナイフを抜く勇気がない猿島は、ナイフになるだけ触れないよう、指の間に挟むように覆った。
 左目からこぼれる涙が止まらない。
 絨毯の上が、生暖かい液体で湿っていた。
 生暖かい液体の正体が、自分の右眼から垂れ落ちる血であると、触れる指先でわかった。
 脂汗やら冷たい汗が、全身の毛穴から噴き出ていた。
 そんな猿島の悶え苦しむ姿を見下ろし、足柄興行の人間が嘲笑している声が、どさくさに紛れて聞こえた。
「ま、所詮レスラーはこんなもんか」
「びぃーびぃー騒ぎやがって情けないぜ」
「でっけぇ図体して、転がってるんじゃねぇよ!」
 腹を蹴り上げられた。
 胃がひきつった。
 酸っぱい臭いのする生温かいものが、喉をこすり、猿島の口に溢れた。
「おいレスラー。こいつはおめぇのツレだろ?」
 ぐいっと猿島の髪の毛をむしりとるように上から握り掴まれ、猿島は顔を無理やり持ち上げられた。
 涙が止まらない左目を、なるだけ開こうと努力する。
 濁った視界の先に、絨毯の上で二人がかりで両腕を拘束され、うつ伏せで抑え付けられている上半身裸の男の姿が見えた。
 それが犬山だとわかるのは、そう時間はかからなかった。
「……根性なしがぁ」
 サングラスの男が、低いドスの利いた声で言った。
「極道に素手ゴロ(ケンカ)しかけといて返り討ちとはよ。レスラー気取りのアマちゃんが」
 サングラスの男が、懐から銀色のケースと取り出すと、中に収納されたいくらか値の張りそうなブランドの葉巻を一本咥えた。葉巻を唇に当てたタイミングで、横に立っていた下っ端らしき男の一人が、ジッポーに火を点してサングラスの男にそれを差し出した。
 葉巻の先端を前歯で食い千切り、火を点け易い状態にしてから差し出されたジッポーの火を当て、もわっと煙を鼻と口から吐いた。
「テメェの安っぽい土下座ごときで、返せる面子じゃねぇんだよアホンダラ。こっちは三人もやられてるんだ。この始末、テメェの目ん玉だけで済むと思ってるのか?」
 ゾクリと悪寒のようなものが、猿島の背筋を奔り抜けた。
 猿島の脳裏に、ある嫌なイメージが過ぎった。
「ま、まさか――」
「ふふ、安心しな。カタギをそうそうバラしやしねぇよ。ただな……」
 ふーっと猿島の顔面に葉巻の煙を吹きつけた。
 ゴホゴホと猿島が煙でむせた。
「おたくのガキが因縁ふっかけたんだ。これはおたくには関係ねぇんだ。俺らとそこのガキの問題だ。おたくは黙ってそこでゆっくり見物でもしとくんだな。その残った目玉でよ。その後でたっぷりと可愛がってやるよ」
 サングラスの男が猿島にそう言った後、猿島の右眼に突き刺さった果物ナイフを何の躊躇もなく抜き取った。
「あぐぅ!」
 右眼の瞼の下から、また「ぴゅっ」と血が出た。激痛に猿島がまた悲鳴を上げぬよう耐え、止め処なく流れる自分の血を両手で抑えた。
 膝立ちの状態である猿島のうなじに、ひんやりと冷たい、薄い物体が当たった。
「ちょっとでも動いたら、首がちょん切れちまうぜ」
 背後から男の声が聞こえた。うなじに当たる冷たく薄い物体から、ひりひりとした殺気が放たれていた。
 後ろを振り向けない猿島は、チラッと左目で横を見た。
 柄と鍔が見えた。匕首ではない。日本刀であると知った。
 何でもあるのだな――。自分が危機的状況に立たされているのだと知っていながら、猿島は他人事のようにそう思った。
 吉備子を助けるどころか、自分たちが人質になってしまった。
 ああ、これが正真正銘の“絶体絶命”なんだと感じた。
 これ以上どうしようもない。
 どうにもならない。
 そう本気で感じた。
 人生どうにかなると信じていたが、本当にどうにもならない時ってあるものだなと、苦笑したくなった。
 パニックを通り越し、もうどうにでもなれと、投げやりな気分になった。
 完全に諦めの心が決まりそうだった。  
「ねぇーモンキッキー。まだおにたいじしてないのに、何でブルーモードなの?」
 額にトカレフを突きつけられているままの吉備子が、足元で伏せている猿島に向かって言った。
 猿島は、何も言わず、黙っていた。
「ねぇってばー! ワンワンもどーしたの?」
 両腕を拘束され、身動きできない犬山は、吉備子とは顔を合わせようとすらしなかった。
「どーしたのじゃねぇよ。ガキ」
 ケッと吐き捨てるようにサングラスの男は吉備子に言った。
「ん?」
「おめぇのせいでこんなことに巻き込まれたんだ。そりゃ腹立つとかムカツクとか超えちまってよぉー、おめぇさんを恨んでるだってのを、わからねぇのか?」
「うらむ? 誰を」
「おめぇをだよ」
「どうして?」
 キョトンとする吉備子に、サングラスの男は目を丸くした。
「どうしてって……おめぇが――」
「だって二人はキビの家来なんだよ? こんなことあったりまえじゃん」
「ぁあ?」
 ピタッと猿島と犬山の動きが、止まった。
 足柄興行の男たちも、何のことかさっぱり飲み込めず、怪訝な顔つきとなった。
 ニコッと、吉備子の口元に笑みが浮かんだ。
「おめぇ、さっきから黙って聞いてりゃわけのわからねぇ御託抜かしやがって。一体何が目的だ?」
「もぉーしつこいっすねぇ。キビはおにたいじにきたって何度もいってるじゃないっスかぁ」
「ざけてんじゃねぇぞ、ガキ……」
 サングラスの男が、無言で吉備子を睨んだ。
 葉巻の灰が、絨毯に落ちた。
「テメェ、本気で俺たちにケンカ売りにきたっつーことなんだな? それがどういう意味なのかわかってやってるんだろうな?」
「うーん……そうだねぇー。ケンカはあんまり売っちゃいけないのはキビもわかるよ。暴力を人に振るうのはサイテーだからねぇー」
 そう言った吉備子を見て、猿島と犬山は内心引きつった。
(お、お前が言うなぁッッ!)
「でも、最初に言ったじゃないっスかぁ。わるいわるいおにさんを“たいじ”するって」
「……テメェ」
 きっぱりと吉備子は言い切った。
 筋が通らない理屈である。サングラスの男の話を一片も聞かず、自分の理屈だけを押し付けようようとしている。
 それを聞いた周囲の者は、あまりの傲慢な吉備子の発言に、目をむいた。

 〜続く〜

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